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異世界恋愛系(短編)

強面騎士団長と押しの強い人魚姫~あなたに助けていただいた人魚です。成人したので、約束通り美味しく食べてと美少女が騎士団にやってきた~

「騎士さま、恩返しに参りました。約束通り、どうぞ美味しくいただいてくださいませ」


 気持ちのいいある晴れた日の昼下がり。事件も事故もなくのんびりとした雰囲気を漂わせていた騎士団は、一瞬凍りついたあと、蜂の巣を突いたような騒ぎになった。


「……は?」


 とんでもないことを口に出したはずの美少女は、さも当然であるかのように瞳をきらきらと輝かせ、騎士団長ハロルドを見上げている。一方のハロルドはと言えば、あまりの出来事に言葉をなくしていた。


「団長ってば、こんな可愛い女の子に唾つけてたの?」

「マジかよ、犯罪だろう」

「ってか、あの娘の身なりからして高位貴族じゃね? 団長やべえよ」

「いや一応団長も貴族なんだし、ギリギリなんとか」


 あけすけな騎士たちの言葉に、ハロルドは顔をひきつらせる。当然、誤解である。しかし面白おかしいことが大好きな部下たちだ。いくばくもしないうちに港町中に噂を広めてしまうだろう。


「すまない、お嬢さん。一体何の話をしているのだろうか」

「騎士さま、マルグリットですわ。ですから、恩返しに参りましたの。あの日約束しましたでしょう。『こんなに小さいのに捕まるなんて、お前も運がないな。逃がしてやるから、大きくなれよ。恩を感じたなら、俺がどうしようもなく腹を空かせているときに食われにこい』と。先日ようやく成人を迎えましたので、こちらにお伺いした次第です」


 美しいカーテシーとともにさらりと理由を述べるマルグリット。しかし彼女の発言は、騎士達の妄想をさらに膨らませる効果しかなかった。ハロルドはひとり天を仰ぐ。


「いくら団長が強面で女性にモテないからって、助けた子どもに恩を着せるような真似をするなんて……」

「だから無理せず、オレたちと一緒に娼館に行こうって言ったじゃないですか。溜まりすぎて素人に手を出そうとするとか、見損ないましたよ」

「お前たち、いい加減にしろ! ひとのことを一体なんだと思っているんだ!」


 ハロルドの怒声に、騎士たちは悪びれることもなく率直な意見をいいあう。


「いいとこの坊っちゃんのくせして、平民上がりの叩き上げと思われがちな強面」

「実力はピカイチなのに、女性にモテない強面」

「初めては嫁がいいとのたまう、騎士団一穢れなき強面」

「強面は放っておいてくれ!」


 褒めているのか貶めているのかわからない言葉にハロルドが頭痛を覚えていると、美少女がさらに爆弾を放り投げる。


「まあ、奥さまはいらっしゃらないのですね。今からご自宅にお伺いしてもよろしいかしら。美味しくいただいてもらうために、下ごしらえをしなくては」


 こてんと首を傾げたマルグリットの姿に部下たちがどよめく。これ以上いらぬ誤解を生まないためにも、ハロルドは早退を申請することを決めた。



 ***



 散々部下にはやしたてられながら、ハロルドは自宅に戻ってきた。彼らとて敬愛する団長のことは信頼しているし、マルグリットの言い分が何やら勘違いに満ちていることは理解している。


 だがそれ以上に、彼らは騒動を好物としていた。そもそも相手が食べて欲しがっているのだ。据え膳食わぬはなんとやら。団長、今こそやっちまえ! 海の男たちによって構成される騎士団のノリは、だいたいそんなものであった。今頃団長が手を出すか出さないか、嬉々として賭けをしているところだろう。


 マルグリットに椅子をすすめ、ハロルドもまたどっかりと腰かける。


「それで、お嬢さん」

「マルグリットですわ」

「マルグリット嬢。ご自宅はどちらかな? いくら成人されているとはいえ、いや成人されているからこそ、高貴な女性がみだりにひとりで歩くものではない。連絡をして、迎えに来ていただいたほうがいいだろう」


 家まで送り届けることもやぶさかではないが、騎士団内でのやり取りを考えると頭の痛い結末になりそうで怖い。するとマルグリットはにっこりと微笑み、窓の外を指差した。窓の向こうでは青い海が輝いている。


