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Killing the forest for life その②


「ごめん……ね」


 根が体に巻き付き、拘束されているため腕が上がらない。

 悔しい――――――燵夜の言った通りだ。惨めで、愚かで、心底情けない。


 真夜の覚悟が揺らぐ。影斗を目の前で痛めつけられ、知らなかった事実を告げられ、心にひびが入ってしまう。


 ああ――――――せめて、あの子たちの幸せだけでも。


 そう思った真夜の視界に、影斗が映った。影斗はこちらに向かって手を伸ばしていた。その目に伝う、一筋の涙が、真夜の意識を覚醒させた。


 ――――――違う。


 母親の資格など必要ない。一度守ると決めたのなら、死んでも守り通す。まだ、自分は生きている。

 厳夜()も、()も、そうだった。まっすぐに、自分の意志を貫いていた。ただそれだけでいい。どれだけ蔑まれても、どれだけ想術師としての才能がないと馬鹿にされても、これまで自分はその背中を追ってきた。そして、その背中を誰よりも知っている。


「……陽介。あたしは、やっぱりあんたを尊敬する。心の底から」

「は? なんか言った……」


 その瞬間、燵夜の体は吹き飛んでいた。これまでよりも深い衝撃が、燵夜の半身を粉砕する。


「痛ッ……たいね……」


 態勢を整えた燵夜の目に映ったのは、全身にこれまでの比ではない傀朧を纏い、一歩一歩こちらに近づいてくる真夜の姿だった。着物がはだけ、胸にさらしを巻いている。その左半身には、桜の彫り物がなされていた。


 燵夜は自分の傷の治りがわずかに遅くなっていることに気づく。


(馬鹿な。そんなはずは)


 そんなはずはない(・・・・・・・・)。自分は傷を受けて死ぬことはない。しかし、感じた僅かな焦りが、真夜の接近に対する遅れにつながる。


「さあ呪え、紗々絹(ささきぬ)


 真夜の右手に握られていたのは、先ほど蔦を切って捨てた短刀だった。銀色に光る美しい刀身に、傀朧が流れる。


 一閃――――――燵夜の左肩から右わき腹にかけて、刀身が通過する。

 燵夜は慌てて距離を取ると、傷口を再生させる。


 ――――――ドクン。

 その時、妙な傀朧が自身に流れたのを感じ、傷口を見る。


 再生が止まっている。


「何をした……!」

「あたしは固有想術(こゆうそうじゅつ)を持たずに生まれた。だから、想術の基本は扱えても、あんたみたいに術式を使えるわけじゃない」


 真夜は自身の傷口から流れる血を、たっぷりと短刀の刀身に付ける。

 燵夜は焦って自身の傀具、真鍮製の如雨露を握りしめた。


「だから、紗々絹(こいつ)に刻まれた術式を使わせてもらう」

「死ね!!」


 スタジアムを形成していた太い木々が、一斉に形を変えて真夜に降り注ぐ。視界を覆いつくす圧倒的な物量に対し、真夜は身動き一つ取らなかった。


 ――――――何だ。何だこの違和感は。

 燵夜は、突如奔った背筋への悪寒に、真夜への攻撃を寸前のところで止めた。

 このまま潰せば、何か恐ろしいことが起こると、本能が告げる。


「どうしたんだい。物量で潰しなよ」

「ふざけやがってェ!! それなら地面に引きずり込んでやる!」


 燵夜は怒りに任せ、今度は地面から根を出現させる。木の根が真夜の体を包み込み、ずるずると地面に引きずり込んでいく。


「終わりだ! 終わりなんだよ浄霊院真夜!!」


 ドクン――――――。

 しかし、再び全身に悪寒が奔り、燵夜は体を押さえて蹲った。


「なんだ、これは……」


 同時に真夜の周囲の地面が爆ぜる。バラバラになった木の根が飛び散り、燵夜の顔面に真夜の拳が叩き込まれた。


「あがッ……」


 顎が砕け、鼻の骨が折れ、赤黒い血が噴き出す。さらに追加で蹴りを入れられた燵夜の体は、ゴロゴロと地面を転がった。


「……あたしは逃げた。陽介が死んだショックを言い訳にして。陽介が死んだのは、影斗が一度、陽介の助けを拒んだからだと聞いたから。それを言い訳にして、あの子に向き合ってやれなかった。でもそれは、あたしの罪。地獄に堕ちるさ」


