The flame night of resurrection その②
――――――炎。炎。炎。
風牙の脳裏に、炎が浮かぶ。
突然攫われた咲夜を追う風牙の心に、じわじわと憎悪が湧き上がってくる。
二人の前に現れた白いスーツの男が咲夜を攫ってから、すでに十分以上経っているにも関わらず、風牙はまだその跡を追い続けていた。深い森は時折脈打つようにその緑を濃くし、進行を妨げる。
気配を完全に見失ってしまった。緑の匂いと、森の濃い気配が辺りに立ち込めているため、傀朧の感知もままならない。
「はあ……はあ……」
風牙は息を切らし、木の幹にもたれかかる。
おかしい。自分でもおかしいのはわかっていた。なぜ、先ほどの男が浄霊院紅夜だと断言できるのか。見た目も違う。気配も違う。ただ、身にまとう傀朧の質が、非常に似ていたというだけで――――――。
「いや……アイツは」
おかしいという客観的な理性より、風牙の主観が勝る。
浄霊院紅夜。故郷を焼き、両親と町の人々を殺したあの男を殺すために、この七年間生きてきた。それに、浄霊院家に来る際、頼りにしたのは紛れもない、その紅夜の傀朧だった。故に、間違えることは絶対にないという確かな自信があった。
「どこに行った……!!」
風牙は足に傀朧を纏わせ、木を蹴り、木の頂上まで駆け上がる。血走った目で周囲を見渡すと、煙が立ち込める洋館が見えた。
「クソッ!!」
屋敷がどうなったかよりも、湧き上がる憎悪が意識を支配する。風牙は目をつむり、僅かな傀朧も漏らさぬよう意識を集中させる。
――――――屋敷から離れた高台の上。
「……見つけた」
そのまま高く跳躍し、木々の中に着地すると、素早い動きで崖を上り、岩を蹴り、高台に昇る。
そこで、風牙が見たものは――――――。
「鐡夜!?」
スキンヘッドの男が繰り出す踵落としによって、鐡夜が潰されようとしている光景だった。
★ ★ ★ ★ ★
数分前。
「……燵夜め。奴は思った以上に変質している」
森の匂いが突如濃くなった。そして深い緑の中に隠れた、血の臭いが鼻につく。
咲夜を抱えた白いスーツの男、浄霊院幾夜は屋敷から遠く離れた高台から、膨れ上がる森を見つめていた。
浄霊院燵夜の傀朧が増幅していく。森を覆いつくすほどにまで膨れ上がった傀朧は、もはや想術師が捻出できる量を遥かに超えていた。このまま放っておけば、燵夜の傀朧に支配された植物たちが、周辺の街や集落に及び、災害級の事態になり得る。
思えば燵夜とは、表向きの目的が一致していたため、一時的に手を組んだに過ぎなかった。ここまで大きな行動を起こされては、今後の作戦に差し障る。
ガロウズの紹介で幾夜の前に現れた燵夜は、どういう原理かはわからないが、体が半分傀朧に犯され、人間と言うより傀異に近い存在となっていた。
七年前に起きた〈浄霊院燵夜事件〉で、燵夜は公的に死んだはずだった。当時、〈法政局特別顧問〉という立場だった厳夜が、生き残った子どもたちを助け、地下室に潜入した時、燵夜は全身が干乾びたような状態で見つかった。そしてその傍で、絶望し、茫然と立ち尽くしていた西浄影斗が救いだされた。
燵夜は影斗の手で殺されたと推定され、事件は終息することとなる。
(死体の管理はなぜか〈傀朧管理局〉が担っていたと聞く。何か裏があることは間違いないが……)
そんなことを考えていた幾夜の背後から、足音が聞こえる。
「あ‶~疲れたわ。ほんまに」
首をコキコキと鳴らし、気だるそうに幾夜の元へ歩いて来たのは、スキンヘッドの大男、楠野猛だった。
楠野は幾夜を見つけるなり、肉食獣のように歯を見せ、歩み寄って来る。
幾夜は楠野の背後を一瞥する。そこには無数の死体が転がっていた。
黒い布に覆われた忍び装束の者たち―――大きな牙があしらわれた面を被り、顔を隠していたようだが、皆仮面が木っ端みじんに粉砕され、息絶えているようだ。そんな彼らの顔は幼く見える。そしてその周囲にはチンピラのような男たちも転がっており、ここで大規模な戦闘があったことが伺えた。
「ワシは運がええなァ……目的のモンが、自分から近寄って来るなんて」
「楠野猛か……衝夜はどうした」
「ああん? あのけったいなガキなら、もう死んどるで」
「……」
楠野は親指を立て、茂みの方を示す。そこには首のない衝夜の死体が転がっていた。
それを見た幾夜は、ギロリと楠野を睨みつける。
