佗汰羅と放浄の儀
「――――――」
山々に風牙の咆哮が響き渡る。悲しみと怒りを体現したその叫びは、圧となって山の木々を揺らす。
風牙の体から黒い傀朧がにじみ出てくる。赤い電撃が全身に奔り、風牙の半径十メートルほどの地面が抉られる。
そして、風牙のものではない邪悪な傀朧が爆発的に放出され、永久、ヒカル、咲夜の三人は背後に吹き飛んだ。
ただ一人、厳夜は三人を庇うように風牙の前に立つ。
「……風牙。すまない」
厳夜は憎々し気に目を細める。
――――――忌々しい予言だ。
この結果になることはわかっていた。事情がわからない風牙にとって、先ほど厳夜が発した言葉がトリガーとなってしまうことは、容易に想像がつく。いや、どれだけ言葉を尽くしても、この結果からは逃れられない。
「ヒカル」
厳夜は傀朧の圧で全身を押される中、ヒカルを呼んだ。
「風牙と佗汰羅が完全に繋がった。手筈通りに頼む」
「わかっています」
ヒカルの顔に影が落ちる。ヒカルは懐から十字架のネックレスを取り出すと、ぎゅっと握りしめた。
「おじいさま。どうして、あんなことを言ったの!? 風牙さんは……!」
「咲夜。私は、お前たちを騙していた。そんな私の言葉を信じてもらえるかはわからん。だが、私の言った言葉に嘘偽りはない」
厳夜は首を横に向け、背後にいる咲夜に向けてはっきりと告げる。
「私は、家族を守る。何があっても。私は風牙を、家族だと思っている」
「……本当なのね?」
「ああ」
その時、永久が傀玉を精製する特上傀具、〈造ノ箱〉を持って立ちあがる。
「できました。咲夜様、体はどうですか? 気分は大丈夫?」
「ええ。大丈……」
咲夜はそう言いかけて、言い澱む。咲夜の視界は少しぼやけていた。これまで見えていたものが見えなくなっているような、そんな違和感を覚え、目を細めて永久の顔を見る。
「これより、〈放浄の儀〉を執り行う。術式の準備を」
厳夜の号令と共に、永久とヒカルが動き始める。
「咲夜。命をかけて、風牙を救う。待っていてくれ」
厳夜は改めて、風牙と向き合う。風牙の纏っている傀朧は、対峙するだけで息が止まるほど負の感情に満ちていた。風牙の全身に、黒い文様がびっしりと浮かび上がる。それと同時に、風牙の口元が歪んだ。
「フ」
風牙は口元を歪めて高らかに笑い、瞳孔の開いた真っ赤な瞳で厳夜を見据える。その笑い声は先ほどの咆哮から一転、狂喜に満ちていた。放たれた声が風牙のものではないことを認識し、厳夜は拳を握る。
「……やはり最高だ。健全な肉体を持つ、というのは」
その声は、威厳に満ちているようで、どこにでもいるような普通の青年の声だった。
「感謝するぜ、浄霊院厳夜。オレと、〈十二天将〉の契約に従い、これまでよく尽くしてくれた。そのおかげで、今ここに完全復活を果たしたというわけだ」
「お前が……佗汰羅か」
一連の様子を厳夜の背後から見ていた咲夜、永久、ヒカルの三人は動きを止める。その存在の放つプレッシャーで、息をするのがやっとだ。佗汰羅と呼ばれた存在は、そんな怯える子どもたちに凍るような視線を送る。
「大丈夫だ。私の後ろで深呼吸をしていなさい」
「お、おじいさま……風牙さんは……」
「アレは、功刀家が五百年間封じてきた傀異。古い文献に記されたその名を、佗汰羅というらしい」
厳夜は風牙の体で喋る存在を睨むと、静かな声で告げる。
「〈戦い〉や〈争い〉といった概念から生まれる、歴史上最凶の傀異だ」
佗汰羅は大きく息を吸って、腕を広げてうっとりと空を仰ぐ。
「世界は相変わらず美しい。至る所から、争いの音が聞こえる。戦争、紛争、闘争……争いは深い憎しみを生む。戦国の世ではないにしろ、人間の世界は何時だって混沌としているようだなァ」
佗汰羅はパチンと指を鳴らす。その瞬間、佗汰羅の周辺に大量の武具が出現する。
