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深淵を覗き込むモノ


  ――――――沈んでいく。


 深い闇に、体が沈んでいく。

 そこには、痛みも苦しみもない。

 力は抜け、心も体も冷たくなっていく。


 俺は――――――負けたのか。

 ああ、そうだ。俺は負けた。あの男に負けた。

 目の前で年の近い使用人たちが死んだ。助けられなかった。仇も討てなかった。何も、してあげられなかった。


 困っている人がいたら助ける。

 俺は最後まで、“かくん”を守りきれなかったみたいだ。とーちゃんみたいには、なれなかった。

 浄霊院紅夜を殺す。心に決めた生きる目的を、果たせないまま、俺は死ぬ。

 自分は弱い。弱すぎる。あの時も、今回も。弱かったから、みんな死んだ。


 俺のせいだ。俺の、せい。全部、俺のせい。

 ごめん、屋梁楽月(おくりょうらくげつ)のみんな。

 ごめん、咲夜。浄霊院家のみんな。

 ごめん、とーちゃん。かーちゃん。俺、何にも成し遂げられないまま二人のところに行くよ。


 ――――――沈んでいく。


「つまらん」


 声が頭の奥まで響く。暗い闇の奥底から這い出るような声は、低く、重厚で圧があった。


「ただ一つの願いすらも叶えられんとは……なぜだかわかるか?」


 声は、俺を嘲笑するかのようにトーンを上げる。


「力が欲しいか。アレ(酔骷)を倒す力が」


 誰だ。

 知らない声。けれど、どこか懐かしいような、そんな声。

 俺はこの声を知っている。なぜかはわからないが、知っている。ずっと昔から。


「もう一度聞いてやる。力が、欲しいか? 浄霊院紅夜を倒す、力が」


 ――――――力。

 俺は、みんなを守りたい。

 もう二度と、誰も傷つくところを見たくない。

 みんなを守りたい。


「オマエは知っているはずだぜ風牙。どうしたら力が手に入るのか。オマエはずっと昔から知っている。そして(オレ)は、オマエが欲しいものを与えられる」


 闇が、大きく動く。その奔流が、力が、渦を巻いて動き出す。激しい流れが俺の体を押し流し、より深淵へと誘う。


「さあ……言え。オマエは何が欲しい」


 俺は。


(オレ)の名前を呼べ。そしたら力をやるぜ。なあ、風牙」


 俺は――――――みんなを守れる力が欲しい。

 この手であの男――――――浄霊院紅夜を殺せる力が、欲しい。


「さあ。オマエが(オレ)を呼べ。オマエの意志で、オマエの声で、(オレ)を呼べ。そうすれば……世界をくれてやる」


 手を伸ばす。手を伸ばす。

 力が欲しい。

 力が。


「……佗汰羅(タタラ)。俺に、力を……」



※ ※ ※ ※ ※



 瓦礫が崩れる音が止む。風牙の命が完全に消失した。弱く、ちっぽけなガキだったが、良い暇つぶしにはなった。

 酔骷は瓦礫の山に向かって唾を吐いた。これが、暇つぶしになった風牙へ、酔骷なりの敬意表明だった。

 貪欲で飽きっぽい戦闘狂は、殺した人間(オモチャ)のことなどすぐに忘れる。すぐに次の獲物の気配を探知し、口元を歪ませる。


「うーん。もう骨のありそうな奴はいねえな。どうすっかなー」


 山の上で感じた気配は、強者だが静謐すぎる。好みじゃない。

 こちらに向かってきている気配は、弱すぎる。とても相手にはならない。

 後はまばらに微弱な傀朧を感じるだけだ。それ以外はもうない。


「厳夜ぁ……早く来いよー……待ちきれねえよー……」


 戦いたくて体がうずうずしている酔骷は、内から無限に湧いてくる厳夜との戦いに対する情熱で心が埋もれそうになっていた。期待と焦りがごちゃまぜになった強い感覚だ。生まれて初めて敗北したあの日、初めて味わった死への恐怖。それはまさに、〈絶頂〉だった。

 自分よりも圧倒的に強い強者が、自分の存在を脅かすあの感覚――――――。

 もう一度、もう一度味わいたい。酔骷が傀異として自我を持ってから四百年間、ずっと考えていた戦う意味そのもの。それは、あの瞬間のためにあったのだ。

 乾いていた己の心を満たす、初めての存在。あの怒りに満ちた顔がずっと脳裏に焼き付いて離れない。

 酔骷は、厳夜がここに近づいてきていることを想像し、身をよじらせた。震える体を抑え、高鳴る感情のまま叫ぶ。


「厳夜ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! (オレ)と……(オレ)と早く死合おうぜェェェェ!!!」


