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酔骷


「♪~♪♪~」


 下手くそな鼻歌が、本邸の中でかすかに響く。


「♪♪~♪♪♪……あ」


 鼻歌の主――――――高い身長に、細身で引き締まった身体。ボサボサの白い長髪の間から、真っ赤な二本の角が生えている。首には大小さまざまな大きさの数珠を付け、派手な花模様の袖無し着物を着ている。

 二ッ、と笑う口元は鋭い歯が見え、赤い瞳が獰猛さを醸し出す。


「……懐かしい匂いだぜ」


 男は大きく息を吸い込む。芳醇な獲物、若い人間の匂いがする。ゆっくりと庭を歩き、獲物に近づいていく。うっとりと笑いながら、口元のよだれを吸う。


「まだかなァ……まだだめ? 待ちきれねえ。あ‶あ‶だめだ!」


 本邸の周りを一周し終えた男は、疼く本能を押さえることができない。拳を握る、開くことを繰り返し、イライラしたのか、大きな口を開けて自分の拳を嚙み砕いた。

 ボタボタと血が地面に落ち、木っ端みじんに粉砕された自分の拳を、つまらなさそうに見つめる。


「まじい。んだよこの体。苦い味がする!」


 自分のした行動がさらにイライラを増幅させる。今度は全身から傀朧を噴出させ、辺り一面にまき散らす。激しい熱を帯びた男の傀朧が、庭に敷き詰めてあった砂利に熱を持たせ、溶かしてしまう


「我慢できねええええええ!! もういいだろ!? なあ!!」


 虚空に向かって語り掛けるが、誰も返事を返さない。白煙が男の怒りを表すかのように高く上がる。

 男は怒りに身を任せ、本邸の中に突入する。鼻をすんすんさせ、獲物を探して廊下を進んでいく。

 獲物は逃げる気配がない。ふと昔、自分が近づくと逃げた人間たちを思い出した。そういう抵抗する人間を追いかけて喰うのが好きだった。男の腹の虫がぐうっと鳴る。


「よし! 喰う!」


 口元から滴れるよだれを手の甲で拭うと、徐々にスピードを上げ、廊下の角を勢いよく曲がる。曲がった先には獲物がいる。獲物は自分の姿を見た瞬間、きっと恐れおののくだろう。しかし、すぐに男の顔が曇る。


「……気づかねえ」


 そう言えば、()が言っていた。特殊な術をかけているから、誰もこの屋敷の人間に気づかれないだろう、と。それを思い出した男のフラストレーションが爆発する。


(オレ)は! 逃げてガタガタ震える人間どもを喰いたいんだよクソが!!」


 怒りに任せ、前蹴りを繰り出す。


 ぐちゃり。

 目の前で掃除をしていた少年の上半身が吹き飛ぶ。その前にいた少女の顔に、少年の血肉が飛び散る。何が起こったのかわからない少女は、ただ茫然としている。


「泣けよ!! 逃げろよ!! ほら!!」


 男は拳を振り回し、自分の存在を誇示するように少女に迫る。しかし、男の望んだ結果にはならなかった。少女は時が止まったかのように動かず、体を僅かに震わせるだけだ。男はそんな少女を上から手のひらで押さえつけ、一撃で押しつぶす。次いで、様子が変だと察知し、近づいてきた少年と少女二人の腕を取り、おもちゃで遊ぶ子どものようにぶんぶん振り回した。


「あー! なんかさ……あー。やべっ。やっちまったなぁ……」


 血塗れになった自分の腕を見て、冷静になった男は腕だけになった少女をポイっと捨てる。


「怒られっかなァ……ま、いっか」


 男の脳裏に、厳夜の顔が浮かぶ。

 そうだ。自分の目的は、こんなところで子どもを食べることではない。


「怒るかなぁ厳夜。絶対怒るよなぁ……ケケケッ!」


 本気の厳夜の力―――殺気、寒気、自分の命が刈り取られるあの瞬間、興奮。

 かつて自分が味わった最高の闘争を思い出し、男のテンションは最高潮になる。


 ――――――男の名前は酔骷(すいこ)

