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第八話

最終話です。

7月に行われたインターハイ予選では、団体戦は上位7位まで入れず本戦へ出場することは出来なかった。


だけど、個人戦では東条先輩と町田先輩のダブルスと日比野が本戦へ出場が決まった。本戦の行われる8月、東条先輩が嬉しそうに夜空つかさと話しているのが目に入った。応援に来てくれたのだろう。


俺は彼女と目が合う前に、急いで会場に入った。


寒いくらいガンガンに冷房の効いた会場内は、熱気に満ちていてむしろ暑いくらいだった。それほどにプレイする方も応援する方も皆熱の入りようがいつもより高まっているのだろう。東条先輩と町田先輩は何度もコート下でサインを送りあって試合に臨んだ。東条先輩の隣に自分が立てていないのが、今になってとても悔しい思いが湧き上がってくる。だけど、俺が隣に立っていたら、東条先輩を本戦まで連れてこられなかっただろうと思う。


東条先輩は縦横無尽に動き、何度も翻弄されながらも相手が繰り出してくる球に食らいついた。3位決定戦で競り負け、4位という有終の美を飾った。


日比野は1年生ながら驚くほどの粘り強さを持ち、3位という結果を残した。これから来年再来年と日比野はさらに技術を磨いて強くなるだろう。


そんな日比野と来年も一緒の部活で切磋琢磨できることに、俺は胸が躍った。


大会が終わり、恩田先生が飲酒禁止の打ち上げ会を開いてくれることになった。店に移動しようとする時に、東条先輩が俺の目の前に立っていた。こうして面と向かって対峙するのは久々だった。


「東条先輩……」


「旭、少し時間とれるかな?町田や砂川には先に店に行っててくれって話をしたから」


「―――分かりました」


会場の外は真っ暗だったがじっとりとした生ぬるい夜風がまとわりついてくる。だけど、俺の体は緊張で冷えてくるようだった。


前を歩く東条先輩はすごくゆっくりと歩を進めている。ゆっくりと歩きながら言葉を探しているようだった。


「……こうして旭と二人で歩くの、春ぶりかなぁ」


「そう、ですね」


緊張が声色に出てしまったのか、俺は東条先輩を不安にさせてしまったかと怖くなった。


「旭、本当にごめんな。自分は長男だからしっかりしなくちゃって大人っぽく振舞ってきたつもりだったけど、一度つかさといる旭を見ただけでずっと嫉妬して自分のわがままを曝け出して、本当に子供っぽいバカな態度を取っていた。旭を邪険にして、酷い態度を取っていた」


俺はゆっくりと顔を上げると、外灯の光が後光になって東条先輩の泣きそうな表情が目に入ってきた。


「本当は、予選も旭とダブルスをするつもりだったんだ。だけど、物怖じしないで攻めてくるスタイルに変わって怖くなった。その姿勢の変化に、俺に対して不信感を抱いているんじゃないかって、勝手な妄想して、恩田先生に解消を頼んだ。だけど、結局町田を巻き込んで、ベスト4で終わって……全部全部俺の自分勝手さが周りを巻き込んだ結果なんだ」


東条先輩は手で顔を覆った。


東条先輩がそんなことを思っていたとは、全く予測していなかった。


東条先輩はいつだって俺の憧れで太陽で、今回の解消の申し出も俺自身が招いた結果だとずっと諦念のようなものがあった。


「……東条先輩、インターハイでベスト4ですよ?誇れることじゃないですか」


俺の言葉に、東条先輩は顔を上げた。


「自信を持ってください。自分は国体まで行ったんだぞって。後輩への対応でぐずぐずと悩んでいる時間が合ったら、実業団に入るために少しの猶予も練習にあてないと。夜空先輩もそう言うと思いますよ」


俺はぐっと拳を掲げ、笑顔で東条先輩と向き合った。


「早く打ち上げに行きましょう!もう俺、お腹が減って倒れそうですよ」


東条先輩はふっと小さく笑うと、「そうだな」と口にした。


東条先輩の本音を聞けただけでいい。ずっと卓球部を引っ張ってきた人だ、尋常じゃない重圧に苛まれて不安に押し潰れそうになることもあるだろう。


だけど、あまり悩んで欲しくない。


東条先輩には実業団で頑張る姿と、夜空つかさと二人三脚で歩いていく輝かしい未来だけを見据えて欲しいと、心からそう思っている。




それから数年後、俺は東京にいた。


別に、彼女を追いかけてきたとかそういうわけではない。


ただ、地元から、卓球から、すべてのものから離れて一から一人で生きてみようと思ったからだ。


かといってどうしても学びたいものがあったわけでもない。国立大学の経営学部に入学したものの、サークルに入って人脈を広げようとするわけでもなく、かといって勉学に打ち込むわけでもなく、淡々と大学に通い、あとは時給のいいコールセンターでアルバイトをしていた。夕方から夜間は特に時給が高く、帰りが10時くらいになるものの、帰ってご飯を食べて風呂に入って寝るだけなので何の問題もなかった。


