最後に一つだけ
衝夜が幾夜に願ったこと。それは、浄霊院鐡夜に今一度会うことだった。
それが終われば、幾夜の言う通り、もう一度やり直す。そう決めた。
「てっちゃん。来てくれると思ってたぜ」
「……よう、衝夜」
鐡夜は、燵夜に育てられていた時、共に育った燵夜の実の息子だ。
たくさん遊んで、たくさん笑って。攫われてきたとは知らなかったたくさんの子どもたちと一緒に、思い出を作った存在。衝夜は、唯一の兄弟だと思っている。
鐡夜は息を切らして、衝夜のいた山の中腹の開けた岩場までやってきた。
洋館の方から爆発音がしたため、老紳士と旭灯に先に行ってもらい、自分は見知った傀朧の気配を追ってきたのだ。
鐡夜は、近くに講堂が見える少し開けた岩場に座っている衝夜に近づいていく。
「……何で、あんなことした」
「あんなことって?」
「とぼけんじゃねえ! 屋敷のガキ共を狙って……酔骷とかいうバケモノが何したか知ってんのか!? あ‶!?」
いきり立つ鐡夜に、疲れた顔を崩さない衝夜は、淡々と答える。
「あれな、実はオイラの独断でやったんだ。誰にも言わずに……悔しかったんだよ、てっちゃん」
「はあ?」
「お前が、厳夜が、屋敷にいた事件の生き残りたちが。みんな羨ましかったんだよ。だからちょっとだけ、滅んじまえばいいんだって、そう思ったのさ」
衝夜は顔の右半分についている鉄仮面を指して、鐡夜に笑いかけた。
「オイラだけさ。〈浄霊院燵夜事件〉で、助かった子どもたちは皆記憶を操作されて厳夜が保護した。なのに、オイラだけは違った。オイラだけは、監獄にぶち込まれたんだ。冷たくて真っ暗な監獄に、七年もいたんだぜ? 毎日頭のおかしな看守に拷問されて、その結果がコレだ。顔が潰れたんだ。他にも、色んなことされた。怖くて怖くてたまらなかった! いっそのこと、死んじまいたいとさえ思った!」
鐡夜はその話を聞いて目を見開くと、拳を握りしめる。
「だからあの時、オイラはお前を仲間に引き入れたんだよ。ちょっとした嫌がらせだな。気分はどうだった? オイラに言われるがままに、影斗に仮面付けた感想は」
「違うな。わかってねえのはテメエだろ。あの仮面は、〈制約〉の概念が宿る傀具だった。影斗にかかる術を制限する仮面だ。わかりにくくしてたけどよ」
「……どういうことだ?」
「あのジジイ、西浄厳太から聞いた。知らなかったのか?」
「あの仮面は……幾夜からもらって……」
鐡夜は先ほど、旭灯と老紳士と三人で移動していた時、できる限りの情報を教えてもらった。
結局、わかったのは状況だけで、厳夜のことは何もわからなかった。
「衝夜、もうやめろ。浄霊院幾夜って誰なんだよ。教えてくれ」
「やめる? 何知ったような口効いてんだよてっちゃん」
衝夜はギロリと鐡夜を睨みつける。
「笑わせんなよてっちゃん。何も知らないくせに」
「ああ、何にも知らねえよ! 腹立つくらいになんも知らねえ!! くっそ気分が悪ぃんだよ。どいつもこいつも……!!」
鐡夜は頭をがしがし掻いて怒りを露わにし、衝夜に詰め寄る。
「あのクソ親父も……最後まで何にも言わなかったよな」
「……」
「最後まで本当のこと、オレらに言わなかった。オレにも、お前にも」
衝夜は、迫る鐡夜から距離を取って身構える。鐡夜はじりじりと詰め寄って来るが、敵意はまるで感じなかった。
「オレはな、悔しいんだよ。どいつもこいつも、オレに何も言わずに消えていきやがる。お前も、そうだと思ってた」
鐡夜の声がわずかに震える。
「オレな、ここに来てからもそうだった。厳夜のジジイは、オレに何にも言ってくれなかった。クソ親父のことも、お前のことも、何にも説明しねえでいつも悲しそうな顔をしてやがる。オレはそれが、一番辛かったんだよ! オレは、もしお前が監獄にいるって知ってたら……助けに行ってたよ」
いつの間にか距離を取ることをやめていた衝夜の手が握りしめられる。
「……嘘だ。そんなこと」
「嘘じゃねえ。オレは、お前の兄弟だろ!!」
その優しい言葉に、監獄にいた時の情景がフラッシュバックする。衝夜の胸に、じわじわと胃液が込み上げてくる。口を押え、俯いた衝夜の背に、鐡夜の手が置かれる。
鐡夜が、優しい言葉をかけてくれることは耐えられない。自分は、その鐡夜を恨み、先日の襲撃事件に加担したというのに。
「最初に会った時、お前が復讐に取り付かれてるんだって思った。オレにも思うことがあったってのもあって、お前の口車に乗ったんだ。それは、間違いだった」
「オイラは……」
衝夜は、鐡夜に向かって震える手を伸ばす。
「本当は違ったんだ。オイラは……逃げたんじゃない。おじさんは……いっぱい人を殺して……オイラは、それを見た……おじさんは、手伝ってって言った……だから……オイラ……嫌われたくなくて、みんなの死体を……」
「言わなくてもいい」
鐡夜は衝夜の手を握った。その瞬間、地面に向かって衝夜は吐いた。
「……ごめんな」
衝夜の耳元で、鐡夜の震える謝罪がそっと吐き出される。
鐡夜の手から、温かい体温が伝わって来る。
「てっちゃん……幾夜は、オイラに生きて欲しいって、言ったんだぜ。こんなオイラを……」
「……そうか」
「オイラ、もう戻れないって、思ってた。七年間牢屋の中でずっと、考えてたんだ。全部オイラが悪いってわかってたのに……事実を認められなかった」
衝夜は、鐡夜を優しく突き放す。互いに距離を取った二人は、悲し気な表情のまま向き合う。
「オレはお前ともっと話がしたい。昔のことも、今のことも、全部全部吐き出して、気に入らねえことは殴り合って、全部清算してえんだ」
「……なんだそれ。バカじゃねえの」
「ああ。オレはバカだ。大馬鹿モンだった。でもな、オレは、功刀風牙とぶつかって気づくことができたんだ。己の愚かさに。過去は変わらねえけど、現在からを変えることはできるって」
鐡夜は、右手を伸ばし、衝夜に手を差し出した。
「衝夜。オレと過去じゃなくて現在を見よう」
鐡夜は右手を差し出す。その真剣な表情を見て、思わず口角が上がってしまった。
――――――いつの間にか、体の震えが止まっていた。七年間ずっと止まらなかった、震えが止まった。
衝夜は、ゆっくりと右手を上げる。
「なあてっちゃん」
衝夜は鉄仮面を外し、にっこりと笑う。生々しい傷跡が、鐡夜の目に映る。
衝夜の手が、ゆっくりと鐡夜に向かって伸び――――――。
「ありがとう」
――――――どしゅ。
刹那、衝夜の笑顔がはじけ飛び、生暖かい赤が、鐡夜の全身を染め上げた。




