千年の意 その①
『――――――こちら、壱段。洋館の入口で待機中です』
『――――――こちら、弐段。裏口を押さえた。突入まで待機する』
『――――――こちら、参段。周辺に異常なし。突入準備完了』
無線機から特殊部隊、漆扇の報告を受けた副島美咲法政局長は、スーツについた砂ぼこりを払い、岩に腰を下ろす。手に持っていた巨大な黒いバケモノの首を足元に投げ、能面型傀具を踏み潰す。バケモノは断末魔を上げることなく体を霧散させ、塵と消えていく。
(浄霊院衝夜は逃げたか……逃げたところを見ると作戦に対しての脅威ではない。今は)
副島の周囲には仮面の残骸が散らばっていた。副島は無線機のスイッチを押すと、部隊に指示を下す。
「各部隊、迅速に行動せよ。生存者がいる場合、素早く捕らえ、護送すること。そして、厳夜会長がいた場合、すぐさま報告を。私が行く」
「「「承知」」」
漆扇たちは四人一組で行動しており、全員が黒い布を纏い、大きな牙があしらわれた仮面を被っていた。一切の音を出さず、三部隊が一斉に洋館内に侵入する。一糸乱れぬ統率で、素早くすべての部屋を調査し終わった部隊は、全員エントランスホールに集まった。
「待っていたわよ。無粋なお客様」
エントランスホールの階段に鎮座していたのは、小さな中年の女―――トシミだった。
トシミはぶすっとした表情で漆扇たちを見渡すと、長い柄のモップを持ち、正面の一人をモップで指す。
「あなたたちはコソ泥よ! このコソ泥!」
トシミは小さい体で華麗にモップを回すと、正面の一人を殴り飛ばした。
「さあ。お掃除の時間だわ」
★ ★ ★ ★ ★
同時刻、洋館地下にて。
パチ――――――。
古びた蛍光管が、じっ、じっ、と音を立て、淡い昼白色の光が灯る。
黴臭い洋館の地下室に、こつこつと靴音が響く。ひんやりとした空気の中、電灯のスイッチを押したのは顔色の悪い舞川永久だった。
永久は地下室の鍵をポケットから取り出し、部屋の奥に進んでいく。身に着けていたスマートウォッチの画面を突くと、時刻を確認する。
もう間もなく、厳夜が指示した時刻になる――――――早く。早くしなければ。
永久は無我夢中で地下を進んでいく。
思えば永久が屋敷に来てからもう三年経つ。この三年間は生きた心地がしなかった。
舞川家は表向き想術師ではない普通の家庭だった。だが三年前、事情が変わる。
永久の五歳下の弟が、突如病に倒れたのだ。その病は、傀朧が原因の病で、治療には特殊な知識を有する傀朧医による専門的な治療が必要だった。
しかし、一般家庭であった舞川家に当然知識はない。医者に見せても原因が分からず、弟の体調が悪化していた時、ある男が現れた――――――。
彼は瞬く間に弟を苦しめていた病を治してしまう。男は感謝する永久に、一つだけ願いを言った。
――――――放浄の儀の、巫女をやって欲しい。
男曰く、舞川家はかつて傀朧を浄化、管理する陰陽師の一族―――賀茂家の末裔で、傀朧に対しての適応力が高い性質を持っているのだという。
何が何だかわからなかったが、弟の命の恩人だ。その頼みを断るわけにはいかなかった。
弟のことが頭をよぎりながらも、永久は地下室の一番奥のドアに鍵を差し込み、勢いよく開け放つ。
「!!」
その部屋は、この屋敷の地下深くに、大昔から存在する空間に繋がっていた。焼け落ちてしまった本家の地下にあった、特上傀具〈造ノ箱〉を安置する場ではなく、千年間、浄霊院家の当主が代々守ってきた仕掛けがある場所だった。この土地に渦巻く傀朧の流れ、いわゆる霊脈と呼ばれる場所から傀朧を取り出し、浄化するための術式が敷設されている。
部屋の中央で禍々しく光を放っているのは、この複雑な術式が刻まれた陣だった。