むしろ、一人で悶々と考える時間を作りたくなかった。


久々に本屋に寄ってスポーツ系統の雑誌が並ぶところに立った。東条先輩に貸してもらっていた卓球の雑誌。


全日本実業団卓球選手権で優勝し、仲間と肩を組んで笑顔の東条先輩が写っている。東条先輩は有言実行を果たし、着実に栄光への階段を上り続けている。


日比野は卓球雑誌に掲載される常連の選手だ。写真でも全く笑顔を見せることがない彼は巷から氷の貴人などと呼ばれているらしい。日比野は卓球のプロリーグにあたるTリーグに毎回のように出場する選手にまで上り詰めた。10月から3月までは試合で忙しくなるそうだが、それ以外は雑誌やメディアなどにちょこちょこ出ているのを見かける。オリンピック選手に名を連ねるのもそう遠くはないのかもしれない。東条先輩と日比野、二人とも卓球で自分の夢を見事叶えている。


唯一、連絡を取り合っている砂川は地元の大学に進学し、大学卓球に夢中になっているらしい。


大学卒業後はスポーツ用品を扱う会社に就職したいと話していた。間接的ながら、スポーツで自己表現をしようとする学生たちをサポートできる仕事をしたいと、たまに送られてくる近況報告のラインに書かれていた。


俺は別に経営学を学んでこういう職業に就きたい、自己表現をしたいという大きな望みを抱いていない。ただ、東京の大学に進学したいと母に話した時に、母は訝し気な顔をするわけでもなく、どこか予想していたかのように賛成してくれた。


仕送りはいらないと話したはずなのに、今でも定期的に口座に振り込んでくれる。そんな母の想いに応えなければと思いながらも、ただただ毎日無気力に生きている。


久々に講義が午後からだったので、始まる前に駅前の中華料理屋へ入った。昔ながらの店構えで、ブラウン管から液晶に姿を変えたテレビが店の中央に何とも不似合いに取り付けられている。


俺はカウンター席に座った。テレビ側に長い黒髪を一つに束ねた女性も座っている。何だか睨むようにテレビ画面を見据えている。画面には黒縁眼鏡に長い髪を後頭部で一つにまとめた生真面目そうな女性が何かを話している。


朝、何も食べていなかったのですこぶる腹が減っていた俺は、さっさと注文をして食べようと壁にぎっしりと貼られた手書きのメニューを眺めた。


ラーメンだけでも20種くらいある。ランチメニューもあるみたいで、ラーメンと餃子と半チャーハンのセットもあるみたいだ。にんにく臭くても無性に餃子を食したくなり、俺はそのランチセットを注文した。


『―――夜空弁護士はこの件に関してどう思われますか?』


聞き覚えのある苗字に、俺は思わずテレビの方へ視線を向けた。


先程テレビに映っていた女性がワイドショーのコメンテーターとして熱弁している。


(もしかして……)


俺は思い当たる節があったが、それ以上は考えないようにかぶりを振った。これから来るランチセットのことだけを考えよう。


と、思っていた矢先、テレビを睨んでいたらしい女性が思い切り舌打ちをした。


「白々しいこと言いやがって⋯…」


と、どこか聞き覚えのある声色に女性の背中を見やった。


すでに食事は終えているようで、空のラーメンの器の横で分厚い辞書を広げながら何やら勉強しているようだった。


「―――夜空先輩?」


心の声が思わず出てしまった。女性はぴくっと背中を震わせ、ゆっくりと振り返った。




「にしても、こんな人が溢れている東京で旭に再会するなんてなぁ」


夜空先輩は嬉しそうにひょこひょことスキップを踏んでいる。周りから奇異な視線を向けられても彼女は全く気にしていないようだった。


「さっきの分厚い辞書みたいなもの、六法全書ですか?」


「うん、旭も知ってるんだな」


「いちを、経営学部なんで、法律も学ぶんですよ」


「そっか、時間がある時はとりあえず勉強しているって感じかな。とりあえず、今年予備試験を受けてみるつもりだから。予備試験に合格できれば、9割以上の確率で司法試験に合格できるみたいだし。周りよりも若いうちから実務経験を積むことができるだろ」


「そうですね……」


俺を除いた周りはどんどんと夢に向かって邁進している。せっかく夜空つかさに再会できたものの、その現実がずっしりと重みになっていた。


「あ、そういえば、東条先輩凄い活躍ですよね。連絡は取りあっているんですか?」


俺の言葉に、夜空つかさは不機嫌そうに顔を歪めた。


「―――え?何かあったんですか?」


「疾うに別れてるよ。こっちに来て、1年も経たないくらいかな。もう、遠距離だから不安になるのは分かるけど束縛が酷くてさ。一気に冷めちゃって。そういう旭はどうなんだよ?東京で新しい彼女は出来たのかよ?」


