スカーレットの決意
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図書室を出た後、スカーレットは胸に手を当てながら、先ほどの出来事を何度も反芻していた。
「スタン……ちゃんと前みたいに戻ってたわね」
彼女はずっと不安だった。
自分が告白の返事を曖昧にしたまま逃げたことで、スタンを深く傷つけてしまったのではないかと。
けれど、さっきの彼は……笑っていた。いつも通りの調子で、自分に話しかけてくれた。
――安心感と共に、ほんの少しだけ胸の奥にチクリと痛みが走る。
「……もしかして、もう気にしてないの?」
そんなわけない。
あんなに真剣な想いを伝えてくれたスタンが、簡単に諦めるはずがない。
スカーレットは勢いよく頭を横に振った。
(違う、スタンは……きっと気を遣って、平気なふりしてたんだ)
気丈に見えても、彼だってきっと不安だったはず。
なのに、今度は自分が逃げっぱなしなんて――それじゃ、格好つかない。
「……アタシも、ちゃんと気持ちを伝えなくちゃ」
心の中で、そっと覚悟を決める。
そうして歩いていたその時、裏庭の方から光が漏れた。
「……あれは、ジータ?」
その姿は、かつて見た暴君そのものだった。
小さくなっていたはずなのに……もう、元のサイズで召喚できるようになっている。
(……スタンも、ちゃんと強くなってるんだ)
不思議と胸が熱くなる。でも同時に、胸の奥がザワついた。
自分は、何か一つでも前に進めてるだろうか? 彼の隣に立てるだけの強さを――持っている?
そんな風に自問していた時、不意に視線の先に見えたのは、クラスメートのユリウス。
「あれ……ユリウス? ……ジータを、見てる?」
彼とスタンは何か話しているようだったが、遠くて内容までは聞き取れなかった。
ただ、その視線の鋭さに、スカーレットは妙な違和感を覚える。
「……なんなのよ、あいつ」
訝しみながらも、そのまま女子寮へと足を向ける。
寮に戻ると、ちょうど玄関先でシルヴィアと鉢合わせた。
「あら、スカーレットじゃない。ずいぶん遅かったですわね」
シルヴィアの言葉に、思わず肩がピクリと跳ねる。
どこか見透かしたような目をしている。
「……何よ」
「もしかして……スタンくんに、お気持ちを伝えたのでして?」
「なっ――!」
顔に血が上った。ボッと音がしそうなくらい、頬が熱くなる。
「ちっ……違うわよっ! ちょっと一緒に課題やってただけなんだから!」
「ふふっ、それはまた……随分と“甘い空気”だったのでは?」
「なっ、そ、そんなわけ……!」
からかわれているのは分かっているのに、否定すればするほど恥ずかしくなってくる。
「それで、彼はどうでしたの?」
「……前みたいに戻ってたわ。たぶん、アタシを気遣って……普通に接してくれてた」
「スタンくんらしいですわね。……でもそれは、彼が本気で想っているからこそですのよ?」
そう言ったシルヴィアの声は、いつになく優しかった。
「……分かってるわよ。ちゃんと、分かってる」
素っ気なく言い残してすれ違おうとした時――
「スカーレット」
シルヴィアが背中越しに言葉を投げた。
「……わたくしは、あなたの味方ですわ。だから、勇気を出して」
その言葉が、スカーレットの胸の奥で、静かに灯りとなった。
「……ありがと」
小さく、でも確かにそう呟いて、スカーレットは自室へと戻っていった。
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翌日、オレが教室に入ると、教卓のそばで腕を組んだスカーレットが、何やら落ち着かない様子で待ち構えていた。
「スカーレット、おはよう」
軽く手を挙げて挨拶すると、スカーレットは目を泳がせながらモジモジと歩み寄ってきて、ふいにオレの耳元に顔を寄せる。
「……放課後、裏庭で待ってるわ」
「へっ?」
間抜けな声が思わず漏れるも、スカーレットは何も言わず、くるりと踵を返して席に戻ってしまった。
ま、まさか……これって!?
心臓が、ドクンと跳ねた。
教室中には、ざわざわとした空気が立ち込めていた。
「今の聞いた? なんか特別な感じじゃなかった?」
「うわー、これは来るね。青春だねー」
「きゃー! あたしたちも放課後の裏庭、行ってみようよ!」
周囲の野次馬どもがあれこれ言ってるけど、そんなの今は耳に入らない。
そんな中、隣の席のダリオがニヤニヤと肩を組んでくる。
「よっ、ついにスタンの恋も進展か?」
「う、うるせえよ! べ、別に……期待なんかしてねえし?」
「おいおい、さっきガッツポーズしてたの、俺は見逃してねーぞ?」
「えっ、マジで!? ……うわ、最悪!」
思わず顔を覆うオレに、教室の後ろから落ち着いた声が届く。
「……思ったより早かったな」
その声に顔を向けると、ユリウスが静かに微笑んでいた。
「な、なんだよ、ユリウス」
「いや、何でもないさ。……ただ、君の恋がうまくいくことを願ってるよ」
それだけ言い残して、ユリウスは自分の席に戻る。
何なんだよ……。
相変わらず意味深なことを言うやつだ。でも悪い感じじゃないんだよな。
ーーそんなモヤモヤを振り切るように、前から声が飛ぶ。
「ーーほら、みんな静かに。ホームルームを始めるぞ」
クラウス先生の声で、教室がようやく静まり返った。
そして迎えた放課後。
オレは駆け足で裏庭に向かっていた。
「はあ、はあ……スカーレット!」
風が頬を撫で、心臓が騒がしく跳ねる。
足取りが自然と早くなる。
まるでオレの身体が、スカーレットの元へ引き寄せられているみたいだった。
花の香りの中に、あの二つに結んだ緋色の髪が揺れているのが見える。
スカーレット……!
そしてその途中、ふと校舎の脇を通りかかるユリウスの姿が目に入った。
無表情で、何かを見つめるように足早に去っていく。
……ユリウス?
けど、今はそれどころじゃない。
オレは気を取り直して花園へ向かった。
そこには、花々に囲まれたベンチの前で、オレを見つめて立つスカーレットの姿があった。
「待っていたわ、スタン」