千年の意 その②
森を抜け、川に沿って下山していく風牙と咲夜は、背後の屋敷で轟く爆発音に歩みを止める。
すいかねこの導きで屋敷を出た二人は、影斗を追えという指示のもと、森をひたすらに進んでいるのだが――――――。
「ねこちゃん……」
「振り返るな。先に進み続けるぞ」
「ちょっと待ってくれよ。話がまだよくわからねえって」
「移動しながら話す。浄霊院家の成り立ちは、先ほど説明した通りだ」
すいかねこが話し始めたのは、浄霊院家の成り立ちだった。
安倍晴明が千年前の混沌とした世界を治めるため、初めて想術を扱える者たちをまとめた。そしてその中で、世の中が安定するように様々なことを行ったのだという。
「爆発……何が起こってるの?」
「あれは自作自演だ。誰も死んではおらん。我々は先を急ぐぞ」
すいかねこはそう言うが、前に進む二人の表情は暗いものだった。
「〈六壬神課の御札〉の話は、理解できたか」
「えっと、安部晴明が残した予言書……だったよね」
「そうだ。それを浄霊院家当主は代々継承し、その予言に従って行動してきた。もちろん厳夜もだ」
「その予言ってのはさ、当たるのか?」
「当たる、などという話ではない。それは世界の終わりまで子細に見通せるものだ」
「世界の終わり……?」
風牙は小さな沢をひょいと飛び越え、咲夜に手を差し出した。咲夜はその手を取り、沢を飛び越える。
「そうだ。信じられんだろうが、世界はもうすぐ終わる。それは千年前から定まっていた運命であり、抗うことはできない」
「信じられない」
「その鍵となるのが、汝らなのだ」
「俺たち? 何で?」
すいかねこは目を細めて風牙を見る。
「汝には思い当たる節があるはずだ。汝の中にいる、強大な存在のことを」
「え……」
風牙がすいかねこの言葉を意識した瞬間、風牙の胸に強い痛みが奔る。
「風牙さん!?」
「えへへ……だ、大丈夫だ……」
風牙は必死に笑みを作る。それを見たすいかねこは、小さく嘆息を漏らす。
「時間が無い。一刻も早く影斗に追いついて……」
「何を吹き込んでいる。申の剋、南西神将白虎」
その時、一切の気配もなく、咲夜の背後に白いスーツの男が現れる。
咲夜の顔の前に手を出し、指を鳴らすと、咲夜の意識が無くなる。ぐったりと力を失った咲夜の体を、男は優しく支えた。
「!?」
「いけないよ。お前はあちら側の存在だろう」
男は畳みかけるように手で銃の形を作ると、指先をすいかねこに向ける。男の指から放出された弾丸状の傀朧に貫かれ、すいかねこは動かなくなった。
あまりの手際の良さに、呆気にとられていた風牙は、この時ようやく目の前の存在に意識を集中させた。
――――――ドクン。
白いスーツの男。風牙はその男とは初めて会う。見たことはないはずなのに――――――。
悲し気に自分を見つめるこの男は、風牙のよく知っている存在の気配を纏っていた。
「お前……は」
「……功刀風牙」
男は意識を失った咲夜を抱え、浄霊院家の方へ走り去っていく。
「待て!!」
風牙は叫び、後を追おうとする。
おかしい。自分の目を何度かこすってみる。
見間違うはずはない。あの気配を間違えることはない――――――。
しかし、男が纏っていた雰囲気は、七年前に風牙が出会った仇のものと酷似していた。風牙の心臓が早鐘を打ち始める。
「浄霊院……紅夜!!」
風牙は混乱する頭のまま、白いスーツの男を追う。
★ ★ ★ ★ ★
洋館から離れた少し離れた森の中で、永久は深呼吸を繰り返し、ガタガタと震えている。その様子に坊主頭の少年、ヒカルは目を細めて背中をさする。
「大丈夫ですか、永久さん」
先ほど、洋館の地下室から脱出した永久は、対峙していた勾陳と名乗る謎の男のことを思い出し、恐怖に震えていた。放たれるプレッシャーは尋常ではなく、息をするのも忘れるほどだった。
「ご、ごめんね……あり、ありがとう……」
何とか立ち上がった永久は、ヒカルに礼を言う。木っ端みじんに吹き飛んだ洋館からは焦げ臭い臭いが立ち込め、森の中まで漂ってきていた。
ヒカルは改めて、間一髪だったと振り返る。
地下室の中にいたあの存在は、いつでも永久を殺すことができる実力を持っていた。あの尋常ではないプレッシャーに押しつぶされずに済んだ永久を、ヒカルは内心称えていた。
ヒカルは永久に手を差し出し、にっこりと笑った。その笑みを見た永久は、腕を離さないままヒカルに問いかける。
「ねえヒカル。教えてほしいんだけどね」
「はい」
「君は……誰の味方なの?」
ヒカルは視線を屋敷の上にある講堂に向け、笑みを崩さないまま答える。
「厳夜様の味方ですよ」
永久はヒカルの顔を見つめ続ける。
「……やだなぁ永久さん。どうしたんですか?」
「いや、さっきあの男に尋ねられたの。お前はどっち側なのかって。それって、君も同じだよね?」
ヒカルはふう、と息を吐き出してから明るく答える。
「僕は調整役です。ことがうまく運ぶのを助けるための調整役。だから一応、色々なことを知っていますし、場合によっては行動します」
「うまくことが運ぶようにって、誰にとってうまく運ぶことなの?」
ヒカルは永久からの鋭い視線に、アイコンタクトで答える。ヒカルの済んだ青色の瞳の奥に、わずかな澱みが生まれた。
「僕は貴方と同じですよ、永久さん。厳夜と幾夜、双方の手駒です」
永久はごくりと唾を飲み込む。
「僕たちはそれぞれの個人的な目的があって、双方の手駒になっているんです。だから理由なんて考えず、指示されたことをしただけ。でも、強いて言うならこれだけは強く感じます。まるで、壮大な劇をやっているようじゃありませんか?」
「……劇?」
「浄霊院家は常にトラブルの中心にいた。当事者だったんです。まるでブラックホールのように色んなトラブルを抱えていた。咲夜が朧者だったこと。浄霊院燵夜による悍ましい事件、それに巻き込まれた西浄影斗。極めつけは、功刀風牙がこの屋敷にやってきたこと……」
永久は腕を組み、服の袖をぎゅっと握る。ヒカルが言っていることは、あくまで推測だ。だが、推測には思えない。永久はヒカルの次の言葉に意識を傾ける。
「すべて、繋がっているんです。僕たちの雇い主、浄霊院幾夜は協会を欺き、翻弄し、再びこの屋敷にやってきている。その目的は……」
その言葉を遮るタイミングで、数羽のカラスが大きく羽ばたいた。ヒカルの言葉はその大きな音にかき消され、永久の耳には入らなかった。
「行きましょう。何にせよ、永久さんの最後の仕事が待っている、でしょ?」
「……そうね」
永久はズボンのポケットに入っていた小さなお守りを握りしめる。
それは、弟が大切にしていた思い出のお守りだった。
「私は……弟を助けてもらった恩に報いる」




