言うなよ
「え……?」
風牙は突然告げられた言葉に、戸惑いを隠せない。
自分が、世界を滅ぼす――――――?
一体どういうことなのか。
「心当たりがあるんじゃないですか? そうですね……意識を乗っ取られるご経験とかありませんか」
「!!」
風牙の心臓が跳ねる。
もう一人の自分。自分が自分ではなくなるあの感覚を思い出す。
己の中にいる、あの強大な存在――――――だが、それをなぜこの女性が知っているのか。膨れ上がる疑問と戸惑いに、風牙はイザベラを睨みつける。
「私は傀朧神秘教の教主です。傀朧がどこから来てどこへ向かうのか。その成り立ちも含めて、私たちが古来より信じている教えがある。傀朧経典と呼ばれるその教えには、いわゆる終末思想があるのですが……」
イザベラと風牙の双方の蒼い視線が交わる。
「その思想は、浄霊院家が持つ、〈六壬神課の御札〉の予言と深くリンクしている」
「……ちょっと待ちな。何であんたが札のことを知ってんだ!」
真夜は、厳夜とイザベラを交互に見遣る。なぜ、部外者であるイザベラが浄霊院家の秘密を知っているのか。不信感がさらに募る。
「その予言が示す未来は、もう間もなく訪れる。功刀風牙、貴方が世界を滅ぼしてすべてが終わるのです」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 本当にどういう……」
「手前、いい加減にしな」
真夜は、イザベラの前に仁王立ちすると、逃がさないと言わんばかりに睨みつける。
「いきなり現れて、風牙のせいで世界が滅ぶときた。そんな話をいきなり信じるわけないし、風牙はあたしらにとっての恩人だ。これ以上ふざけたことを言うなら……」
真夜の全身から殺気の籠った傀朧が放たれ、一触即発の空気の中、厳夜はため息をついて間に割って入る。
「澪ちゃん。気持ちはわかるが、少しヒートアップしすぎだ。君の目的を果たすことだけを考えなさい」
「……すみません」
イザベラは頭を下げ、厳夜と共に別室に移動する。後に残された三人は、困惑で固まってしまう。
真夜は腕を組んでしばらく考えた後、風牙に向き合った。
「風牙」
「えっ……」
「あの女の言っていたことに何か心当たりはないかい」
「お、俺は……何も……」
風牙は目を泳がせ、真夜から視線を外す。その様子を見た真夜は、小さく「そうかい」と呟いて部屋の椅子に座った。
「すまないね。あんたとは会ったばかりで、あたしはまだあんたのことがわかってない」
真夜は苦々しく吐き出すと、懐からキセルを取り出した。荒っぽく火をつけ、机の上に携帯灰皿を出すと、深く煙を吐き出す。
「状況を整理したい。あたしは、〈傀異対策局〉のトップをやってて、現〈十二天将〉の一人だった……まあ、辞めたけどね。浄霊院幾夜がここを襲撃したって聞いて、仕事を辞めて飛んできたって訳さ。何で辞めたかって言えば、想術師協会が正式に厳夜を罷免するって決めたからだ。罪状は、朧者の違法所持、並びに反逆罪の疑いだそうだ。〈法政局〉の取り調べから逃亡したのが不幸を呼んで、状況証拠だけで立件さ。だが、いくら何でも早すぎるし、事態が出来すぎている」
真夜は携帯灰皿にキセルの灰を乱雑に捨てる。
「それに……現〈十二天将〉のもとに何者かから映像が送られてきた。屋敷襲撃の様子があまりにも事細かく映し出されていてね。まるで映画みたいだったよ」
「それは……どういうことです? わかっているのなら、旦那様を疑うことが無意味だとわかりそうなものですが」
「ああ。それで同時にあの女が〈十二天将〉に入った。すぐさま結界をすり抜けてここに来て、挙句の果てに世界が滅びる? 冗談じゃないよ。意味が分からない」