 ――――――ドクン。

 酔骷が叫んだその時だった。

 まるで酔骷の首に、冷たい刃物が添えられているような、そんな冷たい感覚が襲う。

 それはどす黒い殺気だった。まるで地獄の底から這い上がってきたような、恐ろしく冷たい死の気配。

 これは―――――――あの時と似ている。厳夜が自分に見せたあの感情と、似ている。


「厳夜……? いや、違ぇ」


 酔骷の全身を、冷たい死が駆け巡る。しかし、これは求める戦い(スリル)ではない。

 ぐっ、と心臓を握られ、自らの命の消失に指がかかっているような不快な感覚だ。

 こんな感覚、あってはならない。


「違う違う。こんなの違う」


 それは酔骷の求めている()ではない。このような、深淵に近い虚無では、納得などできない。怒りが、憎しみが突き動かす〈力〉でなければならない。弱者たる人間が見せる、最高の意思表示でなければ満足しない。

 それを体現できるのは、厳夜しかいないのだ。厳夜だけなのだ。


「誰だお前……(オレ)の体にまとわりつくんじゃねえ!!!」


 酔骷は、全身から熱を放出し、辺りにまき散らす。パチパチと火花が散り、地面が赤く熱を持つ。先ほど唾を吐いた瓦礫の山の頂点(いただき)に、ボロボロの少年が立っている。

 否、黒い太陽の如く、偉大で高尚な存在が、酔骷を見下ろしている。


「誰だ……誰なんだ人間(テメエ)はよォォォォォ!!!」


 戦うことに執着した酔骷の本能は、この少年と相対した瞬間、自らの敗北を悟っていた。

 逃げろと本能が訴える。それを、どうして認めることなどできるか。

 歯牙にもかけなかった少年が、今目の前で自分の命を脅かしているのだ。それも、ただそこにいるだけで。


 酔骷の全身から汗が噴き出る。

 否定したくてたまらない目の前の存在が、今にも動き出しそうで恐怖する。

 なぜなら、動き出した瞬間、自分の誇りも目的も、すべてが消し飛んでしまうような気がしたからだ。


――――――クツクツクツ。


 酔骷の心の中に、笑い声が響いた。思考が停止する。理解できない。自分が置かれている状況も目の前の存在も認められない。何もかもが、認められない。


「哀れだな、(カイイ)


 少年は口を開いた。その言葉は少年のものではない。酔骷は、ガタガタと震えて凍り付く。

 指が、開いた口が、視線が、言うことを聞かない。ただ目の前の圧倒的な存在を見つめることしかできない。まるで、〈神〉を見ているようだった。その声も、力も、存在も、すべてが畏怖の対象だ。風牙の声ではない声は、力強く心を揺さぶる。年老いているようでもあり、若々しくもあった。


「なかなか面白かったぜ酔骷(・・)。見事な道化だった。(オレ)が面白ぇって言ったんだ。誇っていいぜ。笑ってもいい。ほら」


 一歩、また一歩、瓦礫の山を下りこちらに近づいてくる。なぜ自分の名前を知っているのかはわからなかったが、酔骷は無意識に口元に手を当てていた。自然と口角が上がり、笑っている自らの口を、隠そうとした。

 功刀風牙の体は、どうして動いているのかわからないほど血だらけだった。右腕はなく、左腕も骨が折れてだらりと垂れ下がっている。そんな死に体が喋り、言葉を紡いでいる。

 どうなっている。なぜ、こんなにも恐れている。

 頭も視野も動かなくなった酔骷は、逃げるように後ずさりする。


 ――――――まるで、自分の根源に恐怖が刻まれているような感じだ。


 気づけば、功刀風牙だったモノは、酔骷の真横に立っていた。


「強ぇ奴と戦いたいんだってな。(オレ)は今、すこぶる機嫌が良いから、特別に付き合ってやる。やったなぁ酔骷」


 ゆっくりと、酔骷の肩に手が置かれる。

 その瞬間、冷たさの元凶である黒い傀朧が、一気に酔骷の中に流れ込む。闇に引きずり込まれ、自分が自分ではなくなるような感覚だった。汗が吹き出し、震えが極限まで達した時、酔骷は本能で腕を払いのける。


