3
どちらが決めたのかは分からない。
暗闇が空を覆う頃、この場所で落ち合うことになっている。
具体的な時間は決まっていないし、場所だってやたら曖昧である。
遠くに川の流れる、草の生い茂った空き地の真ん中。
それが、僕達の待ち合わせ場所だった。
「玲紀、花火持ってきたよ」
昨日のように寝転がり、天井を仰ぐようにして星空を眺める玲紀に近寄りながら言った。
彼はムクリと体を起こし、僕を見つけると柔らかい笑顔を見せた。
暗くて細部までは分からないものの、それが彼の母親に向けられた笑顔とは別物だということは分かる。
「花火かぁ・・・いつぶりかな」
近所のスーパーのレジ袋に無造作に入れられた手持ち花火。
玲紀に見せるのを少し恥かしく思いながら、おずおずと差し出した。
姉が先日やっていたものの余り物だが、しけってはいないだろう。
「一昨年、一緒にやったじゃん」
僕は軽く彼の肩を叩いて、忘れたの?と冗談半分に放った。
「いや・・・忘れてないよ」
頷きながら微笑み、僕は袋の中からロウソクを取り出して点火にかかった。
適当な大きさの石の上に蝋を落し、その上にロウソクを立てる。
暗闇だった川原に、ぽうと優しい色の明かりが灯った。
「忘れるもんか」
呟くようにして玲紀が吐き捨てる。
既にその話を忘れていたため、少し間があってから玲紀を見つめた。
「・・・玲紀」
「さ、早くやろう。蝋が溶けちゃう」
彼は袋から適当に花火を取り出すと、そのうちの一本を僕に向けた。
多少の違和感を覚えながらも花火を受け取り、ロウソクの火にこよりを近づける。
反対側からも玲紀のこよりが近づき、それは同時に火花を散らした。
途端、二人して飛び跳ねて距離を置く。
玲紀の顔が花火の色に染まって見える。
「俺のは赤だ。お前のは・・・」
少しはしゃいだ声で玲紀が言う。
「僕のは当たりだね、色が変わるもん」
大きな口を半月にして笑う彼が、どこか淋しく見えた。
花火も残り線香花火だけとなった時、急に大きな風が吹いた。
「あっ」
僕が声を上げるよりも早く、ロウソクに灯っていた火は掻き消された。
小さくなったロウソクが、周りに自分の溶けた蝋でドレスのようなものを作り出している。
「ライター、貸して」
玲紀にライターを渡すと、彼は何度か擦った挙句、また僕に突き返した。
「・・・玲紀、ライター使ったことないの?」
僕が彼の黒目がちの目を見つめて言う。
「母さんが、使うなって言うから・・・家にもなかなかないし」
不思議だった。家にライターがないなんて、僕の常識では有り得ないことだった。
僕の家は両親ともヘビースモーカーだからかもしれないが・・・。
「そっか、じゃあ練習しなよ」
笑みでもって、ライターを玲紀に向ける。
練習、などと呼ぶべきものではないが、一度覚えてしまったら嫌でも点けられるはずだ。
「・・・うん」
玲紀は左手にライターを持ち、親指を添えた。
「あれ?玲紀って左利きなの?」
「そうだよ、今まで気付かなかった?」
素直に頷くと、なぜか心の奥で痛みを覚えた。
僕はもう何年も前から玲紀を知っているはずなのに、知らないことのほうが多いのだ。
彼の親指がヤスリをゆっくりと回す。
「違う違う、もっと早く回すんだよ」
僕が指摘すると、彼は言われたとおりに速度を上げて発火石を削った。
「あっ、点いた!」
彼は嬉しそうな表情を見せながら、僕に見て見て、と催促をする。
一部始終見てるのだが、それでも足りないのだろうか。
「これで一つ、賢くなったね」
微笑みながら言う。すっかり線香花火のことなど忘れていた。
またしても二人で寝転がり、空を見上げた。
時折吹く風は、湿った空気を一瞬だけ冷やしてくれるようで心地が良かった。
「・・・ねぇ、玲紀」
「うん?」
「昨日、なんで謝ったの」
僕は視界の中で小さな星を線で結びながら訪ねた。
何気ない、本当にただの疑問だった。
しかし玲紀は僕の方に背を向けて、黙ってしまった。
「昨日の玲紀・・・なんか変だったよ」
少しの間、彼が僕に背を向けていることに気付かなかったため、そのまま会話を続けてしまっていた。
視界の中では、星で描いたブドウが完成していた。
「・・・どうしたの?」
僕が上半身を起こして、玲紀の顔を覗こうとする。
すると彼は急に立ち上がり、その腰で僕の顎を跳ね除けた。
「いったぁ・・・何すんだよ玲紀!!」
感情に任せて怒鳴りつけると、彼は僕とは裏腹に冷めた声で風にもまれながら呟いた。
「お前には分かんないよ」
玲紀は追い風を受けるようにして、そそくさと歩き出す。
「ちょっ・・・玲紀!言ってくれなきゃ分かんないだろ!」
僕が必死に花火をかき集めて袋に入れ、彼を追いかけようとした頃には、既に気配すらなかった。
眉間に皺を寄せ、一抹の怒りを覚えながら袋から飛び出した花火を入れなおす。
僕の言葉の、何がいけなかったのだろう。
一人、帰路に着く。
歩くたびに視界が揺れて、光が上下に余韻を残しながら移動する。
星が泣いているように見えた。