しかし、その前に長身の男が立っている。髪型はウエーブがかった短髪で、平安貴族がしているような冠を被っている。赤い朝服に身を包み、静謐に佇むその姿を見た永久は、息が止まるほどの圧に身震いする。
「舞川家は、古くから続く陰陽師の家系で、浄霊院家の遠縁だ。だからこそ、厳夜は貴公を招き入れたと思っていた」
「……誰」
朝服の男は永久を一瞥すると、ゆっくりと近づいてくる。
「我々はすべてを知っている。舞川永久、三年前にこの屋敷にやってきた。浄内義光の傀異討伐任務中、傀異に憑かれ、記憶を失っているところを拾われた。身長156㎝、体重47キロ。誕生日は4月22日。面倒見がよく、少し傍観主義。人間観察が好きで面白いことが好き。女子力を上げる努力をしている。仕事態度は少し不真面目。血液型はB型。趣味は動画を見ること、漫画が好きで部屋にいくつも隠し持っており……」
「な、何……気持ち悪い」
永久は、突如自分のプロフィールを的確に告げる男に、不快感を滲ませる。
「と、いうのが表向きの経歴だ」
「答えて。あなたは何者ですか?」
朝服の男は真顔のまま永久の前でぴたりと立ち止まる。細く、冷たい真っ赤な瞳だった。見られていると、体が凍りそうな気がする。命の危険を感じた永久は、男から目を離さないように壁伝いに距離を取る。
「私は、初代〈十二天将〉辰の剋、南東神将、勾陳と申す者」
「じゅ……〈十二天将〉? どういうこと?」
永久は動揺して躓いてしまい、床に手を突く。ひんやりとした床の冷たさが手に伝わるが、すぐさま男の方へ体を向ける。
「〈十二天将〉は、厳夜さんの……いや、浄霊院家の式神、よね」
「それは真実ではない」
勾陳は床に尻餅をついて動けない永久を見下ろす。
「時間はまだある。昔話をしよう。想術師協会の最高幹部に、そのような称号があるな。貴公はそのことを意識したから、疑問が湧いたのだな」
「え……」
「十二人の最強の想術師軍団、〈十二天将〉。当代で最も有力な実力者たちが選ばれ、その者たちの合議制により、想術師協会の重要事項などが決定する。表向き、政府が上位組織で統治しているようになっているが、実際は違う。政府はほとんど関与せず、管理する立場である上位組織、〈傀異管理委員会〉は形骸化している……というのが現状だろう。では私のことを話そう」
永久は鋭いプレッシャーの中、何とか壁に背を付け、立ち上がる。逃げ出す隙を見つけようとすればするほど、男のプレッシャーに押しつぶされそうになる。
「浄霊院家は千年間、この国の想術師たちのトップに居続けている。それはなぜか。浄霊院家の祖である安倍晴明が、この国で最初に想術師たちをまとめ上げたからだ。古来、人間たちは目に見えぬ恐ろしい存在、怪やもののけと呼ばれるものに怯え続けていた。当時、怪は人間の目に映るものだった。尋常ではない現象を引き起こし、人間を害する存在……それらを呪、まじないによって調伏する。それがこの国の想術師という存在の始まりだ。彼らは遥か太古より存在したが、安倍晴明は陰陽道という想術体形を確立し、想術師を始めて定義づけることとなる。そして人間と怪を引き離すために、その存在を管理するようになると、徐々に怪の力は弱まり、人々を守るシステムが確立されていく」
「ちょ、ちょっと待って。何でそんな話を私にするの?」
永久は額に滲む冷や汗を拭い、震える声で問いかける。
「今から、貴公が行おうとしていること、それを理解するには必要な話だ」
勾陳は永久の腕をつかむと、首にかかっていたペンダントを無理やり掴もうとする。
「や、やめて……!! これは!」
