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迫る影


「……ッ!」


 西条影斗は布団を蹴飛ばして勢いよく体を起こす。

 息が上がり、ぐっしょりと寝汗をかいており、べたべたして気持ち悪かった。

 夢を見ていたようだが、夢の内容を思い出そうとしても思い出せない。ただ不安と恐怖だけが残るのが不快だった。

 気分が悪い――――――先日の襲撃事件は、まさに悪夢のような出来事だった。

 七年前、自身を誘拐、洗脳し、父親を殺した浄霊院燵夜(たつや)が、生きていたのだ。青白い顔、そして自分を見つめるあの視線―――思い出せば震えが止まらなくなってくる。

 なぜ生きていたのか。七年前にあの男は確実に死んだはずだ。


 そう。確実に(・・・)死んだのだ――――――。


 影斗は吐き気を堪え、口元に手を当てながら、勢いよくカーテンを開ける。


「……ぁぁ」


 影斗の目に入ってきたのは、焼け落ちて、瓦礫と化してしまった本邸だった。そしてその奥に見えるお堂の跡地は、悪夢のような光景を改めて思い出させる。

 悍ましい鬼の傀異――――――あの時、自分が避難しろなどと言わなければ、彼らは死なずに済んだ。


 影斗は、悲しみと自責の念から、床に手をついて泣いてしまう。


「ああああっ……うっ、うっ……おれが……おれが……」


 ぽろぽろと涙が床に落ち、胸の不快感が増す。


 おれが――――――おれが、代わりに死ねばよかったのに。


 影斗は泣きながらふらふらと立ち上がると、窓を開けて無気力に身を乗り出す。階下の景色がぐらりと揺らぎ、地面に吸い込まれそうになった時、風が勢いよく体を持ち上げる。

 風に乗り、枯れ葉が巻き上がった。それは弧を描きながら上昇し、部屋の中に入る。

 風の勢いが影斗の体を部屋に押し返したのと同時に、小さなメッセージカードが影斗の視界に入る。


「……」


 影斗は拾い上げ、中を確認する。開くと、可愛らしいこいのぼりがいくつか立体的に飛び出してきた。カラフルな蛍光色のペンで、可愛い字体の文字が書かれている。


『おはよう、てぬぐいくん。君が起きたころには、残念だが私はいない。ごめん。だから君へのお願いを書いておこうと思う。どうか、自分を責めないでほしい。みんな同じさ。だから大丈夫。クサいセリフを吐いてしまった通りすがりのおねえさんより。』


 メッセージの最後には、自分の似顔絵と思われるウインクした顔が書かれていた。影斗の脳裏に、ぼんやりと記憶が思い起こされる。


 瓦礫の音と暗闇の中、ずっと誰かに手を握られていたような気がしていた。あれは、この人だったのだろうか。


 影斗は、ずるりと鼻水をすする。目をこすり、涙を拭うと窓を閉めた。

 自責の念は消えなかったが、メッセージカードのおかげで我に返ることができた。ここで自分が飛び降りれば、この手紙を書いてくれた人の気持ちを裏切ることになり、少しだけ嫌だった。


 影斗は、メッセージカードを部屋の引き出しにしまうと、部屋を出ようとする。

 屋敷の状況と自分が寝ている間に何があったのか、それを確認するためにドアノブに手をかけた瞬間、腕が部屋に押し戻される。


 ――――――心地よい花の香り。

 クリーム色の髪が靡き、廊下から差し込む明かりが、胸のエンブレムをキラリと輝かせる。

 思わず顔を上げた影斗は、憐れむようにこちらを覗き込んでいた女性と目が合う。

 美しい、青色の瞳――――――。


「影斗君」


 女性はゆっくりとしゃがみ込み、影斗と視線を合わせる。その目には強い力が籠っていた。そして影斗の全身をぎゅっと抱きしめる。温かい体温に触れた影斗の緊張が、ふわりと解ける。


「……時間がないの。お願いを、聞いてくれる?」

「……え」


 困惑する影斗に、女性は再び向き合うと告げる。


「私と一緒に、来てほしい」



★ ★ ★ ★ ★



「失礼します」


 老紳士はドアをノックし、厳夜の部屋に入る。部屋は音を遮断する結界で覆われており、老紳士の体が通過する時、青色の光に包まれる。

 食事が乗ったトレイを手に持ち、神妙な面持ちで暗い室内を進む。ベッドの傍にあるスタンドライトを点灯させると、淡い暖色が周囲を照らし、ベッドに横たわっている人影を照らした。