「そちらは海しかないが……」

「ええそうです。自宅は海の底にありますの」

「……は?」


 本日二回目となる間抜け声を出したハロルドに、マルグリットはウインクを投げてよこした。


「私は人魚なのです。人間である騎士さまは、海の底では息ができないでしょう? 恩返しにきたのに、海の底に連れていってしまっては恩を仇で返すことになってしまいますわ」

「ご冗談を。人魚など、物語の中だけの生き物ではありませんか。だいたいあなたは声も出せるし、問題なく歩行もできる。人魚というのは、陸では自由に行動できないはずです」


 幼い頃に聞いた「人魚姫」の物語を思い出しながら、ハロルドが尋ねる。人魚姫は魔女に声を差し出し、人間と同じ両足を得たのではなかったか?


「まあ、騎士さま。今ではすっかり様変わりいたしまして、ハイブリッドな人魚が増えましたの。とはいえ、確認してみないことには納得していただけませんよね。それでは失礼して」


 目の前で靴を脱がれて、慌ててハロルドは目を反らした。


「あら、きちんと見ていてだかなければ」

「しかし、未婚女性の足を直視するなど」

「ですから、ほら」


 いたずらっ子のようにハロルドを見上げてくるマルグリット。そのドレスからは、薄紫色に輝く鱗におおわれた尾がのぞいていた。



 ***



 騎士団長ハロルドの趣味は、料理である。強面な見た目からは想像もできないと馬鹿にしてはいけない。先日も休日を利用して市場に出かけたばかりだ。


 騎士という職業柄、体が資本。しかし実家を出て独り身のハロルドには、健康的な食生活というのは簡単なものではない。それをどうにかするために手を出したのが料理だったわけだが、本人もびっくりするほど長続きしていた。嬉しい誤算である。


 今日も朝からブイヤベースを仕込んで出勤していた。一人暮らしにもかかわらず、最近王都で流行りの魔石式調理器具が部屋の中には揃えてある。疲れて帰ってきても、温め直すだけでしっかり煮込まれたスープを食べることができるというわけだ。


 作るのも食べるのも片付けるのも自分ということに、ときどき虚しさを感じないわけではないが、贅沢を言っても仕方がない。そんなハロルドだったが、マルグリットのきらきらと光る鱗を見ていて、思い出したことがあった。


「……まさか、あのときの小魚?」

「そうですわ。思い出していただき、嬉しゅうございます」


 それはしばらく前、市場で魚を買ったときのこと。まとめて買った魚の中に、見慣れない小魚が紛れ込んでいた。しかもこの小魚、なんとまだ生きている。


 買ったその場で気がついていれば、店主にどんな魚なのか聞くこともできただろう。しかしすでに自宅で料理の途中である。今さら再度市場まで出かけて魚の種類を確かめる気にはならなかった。とはいえ毒がある可能性もある以上、そのまま食べるわけにもいかない。


 そこでハロルドは大ぶりのボウルに海水を汲み、見慣れぬ小魚を入れておいた。店先で並べられていても生き残っていたような生命力の強い魚である。みるみるうちに元気になった。


 餌としてパン屑を差し出せば、嬉しそうに近寄ってくる。世話をすればそれなりに情も湧くというもの。そして可愛がっていたからこそ狭いボウルの中では可哀想だと、本来のすみかである海に逃がしてやったのだった。


『こんなに小さいのに捕まるなんて、お前も運がないな。逃がしてやるから、大きくなれよ。恩を感じたなら、俺がどうしようもなく腹を空かせているときに食われにこい』


 珍しくくさい台詞を言ったのも、ハロルドなりの照れ隠しだった。どうしてこんなことになったのか。最初から「もう捕まるなよ」とだけ言っておけばよかったと思っても、もはや後の祭りである。


「私はあのとき心に決めたのです。成人したら、この身を騎士さまに捧げると。さあ、どうぞ。私をブイヤベースにしてくださいませ! 極上の出汁になってみせましょう!」

「……は?」


 ブイヤベース? ブイヤベースだと? 

