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逃避行の始まり


★ ★ ★ ★ ★


 女神は言った。

〈人よ、人を愛しなさい。貴方が辛く、苦しい時はまた、他人も辛く、苦しいのです。だからこそ、人を愛しなさい〉と。

 また、こうも言った。

〈すべてを好く理解しようと努めなさい。貴方が出会ったすべての物事、感じた感情に無駄なことなどありません。すべては繋がっているのです。貴方が人を好く理解しようと努めれば努めるほど、誰かもまた、貴方を好く理解しようと努めてくれるものなのです〉と。


 私は女神の教えが好きだった。人はかく優しく在り、世界は幸せで満たされていると。

皆が女神の教えに従えば、救われるのだと。

 けれど――――――世界は残酷なものだった。


 世界は穢れていた。想術師は穢れていた。女神を信じる私たちは、そんな世界に、命を捧げる。


 信じたものに裏切られ、世界の生贄となるしかない私たちの運命は――――――。


 私はいい。どんな運命も受け入れよう。でも、貴方(・・)だけは救ってみせる。

 必ず。



★ ★ ★ ★ ★



「ちょ、ちょっと待ってください」


 華ヶ里(かがり)イザベラは影斗の声で我に返る。

 白いカソックが似合わない深い森の中を、影斗の手を引き、速足で駆け抜けていた。腕を引っ張られたイザベラは、一息ついて首を影斗の方に向ける。


「もう少し、詳しく説明してもらえませんか?」

「……ごめんなさい。説明は後で必ずします。とにかく時間がないの。一刻も早く浄霊院家から離れなければならない」


 影斗は先ほど、突然部屋に現れたイザベラに連れられ、屋敷を出ていた。

 とにかく、逃げなければならないとだけ言われ、事情はほとんど説明されないままだった。その鬼気迫る様子に思わず流されてしまったが、冷静になればなるほどイザベラに対する不信感が募る。


「どうして、おれだけ逃げるの……」

「貴方の命が危ないからです」

「そ、それは皆同じじゃないですか?」

「お願い。貴方はかけがえのない存在なの。貴方がいなければ……」

「よく……わからないです」

「とにかく、貴方は功刀風牙(・・・・)から離れなければ……」


 その時、イザベラは自身の失言に気づいてしまう。


「……なんで、風牙(・・)が出てくるんですか」


 影斗は黄金色の瞳を曇らせ、イザベラの手を振りほどく。


「ごめんなさい。説明するわ。だから今は」

「わからないです。おれ、帰ります」


 影斗はイザベラに背を向け、屋敷に戻ろうとする。


「待って!」


 咄嗟に追おうとするが、木の根に足を取られてしまい、うまく追うことができない。

 ――――――まずい。このままでは。

 イザベラは歯を食いしばり、苦肉の策で言葉を紡ぐ。


「貴方は、浄霊院咲夜の双子の弟(・・・・)なの」

「……えっ」


イザベラから放たれた意味の分からない言葉に、影斗の意識が揺さぶられる。


「貴方のこれまでの運命は、非常に残酷だった。でもそれは、起こるべくして起こったものなの。七年前、浄霊院燵夜(たつや)の元で起こった不幸には意味があった。貴方は世界を救う力(・・・・・・)を持っている。けれど、貴方の意志も力も、運命に隷属させられている。他ならぬ、〈十二天将〉の力によって」