 真夜の体に刻まれた桜の入れ墨が、僅かに光を放つ。桜を背負い(・・・・・)、燵夜の前に立った真夜の目は、煌々とした決意と殺気に満ちていた。


「それでもあたしは……あの子たちを死んでも守る。後悔はもう二度としたくない。ケジメを付けなきゃならない。この命に代えて!」


 真夜は静かに息を吐き出すと、短刀を目前で構える。美しい銀色の刀身が、真夜の姿と、燵夜の姿を同時に映し出す。


「!?」


 突如、燵夜の左わき腹が、切り裂かれる。

 突然のことに理解が追い付かない燵夜は、その場に尻餅をついた。


その様子を見た真夜は、爛々と輝く瞳で燵夜を睨み、ゆっくりと近づいていく。


「教えてあげようか燵夜。あたしの傀具(かいぐ)紗々絹(ささきぬ)は、〈呪い〉の概念を帯びた傀具でね。情念深い性格をしている。持ち主を呪い、傷つけた対象を呪い、共にその命を奪う。まるで、死なばもろとも相対死(あいたいし)……ただし、傀朧への耐性が強い想術師には、呪い殺すほどの能力は発揮できない。だから確実に呪いを発動するには、あたしの傷を対価にする必要がある。その発動条件が、互いの血(・・・・)


 燵夜は先ほど、真夜が刀身にべっとりと自分の血を付けていたことを思い出す。そして、今しがた付けられたわき腹の傷を再び一瞥する。


想極(そうきょく)の条件は整った」

「呪い? 相対死だと? ふざけるな!! そんなもの、永遠の命を手に入れたこの私に、効くはずなどない!!」


 燵夜は手当たり次第に如雨露で傀朧をまき散らし、様々な植物を真夜にけしかける。しかし、それらは紗々絹により両断され、細斬りにされ、どれも真夜に届くことはなかった。


「どうしたんだい。いざ、自分の死が近づくと怖くて仕方がないって感じだね……さあ、共に地獄へ行こうか」


 紗々絹の切っ先を向けられた燵夜は、ピタリと動きを止める。そして、真夜の手から紗々絹が落ちる。


情死、道半ばにて候ふくろこうじのとうひこう


(か、からだがうごかない……)


 紗々絹から傀朧が放たれ、真夜と燵夜を結ぶように、二人の前に荒れた石の道を創り出す。草原だった周囲は、いつの間にか夜空に包まれ、僅かながら潮風の匂いがする。


 ――――――遠くで、激しい波の音が聞こえる。

 海沿い、ここは断崖絶壁の上だった。大きな桜の木が立つ断崖絶壁に、燵夜と真夜は立っている。


 これは、想像の具現化、想極(そうきょく)と呼ばれる想術の極致だった。


 その中でも、傀域(かいいき)と呼ばれる空間を形成する高等想術だと気づいた時、燵夜はギリギリと歯を食いしばる。


「〈紗々絹〉は江戸時代の傀具刀(かいぐとう)職人、三代目東雲時灘(しののめときなだ)の打った短刀でね。最初の持ち主だったのは、美しい武家の娘だった。だが、その娘が惚れたのは、一人の町娘だった。手に入れたくても手に入れられない、そんな絶望が形となって、傀具になっちまう。最後に娘が選んだのは情死だった。手に入らないのならば、いっそ共に死にたいと。武家の娘は町娘を追いかけて海までやってくる。桜が舞う月の輝く夜だった。武家の娘は、町娘の心臓を一突きする」