 確かにそれは自分の好物だが、今の流れでそんな話は出ていただろうか。


「その決意をご両親に伝えて陸に来られたのだろうか」

「はい。母は『恩返しに行くのね。だったら、ついでに胃袋も掴んじゃいなさい!』と応援してくれました!」

「ブイヤベースの出汁になっては、胃袋を掴むどころの話ではないのでは? ちなみにお父上は?」

「『娘からそんな言葉は聞きたくなかった』と倒れてしまいました。やはり娘が出汁になってしまうのは、辛かったのかもしれません」

「確かに我が子がスープの出汁になるのは嫌だが、おそらく一番の問題はそこではない」


 まさか年頃のご令嬢に、「性的な食べる」と「物理的な食べる」の説明をしなくてはいけないらしい。眉を寄せるハロルドを見たマルグリットは何を思ったのか、てのひらを打ち合わせ得意そうに胸をはった。


「大丈夫ですよ。人魚の肉にいわゆる『不老不死』の効果はありませんので、安心してくださいね」

「なるほど?」

「怪我が治りやすくなって、他のひとより100年くらい長生きするだけですので」

「……全然安心できないのだが」


 騎士団の男連中が期待しているような事態は起きそうになかったが、マルグリットの父の悩みを垣間見たハロルドはとてつもなく疲れてしまった。


「申し訳ないが、マルグリット嬢をブイヤベースにするつもりはない」

「もしやフィッシュチャウダーのほうがお好みでしたか?」

「どちらも好物だが、遠慮させていただこう」

「まあ、残念ですわ」

「とはいえせっかく陸に上がったのだ。こちらをしばらく楽しんでから帰るといい」

「ありがとうございます」

「はあ……」


 ひとつゆっくりと息を吐き、彼は考えることを放棄する。


「とりあえず、今日のぶんの夕食はできている。今から温め直すから一緒に食べないか?」

「まあ、よろしいのですか。私、実はお腹がぺこぺこでしたの。海の中を泳ぐのとは違って、二本足で歩くのって体力を使うのですね」


 人間としては、やはり海で泳ぐほうが疲れるような気がするな。そんなことを考えながら、騎士団長は夕食の準備にとりかかった。



 ***



「用意した人間が言うのもなんだが、人魚も魚を食べるのだな」


 テーブルの上には、薄切りにしたバゲットにサラダ。熱々のスープとオムレツ。シンプルな夕食にもかかわらず、美味しいと喜ぶご令嬢の姿をどこか切ない気持ちでハロルドは見つめていた。ハイブリッド人魚だと言われていても、脳内ではまだ人魚への夢が捨てきれていなかったらしい。


「確かに陸に住むみなさんからしてみたら、人魚が海の生き物を食べることは信じがたいことかもしれませんね。けれど、海の中は弱肉強食。ぼんやりしていては、人魚といえどサメやらシャチやらに食われてしまいます。その辺りは、山で生きるみなさんとあまり変わらないかもしれません」


 人魚はマタギなのかという疑問はさておき、彼らもまた海の中の絶対的な王者というわけではないらしい。ならば生きるために、あるいは身を守るために倒した生き物はきちんと食べることが礼儀だろう。それが命を繋ぐということだ。


「やっぱり火を通した海鮮は最高ですね。海の中では、どうしても調理に支障があって。浜辺で作業をすることもありますが、これがなかなかまあ難しいのです」

「海で生きるのもなかなか大変ということか」


 それはつまり、人魚は魚介類をわりと生で食べているということになるのだろうか。思ったよりもワイルドな食料事情に少々しょっぱい気持ちになりながら、ハロルドはマルグリットの皿にお代わりのブイヤベースを注いでやるのだった。



 ***



 翌日、休みをとっていたハロルドはマルグリットを誘って朝市に出かけた。いつもなら前日の残りで朝食を済ませるところだったが、美少女の意外な食欲のおかげで鍋は空っぽになっていたのだ。


 誰かと一緒に食事をすることの楽しさを、ハロルドは久しぶりに思い出していた。懐かしさと少しばかりのほろ苦さが胸を刺す。


 突拍子もない発言の多いマルグリットだが、彼女が美味しそうに食事をする姿はハロルドにとってとても好ましいものだった。少なくとも、小鳥のように少食な貴族のご令嬢たちよりもよほど健康的だ。


