惨劇は、
激しい爆発と、襲い来る爆風。激しい炎があがり、焼け死んでいく人の声が脳裏に焼き付く。
助けて。助けてと訴えてくる。
何もできなかった。誰も助けられなかった。
崩れていく教会、両親の最後の顔――――――。
どれもこれもフラッシュバックして、風牙の心を抉る。
心臓の鼓動が早鐘を打ち、焦る気持ちで視界が揺らぐ。
屋敷が燃え、焦げ臭い臭いが周囲に漂っている。それを嗅ぐと、激しい吐き気に襲われる。
本邸にたどりついた風牙は、爆発音のあった方角へひたすら走る。風牙の心は、人が焼ける臭いを無意識に探していた。その臭いだけは、絶対にあってはならない。決して見つけてはならない。だから、だから――――――。
先ほど住人たちを避難させた。大丈夫だ。誰も逃げ遅れた人はいない。
風牙は、宙と一緒に避難誘導をした時のことを思い出す。あの時、いくらかの子どもたちが誘導に従って逃げてくれたはずだ。
大丈夫だ――――――あれ、何人逃がしたっけ。
思い出そうとしても思い出せない。そういえば誰を逃がした。明確に思い出せるのは、永久だけだった。それ以外の人は、誰だったか。
嫌な予感がさらに増す。祈るように扉という扉をすべて開け、誰かを探す。
「誰か……」
気づけば本邸の中は、先ほどとは全く違うひんやりとした空気に包まれていた。
「頼む……誰か」
風牙の呟きは、壁に吸い込まれて消える。廊下を進むごとに不気味な気配が増し、緊張が膨らんでいく。
「誰かいねーのか!!」
ピンと張りつめた緊張の糸が、一瞬で途切れる。
風牙の目に映ったのは、廊下を埋め尽くす赤黒い血液だった。
血塗れの廊下に転がる、四人の死体。惨たらしい惨状を視界に入れてしまった風牙の思考が停止する。
「ぁ……」
俺が守る。もう二度と目の前で誰も失いたくない。
そんな自分の声が、耳の奥で何度も反芻される。ふわふわと意識が浮き、力を失った風牙は、その場に膝をつく。
命がまた、風牙の目の前で消えた。
炎の中で、自分の無力さを呪ったあの日から、何一つ変わっちゃいない。
俺が守る。守らなきゃいけねーんだ。俺が――――――。
風牙は無意識に拳を握りしめていた。そして何度も、床に叩きつける。その力は次第に大きくなり、床を殴打する音から、肉と骨が砕ける生々しい音に変わる。
俺が守る。俺が、俺がみんなを守らなきゃ――――――。
ぐちゃ。
「うっ……うっ……」
風牙の腕が完全に折れたその時、誰かの泣き声が耳に入った。
風牙は瞬間的に声の方へ飛び上がると、ふすまをぶち破って部屋に入る。ふすまを開けた先でうずくまっていたのは、長髪の少女、東郷旭灯だった。
「何があったんだ!!」
風牙は旭灯の肩を両手で勢いよくつかむ。ビクッと体を揺らした旭灯は、風牙の右腕が見るも無残なものであるのを見て、息を飲む。
風牙の血走る目――――――旭灯の緊張の糸が解け、さらに涙の量が増す。
「……みんな、死んでもた。あん時みたいに……アイツが、アイツが!!」
すがるように風牙の服をつかむと、震える声で呟く。
「もう嫌や……死にたい」
――――――それを聞いた風牙の精神が、ぷつりと音を立てて壊れた。
「……誰だ」
「えっ……」
「これ、やったのは、誰だって聞いてんだよ」
怒り。憎しみ。
憎悪、激しい憎悪だった。風牙の全身から、どす黒い傀朧が放出されている。
凍るような殺気――――――旭灯は風牙の服から手を離す。
ぐちゃぐちゃになった風牙の右腕が、黒い傀朧に巻かれてじわじわと治っていく。旭灯はそんな風牙を見て、不意に恐怖を抱く。
言葉を失った旭灯は、虚ろな目で風牙を見つめることしかできない。
「……俺が」
風牙は旭灯に背を向け、ふらふらと部屋を出ようとする。
なぜかはわからないが、行かせてはならないと本能が告げている。旭灯は風牙に向かい、手を伸ばす。
「殺して……やる」
旭灯は、風牙の目から一筋の涙が流れるのを見た。
悲しくて、心が押しつぶされそうな声だった。旭灯は何も言えずに、風牙の背中を見続けることしかできない。
「うちは……うち、は……」
激しい自己嫌悪に苛まれる。心の中で、仇を討って欲しいと切に願っている自分が浅ましい。
想術師になりたいと言った良平の夢を否定したのは、ただ過去と向きあうのが怖かっただけなのだ。その結果がこれだ。逃げてさえいなければ守れていたかもしれない。そんな思いがじわじわと心を締め付けていく。
旭灯は、心の中で自分を責めながら真っ赤になった廊下を泣きながら見つめ続けた。
