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01 どうして??




 払い除けようと手を振り上げれば、手首は、みしりと軋む音を立てて壁に押し当てられた。その衝撃は痛みを伴い、思わず悲鳴を上げてしまったが、全然離してくれる様子はない。

 それどころか、私を見下ろす男は、妙に性急な気配を纏っている。

 

 銀の髪で縁取られた小さく美しい顔に二つくっついた宝石のような瞳が怪しく光り、形の良い唇がぎりぎりと歯を食い縛り歪んだ形へと変わる。


「何故っ……? あんたはっ……俺のモノのはずだろう……?」


 いつもはさほど表情も変わる事なく飄々としているというのに、眉間に皺を寄せて、苦しげな表情から目を離せない。


 何かが彼の気に触ったらしい。


 激昂した表情でそれだけが見てとれた。

 訳もわからず、体格差のある男性に壁に縫い付けられている状態だというのに。


 そうだというのに。


 彼が私を見ている状況に胸がときめいて仕方がない。氷のように冷え切った冷たい瞳も、力の入った手も、低い声も。


 それが、たとえ代替品としてでしか私を見ていないのであっても。全然いい。

 ———私の事を見てくれるなら。


 そう。それだけで喜んでしまう私はどうしようもなく阿呆だ。ちょろい。本当にちょろい。

 ちょろっちょろだ。


 目が合って、釣り上がった瞳が、妙にギラリと光を放っている。

 そんな表情も様になってしまう美貌に、目が離せない。


 この表情も、「俺のモノ」なんて熱烈な言葉も、私のためなんかじゃないのに。それでもドキドキしてしまうのだから始末に負えない。


 目線は、するりと私の胸元へ下がって、視線とともに顔が近づく。


 彼の肌が、唇が鎖骨あたりを這うと、銀の長い銀の髪が肌の上を滑り、思わずピクンと体が揺れた。


 私が身じろいだのが気に食わなかったのか、じとりと胸元にある銀の髪に隠れた瞳がゆっくりとこちらを見上げる。


「な、なに」

「……なに、だと……?」


 はぁ、と熱い息が首筋から、耳もとに登ってくる。熱くぬるりとした感触が首を這うと、息が止まりそうになる。体が熱くなって、ゾワゾワと背中を走ったものがなんなのかわからなくて、目尻から涙がポロリとこぼれ落ちた。


「んっ……ぁぅ」


 はふはふと荒い息が耳と首筋を行ったり来たりしてはもどかしい刺激が繰り返し与えられて、思わず声が漏れ出てしまう。


「んんっ」


 ピリッと摘まれたような痛みが首筋に走り、大きな声が出てしまった。

 それを聞いてなにが嬉しいのか、彼はうっとりとした表情で私を見やると、ベロリと頬に舌を這わした。

「ふ、しょっぱい」と囁く様な声が聞こえてきたので、涙が溢れたのを舐めとったようだ。

 囁くような小さな声だと言うのに、その行為に集中していた私には、なんとも良く耳に入った。

 掠れた声は熱っぽく、色気のある声に頭がくらくらする。

 それが私に向いているのだから、脳みそが爆発してしまいそうだ。


 舐めた赤い舌がちろりと見えて、その薄い唇に吸い込まれて消えれば、こくり、と喉が上下に動く。


 それすらも色っぽくて目を奪うのだから、また顔に熱が集まってしまう。これを人はなんと言うか。


 少なくとも私にはご褒美と言わざるを得ない。



「……良く聞いて……あんたの前にいるのは俺だ……あんたの婚約者は俺なんだ……」


 苛立たしげな声と同時に、噛み付くようなキスが襲う。

 

 一秒か、一瞬か、それとも数分だっただろうか。唇を押し付け合い、口を塞ぐだけのようなキスが終わり、互いの呼吸が乱れて、荒く息がぶつかり合う。


 ギラついた瞳が、ゆらりと揺れる。

 喜びできゅうきゅうと締め付けられる心と、それと同時に私と重ねた誰かを想像しているのかと思うと心臓が千切れるように痛む。

 

 ようやく離れた唇からは、互いの唾液が混ざり合って糸を引いた。


 それを目にするだけで、恥ずかしくて目を逸らしてしまいそうになるが、男はそれを許さない。


 下がった視線の先へ回り込まれて唇が再度塞がれた。


 息苦しさに喘げば、名残惜しそうに唇が離れていく。つるりと互いの唾液で光る唇が艶めかしい。

 また、胸が高鳴ってしまう。


 見たことのない切ない表情。

 それもこれも、私ではなく、私の表面に繕った誰かを見ているから。

 ———そう、私ではなく。


「そうよ、ね……今は、今は私が婚約者だって思っていいのよね……?」


 ツキツキと痛む胸の痛みを逃したくて、自分に言い聞かせたくて思わず呟いた。


「……は?」


 1秒でも、1分でも長く、魔法が解けてしまわないようにと口に出してみれば、突如恐ろしく冷たい声が降り注いだ。地を這うような、そんな声。


 壁に縫い付けられたままの両腕から一瞬ミシと軋む音がする。「いた」と声を上げればほんの少し力が緩まりはしたものの、未だ掴んだまま離されることはない。

 力が抜け、ずり落ちそうになる体は股の間に差し込まれた足によって固定された。

 そのせいでスカートは不恰好に捲れ上がり、股のすぐ下まで押し上げられて、あと少しで下着が見えてしまいそうだ。

 両足も太ももから全て丸見えで、恥ずかしい。


 普段から肌を出したって良いだろうと豪語しているけれど、いざ捲られると恥ずかしいもので、つい自身の露わになった足に見ないふりをした。



「あんたは俺の、俺だけのものだ。やっと手に入れたのに……、俺から離れるなんて許さない」


 懇願が混ざったように揺れる瞳が、私を睨めあげる。

 噛み締められた歯がギリギリと軋む音がする。


 彼に好かれたい、なんて意気込んだ結果、怒らせてしまったようだ……。


 それでも愚かで馬鹿な私はどうしようもなく、喜びで胸がキュウと締め付けられるのだ。


 穏やかな祝福を期待していたが、思わぬ熱烈さを持って溶けそうなほどの劣情を受け、私の思考はついていけない。

 うっかり、ほんの1ミリほどの期待だが、もしかして彼は私のことが好きなのでは、と思ってしまう。


 が、残念ながらそれは違う。


 本当に、残念ながら。


 あ、今自分で言って自分で傷ついてしまった。

 今はこの幸運に身を委ねたいのに。



 彼の想い人は私ではない。



 それでも、仮初の姿で心が釣れるのなら、私はそれでいいのだ。






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