襲来する者たち その①
山中は、降ったり止んだりする雨の影響で湿気が多い。泥を踏む音は、そんな森にかき消される。
配置完了。
浄霊院家を遠くに望む山の尾根で、報告を聞いた褐色肌の黒スーツの女性は、鋭い瞳で遠くに見える洋館を眺めていた。
「いや~森の中で飲むお酒は美味しいね~」
「……」
その傍で、頬を赤らめ、幸せそうに酒瓶にがっつくピンクアロハシャツの男――――――御影叉刃守修臣を見て、法政局長副島美咲の怒りが爆発する。
副島は酒瓶を強引に奪い取り、振りかぶって森の奥へ投げ飛ばすと、透明な日本酒が空中にキラリと舞う。
「あー……」
「何しに来たんです? 修臣さん」
言葉の圧が存外に強かったのを感じ取った御影は、岩の上に置かれていた弁当やおつまみをそっと自分の方へ寄せると、頬をぽりぽり掻いてにっこり笑った。
「帰れ」
「そんなこと言わないでよ美咲ちゃん。いいじゃんいいじゃんお酒くらい……ひっく」
火に油を注ぐようなその言葉に、怒りを通り越して呆れ果てた副島は、スタスタと御影から離れて見晴らしの良い場所へ向かった。
「ここ、良く見えるよねー屋敷が。んで、首尾は上々?」
音もなく、背後からにょきっと顔を出した御影は、燃えてなくなった浄霊院家の屋敷をまじまじと見つめる。
「どこまでリサーチできてるの? 生き残っているのは?」
「はあ……〈法政局〉特別諜報部隊、漆扇からの情報によると、厳夜会長他多数の生存者を確認しています。その多くが未成年の子どもたちだそうです」
「つまり、保護するの?」
「はい。〈法政局〉としては一刻も早く保護し、傀紋色位を計測、場合によっては浄化しなければなりません」
「傀紋色位って確か、個人の持つ傀朧の質、だっけ? 悪いとだめなんだよね?」
「傀朧深度が深くなれば精神に異常をきたす他、強力な傀異を生み出す元となってしまいます」
うんうんと頷いた御影は、燃えた屋敷の隣に立つ洋館に目を向ける。
やる気になったようでなっていないのか、御影は大きなあくびをする。
「皆、あそこにいるのかな? どちらにせよ、漆扇だっけ。あの忍者部隊を出動させているわけだ」
「屋敷の包囲が完了したので、あとは突入するのみです」
「なんか僕たち、悪者退治してるみたいじゃない?」
「そんなことは」
副島はスーツの懐にしまってあったリストを広げ、御影に渡す。
「ふむふむ……でさ、浄霊院幾夜について、何かわかったことは?」
「今のところは何も」
「そう。なら、厳夜会長を罷免しようとしてる人たちについては?」
「……教えられません」
「だよねー」
「鎌をかけましたか」
「まさか。そこまで考えてないよ~酔っ払いですから」
「そう、ですか」
御影はリストを副島に返し、どこからか缶ビールを取り出してグイっと飲み干す。
「ぷはー」
「ぷはー、じゃありません!! いい加減に……」
詰め寄ろうとした副島の口元に、優しく手が当てられる。その速度は尋常ではなく、目で追えないスピードだった。
「しー。わざと騒いで正解だったね」
「どういうことです」
「ここから南東方向の崖の上。見える?」
副島は親指と人差し指をくっつけ、円を作ると、右目に当て、南東方向を見る。
「!!」
遠視の想術を発動した副島の目に映ったのは、三人の人物だった。
森に似合わない白色のタキシードにハットを被った英国紳士風の少年が、こちらに手を振っている。
もう一人は脱色した髪にパーマを当てた若い男と、車いすに乗った白いスーツの男――――――。
「何者だあいつら!?」
「そうだね~僕らにとっては大本命かもしれないよ~」
御影はふう、と息を吐くと、岩に立てかけていた茶色の鞘を取って振り返る。
そして遠くの崖にいる存在を、鋭い眼光で見据える――――――。
「少し、話を聞きに行ってくるね~」
★ ★ ★ ★ ★
「へえ。すごいね。気づかれちゃったよ、幾夜君」
