蠱惑の刃
魔力灯に照らされた地下通路を駆け抜ける。
その先から、耳をつんざくような咆哮が響いてきた。
「ギイイエエエエエエエエエ!!」
ジータだ。間違いない。
でもあんな苦しげな叫び方、今まで聞いたことがない……!
「ジータ……!」
焦りと怒りで胸が焼ける。
白き爪痕……奴ら、一体ジータに何をした!?
その時だった。通路の先に白いフードの人物がふらりと現れる。
「止まれ。君はこれ以上先を行くべきじゃない」
聞き覚えのある声。オレは思わず足を止めた。
「……ユリウス、か!?」
フードが外される。銀髪に切れ長の赤い瞳。
間違いない、クラスメートのユリウスだ。
「なんで……お前が……!?」
「もう隠すのも面倒だしね。僕は白き爪痕のスパイだったんだよ」
「な、なに……!?」
言葉を失う。
驚きと混乱、そして怒りが心を満たしていく。
「お前が……ずっと学園にいて……!?」
「そう。君のことも、ジータのことも、ずっと見てたよ」
あっけらかんと語るユリウスの態度に、オレは怒鳴った。
「ふざけんな! ……オレたちのこと、ただ利用してたのかよ!」
「違う。少なくとも、僕は君を嫌いじゃなかった。……だから言うんだ。今すぐ引き返せ。これ以上進めば、ジータは壊れる」
「……は!?」
意味がわからない。けれど、ユリウスの目は本気だった。
「キラ様は焦ってる。君が来れば、ジータの改造と洗脳を急がせることになる。それじゃ、取り返しがつかなくなる」
「だったらなおさらだろ! 止めるために、急がなきゃいけないってことじゃねえか!」
「……やっぱり、君は止まらないか」
ユリウスが静かに呪文を唱え始める。
「我、汝を呼び求む。蠱惑の羽煌めく麗しき蝶よ、顕現せよ!」
魔法陣が展開し、青い鱗粉を纏う美しい蝶のような召喚獣が現れる。
「このモルフォイの鱗粉は、吸い込めば痺れて動けなくなる。だけど……それじゃ甘いよな」
ユリウスはさらに詠唱を続ける。
「蠱惑の蝶よ、麗しき剣となれ――武器憑依!」
蝶が光に包まれて姿を変え、彼の手に一振りの細剣が現れる。
淡く煌めく刃と柄に、蝶の意匠が刻まれていた。
「話が通じないなら、力づくで止めるしかない。……スタン君、覚悟」
次の瞬間、ユリウスが一閃、風のような速さで突きかかってくる!
「うおっ!」
オレも咄嗟に剣を抜き、ギリギリで受け止めた。
――キィイィン!
激しい金属音が通路に響き渡る。鋭い剣圧が腕に伝わってくる。
「その反応、さすがだね。……やっぱり君、剣士の方が向いてるんじゃない?」
「……レン先輩にも同じこと言われたよ。でも、オレは“召喚術士”として、ジータを取り戻すって決めたんだ!」
剣と剣がぶつかり合う。言葉と意志もぶつかり合う。
「なら、ここで止まってもらうしかない……!」
「だったらオレは、お前を超えてでも進む!!」
火花を散らす激突の先に、互いの信念がぶつかり合う戦いが、今まさに始まった。
「そっか。……ならここで退場願おうか!」
ユリウスが一歩跳び退いた刹那、青白い魔力が身体を包む。
「蠱惑の蝶よ、我に羽を授けよ!」
その言葉と共に、彼の背に蝶の羽のような光翼が広がる。
透き通るような青い光は幻想的で、同時に不気味な気配を放っていた。
あれがユリウスの憑依武装か……!
こいつ、本気だ!
「スタン君、行くよ!」
光翼を羽ばたかせたユリウスが一気に距離を詰めてくる。
滑るような踏み込み、風を裂くような剣の閃き。
「くっ……!」
オレはギリギリで刃を受け止めるが、手首に痺れるような衝撃が走った。
ユリウスの一撃一撃が、見た目以上に重い!
「君にはもう勝ち目なんてないんだ! 諦めてくれ!」
「バカ言うな、ユリウス! オレは……オレはジータを助けるって決めたんだ!!」
互いに剣を交え、火花が散る。
だけど、ユリウスの剣捌きはまるで舞のように滑らかで、隙が見えない。
「……仕方ない。本当は生身の人間に使いたくなかったんだけどね」
ユリウスの瞳が一閃、次の瞬間、周囲に花びらのような魔力の残滓が舞い始める。
「花弁の舞踏!」
それは美しくも恐ろしい魔法だった。
花の形をした無数の刃が空間を舞い、オレを中心に一斉に襲いかかる。
「うあああああああっ!」
回避する間もなく、オレの身体は刃の嵐に巻き上げられ、宙に浮き、そして地面に叩きつけられた。
「ぐっ……ううっ……!」
全身が痺れ、視界が揺れる。息が苦しい。
それでも、オレは歯を食いしばって立ち上がる。
「もうやめよう、スタン君。ジータのいない君に……勝ち目なんてないんだよ」
ユリウスが目の前に剣を突きつけてくる。
その目に揺らぎはなかった。
だけど、ほんのわずかに――迷いが見えた。
「……だからって、諦められるかよ!」
立ち上がったオレの声が、通路に響く。
震える足に力を込める。剣を構える手が、まだ動くなら――戦える!
「オレは……オレは絶対ジータを助けるって、心に決めたんだ!!」
「っ……分からず屋が!」
ユリウスが歯噛みした、その瞬間だった。
――ドォン……! ドォン……!
地下通路に鈍く、重たい地響きが響いてきた。
「な、なんだ……この音は……」
「……ジータなのか?」
オレが呟いた言葉に、ユリウスがわずかに顔を青ざめさせる。
「まさか……もう、改造が……」
空気が変わった。冷たい何かが、肌を刺す。
「ーー時間稼ぎ、ご苦労だったな、ユリウス」
通路の奥から現れたのは、白を基調に豪奢な装飾をまとった男――白き爪痕の首魁、キラだった。
「お前は……!」
「おかげで、完全なる召喚獣が完成したぞ。見せてやろう……我が傑作を」
キラが合図をすると、背後の巨大な扉が軋むように開かれる。
そして――現れた。
「ジータ……なのか……?」
そこに立っていたのは、かつての相棒とは似ても似つかぬ姿。
漆黒の拘束具に覆われ、四肢と口には金属の枷。
その眼には、かつての誇り高き光はなく、空虚で凍りついたような光が灯っていた。
「グオオオオオオオオオ……」
その咆哮に、かつての温もりはなかった。
オレはただ、震える唇で――名前を呼ぶしかなかった。
「ジータ……っ!」