「私も同感です。しかし、気になるのは旦那様の様子です」
厳夜は終始、イザベラの言葉を聞いても何も言わなかった。それどころか、二人で別室に移動し、話をしている。この状況を見れば、イザベラの発言が荒唐無稽だと言い切ることはできない。
「な、なあ。質問してもいいか? 〈傀朧神秘教〉って?」
風牙の質問に、再び煙を吐き出した真夜が答える。
「想術師界隈で、昔からある宗教さ。〈傀朧神話〉って、聞いたことないかい」
「え、うん……それは聞いたことあるぜ。絵本にそんなのがあった気がする」
風牙は、幼いころ母が読み聞かせてくれた話の中で、そんなものがあったと思い出した。
「その〈傀朧神話〉に出てくる唯一神、〈女神〉を信仰している連中……始まりと終わり、人類の誕生と進化。傀朧を崇め、終末思想を信じる言わば保守的な奴らさ」
「終末思想って……」
「あたしも詳しくは知らない」
風牙は無意識に唾を飲み込んでいた。
イザベラの言った言葉が、脳裏から離れない。
自分のせいで、世界が滅ぶ。自分が世界を滅ぼす――――――絶対にそんなことはない、と言い切りたくて仕方ない。しかし、あのもう一人の自分の存在が、疑念を膨らませる。
――――――自分の中にいるあの存在は、一体。
「風牙。もう一度聞いてもいいかい」
真夜は先ほどよりも鋭い口調で風牙に問いかける。
「あんたの話は全部、咲夜から聞いたよ。あんたの意志は、咲夜を変えた。身を挺して皆を助けてくれた。それに影斗の……あの子の友だちになってくれたんだってね」
真夜はキセルを机上に置き、風牙の手を強く握った。
「あんたは浄霊院家を守ってくれた。それは事実だ。本当に感謝している。その上でもう一度だけ聞くよ。本当に、世界が滅ぶなんて話に心当たりはないんだね?」
風牙はまっすぐな真夜の目を見て、心が大きく揺れた。
本当に心当たりはない。だが、自分の中にある謎の存在については、イザベラの言った通り疑念がある。
言おう。言ってしまおう。それが一番いいに決まっている。そう思った風牙の頭に、ノイズが奔る。
――――――おい。言うなよ兄弟。言ったら、周囲の全員を殺す。
「……ぁ」
もう一人の自分の声がしたのち、風牙の口が開かなくなる。
声を出そうと必死で肺に息を取り込むが、吐き出せない。呼吸が次第にままならなくなっていく。
風牙は喉を押さえて蹲る。
「大丈夫ですか?」
老紳士が風牙の傍に駆け寄るが、風牙はそれを右手で制した。
「何ともねえよ。本当に心当たりはねえんだ」
今―――自分は笑っている。笑みを作っている。自分の意志とは正反対に。
風牙はそんな自分に対し、強い嫌悪感を抱く。
「本当に、ごめん」
風牙はそう言い残して、勢いよく部屋を飛び出してしまった。それを見た真夜は、大きなため息を吐く。
「風牙……」
「真夜様、私が見てきた彼の印象も、咲夜様がお話になったものと一緒です。彼をどうか信じてやってください」
「わかっている。でも……だからこそ、あの様子はおかしい。何か隠している」
真夜は徐に立ち上がると、部屋を出ていく。
「どちらへ」
「悪いね厳太。あたしがここに来た理由を早急に果たさなければならない……あたしはあたしの意志で動くよ」
「ですが今は……」
「奴が生きていた」
「……」
真夜は冷ややかな笑みを浮かべ、部屋から出て行こうとする。
奴、という存在に心当たりのある老紳士は、言葉を失った。
「映像にあったんだ。ご丁寧に影斗を襲っていたよ。奴が、あの子の手を掴んでいるところ見て、あたしの気はおかしくなりそうだったよ。もし、あの子に何かあれば」
真夜は振り向いて老紳士にほほ笑んだ。その笑みは、風牙の見せた笑みに似ているものだった。
「夫に……合わせる顔がないんだよ」




