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もう、逃げない


★ ★ ★ ★ ★


「さあ、こっちだよ」


 手を引かれて、暗い階段を下って行く――――――。

 優しい声で手を引かれた。でも、向かう先は暗闇だった。

 暗闇の奥で扉が開く。待っていたのは、冷たい石の床と壁。殺風景で、テレビの前に大きな椅子が置かれている。その周りにはたくさんのぬいぐるみがいた。

 くま、うさぎ、ぺんぎん、ねこ、いぬ。


 椅子に座らせられる。テレビが点灯すると、映ったのは楽しい子ども番組だった。


 アイツの、手が伸びてくる――――――。


「ねえ旭灯(あさひ)。君はいい子だね。だから、私の研究室に勝手に入ったんだろう?」


 アイツは邪悪に笑っていた。その顔で、何人も子どもを殺していた。巨大な試験管の中で、ぐちゃぐちゃになった体が、徐々に玉状に変化していく光景を見た。


「君は優秀な想術師になれる」


 私も殺されるのだ。

 心の中で助けを呼んだ――――――だが、アイツは私に背を向けた。


「だから、ことが終わるまで、ここにいなさい」



★ ★ ★ ★ ★


 ずっと想術師を嫌っていた。

 浄霊院燵夜(たつや)に誘拐され、同じ境遇だった子どもたちの死を目撃し、心に深い傷を負った旭灯(あさひ)にとって、想術師という存在は畏怖の対象だった。


 それでも時折、燵夜がなぜ自分を殺さなかったのかについて考えることがある。

 優秀な想術師になれる――――――そんなことは知らない。クソくらえだ。

 普通の生活をして、普通の人生でいい。何度もそう言い聞かせ、想術師から目を背けていた。


 でも、それでも――――――旭灯は気づけば誰も見ていないところで想術の訓練をしていた。

 嫌で嫌で仕方がないのに、訓練をやめることはなかった。


 森で浄霊院燵夜と再会した時からずっと、胸のざわめきが止まらない。

 あの男が七年前に行っていたのは、子どもたちを傀玉(かいぎょく)に変える研究だった。

 あの男は、子どもたちを攫い、快楽に溺れるよう洗脳し、幸せな状態に追いやってから傀玉に変えていた。でも、子どもたちが成ったのは、不完全なまがい物の肉塊。

 先日の襲撃の際、廊下で死んでいた同居人たちの姿が、かつて燵夜が行っていたこととぴったり重なるような気がした。不完全な傀玉にされた子どもたちは、全身の細胞が傀朧と拒絶反応を起こし、血まみれの肉塊に変わる――――――。