「旦那様。お食事です。どうか食べられるだけでもいいので、お食べになられますよう」


 老紳士は食事をテーブルの上に置き、何時でも食べられるように準備する。コップに水を注ぐと、ベッドを一瞥した。

 壁に向かって横になり、ピクリとも動かない厳夜の姿――――――自分が見る限りはもう三日ほどこの調子だ。体調が良くないのか、部屋から一歩も出ず、口も聞いてくれない。幾夜に屋敷をめちゃめちゃにされ、あろうことか死者を出してしまった先日の事件が、厳夜を絶望のどん底に陥れたのだろう。


 老紳士の心も穏やかではなかった。

 こんな厳夜を見るのは、何時ぶりだろうか。

 忘れもしない二十七年前、最愛の妻である桜を失った時以来だろうか。あの時は寝込むことはなかったが、外界を拒絶し、部屋に閉じこもったところが同じであった。

 もう五十年以上厳夜と共にいる老紳士は、厳夜が誰よりも大切なものを失ってきたのを知っている。厳夜の人生は、〈家族〉に呪われているといっても過言ではない。紅夜(あに)を失い、他の兄弟と殺し合い、人生を変えてくれた妻を失う――――――。

 もう二度と、家族を傷つけさせない。泣きながら妻の墓前に誓った約束を、こんなに簡単に打ち砕かれてしまったのだ。どれだけ辛いかは計り知れない。


(……私は)


 もう二度と、厳夜は立ち直れないかもしれない――――――そんなネガティブな考えがよぎり、心底嫌気がさす。

 いや、厳夜は必ず立ち上がる。そう信じるのが、自分の役目だ。


 厳夜は、自分にとっての光だった。十七の時、血と暴力に塗れた自分の人生を変えてくれた厳夜に、一生ついていくと誓った時から自分の心は決まっている。


 老紳士は厳夜に一礼すると、部屋を出ていこうとする。


「厳太」


 その時、はっきりと自分を呼ぶ厳夜の声が聞こえた。


「すまない。ずっと昔から、お前は本当に私に尽くしてくれた。感謝してもしきれない」


 その言葉を聞いた時、目じりが熱くなるのを感じた。堪えていた感情がぐっと込み上げ、老紳士は歯を食いしばる。


「貴方は……多くの人間をその手で救ってきた。どれほど手が汚れても、多くを失っても、貴方は意志を貫いている」


 老紳士は、思わず感情的になってしまったことに気づき、一呼吸置く。

 何も守れていないのは、自分の方だ。厳夜を差し置いてこの状況を語る資格など、自分にはない。

 老紳士は、深々と厳夜に一礼すると、「申し訳ありません」と小さく告げる。

 厳夜はいつの間にかベッドから起き上がり、老紳士を見つめていた。その瞳が燃え上がっているように見えて、老紳士は息を飲む。


「私は、お前というかけがえのない存在と出会えたこと、本当に幸せ者だと思うよ。だからこそ、最後の頼みを聞いてくれるか」

「最後、ですか……」


 老紳士は以前、厳夜から教えてもらった浄霊院家の宿命を思い出した。

 世界の滅亡―――それを見守り、支援する。

 そんな馬鹿げた宿命を語る厳夜の表情が、酷く暗かったのを覚えている。


「その時が近いのですか?」

「ああ。間もなく世界は滅ぶ。そして、私の扱えた膨大な傀朧が、〈十二天将〉に奪われた。だからちょいと術式の出力調整をしてて不調だったんだが……もう慣れた。そして、五十年かけた集大成が完成した」

「集大成……」


 厳夜は立ち上がると、棚にしまってあったペンダントを身に着ける。その中央には小さな虹色の玉があしらわれており、とても綺麗だった。


「これは妻が最初に買ってくれた誕生日プレゼントでな」

「桜様が」

「これは、特殊な傀朧をパッキングできる。だからお守りにしていた」


 その時、部屋の扉が勢いよく開け放たれる。振り向いた老紳士の目に入ってきたのは、髪を結い上げた美しい和装の女性だった。その女性の姿は、厳夜の妻である桜にとてもよく似ていた。


