5 言葉を交わす事
薄暗い部屋に押し込まれて、ヨタヨタと中へ数歩入ったところで、この部屋がジェンの部屋だとわかった。
小さな子供だった頃、ほんの数回ほどしか入ったことのないその部屋は何ひとつ昔と変わっていない。
ベッドの位置なんかも何も変わっていなくて、懐かしさに思わず手を伸ばし、指先が布に触れた瞬間、扉の前から一歩も動かなかったジェンが私の肩に手を置いた。
その指の力の強さに驚いてすぐに身を引けば、ジェンの見下ろす瞳と視線が合った。
「……やめろ」
「ぁっ、ごめ……」
グッと眉間に寄った皺も、鋭く冷たい冷ややかな視線。
怒っている。
いつも怒鳴られる事もあるし、嫌味だっていっぱい言われてきた。
そんなのとは全然違う。
浅い呼吸も、静かすぎる動作も、私を睨む瞳も全部怖い。
静かに一歩を踏み出したジェンから、同じ様に一歩距離を取る。
「……ちっ、あんたは……本当に俺を怒らすのが上手いな。いっつもそうだ」
「な、なんっ……私は、そんなつもり」
ジリジリとジェンに距離を縮められては、逃げる様に後ろへ横へと下がっていれば、気がつけば後ろへ逃げるために踏み出した足が、コツンと何かにぶつかった。
ハッとなった。
振り向かずとも何にぶつかったのかは想像はついた。
それでも気が動転していて思わず背後を見てしまえば何もかも、もう遅い。
そこには幼少期から変わらない年季の入った壁紙の冷たい壁がそびえ立っている。
視線を正面に戻せば、思ったよりも近い距離にジェンの顔があった。
「!」
「なに……」
「なに、ってこっちの台詞よ。どういうつもり……」
「あ? どういう? つもり……? だと?」
美しい顔に、また怒りが浮かび始める。
ひくりと動いた唇の端が、ジェンの怒りを表す様に痙攣を繰り返す。
———ドンッ!!
「ひっ」
突如、顔の両サイドに手が打ち付けられて、まるで壁の様に行く手を阻んでしまった。
大きな音と壁が振動でビリビリと鳴る音に驚いてつい悲鳴を上げてしまった。ビクン、と体が跳ね上がり、恐怖で少し涙が出た。
腕の要塞に閉じ込められて、これはもうなす術がない。
ここはきっと大人しく怒られなくては、無言で睨まれるという終わらない恐怖のループに突入する事間違いなし。
彼は、私の体を頭から順番にじっくりと観察する様に視線をゆっくり下げていく。
グッと近づいた距離のまま、品定めでもするかの様に私の髪をサラリと持ち上げた。パラパラと溢れるエリィお姉様直伝のサラサラストレートヘアー。お義姉様の様な銀の宝石の様な美しい髪の毛の色にはならないが、髪が揺れると香る匂いなんかはお義姉様そのもの。きっとジェンの好「ちっ」……みな、……はず……?
あれ?
「この髪、この匂い……気に入らないな」
「な……んで……」
胸元で握っていた手を、掬い上げる様に掴まれて、指先で解され、手を繋ぐ様に撫で上げられる。その優しげな手つきに気を取られていると恋人の様に繋いだ手は、大きな手の平で壁に縫い付けられる。
あっという間の出来事にぼんやり見ている事しかできなかった。
異様な空気に気がついた頃にはもう遅く、ジェンの大きな手で私の手は壁に縫い付けられてまるで磔。
もう片方の手は自由とはいえ、無防備な状態になっていた。
何にせよ、慣れないエリィお義姉様の様なちょっぴりセクシーなドレスを着ているわけなので、無防備アンド無防備な状態はすごく心許ない。
「や、ちょ」
恥ずかしさも相まって体を捩り、払い除けようと手を上げれば、みしりと軋む音を立てて壁に押し当てられた。その衝撃は痛みを伴い、思わず悲鳴を上げてしまったが、全然離してくれる様子はない。
それどころか、私を見下ろしてくるジェンは、妙に性急な気配を纏っている。怒っているのに、焦っている。
銀の髪で縁取られた小さく美しい顔に二つくっついた宝石のような瞳が険しくなり、そして怪しく光った。
形の良い唇がぎりぎりと歯を食い縛り歪んだ形へと変わる。
「何故っ……? あんたはっ……俺のモノのはずだろう……?」
苦しげに吐き出された言葉にズキリと胸が痛んで、息が、呼吸ができない。
ただお姉様を好みだと言ったあなたの「好み」になりたい。
好きな人はお兄様と結婚して、私の勝手な行動で好きでもない私と婚約させられたなんて辛すぎる。
せめてもの償い、そして私の汚い願望でお義姉様の代わりになれたら、なんて思ってた。
なのにもうその事を早速後悔している。
痛い。愛されたい、お義姉様じゃなくて私を好きになって欲しいのに、お義姉様の真似をする愚かな私には深く深く突き刺さる。
その言葉は、きっとお義姉様に向いている言葉だもの。
壁に押し付けられて、性急なキスをされて、それだけなら恋人みたいだっていうのに。心だけが冷えていく。悲しくてキュ、と目を閉じた。
ジェンの唇が離れて、は、と熱い吐息が顔にかかり、そっと目を開けばきっとそこには柔らかな表情があると思った。
それなのに、目の前にあるのは苦しそうな、険しい顔。
「髪も、肌も、化粧も、匂いも、やめてくれっ……」
「……っ」
ショックだった。
やっぱり、ただ真似しただけではジェンの好みの人になれるわけじゃなかったんだ。
———そりゃ、そうだ。
お姉様の代わりにすらなれない。
痛くて、胸が引きちぎれそう。
「……っじゃあ、気に入らないなら、何でキスなんてしたの……?」
「はぁ? それはっこっちの台詞だろっ!?」
「な、何それ? 私、好みの女性になりたくってそれで、頑張ったのよ……」
「は、残念だったな……そんな事したってあんたの婚約者は俺だ! 俺なんだよ、いい加減諦めろよ!」
「何でそんな! ジェンがエリィお義姉様が好みだって言うからっ……ん?」
今、諦めろって言った?私に……?
「あんただって兄貴の……あ?」
ジェンの好みに合わせたのに、何でそんなこと言うの?と言いかけた口がポカンと開いて固まってしまった。
それはジェンも一緒な様で、何かを言いかけて怪訝そうな表情のままぴたりと固まった。
ん?
何かがおかしい。
何かが、噛み合っていない気がする。
「……あんた、兄貴に気に入られたくてやってるんじゃないのか?」
「へ? ……ロドムお兄様? そ、そんなわけないじゃない! ジェンこそ、エリィお義姉様が好きなんじゃないの?」
「はぁ!?」
「ぇぇ??」