欲の代償
風が心地よい初夏のある日。
A氏は通勤のため駅に入ろうとして、一人の女性に突然声を掛けられた。
「すみません。財布を忘れてしまいました。会社に行きたいのですが、家に戻る時間がありません。百円貸していただけませんか?」
A氏はお人好しな性格だった。近くに交番もないことを知っていたA氏は女性に百円を貸してあげた。
「ありがとうございます。二倍にして返します。約束します」
女性は自分の名前と電話番号を書いたメモをA氏に渡した。
翌日の夕方。仕事を終えたA氏はメモに書かれた電話番号に電話をかけてみた。すると確かにあの女性が出た。
「駅に着きましたら、お返しいたします。後十分お待ちいただけませんか?」
「わかりました。待ちますね」
A氏が待っていると、やがて女性が現れた。
「お待たせしました。約束通り、二百円です」
その後、女性と別れたA氏は、鼻歌を歌いながら帰宅した。
翌日の朝。A氏は同じ女性にまた声を掛けられた。
「すみません。また財布を忘れてしまいました。百円貸していただけませんか?」
A氏は昨日のこともあったので、ほぼためらいなく女性に百円を貸してあげた。
「ありがとうございます。今回も二倍にして返しますね」
翌日の夕方。A氏は約束通り女性から二百円をもらった。
A氏はこの機会に貯金しようと考え、貯金箱に半額の百円玉を入れていくことにした。
それからというもの、A氏は平日は毎日のように女性に声を掛けられ、また声を掛けた。
女性は毎回必ず百円を二百円にして返してくれたので、A氏もすっかり調子に乗っていた。
しかし、女性はA氏と貸し借りの関係以上になろうとは決してしなかった。
A氏は最初、少々残念がったが、やがてそれでもいいや、と思えるようになっていた。
そのまま、約一年の歳月が流れた。
A氏はいつものように女性を待っていたが、女性はとうとう来なかった。
体調を崩したか何かあったのだろう、とA氏は考え、翌日以降も女性を待ったが、二度と女性は現れなかった。
ある日。A氏はがっかりした面持ちで帰宅して、貯金箱が満杯なのに気付いた。
A氏は貯金箱の百円硬貨を両替しようと、銀行を訪れた。
A氏が両替された札を待っていると、突然警察官がやって来て、A氏を警察署に連れて行った。
A氏は訳がわからなかった。何があったのか、A氏は事情聴取で初めて知った。
何と、硬貨は全て偽造された物だったのだ。
枚数の多さから、悪質と判断されたA氏は逮捕されてしまった。
その後、A氏は何とか起訴されずに済んだが、酷く後悔の念を持ったのだった。