 今日の朝食は朝市で見つくろうとして、昼食は彼女と何を食べようか。自然とそんなことを考えて、ハロルドは自分に驚く。彼女はしばらくすれば海に帰ってしまうというのに。


「こんなに朝からにぎやかですね」

「ああ。この雰囲気が好きで朝市に来ているというところも正直ある」


 海岸沿いの通りの端から端まで、びっしりと店が立ち並んでいる。海鮮から野菜、果物、まさかの工芸品までなんでもござれだ。ぴちぴちと飛び跳ねるエビや脱走を試みるカニを見て、マルグリットが楽しそうな声を上げた。


「面白いですわ!」

「毎日がちょっとしたお祭りみたいだろう? 早起きの価値があるのさ」

「ではここで買い物を?」

「そうだな。せっかくだから浜辺まで散歩したら、帰りにアサリを買うとしよう」

「わかりました! 今夜はクラムチャウダーですね」

「正解だ。なんだかんだで、陸の料理に詳しいんだな」


 朝食用に出来立ての揚げパンを買ってマルグリットに渡せば、熱々にかぶりつく美少女の笑顔に誰もが魅了された。



 ***



 波打ち際を歩いていると、マルグリットのそばに波がよってくる。まるで、「ねえ、ねえ、マルグリット」と声をかけているかのよう。


「面白い。海にも意思があるのだろうか」

「意思があると言いますか、お父さまが三叉槍(さんさそう)をお持ちですので、波を操ることはできるのかもしれません」


 マルグリットは、やはり高貴な生まれであるようだ。さらりと出された重要情報に若干ハロルドは顔をひきつらせる。


「なるほど。ということは先ほどの波はやはりお父上のご意志が反映されているのかもしれないな」

「さあ、どうでしょう? 特に何か念のようなものは感じませんでしたが」

「ご尊父さま、マルグリット嬢のことですが、しばらくこちらに滞在したのちに必ず海にお送りしますので……」


 ざぶーん!


 頭からいきなりの大波をかぶったハロルド。ぽたぽたと海水をしたたらせながら、彼は疑問を口にする。


「……まさか、食ったほうがいいと……?」


 どっぱーん!!


 さらなる大波をかぶり、ハロルドは頭を抱えた。親心は複雑すぎる。というか、この親御さんはどちらの意味で「食う」と思っているのか? そもそも、大前提であるそこがわからなくなってきた。


「まあ大変。騎士さま、お風邪を召してしまいます。人間というのは、海水にまみれて過ごしてはならないのでしょう?」

「まあそれほど気にすることでもない。歩いていれば乾く……とはいかないが、服を脱いで岩の上にしばらく置いておけば、水気はとれるし、体が冷えることもないはずだ」


 ハロルドがそう返し、上着を脱ぐ。


「まあ、騎士さま。さすがの筋肉ですね。人魚の男性陣にも負けぬ肉体美です」

「それは、どうも?」


 首を傾げながらハロルドが礼を言ったそのときだ。


 バッシャーン!!!


 今までで一番大きな波が、ハロルドを襲った。足をとられ転倒する。慌てて立ち上がろうとするが、戻り流れに飲み込まれそのまま沖へと流されていく。


「騎士さま!」


 大丈夫だ。そう言って安心させたいのに、体が言うことをきかない。しかも、ハロルドの周囲に黒い影が複数集まってくるのが見えた。


 こんな浅瀬にサメの群れだと?


 動揺したハロルドが、迫り来るサメから逃れようと慌てて手足を動かす。マルグリットの前で死ぬようなことがあってはいけない。そんなことがあれば、マルグリットが傷ついてしまう。


 どごっ!!!


 背後で、耳慣れない重く鈍い音がした。サメ同士の仲間割れか?


 必死に泳ぐハロルドが振り返って見たものは、海の中を泳ぐサメを真顔でどつき回すマルグリットの姿だった。



 ***



 マルグリットに連れられて砂浜まで戻ってきたハロルドは、深々と頭を下げた。


「マルグリット嬢、ありがとう。助かった」

「いいえ、こちらこそ申し訳ありません。騎士さまが海に引きずりこまれたのは私のせいです……」


 複雑な男親の気持ちに同情を覚えていたハロルドは、首を横にふった。それに大した怪我もしていない。ところが、マルグリットは悲痛な顔で涙をひとつぶこぼした。


「あのような姿を見られたからには、もうおそばにはいられません。さようなら、騎士さま」

「……は?」


 マルグリットに出会ってから、もう何度目かわからない間抜けな声が再び漏れた。


 なぜだ。なぜ彼女は海に帰ろうとしているのか。ハロルドにはその理由がさっぱりわからない。一体何が禁忌に触れたというのか?