 吐き気がする。

 燵夜を生かしておくことはできない。殺してやりたい。でも――――――。

 恐ろしい恐怖が増幅し、旭灯の心労は限界に達していた。



★ ★ ★ ★ ★ 



「……良平」


 がたんがたんと揺れる車内。

 旭灯はボックス型の八人乗り乗用車に乗せられ、森を進んでいた。

 車内では誰一人として声を発さなかった。重苦しい空気の中、朱色の髪の少年、良平だけが寝息を立てて寝ていた。

 その寝顔を見ると、少し安心する。まだ自分たちは生きているのだと、そう思わせてくれる。

 旭灯は自分の体の震えを押さえるように、腕を組んだ。


「なあ」


 旭灯の後ろで突如声を発したのは、苛立ちを隠せない様子の鐡夜(てつや)だった。貧乏ゆすりを繰り返し、赤い髪を逆立て、窓の外を見ている。


「……なに?」

「何であいつらはいねえんだろうな」


 旭灯は車に乗る前のことを思い出す。突然老紳士に避難すると告げられ、集められたのは旭灯、鐡夜、良平、そして怪我が酷い義光だけだった。


「……永久ちゃんと、ひかる君のこと?」

「ああそうだよ!」


 ドン、と窓ガラスに拳を打ち付けた鐡夜は、肉食獣のように歯を軋ませ、運転席を睨む。車を運転していた老紳士は、振り向くことなく冷静に言葉を発する。


「二人は別で逃げています。もうじき会えますよ」

「本当なんだろうな……!」

「……」


 老紳士の声色は無機質なものだった。感情の籠っていない、機械のような声色――――――そんな様子に、旭灯は違和感を覚える。


「……どこへ向かっとるんですか」

「浄霊院家の所有する隠れ家です。今はできるだけ屋敷から離れます」

「そもそも! 何でオレたちが逃げねえといけねえんだ! 協会は助けてくれねえのかよ!」


 燵夜の疑問は最もだと、旭灯は思った。突然謎の勢力に襲われ、一方的に被害を加えられたにも関わらず、まだ何者かに狙われ続ける。そんな異常事態に、どうして想術師協会は助けてくれないのだろうか。


()だからです」

「何だと」

「想術師協会が、我々の敵だからです」


 老紳士はきっぱりと告げる。それを聞いた旭灯は、思わず苦笑してしまった。


「結局、やね。やっぱり想術師は……」


 想術師協会は、七年前も助けてくれなかった。事態の解決に動いてくれたのは、大きな犠牲が出た後だった。それもほぼ、厳夜が独断で動いてくれたおかげだったらしい。厳夜が助けてくれなければ、自分たちは全員死んでいただろう。


「……想術師は嫌いや。あんときも誰も助けてくれへんかった」

「旭灯……あんときって、七年前のことか?」

「ああそうや。それに、なんで燵夜(アイツ)が生きてるんや! 皆嘘ついてるんとちゃうか? 今だってそうやん。ウチらだけ避難? そもそも何で、関係ないウチらが狙われなあかんねん!」

「……あーちゃん?」


 その時、旭灯の声で良平が目を覚ましてしまった


「どうしたん?」

「ご、ごめん……ちょっと大きい声出しすぎたな」


 旭灯が良平から目を背けると、良平は目をこすりながら頭を上げる。

 その時、車が森の中で停止した。何事かと思い、旭灯と鐡夜は運転席の方を見る。


「……すまない」


 消え入るような声で謝罪を口にした老紳士の体は、わずかに震えていた。


「その通りだ。どうしてお前たちに隠し事をして、こんな方法で避難させなければならない。想術師を恨む気持ちも、今の現実が受け入れられない気持ちも、本当は私たち大人が受け止めなければならないというのに」


 老紳士は一息つき、車外へ出る。

 それに続くように、旭灯と鐡夜も下車した。老紳士は自身の影に傀朧を流し込み、黒い人影に形を持たせる。その影はやがて形を得て、独立して動き始めると、老紳士と運転を交代する。


「だったらよ、教えてくれよ厳太さん。今屋敷で何が起こってんのか。オレたちに隠してること全部」

「……ああ。だが私も、伝えられていないことが多い」


 それを聞いた鐡夜は、老紳士の腕をつかむ。


「オレはな、あんたのこと尊敬してる。仕事できて、オレたちのことだって一番見てくれてた。だから謝ったんだろ? でもな! あのジジイの傍にいて、一番見ているはずのあんたがどうして知らねえんだ! あのジジイはいつもそうだ」


 老紳士は振り返ると、驚いて鐡夜を見据える。


「全部自分で背負いこんでる。死んだ奴らだってな、ジジイが守ってくれなきゃとっくに死んでたんだ! オレたちはジジイに恩しかねえんだ。なのに……何一つ返せねえまま、オレたちだけ生き続けるなんて、オレには」