「なんだいこの辛気臭い部屋は」

真夜(まや)。どうしてここに?」

「野暮なこと聞くね。〈ケジメ〉だよ」


 真夜は颯爽と厳夜の部屋に入り、すべてのカーテンを開けた。光が勢いよく差し込み、老紳士は目を細める。いつの間にか、雨は上がっていたようだ。


「真夜、お前」

「仕事? 辞めてきたよ、んなもん」

「はあ……」

「お、元気出たかい。それはよかった」


 厳夜はニヤリと笑う真夜を見て、頭を抱えた。


「何でだ」

「実家がこの上なくピンチなのに、あたしだけ無関係って訳にはいかないだろ。それに、あたしにはやることがある」


 真夜は懐から厳夜のしているものと似通った小さなペンダントを取り出した。それを見た厳夜は目を見開く。


「みんな、あんたを信じてきたんだ。今も、昔も。それは母さんも同じ、だろ?」


 真夜の美しい深紅の瞳が、厳夜を見据える。真夜の言葉は窓から差し込む日差しのように、厳夜の心を照らす。

 真夜が身に着けていたのは、桜が残したペンダントだった。厳夜がお礼にと初めて妻に送り、生涯彼女が身に着けていたものだ。

 厳夜は口元を緩ませる。

 昔、屋梁落月(おくりょうらくげつ)という町で買った、桜の花びらがあしらわれた不思議なペンダント。まっすぐ突き進むことしか能がなかった若き日の厳夜が、頭を抱えながら選んだ代物。結局、もらったものと同じチョイスで、妻から笑われたのを思い出した。


「……そうか。そうだったな。我ながらセンスのない」

「さっさと飯食いなよ。もうじき現十二天将が動く」


 真夜は、入り口で遠くから様子を見ていた風牙に合図する。風牙は扉からひょっこりと顔を出し、気まずそうに部屋に入って来る。


「あの……じいさん」


 風牙は真剣なまなざしで厳夜を見つめ、頭を下げる。厳夜の留守中、守れなかった自責の念が込み上げ、ぎゅっと目をつむった。


「ごめん! 俺……」

「馬鹿者。私に頭など下げるな。お前には、本当に迷惑をかけた」


 厳夜は、風牙の手を力強く握る。


「すまない。ありがとう」


 厳夜の感謝に、風牙は声を詰まらせる。

 その瞬間、背後に何者かの気配を感じて、部屋にいた皆は一斉に振り向いた。


 先ほど風牙がいた扉の傍に、誰かが立っている。

 クリーム色の長髪、純白のカソック、胸に掲げた〈花〉のエンブレム。

 そして、ふわりと香る花の香り。すべてが安らぎ、すべてが安心し、すべての力が抜ける――――――身に纏う傀朧(かいろう)は、そんな〈安らぎ〉を体現していた。だが、表情はその真逆だった。力強く、それでいてどこか焦っている様子にも感じられる。


「あんたは……」

「突然お邪魔して申し訳ありません。時間がない。用件を話します」


 女性は淡々と告げ、こちらに向かって深々と頭を下げた。


華ヶ里(かがり)イザベラ……何のようだい。うちはあいにく、傀朧神秘教(かいろうしんぴきょう)は信仰してないんだ。それに、どうやって結界を」


 真夜は瞬間的に傀朧を纏い、臨戦態勢に入るが、厳夜に止められる。


「真夜、私の客だ」


 厳夜はベッドから立ち上がり、イザベラと呼ばれた女性に近づいていく。

 風牙はその様子をじっと見つめていたが、イザベラは一切視線を風牙に向けなかった。


「待ちな。説明を……」


 真夜がイザベラの肩をつかむと、イザベラの動きが止まった。


「真夜様。申し訳ありませんが、お話している暇はないんです」

「何だって」

「落ち着いてくれ二人とも」

「ええ。争っている場合でもない」

「だから何が……」


 イザベラは真夜の手を払うと、少し間をおいてからはっきりと告げる。


「では端的に言います。もう間もなく、世界が滅ぶ(・・・・・)


 イザベラは冷たい瞳を風牙に向けた。


「功刀風牙。貴方が世界を滅ぼすのです」




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