刀、槍、斧、銃――――――空中にふわふわと浮かんだそれらの〈武器〉を眺め、楽し気に厳夜に告げる。
「そういうお前は、当代最強の想術師、浄霊院厳夜だろう」
佗汰羅がさっと右手を振った瞬間、突如地面から大量の槍が出現し、厳夜を襲う。
厳夜は跳躍することで攻撃を躱し、光を纏って瞬間移動すると、佗汰羅の背後に回り込む。
「その体は、風牙のものだ。返してもらおうか」
「断る。これは風牙が望んだことでもある」
厳夜は佗汰羅の首元目掛けて手刀を繰り出すが、腕を掴まれて防がれる。
「!!」
全く目視できない攻防だった。その瞬間には、厳夜の腕が握りつぶされ、手の先が地面に落下する。佗汰羅は厳夜の血が付いた手を、厳夜の顔面にかざす。
まずい。
厳夜の戦闘の勘が危険を感知すると同時に、術式〈星天の霹靂〉を発動させる。厳夜は瞬間的に光を纏い、佗汰羅の背後に瞬間移動した。
「ほう。早いな」
厳夜が見たものは、佗汰羅の手の先に出現していた、空間を埋め尽くす異常な数の槍だった。串刺し、などという言葉が生ぬるくなるほどの量だ。しかし、それらは一瞬で煙と消える。
「これならどうだ」
佗汰羅が振り返り様に指を鳴らすと、空中から矢の雨が出現し、厳夜のいる場所の半径百メートルほどに降り注いだ。厳夜はジグザグに瞬間移動を繰り返しながら佗汰羅に接近し、佗汰羅の後頭部に拳を叩き込むが、
「残念」
佗汰羅の頭に出現した黒い兜に阻まれて拳が止まる。厳夜の周囲に、大量の刃が弾け飛ぶように出現すると、すぐさま距離を取ることを余儀なくされる。
(出現させる武器の量、速度、幻のように消える性質……)
厳夜は息つく暇もなく、先ほど粉砕された右腕を再生させる。
「移動ついでに〈傀朧医術〉で腕を再生させる、か。多芸だな」
「なら、貴様に入った一撃も褒めて欲しいものだな」
厳夜がそう言うと、佗汰羅の口元から血が流れ出す。鈍い衝撃が腹部に奔ったのを感じた佗汰羅は、サッと手で腹部を撫でる。
「……遠隔で拳を飛ばしたのか?」
「拳ではない」
佗汰羅は口元の血を舌で舐め、邪悪に笑う。厳夜は右手を張り手にして佗汰羅に押し出す構えを取る。
「質量だ」
押し出された質量――――――佗汰羅の体に無数の打撃が打ち付けられる。
「こりゃ、いい攻撃だ」
佗汰羅は楽し気に目を見開いた。厳夜は続いて空中で爪を立て、引き裂くように大きく振った。
「星天の霹靂、虚頭星勢」
その瞬間、無数の圧が全方向から佗汰羅に降り注ぎ、全身を激しく殴打する。
佗汰羅の身動きが止まる。瞬間移動した厳夜は、佗汰羅の背後から体を取り押さえる。
「至近距離ならどうだ」
そのまま厳夜は虚頭星勢を至近距離で何度も打ち出す。風牙の体はズタズタに打ち砕かれ、全身がぐちゃぐちゃの肉塊になっていく。
「やべえ」
しかし、突如厳夜の眼前に出現した刀が、お返しと言わんばかりに厳夜の体をめった刺しにする。
「くっ!」
「ハハッ。強えな」
〈星天の霹靂〉を発動させ、佗汰羅から距離を取った厳夜は、刀傷を回復させるために傀朧を全身に巡らせた。その隙に立ち上がった佗汰羅は、ぐちゃぐちゃになった風牙の体を再生させながら邪悪に笑う。
ズタズタになっていた筋組織がきれいさっぱり元通りになっていく――――――厳夜は器である体にダメージを与えることで、受肉に不安定が生じることを期待していた。しかし佗汰羅の傀朧は一切揺らいでいない。
(やはり風牙の体との親和性が高すぎるか)
「褒めてやるよ浄霊院厳夜。五百年前にオレに傷を負わせた術師なんていなかったぜ」
厳夜の傷が塞がり、佗汰羅の傷も塞がる。再び振り出しに戻った戦いに対し、厳夜は内心焦りを感じていた。
「お前の術式は洗練されている。質量を光の速さで打ち出すなんてな」
佗汰羅は嬉しそうに腕を広げ、厳夜に接近していく。
「ならオレは、それを上回る〈武〉を精製してみせよう」
「!?」