 鐡夜は老紳士から手を離すと、元来た道を睨みつけ、ずかずかと歩き始める。


「オレは戻るぞ。あのジジイに、一言言ってやらねえと気が済まねえ」


 鐡夜の背中を見た旭灯の心に、僅かな葛藤が生まれる。

 想術師を恨んでいる自分にとって、厳夜だけは心の底から敬愛する存在だった。恩も、感謝も、当然ある。だが――――――。


「……何で、そんなに」


 旭灯は無意識に、鐡夜の背中から目を背けていた。旭灯の言葉に、鐡夜は首だけ振り向いて答える。


「悪かったな、お前ら」

「えっ」

「俺のクソ親父(・・・・)がしたことは、決して許されねえ。死んでも詫びきれねえよ」


 浄霊院燵夜は、鐡夜の父親――――――そう認識する意識が薄れるほどには、鐡夜も父親を恨んでいた。旭灯は、鐡夜も父親のことで苦労してきたのを知っている。同じように苦しみ、絶望し、深い傷を負っていた。それなのに、鐡夜は謝罪の言葉を口にしたのだ。これは鐡夜なりの覚悟とケジメだったのだと、旭灯は直感する。


 そしてその意味(・・)を、旭灯は痛感する。

 鐡夜は、過去と向き合おうとしているのだ。逃げて、逃げて、忘れようとしていた自分には、これまで考えられなかったことだ。


「……ウチは」


 トラウマと向き合うのが怖かった。また、同じように遭うかもしれない。また、傷つくかもしれない。だから、自分が生かされた意味について深堀しなかった。

 でも本当は――――――どこかでわかっていたのかもしれない。


「なあ、あーちゃん」


 その時、旭灯の右手がそっと握られる。小さくて綺麗な手だった。そのぬくもりに、旭灯は目を開く。


「あーちゃん、気にしてたんやろ? アイツ、来たもんな」

「良平、今何て……」

「気づいててん。あーちゃんも、かげちんも、てっちゃんもさ、気にしてたんやろ? オレもさ、正直怖い。多分会ったら……泣いてまう。心臓がどきどきすると思うねん。でもな」


 良平は旭灯の手をぎゅっと握りしめ、無理をして笑いかける。


「オレ、厳夜様みたいな想術師になるもん! 負けてられへんわ!」


 その笑顔を見た時、旭灯の中で何かが弾けた。込み上げて来た涙を抑えることができず、その場に蹲る。


「あーちゃん?」

「……ごめん。ウチ、アホやった……」


 守りたいと思っていた自分の弟のような存在が、いつの間にか自分よりも成長し、過去を乗り越えようとしていたのだ。その事実が嬉しく、頼もしく、そして何より誇らしい。

 それに比べ、自分はどうだ。恩人に背を向け、鐡夜を追うことすらできない。そんな情けない姿を、良平に見せてしまうのか。


 いや――――――それは違う。絶対に。


「ありがとう良平、てっちゃん」


 旭灯は良平の頭を撫でる。その目には決意の火が灯っていた。


「ちょっと待っててくれる?」

「厳夜様のところ行くん?」

「うん。それもある。でも、会わなあかん奴は他におる」

「ええで。オレ、待ってるわ!」


 良平は、旭灯の決意に満ちた顔を見て、グッと親指を立てる。

 旭灯は鐡夜の隣に立つと、共に歩き始める。


「……足引っ張んなよ」

「そっちこそな」


 二人の背中を見た良平は、にっこり笑って車に戻った。それを見届けた老紳士は、人知れず流れてきた涙を人差し指で拭う。


「良平。このまま車が動きます。私の影に従って、避難しておいてください」

「わかった!」


 良平は後ろ髪を引かれる気がしたが、ぐっと我慢して席に着く。

 自分は戦えない。でも、諦めてたまるものか。

 いつか自分も――――――。


「ヒーローになる。絶対や」


 良平の決意と共に、車が動き始める。良平は窓から旭灯と鐡夜に手を振る。

 旭灯は、離れていく車を見て、小さく手を振り返す。


「旭灯。クソ親父のところに行くのか?」

「うん。あんたは?」

「オレは、自分がやってことにケリをつけなきゃなんねえ」


 ――――――遠くで大きくなっていく燵夜の気配を感じた二人は、拳を握りしめる。


「もう逃げへん。絶対に」





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