「逃亡犯やったしなァ。何? お前の仲間やったんか、アレ?」
幾夜は楠野を無視し、近くに転がっていた首を持って衝夜に近づくと、膝を付いた。もう冷たくなった衝夜の死体は、物寂し気に手を伸ばしてるように見える。
幾夜は衝夜の首を死体に付け、傀朧を用いて接合する。
「……無念だったろうに」
幾夜は最後に見開いた目を手で閉じ、立ち上がると、傍に赤い髪の少年が血塗れで倒れているのを見つける。こちらはまだ息があるようだ。
「どういう状況かわからんけどな、その娘置いてけや」
「……ほう。この娘が誰なのかわかっているのか?」
「当たり前やろその気配。間違いない朧者や。浄霊院咲夜とかいう厳夜の孫やろ。だから、運がええ言うとんねん」
幾夜は楠野を無視し、背を向けて歩き出す。
「おいおいどこ行くねん大罪人」
「それは、お前のことだろう」
「はあ? 立場わかってないみたいやな」
楠野は拳を鳴らすと、づかづかと幾夜に接近する。
「ワシは〈十二天将〉の一角や。〈十二天将〉は最強の称号。想術師協会の最高幹部でもある。ガキでもわかる話や。んで、お前はどういう訳か、協会に歯向かう敵や。協会の和を乱すモンは皆敵。わかるか? 皆殺しや」
「わからないな。だからと言って、人を殺していい道理などない」
「ハッ。アホちゃうか。青臭すぎて鼻曲がるわ。これは全部正当防衛やで! 想術師協会の意志は、〈十二天将〉たるワシらにある。吹っ掛けてきたんは全部このガキどもや。どうにでもなんねん、こんなん」
楠野の言い分に、幾夜は立ち止まる。しかし、拳を握り締め、その場から立ち去ろうとする。そんな幾夜に痺れを切らした楠野は、幾夜の肩を強く握る。
「おい待てや!! どこ行くっちゅうねん」
「お前は、何か勘違いしているようだ」
「はあ?」
その時だった。
油断しきっていた楠野の背後で、完全に屈服させ、戦闘不能に落ち込んだと確信していた駄犬が立ち上がっていた。頭から血を流し、満身創痍の体を動かすと、刀を振り上げる。
「ガアアアアアアッ!」
真っ赤に熱を帯びた刀身が、楠野の腕にめり込む。
「何ッ、このガキァ!!」
楠野は振り返ると同時に、牙を研いでいたボロボロの赤い髪の少年を睨みつける。傀朧で腕を強化するのがあと少し遅れていたら、腕を切り落とされていた。その事実が、楠野の怒りを爆発させる。
楠野は本気で鐡夜を殴り飛ばすと、鐡夜は、為すすべなく吹っ飛び、大きな衝撃音と共に背後の死体置き場と化していた場所に吹っ飛ばされる。
楠野は、右手についた深い刀傷を一瞥し、大きな舌打ちをする。
「クソガキ……あ‶あ‶、やってもたな自分」
楠野は青筋を立て、吹っ飛ばした鐡夜に近づいていく。
「ワシはなァ、子ども好きやで。どんだけ生意気でもわからせたったらええねん。絶対殺さへんよ。でもなァ」
楠野は倒れている鐡夜の隣で仁王立ちする。鐡夜は口からさらに血を流し、苦しそうに荒く呼吸をしていた。
「お前みたいなクソガキは、力入って殺してまうかもな」
冷たく言い放ち、鐡夜を無理やり起こすと、丁寧に、丁寧に腹を殴りつけていく。
「がッ……」
殴られるたびに鐡夜の顔が歪む。内臓が破壊されるような激しい痛みに、もはや声も出ない。
「今すぐ……謝罪せんかいゴルァ!!」
楠野は声を荒げて鐡夜を罵倒する。そして怒りに任せて鐡夜の体を引き摺ると、散らばる死体の中に放り投げた。
「もうええわ。死のか」
楠野は鐡夜の体を潰そうと跳躍する。踵に傀朧を纏わせ、鐡夜の体目掛けて振り下ろす――――――。
ドン。
大きな衝撃が地面に伝わる。
「……てめえ」
楠野は突如放たれた鋭い殺気に、目を見開いた。
楠野の足は、森の中から飛び出してきた少年の手によって止められている。
「何、やってんだ……!!」
風牙は楠野の足を突き返すと、楠野は空中で一回転して地面に着地する。
「……前言撤回や。やっぱワシ、死ぬほどガキが嫌いやで」
楠野は憎々し気に風牙に向かって唾を吐く。しかし風牙は、全身に風を纏わせ唾を吹き飛ばすと、カウンターとして楠野の顔面を殴りつけた。
背後によろめいた楠野の口から、血が一筋流れ落ちる。
「てめえは、俺の友だちを殺そうとした」
風牙は拳を構え、臨戦態勢に入る。それを見た楠野は、口元を大きく歪ませた。
「それだけで戦う理由は十分だ」
「せやな。殺すわ」




