決意の一歩
ジータを奪われてから、どれほど時間が経ったのか分からなかった。
気がつけば、オレは学園の廊下を走り回っていた。あてもなく扉を叩き、誰彼かまわず問いかけていた。
「なあ、どこかでジータを見たってヤツはいないのか!? ……誰か、何か、教えてくれよ!」
廊下ですれ違った上級生に詰め寄り、イリヤのところにも、レン先輩のいる生徒会室にも足を運んだ。
けれど──誰も、何も、知らなかった。
「ちくしょう……!」
拳を壁に叩きつけた。鈍い痛みと共に、皮が裂けて血がにじむ。だが、そんな痛みなんてどうでもよかった。
何もできなかった自分が、あまりにも情けなかった。
「おい、落ち着けスタン!」
駆け寄ってきたのはダリオだった。心配そうな目で、オレの顔を覗き込んでくる。
「うるせえ……落ち着いてなんかいられるかよ! オレの、大事な相棒が……!」
声が震える。目の奥が熱くなる。
今すぐにでも助けに行きたかった。だけど、白き爪痕のアジトがどこにあるかすら分からない。
ただ焦るだけで、何もできない現実が、たまらなくもどかしかった。
ふと、ダリオがぽつりと口を開いた。
「そういえばラホール先生には話を聞いたか?」
「ラホール先生……?」
「ジータを召喚できたのも、ラホール先生の教えがあったからだって、お前言ってただろ? その人なら何か知ってるかもしれないだろ」
そうだ。ジータと出会えたのは、ラホール先生のあの時の提案がきっかけだった。
……なのに、どうしてオレは真っ先にそのことを思い出せなかったんだ!
「ありがとな、ダリオ!」
「お、おい、待てって! ……ったく、行っちまったか」
ダリオの呼び止めも聞こえないくらいに、オレは一直線にラホール先生の実験室へと向かった。
「ラホール先生っ!!」
勢いよく扉を開けたその先には、丸座に腰掛け、静かにオレを見つめている先生の姿があった。
まるで、最初からオレが来ることを分かっていたかのように。
「……待っていたよ、スタン・レクシー君」
瓶底みたいに分厚い眼鏡をくいっと上げて、ラホール先生はそう言った。
「先生っ……あの! 白き爪痕のアジトって、どこにあるんですか!?」
「白き爪痕……」
ラホール先生はあごを撫でて考え込んだ後、古びた巻物のような地図を取り出した。
「私の知る場所が今も使われているのであれば……ここが、やつらの拠点だろう」
「な、なんで先生がそんなことを……!?」
オレが目を白黒させていると、先生は深く息をついて語り始めた。
「……私はかつて、白き爪痕の研究部門に所属していた人間なんだ」
「ええええぇぇぇえっ!?」
衝撃のあまり、声が裏返る。まさか、あのラホール先生が……!?
「昔の話だ。私は研究員として、キラの掲げる“完全なる召喚獣”の開発に協力していた」
「完全なる召喚獣……!」
たしかバイオンとかいう怪物も、そんな名前で呼ばれていた。
「だが、キラは目的のためならどんな非道も厭わない男だった。私は、その在り方にどうしても耐えられなかった。……だから、組織を離れた」
静かに語られる過去の重みが、ずしりと心に響いた。
「そのキラを止めるために、私は一つの結論にたどり着いた。――奴らがかつて手にしようとして失敗した、古の最強種。君が召喚した、ジータの存在だ」
「古の最強種……!」
「私には最強種ほどの召喚獣を従える力などない。だから、素質を見込んで、君に目をつけたというわけだ」
すべてが、つながっていく。ジータと出会えた理由。ラホール先生がずっと見守っていた理由。
「……それなのに、ジータは……」
オレが悔しさを滲ませると、ラホール先生は深く頭を下げた。
「巻き込んでしまって、すまない」
「や、やめてください先生! 頭なんて下げないでください!」
オレは慌てて叫んだ。
