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肖像に刻まれた光と影

 豪奢な資料室は、まるで美術館のような様相だった。

 艶やかに磨き込まれた床、四方に聳える大理石製の柱、ボルドー色の壁紙に白いパネルモールド。建国史を描いたフレスコ画と金細工が天井を彩り、中央では豪華なシャンデリアが燦然と輝いている。


「ここには歴代王家の肖像画が飾られています」


 モーリスの説明通り、ボルドー色の壁には様々な年代に描かれた肖像画が所狭しと掛けられていた。大きいものから小さいもの、ひとりのものから複数人のものまで。


 その中でも、入口の真正面に位置するひときわ大きな絵に、リリアの視線は自然と引き寄せられた。植物を象った金の額縁は他のそれよりも圧倒的に華やかで、リリアはひと目見てそれが、オルフェリア王国の偉大なる英雄にして建国の王でもあるベルトラン一世であると察する。


 肖像画の前で足をとめると、その異様な大きさにリリアは思わず瞠目し息を呑む。床から天井まで覆い尽くさんばかりの巨大な肖像画は、まるで歴史そのものが迫ってくるかのような力強さがあった。


「ベルトラン一世の偉業については、既にご存知だとは思いますが……改めてご説明させていただきますね」


 彼の名を知らぬ者は、この国にはひとりもいないだろう。子どもたちが最初に学ぶ歴史の一頁は、必ずベルトラン一世から始まるのだから。


 かつてこの地は、戦乱と混迷を極めていた。小国が乱立し、何年にもわたって領地を巡る争いが絶えなかった混沌とした時代。人々は飢えに苦しみ、いつ我が身に降りかかるか分からない死に怯えていた。


 そんな民を憐れみ、人々の為に立ち上がったのが、ベルトランである。

 彼は当時異端視されていた異能を、民のために使うことを決意。その異能は枯れ果てた大地に泉を湧かせ、荒野を豊かな穀倉地帯へと変えた。

 創生――。その類を見ない特異な力は“大地の祝福”と称され、ベルトランは瞬く間に民の英雄となった。


「ベルトラン一世は、まさに“神に選ばれし者”でした。彼の慈悲深い心に、多くの人々が救われ、崇める者も少なくありませんでした」


 しかし、そんな彼の存在をよしとしない者も無論いた。彼らはベルトランの命と、そして彼が豊かにした大地を奪わんと軍を結成し、差し向けた。迫りくる大軍に、温厚なベルトランも遂に剣をとる覚悟を決めた。

 明るい未来への希望と決意を胸に、彼の元には多くの仲間が集った。そして、幾度にも及ぶ激戦の末、ベルトランは見事な勝利を収める。


 こうしてベルトランを戴く王国――オルフェリア王国が誕生した。彼のもたらした豊かな緑と泉は、今も枯れることなく王国を潤し続けている。


「オルフェリア王国に顕現者が多いのは、ベルトラン一世が創った国だからと言われています」


 モーリスは横目でリリアを一瞥し、にこりと微笑む。


「もっとも、創作が多分に含まれているでしょうけれど。なにせ数百年も昔のことですから」


 リリアは再び肖像画を見上げた。そこに描かれた王の眼差しは、今もなお、この国を見守っているかのように感じられる。とても慈悲深い、やわらかな赤色の瞳。


「では、次へ行きましょうか」


 モーリスに促され、リリアは再び歩を進めた。

 壁いっぱいに並ぶ肖像画から向けられるいくつもの視線を感じながら、今度は二代目国王の前へとたどり着く。そしてモーリスは再び、先程と変わらぬ口調で説明を始めた。時折ちょっとした逸話を、面白おかしく交えながら。

 

 五代目、十代目、二十六代目、四十三代目――。

 王国にとって大きな転換点となった国王を中心に説明は続き、その度にリリアは、肖像画に描かれた国王たちの威厳ある顔に静かに見入る。立派な白髭を蓄えている者、不思議な髪型をした者、白馬に跨り剣を掲げた者、正面ではなく横顔が描かれている者。


 四十五代国王を境に、国王自身の肖像画に並んで、夫妻、或いは一家全員が集った肖像画も飾られるようになった。王城の一室を背景にしたものもあれば、中にはどこかへピクニックに出かけた時の一場面を描いたようなものもある。


「そしてこちらが、現国王レオニス陛下とそのご家族の肖像画です」


 最後に案内されたのは、資料室の最端に位置する場所に飾られた現国王一家の肖像画だった。

 国王単身の肖像画は、即位時に描かれたものだろう。顔つきはまだ青年の面影を残している。けれど、その隣に並べられた家族の肖像画は、ここ数年で描かれたもののようだった。正装した国王の顔には、年月の重みを感じさせる皺の陰影が丁寧に描きこまれている。