「―――一度、同じ授業を受けている子から告白されて付き合ったことはありますけど、俺がちゃんとLINEの返信しなかったり、バイトを理由におざなりにしていたら自然に破局しちゃいました」


「ふーん……そうなのか。じゃあ、今互いに一人なんだな」


先輩のその言葉にどきっとしながらも、それ以上は口に出来なかった。


一人の女の子を大事に出来なかったことを今ここで暴露したばかりなのに、じゃあ俺と―――なんて言える気概なんて持ち合わせていない。それに、卓球を止めてこちらに逃げてきた俺は昔のような俺とは違う。


覇気のない、虚ろな俺には何の希望も持ち合わせていない。


「……じゃあ、夜空先輩。俺、これから3限があるんでここで」


夜空先輩の顔を直視できなかった。そのまま俯きがちに俺は大学へ続く道を歩き始めようとした。


「―――旭!」


後ろからぐっと手を引かれた。


「―――なぁ、せっかく3年ぶりに再会したのに、言いたいことはそれだけか?」


後ろを振り返ると、真っ赤な顔をした夜空つかさが睨むようにこちらを見つめている。


「……夜空先輩」


「そ、その先輩ってのもそろそろやめろよ。別に、遠慮する人もいないし、昔みたいにつかさって呼べばいいじゃんか!私は、あの日、旭が一度だけスマホ越しにつかさって呼んでくれて、どんなに嬉しかったか……」


「―――」


あの強気で無慈悲な夜空つかさが、俺の前でぼろぼろと涙を流していた。


「どんなに、この3年間、旭に会いたかったか……LINEも、したかったけど、旭の受験とか新しい生活があるから邪魔しちゃいけないと思って、出来なかったんだよ」


夜空つかさは次々と溢れてくる涙を手の甲で拭っているが、涙が後から溢れてくるのが止まらなかった。


俺はたくさんの人が行き交う公道で、本当は彼女を強く抱きしめたかった。


俺以外の誰にも、彼女の透き通った涙を見せたくなかったからだ。


片方の手でぐっと拳をつくり気持ちをこらえて、もう片方の手で俺はゆっくりと彼女の手を取った。


「……つかさ、俺もずっと会いたかったよ。だけど、今の俺は夢もなくて、卓球からも逃げて、ただただ無為に生きているだけの大学生で、胸を張って会いに行くなんて出来ないと思ってた。だから、俺も連絡が出来なかった。本当にごめん」


「夢なんて、これから探せばいいんじゃんか。急ぐことなんてない。夢を持っていない男なんてこちらから願い下げだなんて、言うと思うか?」


「―――言うと思った」


「そんなわけないだろ!私は、里中旭だから、会いたかったんだよ。これからも出来ればずっと、隣に立って一緒に生きていきたいって思うんだよ!旭が、どんなに優しく私を見守ってくれていたか、分かってるから。私がこんな粗暴な性格なのに、決して見捨てたりしなかった。あ、でも、大学生にもなって、昔と変わらない言動って、やっぱり旭は引くかな?引いちゃうよな?」


夜空つかさは先ほどと変わって、今度は怯えたように眉を下げておろおろと慌て始めた。何てころころと表情が変わるのか。風丸みたいだ。


俺は堪えきれずぶっと吹いてしまった。笑いが止まらない。くの字になってげらげらと笑い始める俺に、夜空つかさは更に戸惑っているようだった。


「……え、旭?どうしたんだ?」


「いやーつかさは風丸みたいだなぁって」


きょとんとした彼女は笑っていいのか怒っていいのか悩んでいるようだった。


俺はあらためて夜空つかさと向き合う。


「つかさ、こんな俺で良ければよろしくお願いします。俺の彼女になってください」


そう言うと、夜空つかさはぱあっと満面の笑みを浮かべた。


「……私で、いいのか?」


「もちろん、俺は昔からつかさがずっと好きだったから」


俺は夜空つかさの手をぎゅっと掴んで、口元に笑みを浮かべた。


昔から俺の気持ちなんて鑑みずに好き勝手やっていた彼女。だけど、今こうして俺と向き合ってちゃんと気持ちを伝えてくれた。それならば、俺もちゃんと自分の気持ちを伝えなければ。


夜空つかさは今まで見せたことのない柔和な笑みを浮かべて頷いた。


これから彼女と一緒に歩いていけば、自ずと自分の行くべき先も見えてくるかもしれない。来るべき未来が前途洋々とはいかないかもしれないけれど、俺と夜空つかさの目の前に広がる道が、心なしかとても輝いて見えた。




最後まで読んでいただきありがとうございました。

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