 無知蒙昧で子どもっぽく、残虐性の化身。かつて千人の人間を喰ったとされる、闘争と鬼の傀異である。



※ ※ ※ ※ ※



 影斗を本邸の一室に運び込んだ旭灯は、すぐ布団に寝かしつける。

 何が起こっている。影斗の身に何が起きたのか――――――思考がまとまらない。 まだ恐怖の余韻が身体を強張らせている。

 浄霊院燵夜――――――くすんだ赤色の瞳、長い前髪、目の下にできた大きなクマ、引きつった笑み。奴の声、顔、全てが受け入れられない。この上なく不快感が募り、恐怖と合わさって体が震える。

 あいつは死んだはずだ。七年前に、確実に死んだはずだ。しかし、目の前に現れたあの男は確かに本物だった(・・・・・)


「……っ」


「か、影斗! 大丈夫か!?」


 影斗が苦しそうに顔を歪めた。旭灯は慌てて影斗の顔を覗き込む。

 目がゆっくりと開いて、ぼんやりと旭灯の顔を見つめる。


「お……おれ……」


 影斗は旭灯の顔を認識した途端、恐怖に支配されたようにガタガタと震えはじめる。


「お、おれ……今まで、何、してた……?」


 影斗は、旭灯の服の袖を引っ張ると、すがるように問う。それを見た旭灯は、不意に影斗を抱きしめる。


「あんたは何もしてへん。大丈夫や……大丈夫やから……」


 影斗の震えが収まる。旭灯は影斗の肩をつかみ、澱んだ瞳を見つめる。


「今は休んどき。なんも気にせんでええから」


 そう言って寝かせようとした時、影斗は思い出したように呟く。


「……危ない」

「えっ?」

「みんなが……」


 影斗は布団を蹴飛ばすと、部屋を飛び出す。

 ――――――廊下が真っ赤に染まる光景。五人の死体。

 あれがもし、現実だとしたら――――――否、現実ではない。夢だ。そう思いたい。

 だからこそ、それを証明するためにも確かめなければならない。


「どこいくん!」


 旭灯は影斗の後を追って、廊下に飛び出す。影斗の後ろを追いかけるつもりが、すぐに見失ってしまう。


「ど、どこ行ったんや……」


 廊下を曲がった先で、突如視界が揺らぐ。

 鼻につく血のにおい。あの地下室で嫌というほど嗅いだ、あの臭いだ。


「えっ……」


 その時、足元にべっとりと何かが付着する。わずかに生温かい温度を感じ、咄嗟に後ろに下がる。視界に入ったのは、無残に上半身がぐちゃぐちゃになった死体。


「ぁ……ぇ……」


 点々と横たわる、四人の死体――――――。

 視界一面、廊下が血に染まっている。体が分かたれた者、半身が潰れた者、そして――――――こちらをぼんやりと見つめる者。


「ああああああああああ……」


 旭灯は死体から目を背け、力なくその場に崩れ去った。


「……いや」



※ ※ ※ ※ ※ 



「はあ……はあ……」


 足に力が入らない。恐怖と不安で前に進まない身体を何とか動かす。何度も転びそうになりながら、誰かいないか屋敷内を探し回る。

 無残に殺される屋敷の人間たち――――――夢で見たそのビジョンが、影斗の胸を締め付ける。


 調理場付近にやってきた影斗は、中に明かりが灯っているのを見つける。近づくと、話し声も聞こえてきた。影斗はすがるように調理場に入ると、床に手をついた。


「大変なんだ……早く、逃げて!!」


 調理場にいたのは、三人の男女だった。影斗よりも少し年が上で、山のふもとにある高校に通っている。旭灯が通っているのとは違う高校だったが、よく四人で登校しているのを目にする。