 語る真夜の背後にそびえる、巨大な桜の樹。月明かりに照らされ、蕾が開くと、潮風に当てられた花弁が一斉に舞い踊る。

 真夜は目をつむり、手の平を合わせると、ゆっくり手を開いていく。合わさった手のひらから再び出現した紗々絹を握りしめると、燵夜を見据える。


「舞い散れ、ゆらゆらと咲き乱れ。その身は桜花となって無念を散らせ――――――満開」


 舞う花弁が、すべて炎を纏っていく。ゆらゆらと広がり、二人を包み込む。

 燵夜は、舞い散る桜の花びらが、自身の傷口に向かって進んでいることに気づく。


「想極、桜花爛満伏血取おうからんまんふせちどり


 真夜は紗々絹を横一線に振り抜いた。


 ドクン。激しい動悸がして、燵夜は自身の胸を押さえつける。


「えっ」


 燵夜の胸に、〈紗々絹〉が突き刺さっていた。


「ふざ、ふざけるな! こんな、ふざけた最後なんて認めないぞ! 絶対に!!」


 燵夜は焦り、植物を生やして真夜を攻撃しようとするが、術が全く発動しない。それどころか、次々と潮風に乗って花弁が消えていくにつれ、痛みと強い吐き気、それに深い悲しみの感情が湧き上がってくる。


 燵夜は発狂し、懐に隠していたハンドガンを真夜に向け、発砲する。

 乾いた発砲音ののち、真夜の左目が吹き飛ぶ。しかし、真夜は冷たい殺気を燵夜に向けたまま一切動じなかった。


「アアアアアアアッ!!!」


 燵夜は銃を投げ捨てる。想術師としての誇りも、研究者としても誇りも、そして真夜に絶対に勝てるという自信も、すべて打ち砕かれた。


「……さあ、これにて仕舞だ。武家の娘は最後に、紗々絹を町娘から抜くと、自分の腹を切って死んだ」


 真夜は再びその手に戻った紗々絹を見て、僅かにほほ笑んだ。燵夜と共に断崖絶壁へ立つと、燵夜の焦る表情を眺める。


「今わかったよ。あたしがこの傀具に選ばれたのは、きっとこの時のためだったんだ」


 真夜は鞘を両手で握ると、切っ先を自身の腹部に向ける。


「やめろ……こんなの認めない!! 私が死ぬだと!? 違う!! 私は今度こそ影斗の体を手に入れて、完全な存在となるんだ! 私が消えれば、想術師協会に与える貢献が消えてしまう! 私がいれば全人類の夢である不老不死を叶えることができるゥゥゥ!!!」


 真夜は勢いよく、切っ先を腹に突き刺した――――――。


「やめろおおおおおおおおお!!」


 真夜の腹部に刀が刺さると同時に、燵夜の胸から大量の血が噴き出す。真夜は、燵夜の体を蹴飛ばして海の方へ体重を傾ける。

 ――――――二人は海へ吸い込まれていく。そして二人は、暗く冷たい海の底へと堕ちていく。


 ――――――影斗。


 夫の幼少期によく似た、愛らしい顔。

 その笑顔を、自分は守れなかった。向き合えなかった。

 でも最後に―――手を伸ばした影斗が呼んでくれたのだ。


 おかあさん、と。


「ごめん、ね……影斗。咲夜」


 冷たい海の底へ沈んでいく真夜の目から、涙が零れ落ちた。


「本当に……あたしは母親失格だ」




夜明けな裏話 その④

想術は大きく二種類に分類されます。

一つは、傀朧の扱いができる者なら誰でも使用可能な『汎用想術』。

もう一つは、術者オリジナルの『固有想術』です。

想術師の才能、とは一般的に固有想術を持つか否かで判断されることが多いです。固有想術は、基本的に一つで、術師のアイデンティティや経験などが発現に深く関わっており、発現の際に影響します。

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