佗汰羅は莫大な傀朧を一気に放出したかと思うと、空が一気に曇る。
厳夜が空を見上げると、光を遮るほどの大量の武具が、空を覆いつくしていた。
「オレの術式、軍神具足は、〈戦う手段〉を精製する。人類が望む、すべての戦う術を生み出すことができるってわけだ」
それらの武具は、銀色の刃の矛先を厳夜に向け、重力に従い一気に飛来する――――――。
「永遠に〈刺す〉」
一直線に厳夜の周囲に突き刺さる刃は、巨大な衝撃と共に砂煙を舞い上げる。厳夜の周囲の地面は抉られ、巨大な大穴がぽっかりと空いた。
「いいねえ! 最高だ!!」
佗汰羅は空中に飛び上がると静止し、腕を組んで大穴の様子を観察する。
砂煙が晴れると、仄かに光る結界が見える。怯える咲夜とその傍にいた永久、ヒカルを守る様に、厳夜が結界を形成していた。
「おじいさま……!!」
「すまない。少し、遅れた……」
厳夜の全身には大量の刀が刺さっており、息も絶え絶えだった。
「ガキ共を守ったか。戦士としてはつまらん命の張り方だぜ」
「……つまらん、だと」
厳夜は刀を体から抜き、放り投げると、それらは煙のように消える。
「誰かを守るために戦う……それは人間の本質じゃねえ。なぜなら、そこに自己犠牲が伴うからだ。自己犠牲は弱者のすること。真の強者は自分を守ることのできる者だ」
「違う……誰かを守るために戦う者の意思は強い。その意志が力となり、不可能を可能にするのだ。お前のその体の持ち主は……それを私に見せてくれた」
「……」
厳夜は満身創痍の体を引きずり、佗汰羅を見上げ、叫んだ。
「風牙よ!! お前の意思は、まだ死んでいない!!」
「風牙は自らオレに体を明け渡した。オレがあいつの願いを叶えてやるのさ。人間どもを選別することでな」
佗汰羅は一歩一歩向かってくる満身創痍の厳夜の後ろで、咲夜が倒れている光景を観察する。その傍で永久が目をつむり、何やら術をかけているようだ。そして、もう一人が消えている。
(どうでもいいな。何をする気か知らんが)
佗汰羅はニヤリと笑い、右手に装飾が施された大剣を出現させると、切っ先を厳夜に向ける。
「ハンデが過ぎたようだな。傀朧の総量、術の質、どれを取ってもお前はオレに勝てん」
フラフラと近づいてくる厳夜を見て、佗汰羅の興味が急速に冷めてゆく。このまま戦っても結果は見えている。厳夜を倒した後に、この世で自分を楽しませてくれる想術師は誰一人としていないことは明白だった。
「できれば、〈十二天将〉どもの加護とやらのある状態のお前と戦いたかったなぁ」
「舐めるなよ、傀異」
厳夜は目を見開き、佗汰羅を睨みつける――――――。
その鋭い相貌が、佗汰羅を刺した時、佗汰羅の身体をわずかに震えさせる。
(……震えだと)
死にかけの老兵だと思っていた存在が、これまで以上に爛々とした殺意を向けてきたことに、佗汰羅の心が再び躍る。
「佗汰羅、貴様思った以上に人間クサいな。伝承とは大違いだ」
「何?」
「その人間クサさに、足元をすくわれることになる」
「無駄口叩く余裕があるとはな。いいぜ、浄霊院厳夜。魅せてみろよ、お前の底力」
厳夜の全身から傀朧が放出されていく。それは、これまでとは様子の違うものだった。厳夜はその場に胡坐をかいて座ると、目をつむり、放出した傀朧の質を極限まで高めていく。その光景に、佗汰羅の意識がくぎ付けになる。
「天地は暗影に沈み、虚空は凝縮する。光はただ一点を貫き、その星に花を添える……」
厳夜は顔の前で左手を握り、人差し指を立て、右手で握る。
(あの手印は……)
「千の輝きは円環の中で天に堕ち、やがて闇の果てと成る」
続いて左手の指を伸ばして手のひらを上に向け、右手も同じように重ね、親指の先を合わせる。
厳夜の纏う傀朧が一気に弾け、周囲の空間を黒く染め上げていく。
「顕現せよ。想極、〈星天の霹靂―――三千大千世界〉」