「どうしたん影斗」


 真っ青な顔で訴えてくる影斗を見た三人は困惑する。


「ああわかった。サプライズやろ?」

「何のサプライズやねん」


 ケラケラと笑い、相手にしない二人。影斗は立ち上がり、制服の裾を引っ張る。


「違う……お願いだから。早く逃げないと!!」

「だからどうしたんって」


 影斗は首を傾げる三人の背中を強く押す。一人を調理場の入り口まで押したところで、三人の顔色が変わる。


「ちょ、ちょっと待って。どうしたんほんまに」


 しかし、影斗は答えることなく荒い息のまま、涙目で他の住人を探しに行ってしまった。


「……もしかして侵入者とか?」

「いや、結界あるだろ。もし何かあれば伝わるようになってるから、それはない」

「逃げろっつってもどこに逃げればいいんだよなあ」

「わかった。厳夜様がまたサプライズとか言って変なコスプレで俺らを待ち構えてるんやで」

「いや、あれは完全にしけたから二度とない」

「鐡夜が暴れてんじゃね」

「また影斗泣かされたんかな。可哀そうに」


 三人はぶつぶつ言いながら、とりあえず廊下を歩きながら人を探すことにした。何か本当にまずいことが起きているのなら、まずは情報確認が必須だ。

 しかし、本邸の中は妙なほど静まり返っており、誰の気配もない。


「なあ。なんか変じゃない? 静かすぎるっていうか」

「うん。なんか怖なってきた。てか、寒ない?」

「しっ。なんか聞こえる」


 三人が廊下の角に差し掛かった時、遠くから汚い鼻歌が聞こえてきた。耳を澄ませ、音を立てないようにその声を聞いていると、なぜか体がガタガタ震えてくる。


「なんなん。誰」

「わからへん。でも……」


 三人は鼻歌が近づいてくる前に、もと来た道を戻り始める。振り返ることなく、なるべく音をたてないように、急いで。


「はあ、はあ、はあ」


 冷や汗が止まらない。なぜかわからなかったが、体中が警鐘を鳴らしているかのようだった。三人は外に出ると、目に付いたお堂に身を隠すことにする。ここなら結界が張ってあるので、ある程度は安心できる。

 会話をすることもなく、一心不乱にお堂を目指し、扉を開け、中に飛び込む。


 安心した三人は、ふと振り返って本邸を見た。


 その時、遠くの縁側で動いている男の姿を一瞥する。


 ニヤリ。

 男がこちらを見て笑ったような気がして、強く扉を閉めた。



※ ※ ※ ※ ※



 必死に駆け回って影斗が見つけた住人は、あの三人だけだった。浄霊院家に住んでいる人間の数は、新参者の風牙を含めてちょうど二十人だった。影斗はトシミが作った使用人たちのスケジュール表を思い出し、玄関までやってくる。巨大な置時計の時刻は三時すぎだ。スケジュール表を見て、学校に行っている者がもういないことを確認すると、残りの人間がどこにいるのかを考える。


(あとは……あとは誰だ……!)


 焦って思考が回らない。誰を探さなければならない。誰に伝えなければならない。落ち着け。この間にも屋敷に危険が迫っているかもしれない。

 ふと、先ほどの三人が頭によぎる。ちゃんと非難したのだろうか。地蔵堂か、お堂なら結界が強固だ。シェルターになる。

 玄関から外に出て、三人を探す。すると、崖の上のお堂に入っていく三人が見えた。影斗はほっと胸を撫でおろす。

 よかった――――――。


 ひゅー。どん。


「えっ」


 小さい真っ赤な火球が屋敷の中から放たれた。


 そしてそれが、花火のように大きく弾けた。

 お堂は木っ端みじんに吹き飛び、一瞬で燃え尽きた。


「ぁ……」


 口を開け、声にならない呼吸を吐き出す。すぐに、これが現実だという意識が影斗を支配する。


 自分が、自分が、避難しろと言った。

 だから三人は避難した。

 だから、だから死んだ?

 どうして。なぜ。なんで。なんで――――――。


 じわじわと影斗の視界が狭くなる。顔を、泥のようなものが這い、ひんやりと気持ちの悪い感触が覆う。

 ふと、手を添えた影斗の指先に、無機質なものが当たる。


 面だ。顔に、面が張り付いている。

 意識がぐらりと揺れ、感覚を失った影斗の意識は、暗闇に堕ちる。




ちょっとホラーテイストの話が続いているような気がします。

話のタイトルでもある酔骷のキャラがなんとなくわかればいいのですが。


それにしても影斗くん、大戦犯……

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