※ ※ ※ ※ ※
血と暴力を纏った、熱の臭いがする。
風牙は一歩一歩進むたびに、怒りと悲しみでどうにかなってしまいそうだった。心の中で殺意が膨らんでいく――――――このような感情を抱いたのは、浄霊院紅夜以外にはいない。
風牙の怒りに満ちた曇った瞳が、縁側を捉える。
――――――熱の気配が強くなる。
すぐそこに、子どもたちを殺した奴がいる。濃く、邪悪な性質の傀朧が肌に当たるたびに、心臓が強く脈を打つ。
戦闘態勢に入ると同時に、風牙が見たのは――――――煤のように黒い靄がかかる庭だった。視界を黒く塗りつぶし、庭全体を覆っている。
これは、ただの靄ではない。空間そのものを侵食しているようだ。
風牙は靄に触れようと手を伸ばす。すると、ピリッと電撃のようなものが奔り、拒絶される。靄のように見えているのは、別の空間だった。傀朧が空間に干渉し、新たな空間を形成している。
風牙はこの傀朧が生み出す異常な現象を知っていた。
――――――傀域。
強力な傀異などが持つ、強い概念の傀朧が凝縮することで、この世界とは別の“想像が生み出す世界”を形成することがある。それが傀域だ。
想像の具現化そのものでもある傀域を形成するには、莫大な傀朧が必要である。並大抵の傀異や想術師では作り出すことができない。風牙も実際に見るのは初めてだった。
この中に、みんなを殺した奴がいる。
一瞬圧倒されたが、すぐに怒りで敵意が元通りになる。
相当なレベルの傀異だろうがなんだろうが関係ない。絶対にぶちのめす。
風牙は右拳に、応急用に持っていた包帯を乱雑に巻き付けると、拳を強化する。血が滲み、包帯が赤く染まるが気にしない。
――――――この空間を、ぶっ壊す。
拳を構えた瞬間、傀域が突然横に両断される。
「なっ」
風牙は驚いて背後に下がる。両断された黒い靄は、一瞬で形を無くし、傀域が解除される。
「こ、こいつ……ヒヒヒ、ヒャハハハハハッ! おもしれェ!!」
傀域の中心で男が白髪を振り乱し、高らかに天を仰ぎながら笑っている。
男は頭から角を生やし、派手な色の着物を着ている。明らかに人間ではない。
よく見ると、左肩から右のわき腹にかけて、ざっくりと切り傷を負っていた。傷は深く、男は吐血しながら荒い息を繰り返している。
「……危うく死ぬところだったぜェ」
和装の男が、炎に巻かれて力なく倒れている。それが風牙の視界に入った時、目を見開いて喉の奥から叫びを上げる。
「義光のおっちゃん!!」
義光は全身にひどいやけどを負い、無残な姿になっていた。
風牙は最悪の事態を想像し、怒りを爆発させる。
男に飛び掛かると、右の拳にありったけの傀朧を込め、怒りに任せて上から殴りつける。
男の顔面が、地面にめり込む――――――。
巨大な衝撃で、地面にクレーターが形成される。風牙は、その上から何度も何度も殴りつける。自分の腕が壊れようとも関係ない。この上なく湧き上がる殺意を、怒りをぶつけていく。
「てめえが……みんなを……おっちゃんを……!!!」
顔面を何度も殴る。十数回殴りつけたところで、突如男の右腕が風牙の拳をつかむ。
「ちっ」
小さな舌打ちが聞こえた。風牙は腕を振り払おうと拳を引くが、カウンターで男に頭突きをかまされる。
風牙は勢いよく縁側まで吹っ飛ぶ。ふすまをぶち破って背中から着地した時、風牙の頭が冷え、怒りに任せた自分の行為に嫌悪感が生まれる。
「……くそっ!」
「……鬼はさあ、今最高に楽しい気分なんだよ。わかるか? あ?」
男はゴキ、ゴキと首をひねり、気だるそうに大きく体を伸ばす。
顔はぐちゃぐちゃに変形し、血だらけだった。
「なのによォ……下らねえ攻撃かましやがって、誰だてめえ。ふざけんじゃねえよクソが。まじでだりい……」
ぶつぶつと恨み節を呟く。そして、顔面が治癒されると同時に眼を血走らせ、一瞬で風牙との距離を縮める。
「死ねやクソガキィィィィィィ!!!」
激しい殺意が、風牙の全身を強張らせる。上から振り下ろされた男の拳を、風牙は辛うじて躱す。床に叩きつけられた拳が爆発する。爆風と衝撃で再び飛ばされた風牙は、砂利が敷き詰められた庭を転がる。
「ああああああああイラつくイラつくイラつく。鬼はよォ、この剣士と最高の戦いをしてたんだよ。わかるか? ガキの脳みそでもわかるだろ? すっげ―楽しくて、すっげー興奮してた。んで、生きるか死ぬかのところで、鬼が最後に一撃を耐えて、こいつを殺すところだった。戦いは相手をきちんと葬るまでが戦いだよなぁ? それをする前に、水を差されるってのは冒涜なんだよ!! 鬼への!」