「そのようっすね~やばいっす。やばいっす」
「どうする? 逃げる? まあ数キロは離れているし、今逃げれば大丈夫だとは思うけど……」
色白の少年、ガロウズ・フォン・リヒテンシュタットと、チャラい見た目の青年、御剣岳人は、楽し気に車椅子をつんつん突いて騒いでいる。車椅子に乗っている浄霊院幾夜は、真顔のままガロウズを見据え、口を開いた。
「ガロウズ。すまないが」
「わかってるよ幾夜君。ボクらの仲だしね。それにしてもさ、まだ演じるつもり? 奏夜が消えたからいいんじゃないの?」
「まだ駄目だ」
「そ。なら仕方ない。ボクはボクの仕事をしに行くね、幾夜君」
ガロウズは邪悪に口元を歪ませ、クルクルと回転しながら、華麗に崖下へ落下する。
「うわあ怖いっすね、幾夜っち~。ガロウズ博士ってば、あの顔絶対ヤバイこと考えてるっすよ?」
「大丈夫だよ岳人。彼は燵夜ほど、マッドサイエンティストではない」
「え。ほんとっすか? あの人も、燵夜と同じ人種に見えるっすけど……」
「へえ。ガロウズっていうの。さっきの男の子」
突如岳人の背後から、銀色の刃が襲い来る。
「あっぶね!」
岳人は車椅子を咄嗟に引き、軽やかに躱すと、振り返る。
そこにいたのは、派手なピンクのアロハシャツに黒いジャケットを羽織った無精ひげの男だった。その手には紅葉の意匠が目立つ茶色の鞘と美しい刀が握られている。
「は、はや……ここまで森とか崖とかいっぱいあんのに……アンタ、人間っすか?」
「縮時法って言うんだけど、知らない?」
「オレっち、想術師の勉強してないから、知らないっす、よっ!」
岳人はダボダボのダメージジーンズのポケットから閃光手榴弾を取り出すと、御影に向けて投げつける。まばゆい閃光が放たれ、視界を奪われた御影は、一瞬動きを止める。
その隙に車椅子ごと崖下に落下した岳人は、幾夜の体を抱えて森へ逃げた。
「まあ待ちなよ。取って喰う気はないから」
「ひっ」
しかし、木々を軽々と両断する斬撃に阻まれ、受け身を取って地面に落下。そのまま木の陰に転がり、身を顰める。
「僕ぁ、この通り、お酒に酔っているし、戦いは好きじゃないんだ~」
「嘘つけ。おっさんめちゃツヨじゃん!」
「だからさ、出て来てよ。こちらの目的も話すから」
「絶対嘘じゃん。ね? 幾夜っち……ってあれ?」
気づけば幾夜は一人で森の奥へ逃げて行っていた。振り返りながら、ハンドサインで顔の前に手刀を作ったのを見て、きっと謝っているのだろうな、と推測する。
「ここにいたの?」
「ひやぁ!」
その上御影に居場所がバレてしまい、絶体絶命のピンチである――――――。
「わかったって! お話しましょっす」
「浄霊院幾夜は、逃げたのかな?」
御影は幾夜が逃げた方向へ目を向け、後を追おうと体に傀朧を纏わせるが――――――ぐるん、と自身の向いている方角が変わり、目の前にチャラい青年が現れる。
「!?」
「アンタ強そうだから、幾夜っちの邪魔はさせないっすよ~」
ちっちっち、と一指し指を振る青年を見て、御影は確信する。
「そうだね~。僕たち気が合いそうだ」
「奇遇っすね、オレっちもそう思ってたっす」
ピタリ、と御影の視線は岳人の人差し指に吸い込まれる。
「時間稼ぎは」
「一番得意なことっすから」
ゆっくりと右方向に振られた指が、崖の方を差した時、御影は違和感の正体に気づく。
「なるほどね~。視線を誘導する想術か」
「……気づくの早すぎ」
御影は顎の下に手を当てて考え込むと、刀を置き、その場に胡坐をかいて座った。
「ま、焦るこたあない。お話しましょうや」
夜明けな裏話 その⑤
御剣岳人の固有想術は、上下方与。
人の視線を誘導できる想術で、自分を見た対象一人の視線を自由自在に誘導できる。ただし、誘導できるのは視線だけで、意志を誘導することはできない。
対処法は実にシンプルで、見なければいいのだが、初見でそこまで気づける想術師は稀。