勾陳が永久のペンダントに触れると、青い光を放ち、勾陳の手の中でペンダントが消える。
「続きだ。安倍晴明は、想術師たちをまとめる際、何をしたと思う?」
「……」
「徹底的に叩き潰した。有力な術者は皆、安倍晴明の足元に跪いたのさ。そして、自らを慕う弟子たち、呪の先達、友、宿敵……晴明が選んだ最強の想術師を十二人選抜し、それをシステムの中に落とし込むことで、十二天将が生まれたのだ」
「もう、意味わかんない……」
勾陳は手のひらを握りしめ、ゆっくりと開く。密度の濃い傀朧の塊を手のひらに出現させると、背後の術式陣に向かってその手をかざす。すると、陣が燃えるように消え失せてしまった。
「そ……んな……」
「そして安倍晴明は、再びこの世が混沌とした怪に満ちぬよう、様々な保険を世に残し、世界から去った。その保険の一つが、浄霊院家が代々受け継いできた予言書、〈六壬神課の御札〉だ。これを相続し、予言の通りに従って生きることが、浄霊院家当主の務めであり、運命。その結末が、どのようなものであっても」
永久は勾陳の腕を振りほどき、陣に近づく。
消えていく陣を見て、永久の心は絶望に染まる。
「さて、ようやく貴公の話に移ろう。貴公が厳夜に依頼されていたこと、それはこの霊脈を管理する術式を弄り、傀朧を先ほどのペンダントに移すことだ。ペンダントは傀朧を大量にため込むことのできる傀具。そのペンダントを持って、貴公自身が浄霊院咲夜の元へ向かい、〈放浄の儀〉を行う……というのが厳夜のプランなのだろう」
「あなたは……本当に何者なの? どうして邪魔を……」
永久は、絶望を通り越して怒りを滲ませ、勾陳を睨む。
「貴公は反応がわかりやすい。ならば、貴公の行いを振り返ってみろ」
勾陳は、懐から白い札を取り出して永久に見せつける。それは以前、老紳士が調査した時限発火装置の組み込まれた式札だった。
「私が貴公の前に姿を現したのには訳がある。貴公の行動は、不可解極まりないのだ。功刀風牙が屋敷に来た時、屋敷に火を放ったのは、貴公だな? そして屋敷の人間たちが疑心暗鬼になる香を焚いた」
「!?」
「浄霊院咲夜に勿忘草の着物を着せたのは、暗示のような術を仕込んでいたからだ」
永久は勾陳の指摘に、表情が曇る。その機微を見逃さなかった勾陳は、畳みかけるように続ける。
「だからこそ、理解ができん。厳夜と浄霊院幾夜なるイレギュラーな存在の双方に肩入れする貴公の行動理由に、私は厳夜が行おうとしていることの真実があると考えている」
勾陳は再び、じわりと永久に歩み寄っていく。
「答えてもらおうか。貴公は、どちらの味方なのだ」
「……」
――――――この男はこちらが何を計画しているのかに気づいていない。
永久の脳裏に浮かんだのは、厳夜でも、幾夜でもない、静謐で優しげなあの男の表情だった。
勾陳は、計画に気づいていると思った。だから心底焦り、絶望した。だが、男の質問に永久の気が一気に緩む。
「なーんだ。よかったわ」
そう言い放った永久はニヤリと笑い、瞬間的に入り口の扉へ走ると、扉を開け放つ。
その瞬間、凄まじい風が室内に入り込んできて、勾陳の動きを止める。咄嗟に顔を袖で隠したのち、再び永久の方へ視線を移すと、扉の向こうにはもう誰もいなかった。
「怯えている子猫ではなかったか……見くびっていたぞ舞川永久」
勾陳は冷たく入口を睨みつける。その時、大きな衝撃音と共に地下が揺れる。この場所の上には洋館がある。何者かが洋館に侵入したのだろう。
「さて。どうしたものか。定まった運命に、わずかな綻びが生じ始めるなど」
勾陳は緩慢な動きで部屋を出る。その表情は冷静そのものだったが、瞳には静かな怒りが燃えていた。