「何、を……」

「気づいているでしょう? 何で貴方が七年前、浄霊院燵夜(たつや)によって誘拐されたのか。なぜ貴方は燵夜に虐待され、精神的自由を奪われたのか。そして、貴方は……」

「や、やめて!! おれ……おれ……」


 影斗は頭を抱え、その場に蹲った。ガタガタと震え始める影斗に心を痛めながらも、イザベラは続ける。


「お願い影斗。私を信じて。私は貴方たちを救いたい。功刀風牙も、浄霊院咲夜も、貴方も、皆助けたい。だから今は私について来て欲しい」


 イザベラは影斗の肩にそっと触れる。しかし、影斗はその手を払いのけた。


「……もう、いいです」

「えっ」

「もう、誰かに助けられるのは……耐えられない」

「どういうこと……」

「おれが死ねばよかったんだ」


 影斗は昏く澱んだ瞳で、イザベラを睨んだ。その瞳を、イザベラは見たことがあった。世界に絶望し、深い悲しみに沈んだイザベラの親友(・・)。彼女と同じ目をしていた。


「おれはもう見たくない……傷ついて、いなくなって……おれは、誰も助けられないのに。おれなんて、生きている価値はないのに……もう嫌だ!」


 影斗はそう吐き捨て、転びそうになりながら森の中を駆け抜けていく。


「ち、違う! 貴方は生きている価値がない存在なんかじゃない!」


 イザベラの言葉は、影斗に届かない。

 こうなっては仕方ない。意地でも影斗を連れて行くしかないと、そう決意したイザベラは、右手を影斗にかざして術を行使する。


傀朧経典(かいろうきょうてん)第四章五節――――――慈愛を以って包み込め。天上の砂漠(カレッラ・ルーズ)


 イザベラの右手より光の帯が出現し、影斗の背に向かって伸びると、全身を包み込んで動きを止める――――――はずだった。


「これで、少しの間意識を……!?」


 バチッ。

 その時、イザベラの右手に電撃のような痛みが奔る。煙を上げて真っ赤になった右手を、イザベラは驚いて一瞥した。


「これは……傀具(かいぐ)


 術が弾かれた影斗は、その反動で木に頭を打ち付けて倒れている。近づいて様子を確認すると、影斗の顔に白い能面が張り付いていた。それを見たイザベラは、忌々し気に呟く。


「まさか」


 その時、イザベラはじっとりとした不気味な視線があることに気づく。

 いつから見られていたのか――――――そんなことを考えていると、冷たい気配が堂々とイザベラに向かって姿を現した。


「おやおや。まさか貴方が現れるなんてね、傀朧神秘教(かいろうしんぴきょう)の聖女様。私の影斗に何か御用ですか?」

「浄霊院、燵夜(たつや)……!」


 現れたのは、くすんだ赤色の髪を鬱陶しそうにかき上げ、こちらを睨む細身の男だった。青白い顔は生気が無く、こちらを見つめる瞳は、黒く澱んでいる。


「だめだめだめだめ。その子は私のモノですよ? なんで貴方が持ち去ろうとする」


 この状況で、燵夜が現れること―――イザベラが考え得る中では最悪の状況だった。

 どうすればいい。このままでは、影斗の身に危険が及ぶ。意識を失ってしまった、というのも状況的にまずい。


「……貴方のような狂人に、この子を渡すわけにはいかない」

「黙れ、この醜い売女が!!」


 燵夜はそう吐き捨てると、くすんだ赤い髪をガシガシと掻きむしる。


「私の大切な大切な息子を奪おうだなんて、この卑しい女め!! 思い上がりも甚だしい!」

「貴方の息子? 生き返って、話がより通じなくなったということですか? 本来死人の貴方とこれ以上話すことは何もない」


 イザベラは平静を装い、燵夜に向けてまばゆい光を放つ。その隙に影斗を抱えて森の奥へ逃走する。


「逃げられると思っているのか!」


 燵夜はパチンと指を鳴らす。傀朧が瞬く間に森の木々に流れ込み、成長を急加速させ、生い茂る枝や蔦を伸ばして二人を包み込んでいく。


(まずい。森の中は彼のフィールド。このままだとすぐに捕まってしまう)


 イザベラは懐から、先端に花のあしらわれたステッキに、再び傀朧を込める。


傀朧経典(かいろうきょうてん)第三章十一節―――蒼花の皇道カミノ・デ・フローレス!』


 詠唱と共に拡散した傀朧は、周囲から迫っていた枝や蔦を蒼い光で包み込み、一瞬で浄化する。イザベラの進む道に沿ってまっすぐに、青色のアーチがいくつも出現する。それは結界のように枝の侵入を拒み、影斗を抱えたイザベラは進んでいく。


