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第1話ー① 勉強嫌いが宿した魂

「テストの返却をしまーす。名前を呼ばれた人から順に取りに来てくださいね」


 担任の女性教師が淡々とそう告げる。ももはこの時間がいつも憂鬱だった。


 答案用紙を返却する時、女性教師は必ず一言添えていた。彼女にして見れば、それは優しさだったのだろう。

 しかし、ももはその一言があまり好きではなかったのだ。


「じゃあ、次。宇崎さん!」


 名前を呼ばれたももは、女性教師の元へと向かった。


「うーん、おしい。もうひと頑張りだったね」


 そう言われて渡された答案用紙には、『23点』と赤字で大きく書かれている。


 もちろんこれは50点満点のテストではない。100点満点の内の23点だ。ももは勉強がとにかく苦手だった。


 まったく勉強せずにこの点数ならば、まだ救いがあったかもしれない。だが、ももはそうではなかった。


 家庭学習はまいにち欠かさず行なっているし、定期的に塾にも通っている。

 しかし、それでも50点以上の点数を取ることができなかったのだ。


 ももは肩を落としながら席に着いた。


 パパとママになんて言おう――ももは『23点』の答案用紙をじっと見つめる。


 もしかしたら数字の見間違いかもしれない。そう思ったももは、一度左腕で目をこすり、再び答案用紙を見た。


「やっぱり、『23点』……はあ」


 空しくなったももは、机の奥に答案用紙を押し込んだのだった。




 放課後、ももはすぐに帰宅する気になれず、校舎裏にあるうさぎ小屋に向かっていた。

 嫌なことがあった時には、校舎裏にあるうさぎ小屋で過ごし気持ちをリセットしていたのだ。


「みんな、遊びに来たよー」


 ももは網状の扉をゆっくり開けて、そっと中に入る。防寒対策として敷かれているいぐさの香りを吸い込み、ほっと息を吐いた。


 なんだか田舎のおばあちゃんの家みたいな匂いだ。ももはそう思い、ふふっと小さく笑う。


「うさ吉ぃ、うーたん、ぴょんすけー」


 小屋の中でそう呼びかけると、白いうさぎが穴の中から顔を出し、きょろきょろと周りを見渡していた。


「あ、うーたん!」


 ももが身体を傾けて、穴に向かって声を掛けると白うさぎ――うーたんは穴からひょこひょこと姿を現した。


 穴から完全に身を出したうーたんを抱き上げると、ももは小屋の中央にある木製のベンチに座り、膝の上にうーたんを乗せる。丸くなって座るうーたんは大きな大福のようだった。


 ももはそっとうーたんの背に右手を置き、その毛を梳かすように優しくなでる。


 するといつの間にか、ももの顔に笑みがこぼれていた。


「ふわふわ。気持ちいい」


 うーたんたちがずっと近くにいてくれたら、ももは寂しくないのにな――。


 ももは悲しげな表情でうーたんを見つめると、「うちで飼えたらいいのにね」ぽつりとそう呟く。


 うーたんはその言葉に反応したのか、頭を上げてももの方を向いた。しかし、それから何事もなかったようにすぐももの膝に顔を埋める。


「まさかももの言葉が分かった、とか……そんなわけないか」


 それからももはしばらく一人でうさぎ小屋を堪能していたが、六時間目の終わりを告げるチャイムを聞くと、うーたんを抱き上げて立ち上がった。


「もうそんな時間かあ」


 ももはそう呟き、うーたんを地面にそっと下ろす。


 六時間目の後に上級生たちがこの小屋へやってくることをももは知っていた。

 その上級生たちには自分がここにいることを知られてはいけないのだ。


 以前、上級生たちと鉢合わせた時に不満そうな表情を向けられ、ももは嫌な思いをしたことがあった。

 それからは上級生たちと鉢合わせないように気をつけるようになったのである。


「じゃあまたね、みんな」


 ももは網状の扉越しにそう言って、うさぎ小屋を後にした。



 もう少しだけ――そう思えたら良かったなんて、この時のももはまだ考えもしなかったのだった。




 ――宇崎家にて。

 

「ただいまー」


 ももは重い玄関の扉を開け、家の中に入る。


「おかえりなさい!」


 リビングの奥の方で母の声がして、ももは忘れていたテストの答案用紙のことを思い出した。


「そうだった。ママになんて言おう……」


 ももは靴を脱いでから綺麗にそろえておくと、ため息を吐きながら洗面所に向かう。洗面所に着くと、背負っていたランドセルをわきに置き、洗面器の前で自分の顔を見つめた。


 フリルのカチューシャに、大きなリボンのついた洋服。可愛いものにまみれた自分の姿がそこにはあった。ももはそんな自分のことを好きだったし、可愛いものも大好きだった。


「もしかして、こういう服ばっかり着てるから、神様が意地悪してももの頭を悪くしちゃったのかな……」


 それからまた大きなため息を吐き、手洗いうがいをしてからランドセルを持ってリビングに向かう。


「ただいまママ」


「おかえりもも」母はそう言って優しく穏やかな笑みをももに向けた。


 どんな様子で帰って来ても、変わらずに穏やかな笑顔で返してくれる。

 ももはそんな母が大好きだった。


 しかし、そんな母に対しても答案用紙を見せる前には、何を言われるのだろうと不安を抱く。


 悲しむだろうか。怒るだろうか。もしかしたら、がっかりされてしまうかもしれない――


 ももは母の顔をじっと見つめながら、逡巡していた。


「どうしたの?」


 母に尋ねられたももは、ハッとして「えっと」と言葉を紡ぐ。


 そしてランドセルの中から、少ししわくちゃになった答案用紙を取り出して、そっと母に渡した。


「ごめんなさい。また、もも……」


 母は受け取った答案用紙をじっと見つめたまま何も言わなかった。


 呆れちゃったのかもしれない――ももは溢れそうなる悲しみをぐっとこらえる様に、目を強くつむった。


「そっかあ。もしかしたら、勉強のやり方が間違っているのかもしれないわね。どうしたら良くなるか、ママと一緒に考えよっか!」


「え?」ももは目を見開きながら、母を見る。


「ももに塾は合わなかったのかもしれないなあ。うん、家庭教師とかも試してみよう! ね?」


 母は柔和な笑顔でそう言った。


「う、うん!」


「そうそう。今日ね、お買い物に行った時においしそうなシフォンケーキを見つけたのよー」


 母はそう言いながら立ち上がり、キッチンの方へと向かった。


「ももはココアで良かったよね?」


「うん」


 そして母は鼻歌を歌いながらキッチンに立つ。そんな母を見ながら、「もものママは、世界一素敵なママなんだ」と小さく笑った。


 それからももは、母が用意したいちごのシフォンケーキとココアを美味しくいただいた。

 楽しそうに隣で笑う母と一緒に。



 ――楽しい時間。当たり前の日常。こんな日々がずっと続いていくんだと、ももは信じて疑わなかったのだった。

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