 ――――――強い奴と戦いたい。


 この極限状態で、自らの存在意義を思い出した酔骷は、自らが持ちうる最高の攻撃で応える。


 手のひらを合わせ――――――想術の極致、自らの存在意義そのものを体現する世界の構築、想極(そうきょく)を発動する。


「想極、卍智炎帝苑(ばんちえんていえん)!!」


 激しい熱が一瞬で周囲を飲み込み、真っ赤な炎が視界を染め上げる。


 周囲の世界が、一瞬で変化する。

 真っ黒な空、炎に覆われた枯れた大地。大地には無数の人間の骨が転がっている。


傀域(かいいき)か。懐かしいな」


 傀域。それは、強い概念を帯びた傀朧が作り出す、想像の世界。

 強力な傀異や想術師が、自らの想像、存在を具現化させる。自然発生するものも、術として形成するのも非常に稀な、まさに極致という言葉がふさわしいものだった。


「いい匂い(・・)だな。(オレ)、好きだぜ死の匂い」


 風牙はニタリと笑うと、酔骷の背後に現れた巨大な五重塔を見つめる。

 黒く塗りつぶされた外観に、ところどころ見える人間の頭蓋骨。わずかに人間の苦しむ声が、コーラスのように聞こえることに気づいた風牙は、目をつむり深呼吸をする。


「なるほどな。炎熱地獄か」


 風牙はじりじりと焼け焦げる体を一瞥する。おそらく、この空間は入るだけで灼熱に襲われ、焼け焦げるようになっているのだろう。普通の人間では一瞬で、ここらに転がっている骨と同じようになる。


(オレ)の炎帝苑は摂氏三千度の灼熱地獄。普通の想術師じゃあ耐えられねえ。苦しいだろう? やせ我慢はそろそろやめ……」


「冷たい」


「なんだと」


 風牙は涼し気に笑い、酔骷を再び見下すように見詰める。


「なあ、オマエは力が欲しいと思うか?」

「……なんだって?」

「人間は貪欲な生き物だ。いつの時代も力を求める。(オレ)にすがってきた人間どもはいろんな動機があったぜ。

 例えば……この世を破壊するか。絶望を与えるか。他者のため、なんて下らん正義感を振りかざすか……いや、道楽もあったなぁ」


 酔骷は傀朧を空間に練り込み、空間の熱を極限まで上げ始める。周囲の骨すら溶けだし、地面が溶岩となって風牙を襲う。防御したとて、摂氏一万度を超える温度には耐えられない。一瞬で、体が燃え尽きるだろう。


「消えろ!! 卍智炎帝苑―――〈三千世界〉」


 黒い五重塔が、まるで花弁のように散り、辺りに舞い落ちる。世界が崩壊を始め、赤黒い溶岩だけが残る。そんな世界でただ一人、酔骷は君臨する。この世界で最も強い強者は自分だ。強者だけが、弱者を踏みにじる資格があるのだ。自分は、強者なのだ。


 風牙の体だったものは、灰すら残さず煙となり、消えていく。


「ヒヒ」


 酔骷は勝利を確信した。


「ヒヒッ。ヒヒヒヒヒヒ!!」


 笑いが止まらない。

 恐怖はない。

 それが、どれだけ心地の良いことか。


「ヒャハハハハハハ……」


「やはり(オマエ)は道化だ、酔骷」


 真っ赤だった世界が、一瞬で漆黒に染まっていた。


「……は?」


 音も、感覚も、何も、ない。

 どちらが上かも、下かもわからない。そんな空間に、酔骷は浮かんでいた。

 体も動かせず、ただ浮かぶだけの酔骷の心に、言葉が入り込んでくる。


オレも傀域を作ってみたぜ。(オレ)の傀域は、使用者たる(オレ)の意志で変化する。即興で作ったが、戦闘狂(オマエ)向けの、良い傀域だなぁこれは」


 姿は見えない。しかし、神《あの男》は笑っていた。静かに、自分を見下し嗤っている。

 それが、何を意味するのか。酔骷自身が一番よくわかっていた。


「……そんな馬鹿な」

「なんだぁ? そのセリフ! クククッ!」


 酔骷の脳内を、根源への恐怖が支配する。

 冷たいその感覚が、酔骷の精神を破壊していく。どれだけ暴れても、どれだけ抵抗してもそれが消えることはない。


「違う!! (オレ)はこんな感覚を味わいたいんじゃねえ!!」


 弱い。戦えない。弱者。弱者。弱者。

 引き分け。敗北。衰退。退廃。弱者。


「やめろ!!! 違う、違うんだ……!! こんな、弱者の感覚……」


 負け続ける。殺され続ける。弱者だ。自分はまさに、弱者になっている。そんなこと許されるはずはない。決して、許されるはずはない。


「はいっ! では問題です。今から(オマエ)は、どんな目に遭うでしょうか」


 負け負け負け負け負け負け負け。


 今まで蹂躙してきた弱者が、自分を襲っている。何度も、何度も殴りつけて、自分を殺そうとしている。怖い。怖い。怖い。


「いや、だ……」


 力を奪われた酔骷は、精神が崩壊するまで暗闇の中に漂い続けた。






酔骷さん。全体を通してすごーく生き生きと書けた気がする(笑)

さてさて、この神気取りの奴は一体何者なのでしょうか。

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