「先生のおかげで、オレはジータと出会えた。あいつと一緒に、たくさんのことを乗り越えてきた。……だから、感謝してるんです!」
オレの言葉に、ラホール先生の眼鏡の奥で、光を取り戻したような瞳が揺れた。
「……そうか。それならよかったよ」
静かに微笑んだ先生の顔は、いつになく頼もしく見えた。
「ーーオレ、ジータを取り戻しに行きます!」
「待ちなさい。今は夜だ。動くなら、明日。準備も必要だろう?」
「……はい!」
焦る気持ちは変わらない。けれど、今はちゃんと準備を整えないと。
ジータを取り戻すために。
オレはラホール先生の言葉に頷いて、その夜は男子寮へと帰った。
明日こそ、すべてを取り戻すために。
そして翌日。
欠席届けを提出したオレは、前日に借りた一振りの剣を手に、学園の校門を一人でくぐろうとしていた。
「待ってろよ、ジータ……オレが、必ず助けに行くからな」
硬く拳を握りしめ、決意を胸に歩き出そうとしたその瞬間――
「スターーーーーン!!」
「スタンくんっ!!」
振り返ると、息を切らしながら駆けてくる二人の姿が目に飛び込んできた。
スカーレットと、シルヴィアだった。
「スカーレット! シルヴィア!」
「探したんだから! アンタ、一人で行くつもりだったんでしょ!? 本当にもう、バカなんだから!」
「無茶ですわよ! 一人で乗り込むなんて、それこそ無謀ですわ!」
二人に怒られて、思わず顔を伏せかけたけど――それでもオレは、踵を返して、真っ直ぐに言い返す。
「それでも……オレが行かなきゃならないんだ!」
すると、さらにもう一つの声が飛び込んできた。
「その言葉、待っていたよ、スタン!」
「……レン先輩!?」
気がつけば、レン先輩とイリヤも校門に駆けつけていた。
「君一人に任せて、誰が学園を守れるか。私も行くぞ」
「……わ、私も行きます! だって、スタンさんは……お友達ですからっ!」
イリヤは帽子のツバを下げて、恥ずかしそうに言葉をつなげた。
「でも……!」
オレは迷った。二人を巻き込むわけにはいかない。
ジータを助けたい気持ちは強いけど、彼女たちを危険に晒すわけにはいかないと、どこかで思っていた。
するとレン先輩が、見透かしたように言った。
「『巻き込みたくない』……そう思っているんだろう?」
「えっ……?」
「優しい君のことだ、分かるさ。だが白き爪痕は、もはや君だけの問題じゃない。学園全体への脅威だ。生徒会長として、これを放っておくわけにはいかない」
その言葉に、オレはハッとした。
もうオレは独りじゃない。共に戦ってくれる仲間がいるんだ。
「私たちは、ただの仲間ではありませんわ。運命を共にする同志ですのよ!」
シルヴィアがにっこりと微笑む。
「……でも、スカーレットとシルヴィアは、今回は留守番してもらう」
「ええええっ!? どうしてですのっ!」
「アタシたちだって戦えるのに……!」
スカーレットが悔しげに唇を噛む。
けど――
「君たちの手の紋様……ヒビが入ってる。召喚獣を呼べない状態で無理をすれば、君たち自身が危ない」
オレがそう言うと、スカーレットとシルヴィアは言葉を失った。
確かに、今の二人では戦えない。それが現実だった。
「……それじゃあ、行ってくるよ。必ず、ジータを取り戻してくる」
背を向けかけたそのとき、スカーレットの叫びがオレを引き止めた。
「待って!」
彼女は両手を胸にあてて、震える声で言葉を紡ぐ。
「絶対に……生きて帰ってきてよ! アンタがジータを大切に思ってるのと同じくらい……アタシは、スタンのことが大切なんだから!」
その言葉は、まっすぐオレの胸に届いた。
――大丈夫、もう迷わない。
「ありがとう、スカーレット。約束する。必ず、ジータを連れて戻るよ」
「……絶対だからね!」
その想いを胸に、オレはレン先輩、イリヤと共に、白き爪痕のアジトへと向かった。
相棒を、仲間を――そして、未来を取り戻すために。