「あなたは最初から人魚であることをうちあけていただろう。その姿も我が家で見せてくれたはずだ。どうして今さら、海に帰る必要がある?」

「お母さまが話しておりました。陸に住む男性というものは、儚げな女性を好むものだ。だから、海で狩猟を行う様子を決して見せてはならないと。もしも見られてしまったら、諦めてすぐに帰って来るように言われております」


 さきほど勇ましくサメを殴り倒していたマルグリットを思い出しながら、ハロルドがうなった。


「それはつまり、カッコ悪いところを見せてはいけないということだろうか?」

「母の説明と少し違うような気もしますが、似たようなものでしょうか?……」


 マルグリットが不安そうな表情で小首を傾げた。そんな彼女に、ハロルドは精一杯優しく微笑んでみせる。


「ならば、安心してほしい。俺ほど、カッコ悪い男はいない。何せ、俺の元婚約者は弟と結婚してしまったのだから」


 もう何十回と説明してきた台詞を披露する。だが、ここまで必死に事実を伝えたいと思ったことは初めてだったことに、ハロルドは気がついていた。


「……というわけで、彼女はもともと俺の弟と相思相愛だったわけだ。だが、政治的な思惑も絡み合っていたせいで、彼らは言い出せなかったらしい。とうとう、妊娠と同時に駆け落ちしようとして、ことが露見した」

「まあ! それでどうなさったのです」

「俺が家を出た。まあ、剣の腕はそこそこ立つからな。弟たちのことだけでなく、家のこと、これからのことを考えると、それが一番いいと思ったんだ」


 もう少し早く自分に相談してくれれば、もっと穏やかに話をおさめられたかもしれない。けれどああなってしまってはどうしようもなかった。


 ぎすぎすしたあの雰囲気は、今思い出しても辛くなる。静かすぎる食卓は拷問のようでもあった。何よりハロルドは、実の弟と元婚約者の気持ちにかけらも気がつかなかったのんきな自分が恥ずかしかったのだ。


「まあ、跡取りの座を譲ったと言えば聞こえはいいが、逃げたとも言えるな」

「婚約者の方のこと、お好きだったのですか?」

「まさか。妹のようなものだったよ」

「男性は、女性関係で質問されて都合が悪いとすぐに『妹みたいなもの』とおっしゃるのです」


 ぷんぷんと腰に手を当てて怖い顔をしてみせるマルグリットに、ハロルドは慌てて弁解する。


「いや、あれに関しては誓ってその通りだ。だから、彼らには幸せになってほしい。両親にも生まれてくる孫を心置きなく可愛がってほしいんだ」

「お人好し過ぎではありませんか?」


 マルグリットのもっともなツッコミを、ハロルドはからりとした笑顔で笑い飛ばした。


「そうかもしれないな。まあそういうわけで、カッコ悪さで言えば、俺は群を抜いているだろう。だから、あなたが恥じる必要などない。むしろあなたの強さに惚れ惚れした。自分の身を守るどころか、誰かを守ることができるのだから」

「誰かではなく騎士さまですわ」

「守るどころか守られてしまって面目ないな。だが、こんな俺で良ければ、隣にいてくれないか。あなたが望む間だけでかまわない。俺はあなたと一緒に美味しいものを食べたい」


 きらりと美少女の瞳が輝いた。


「まあ、ずっとご飯を作ってくださるの?」

「たいしたものは作れないが、あなたが笑顔で食べてくれるのなら」

「もちろん。喜んで!」


 その瞬間、なぜか引き潮でもないのに波が遠くまで引いていってしまった。ハロルドは首を傾げつつ、マルグリットとともに新鮮なアサリを拾い集めると、帰宅後クラムチャウダーにして彼女に振る舞ったのだった。


 ちなみに人魚たちの間では、男が意中の相手に対して自慢の手料理を用意するのだそうだ。つまりハロルドの発言は人魚的には求愛である。


 そのことをハロルドが知って悶絶するのは、もうしばらく先のこと。しばらく陸を楽しむ予定のはずのマルグリットが、ちっとも帰る気配を見せなくてふと疑問に思ったハロルドが質問をしたときである。

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