「チッ。待て……!」


 虚をつかれた燵夜は、自らイザベラを追うが、青いアーチに阻まれて動きが止まる。


(よし。この隙に……)


 しかし、安心したイザベラを嘲笑うように、背筋に悪寒が奔った。


「はあ。全く……」


 燵夜はいつの間にか手に持っていた真鍮製の如雨露をゆっくりと振るう。すると、森全体が共鳴するかのように脈動し、イザベラの周囲から植物の気配が一気に消え失せる。


「終わりなんだよ。全部、全部、全部ゥ!! もう浄霊院家は終わりなんだ! 厳夜は死んで、守ろうとしたモノは全部壊れるゥゥ。ああ……なんて最高の結末なんだろう!」


 燵夜は狂気的な笑みを浮かべ、両腕を広げ、天を仰いだ。


「だからね、そんな最高の状況を、私が盛り上げてあげるのさ。わかるかい、華ヶ里イザベラ」


 イザベラを中心に、半径一キロほどの広大な土地が芝生に変わる。そしてその周辺を巨木で構成されたドーム型の木々が覆い、周囲を固く閉ざしてしまう。


「この空間は私の特製だ。傀朧を使った攻撃はすべて周囲の木々に吸収されるコロシアム。ここでなら、本気の殺し合いができるねぇ……イザベラ?」

「……くっ」


 イザベラは頬に伝う汗を拭い、ステッキを振るう。

 青い光の粒子が次々と放たれ、燵夜を包み込むが、燵夜の周囲から次々と生えた蔦が傀朧をすべて吸収してしまう。

 続いて次々と地面から生えてくる根に対応しきれなくなり、四肢を簡単に拘束されてしまった。


「さてと、なぶり殺しだよ。影斗を攫おうとした罪を、その身に刻んであげよう」


 燵夜は如雨露を掲げ、傀朧を込める。すると、根がじわじわと動き、四肢を拘束していた力が強まっていく。


(まずい。このままでは……)


 激しい痛みが、イザベラの焦燥を加速させる。危機的状況であったその時、ドームの頂上付近で衝撃音が響き渡る。


「……罪、ね」


 隕石のようにイザベラの傍に飛来したのは、和装の女性だった。イザベラの拘束を手に 持った短刀で切り刻むと、キラリと光る切っ先を燵夜の首元に突き付ける。


「あたしも混ぜておくれよ、燵夜(・・)


 鋭い殺気。自分の命が刈り取られる気配――――――燵夜は恍惚な表情で口角を上げる。


「フフフ……アヒャヒャヒャヒャ!!! よく来てくれたね我が愛しき女性(マリア)よ」


 燵夜は両腕を広げ、狂喜する。その様子を冷たく睨む真夜は、背後のイザベラに語りかける。


「行きな。その代わり、後で全部話してもらう」

「真夜様……」

「勘違いするんじゃないよ。あんたを完全に信用した訳ではない。でも、厳夜があんたを信用しているのなら、あたしはそれを信じる」


 二人の会話に割って入るように、先の尖った木の根が地面から現れる。二人を貫こうと伸びてきた根を、互いに短刀とステッキで打ち砕き、払いのける。

 二人の女性に冷たい視線を送られた燵夜は、一層歪んだ笑みを浮かべた。


「私も協力させてください。活路を開きます」

「いや、あんたは行きな。あたしの目的はこいつだ」

「二人して私を仲間外れにするんですか? 混ぜてくださいよォ……」

「「断る」」

「ああそうですか。なら……」


 燵夜は真鍮製の如雨露から、青く光る傀朧の水を地面に振りまき、うっとりと笑った。


「ぶち殺してあげようね」



夜明けな裏話 ③

浄霊院燵夜の使う真鍮製の如雨露は、ランク〈中〉の傀具です。

傀具にはランクが存在し、下から〈並〉〈中〉〈上〉〈特上〉とランク付けされます。

効果は術者の想術行使補助で、何か特別な力を持っているわけではありませんが、想術を行使する際、傀具がないと傀朧のコントロールが難しくなり、効率的な発動ができなくなります。

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