「左がヴィクトリア王妃陛下、そして手前に描かれているのが、王太子のルイス殿下です」


 ルイスは無表情で、王妃の傍に立っていた。今よりも若いけれど、幼くはない、凛々しい姿。

 彼の銀髪と赤目、そして絶世の美貌は王妃であるヴィクトリアの影響を大きく受けているのだろう。二人はとてもよく似ていた。透き通るような白い肌や、顔の輪郭や、涼やかな目元は特に。


 暫しルイスに見入っていたリリアは、しかしふと、彼の後ろに描かれた青年へと視線が吸い寄せられた。

 国王と同じブロンドのやわらかな髪の毛。薄っすらと笑みの浮かんだ精悍な顔。正装に包まれた立派な長駆。


「――今は亡き、リオネル殿下です」


 リリアの視線に気付いたのだろう。モーリスは悲哀の滲んだ声でそう告げると、懐古するように寂しげに微笑んで、静かに目を伏せた。


 現国王夫妻には、二人の王子がいた。長男のリオネルと、七歳年下である次男のルイス。

 かつて王位継承第一位として王太子の座にあったのは、嫡男のリオネルだった。彼は誰に対しても分け隔てなく優しく、芯の強さと真っ直ぐな心を持つ男性で、戦闘向きの強力な異能にも恵まれていたという。貴族だけでなく平民からの人望も厚く、軍を、そして王国を導く若き後継者として、国中の期待を背負っていたのは言うまでもない。


 そんなリオネルが死んで、もう五年になる。


「……リオネル殿下は、どのような方だったのですか?」

「とても優しい方でしたよ。快活で人情に厚く、そしてユーモアに溢れてもいました」


 そう言いながら、キャンバスの中に描かれたリオネルのかんばせを見つめるモーリスの横顔は、とても切なげだった。


「リオネル殿下は、ルイス殿下をとても大切にしておられました。七歳も年が離れていると、やはり可愛くて仕方がなかったのでしょう」


 片手を隠した格好の国王と違い、リオネルの右手は手前に立つルイスの肩に置かれている。慈しみに満ちた青の瞳は、正面を見据えてこそいるけれど、本当は愛する弟に向けられているのではないだろうかと感じるのは、果たして気の所為だろうか。


「今でこそ“冷徹”と言われるルイス殿下ですが、昔はとてもやんちゃで、笑顔の絶えない方だったんですよ」

「……え?」

「木登りをして袖を破ったり、時には庭園の池に落ちたり……お叱りを受けても、屈託のない笑顔を浮かべていらっしゃいました」


 モーリスの言葉と、記憶の中のルイスの姿があまりにも結びつかなくて、リリアは思わず目を瞬かせる。そんな彼女に、モーリスはふっと笑みを浮かべた。


「意外に思われるでしょうが、実はそうなんです。セドリック様やクラリス様も、その頃の殿下をよくご存知かと」


 ひとつ間を置くように、モーリスはゆっくりと瞬いた。結わえられた長い髪が、窓から差し込む葉漏れ日を浴びて、ほのかに輝いている。


「リオネル殿下を“太陽のような人”と評する方はたくさんいますが……私は、ルイス殿下もまた“太陽のような人”だと思っています。殿下の笑顔は、正に太陽のようでしたから。だから、本当に……遣る瀬無いのです」


 モーリスは悔しそうに、悲しそうに顔を歪め、堪えきれない思いを吐き出すように重たい息をつく。

 その一息に、彼の言葉にならない苦悩が滲み出ているようだった。


「――あんな()()さえ起こらなければ」



***



「アルディエール様は、何でもご存知なのですね」


 執務室へ戻る道すがら、リリアはふと思ったことを口にした。

 モーリスは他のどの教師よりも年若い。恐らく半分ほどしかないだろう。それでも彼の知識はとても豊富で、どんな質問にも即座に答えてくれた。滑らかな説明の仕方は、教材を読むよりもよほど分かりやすい。そういうものは、長年の経験によって培われるものだと思っていたのだけれど。

 リリアの言葉に、モーリスは一瞬目を見開いて、それからくすくすと笑った。


「実は私、顕現者なんです。“見たものを一瞬で記憶”するという異能を持っています」

「見たものを、瞬時に……?」

「ええ。そして記憶したものは、忘れることが出来ません」


 モーリスの返答に、リリアは目を瞬かせた。

 確かに彼の豊富な知識や正確な物言いは、並の人間には到底真似できるものではないだろう。けれど、それが異能の力によるものだとは、まったく想像していなかった。


「よく“便利な能力”だと言われますが……私はそうは思いません」

「そうなのですか?」


 一歩先を行っていたモーリスが突然足をとめ、リリアもつられて歩みを止める。徐ろに振り返った彼の顔には、諦めのような深い自嘲が浮かんでいた。


「……記憶したものを忘れられないというのは、時に、とても残酷なことなのですよ」

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