魔術の天才
「イリヤ・フォン・ノクターン……!」
スカーレットが驚いたようにその名を口にする。
オレも聞いたことがある。一年生にして魔術学科の首席に上り詰めた天才少女――
目の前に立つ彼女は、想像よりも小柄だったが、目線の高さはほぼ同じ。
紫色の長い髪はふんわりとウェーブがかり、ヒール付きの白いブーツを履いている。
だが、透き通るピンク色の瞳には揺るぎない自信が宿っていた。
「助けてくれて、ありがとな」
オレが礼を言うと、イリヤは横髪をかきあげ、淡々と返す。
「礼には及びません。暴走するゴーレムを止めるために来たら、ちょうどあなたたちが襲われているところでしたので」
そう言いながら、彼女の視線がジータを捉えた。
「なるほど……これが古の召喚獣なのですね。そして、それを従えている男子生徒のスタンさん、と」
「クグルルルル……?」
ジータが低く唸る。
その意図を察して、オレは何気なく返す。
『何だ、あの小娘は』
「お前も気になるか? ――イリヤ、ジータもお前を気にしてるみたいだぜ」
「……ほう?」
イリヤが軽く眉を動かし、わずかに表情を曇らせた。
「……やはり、召喚獣の意思を理解できるのは術者のみということですか」
――理解が早い。
召喚獣と直接話せるのは術者だけ、それはこの世界では当たり前のことだ。
だが、イリヤの言葉には単なる確認以上の含みがあった。
「それは……問題ですね」
「……問題?」
「ええ、問題です」
イリヤは静かに息をつくと、まるで教師が生徒を諭すような口調で語り出した。
「魔術とは、理論と数式の上に成り立つものです。術式が明確に構築され、それをどう運用するかが術者の役目となる」
「だから?」
「ですが、召喚術には一つだけ、極めて不確実な要素があります」
イリヤは、ジータとオレを交互に見つめながら、言葉を紡ぐ。
「召喚獣の意思は、術者にしか分からない。つまり、術者の解釈がすべてということです」
――そうか、イリヤはそれが気に入らないのか。
「あなたは『ジータがこう言った』と伝えますが、それが本当に正しいのか、誰も証明できない。術者が『戦え』と命じれば、召喚獣は戦うでしょう。しかし、それが召喚獣自身の意志か、それとも術者の意識が反映されただけなのか、区別する方法はない」
「……つまり、オレがジータの言葉を勝手に作ってるかもしれないって言いたいのか?」
「少なくとも、あなた自身が正しく伝えているという保証は、どこにもないでしょう?」
「ぐ……」
確かにそう言われると反論できない。
今まで当たり前のようにやりとりしてきたが、オレの解釈が100%正しいかどうかなんて、考えたこともなかった。
「召喚術が他の魔術と決定的に違う点、それは術者の感覚に大きく依存しすぎていることです。魔術は理論の上に成り立つもの。ですが、召喚術には感覚的な側面が多すぎる。それはつまり、不安定で制御不能になりやすい危険な術だということです」
「……不安定、かよ」
「あなたは、つい先ほど召喚獣の魔力制御を誤り、学園中の魔力灯をダウンさせたばかりです」
「うっ……」
「そんな未熟な術者が、強大な召喚獣を扱えるはずがありません」
「――ちょっと! 黙っていればずけずけと言ってくれるわね!!」
「スカーレット!?」
イリヤに食って掛かったのはスカーレットだった。
「スタンは確かに魔力制御はまだまだかもしれないわよ? でもアイツはそれでもジータを従えてるの! それは紛れもない事実でしょう!?」
「従えている……ですか」
イリヤが冷ややかにスカーレットを見つめる。
「それはあなたの主観に過ぎません。もし、スタンさんがそちらの召喚獣の意思を本当に理解していないとしたら?」
「そんなこと――」
「証明できますか?」
スカーレットが言葉に詰まる。
イリヤは「召喚術の本質」を突いている。
確かに、オレは「ジータがこう言った」と伝えているけど、実際にあいつがそう言っているかは誰にも分からない。
ジータがもし、もっと別の意図を持っていたとしても、オレが気づかなければ、それは「なかったこと」になる。
「だからこそ、私は召喚術を信用できないのです」
「……じゃあよ」
オレはあえて言ってみる。
「じゃあ、どうすりゃいい? お前みたいに理論ばっか詰め込めば、オレとジータはもっと強くなれるのか?」
「――」
イリヤが微かに息を呑む。
「お前の言ってることは、間違いじゃないよ。……だけど、オレはジータをそういうやり方で使うつもりはねぇんだよ」
「……どういう意味です?」
「オレは、ジータをただの魔力装置みたいに扱うつもりはねえ。オレたちは、ちゃんと信頼しあって戦う。理論よりも、まずは相棒として、力を合わせられる関係を作ることが大事だって思ってるからな」
「……」
イリヤは何も言わなかった。
ただ、静かにオレの言葉を受け止めるように、その瞳を細めていた。
「それではこうしましょう。あなたとそのドラゴンもどき、この私と勝負しなさい。もし私に勝てたなら、あなたのやり方を少しは認めてあげます」
突然の挑戦に、オレは唖然とする。
魔術学科の天才と勝負だって!?
『我をドラゴンもどき呼ばわりとは、許せんぞ……!』
「お、おいジータ! 挑発に乗るなって!」
いきり立つジータをなだめながらも、オレの中にもじわじわと反発心が湧いてくる。
確かにオレの召喚術は感覚頼りで、まだ完璧とは言えない。
けど、それを理由に真っ向から否定される筋合いはないはずだ。
「……分かったよ」
オレはイリヤを真正面から見据え、静かに言葉を紡ぐ。
「お前の勝負、受けて立つぜ!」
イリヤの唇がわずかに釣り上がる。
「それは結構。では――あなたの“感覚的”な召喚術と、私の“理論的”な魔術、どちらが優れているのか、証明してあげましょう」
イリヤが杖を構える。
その小柄な体からは想像できないほどの圧があった。
「おいおい、背格好はオレと変わんねえのに、その上から目線はどっからくるんだよ?」
「……なんですって?」
ピクリとイリヤの眉が動く。
その瞬間、張り詰めた空気がオレたちの間に満ちていく。
――理論と感覚、真っ向勝負の幕が上がる。