男は早口でまくしたて、熱を放出する。ガリガリと自分の頬を掻きむしり、皮がさけて肉がむき出しになっていく。そのたびに熱が強まり、部屋一つ倒壊させ、その瓦礫が消し炭になる。
――――――悍ましく、まさに暴力を体現したような姿だ。しかし、風牙は全く怯まない。心が男の存在を激しく否定する。
決して許せない。許してはならない。こんな存在は――――――。
風牙は、立ち上がると男を鋭く睨みつける。
「戦いだと……ふざけんじゃねえ。義光のおっちゃんを、みんなを、そんなにして、何が楽しいんだよ」
「あ‶?」
「てめえが、殺したのか」
風牙ははっきりと言葉を紡ぎ、男に一歩ずつ近づいていく。
「はあ? 何言ってんだガキ。鬼が誰を殺したって?」
「てめえがあいつらを……屋敷の人間を殺したのかって聞いてんだよ!!」
男はしばらく考えるそぶりを見せ、ぽんと手のひらに拳を乗せる。
「ああ、屋敷。なんか殺した気がするけど、全然覚えてねえわ」
「てめえッ!!!」
二ッと子どものように笑った顔を、風牙の拳が再び粉砕する。
「ブッ……ボコスカ顔ばっか殴りやがってよクソが!!」
血を吐き、体勢を整えた男は手のひらから炎の熱線を放出する。体を捻り、躱した風牙を蹴り飛ばす。さらに足をつかんで地面に叩きつけると、屋敷の方へ投げつけた。
「ガキの分際で鬼に喧嘩売ったこと、後悔しろよクソガキ」
男は、風牙の周りに火柱をいくつも出現させる。熱が風牙の体を焼き、激しい痛みが襲う。何とか転がって逃れた先に、男の足があった。
踏みつけられそうになるのを、瞬発的に放出した傀朧で躱す。そのまま足をかけて態勢を崩させると、地面から跳ね上がった反動で男を蹴飛ばした。
「……ケッ!!」
男はニヤリと笑い、風牙の全身を炎で包み込む。風の概念を纏った傀朧で、何とか炎を吹き飛ばすが、全身にやけどを追ってしまう。
「きーめた。ガキの丸焼きにしよ。焼きすぎくらい焼いてよぉ、んで喰う」
それを聞いた風牙は、再び右の拳を男の顔面に叩きつける。
「ヒヒッ。すぐ顔にいくな」
男は風牙の動きを読んで拳をつかむと、指に力を加え――――――。
ボキボキ。
拳を粉砕する。これでこのガキの悲鳴が聞けるか。しかし、ニヤリと笑った男の予想は裏切られる。
「功刀流闘術――――――」
攻撃の余韻に浸っていた男に、大きな隙ができる。
その隙を、壊れていない左の拳で突く。傀朧を鋭く一点に集中させる。
激しい風をイメージしろ。放出した風をもっと一点に集中させる。
もっと、もっと――――――。
「廻風一槍」
拳から放出した傀朧が、男の顔面を今度こそ完全に破壊した。
「ご……べ……」
ふらふらとバランスを崩した男は、風牙から手を離し、数歩下がる。
そこへ、ダメ押しとなる風牙の前蹴りが炸裂する。
男の体はゴロゴロと地面を転がると、動かなくなった。
「……ぜってー許さねえからな」
風牙は満身創痍の体を前に進める。
まだ消滅していない。もう一撃、もう一撃で倒せる。
絶対に倒す。この手で消滅させる。仇を――――――仇を討つ。
ありったけの傀朧を左腕に込め、そこに最後の感情を乗せる。
――――――ごめんな。
救えなかった子どもたちの姿が思い起こされ、風牙は歯をギリギリと噛んだ。
最後の一撃。風牙が拳を男の体に叩きこもうとした時、背筋にゾッと悪寒が奔った。
「悪かったわ」
流暢に言葉を紡ぐことなどできはしない。完全に顔面は破壊したはずだ。
「おい、ガキ」
「な……にッ……」
肉の焼ける臭い――――――。
風牙が、自分の肘から先が消えているのに気づいた時、口だけになった男の顔がニンマリと歪んだ。
「ああああああああッ!!!」
「鬼の名前は酔骷。認めてやるぜ。お前は強者だ。鬼には及ばねえけどな」
酔骷は、風牙の右腕を焼いて止血すると、ようやく聞けた風牙の悲鳴を噛み締める。風牙のくすんだ瞳を見つめ、満足そうに唇を舐め回す。
「こっからは本気の戦いだ。手は抜かねえ」
酔骷の体は、みるみるうちに元の姿に再生していく。義光や風牙が与えた傷など、もうどこにもなかった。酔骷は、今までの比ではないくらいの傀朧を放出する。その量と質に、風牙の顔から血の気が消えていく。
「さあ。死合おうぜ」
怒ったり笑ったり爽やかになったり、忙しい感情お化け酔骷さん。




