きまぐれ
浄霊院厳夜の一言は、風牙を凍り付かせた。
何もできない。はっきりそう告げられた風牙は、反論しようと車いすから身を乗り出す。
その様子を察した厳夜は、畳みかけるように続ける。
「お前の過去は知っている。お前が、復讐に取り憑かれていることも。
その上で問おう。お前はこの七年間一体何をしてきた。お前を大切に思っている者の声に、耳を傾けたことはあったか。闇雲に突っ走り、後先考えずに行動する。それは、最も愚かな行為だ。
強さとは何か、それをお前は全く分かっていない。
お前は、うぬぼれているのだ。自分を強いと思い込んでいるだけの阿呆。どれだけ強さを手に入れようと、今のままでは、求めているものは決して手に入らない」
風牙は歯を食いしばる。風牙の心に一言一句はっきりと、厳夜の言葉が響く。
脳裏にふと、祖父の顔が浮かんだ。
両親を失い、唯一の家族となった祖父は、風牙が自分を追い込むことをたびたび心配していた。
しかし風牙は、止めろと言われても聞かず、自分を追い込み続けた。
その上、黙ってここに来ている。
うぬぼれていたかもしれない。無計画で飛び込んで、危うく殺されかけたと知った。
確かに、無謀だった。
――――――だが、自分の行動が間違いだったとは思わない。
風牙は、拳を握りしめる。
「俺は……確かにバカだ。あんたの言うとおり、黙ってここに来てる。誰の話も聞いてなかったかもしれねえ。でもな! このまま帰るわけにはいかねえんだ」
「……」
風牙は、車いすから身を乗り出し、厳夜の座るデスクに両手をつく。
「俺は、浄霊院紅夜のことが知りたい。だからここに来た。
確かに、俺は昔から、考えるのとか苦手だし、考えるよりも先に突っ走っちまう。あんたの言ったことは当たってる。
正直、迷惑かけた。謝る!
でもな……俺はどんな手使っても、あの男のことを知りたいんだ!! そのためにはなんだってやってやる!! だから……」
風牙は体重を支える腕を曲げ、額をデスクに打ち付けた。風牙の額に、痛みが走る。
その衝撃で、書類の束が床に落ちる。
「俺を、本当にここで雇ってくれ!! 怪我、治してくれた恩も返してぇんだ!! だから、頼む!!!」
がくがくと腕が震え、今にもバランスを崩し、倒れそうである。
厳夜は、持っていた判を置くと、風牙を見つめる。
「……ここに、お前の知りたい情報はない。それでもここにいるというのか? それとも何か、情報があるという確信でもあるのか」
風牙は、ゆっくりと頭を上げる。
厳夜は、風牙の目に強い意思を見た。瞳の中に炎が宿っている。
「確信はある!」
右足を庇い、ぐらぐらと体を揺らしながら、車いすの座席に置いてあった自分のスマホを取る。
ホームボタンを押し、写真のフォルダを開くと、画面を厳夜に見せつける。
それは、一枚の古い写真を撮影したものだった。
銀髪の青年と赤い髪の青年が、楽しそうに笑い合っている。
「情報、消されてて何もつかめなかった。でも、これだけは自力で見つけた。
あんたに会って確信した――――――これって、浄霊院紅夜と、あんただよな!?」
厳夜は、目を丸くする。時間を忘れ、じっと風牙のスマホ画面を見つめる。
「あんたは、浄霊院紅夜のことを知ってる。これだけでも、根拠になる!」
風牙は、左腕だけで体を支えていたため、腕の力が限界に達する。
バランスを崩し、体が左方向に倒れていく――――――。それを見た厳夜は、風牙の右腕をつかみ、支えた。
「ふっ」
突然、口角を上げた。
初めて風牙に見せた笑みは、ずいぶんと柔和なものだった。
「まさか……いや。間違いないな」
風牙は、一人でくつくつと笑う厳夜を、訳が分からず見つめている。
厳夜はしばらく一人で笑った後、再度風牙に問いかける。
「その写真、どこで見つけた」
「え?」
「いいから言え。どこで見つけたんだ」
厳夜は食い気味に風牙に問うた。先ほどまでの冷たい雰囲気とは正反対の様子に、風牙は驚きを隠せない。
「想術師協会の本部。色々調べてる時、浄霊院紅夜の傀朧の気配を感じた。俺は絶対気配を間違えねえ。んで、穴を掘ってみたら、木箱に入ったそれがあった」
「木箱は? 壊したのか?」
「勝手に開いた。わけわかんねー」
厳夜はそれを聞くと、満足げに深く息を吐き出す。風牙を車いすに無理やり座らせると、耳元で告げる。
「何でもやる、先ほどそう言ったな。では明日から働いてもらう」
「あ、ああ。何でもやってやるぜ……って、ええ!?」
厳夜は、困惑する風牙を尻目にいたずらな笑みを浮かべ、車いすを押し始める。
「お前は愚かで、世間知らずなガキだ。うぬぼれも強い。何より阿呆だ。一度挫折を味わうべきだろう。
私がお前をここに置くのは、完全な“きまぐれ”だ。だが、その写真を見つけたのは偶然ではない」
「どういうことか説明……うごっ」
厳夜は、風牙の顎を下から押さえつけ、顔を上に向かせる。
喋れなくなった風牙は、口を開こうと、もがく。
「これからは、私に質問したければ徳を詰め。それか、力ずくで私の口を割らせてみるのもいいかもな。あと、手掛かりを得たければ自分の足で探せ。仕事の合間なら、屋敷を探索しても構わん」
厳夜は、車いすを部屋の外に出すと、指をパチンと鳴らした。
厳夜の手がようやく顎から離れる。
車いすが傀朧を纏い、ひとりでに動き出す。
「お、おい!! なんなんだよ!! 意味わかんねーよ!!」
バタン。扉が勢いよく閉まる大きな音で、風牙の声は掻き消えた。
* * * * *
ぎい、と椅子を軋ませ、厳夜は立ち上がった。
執務室の窓から見えるのは、月明かりに照らされた夜の森。真っ白に彩られた木々から、雪が勢いよく落下する。
厳夜は窓を開ける。流れてくる冷たい空気が、肌に当たる。外は、先ほどまで吹雪いていたのが嘘のように晴れ渡っていた。
「……五十年か」
つぶやきが、ぽつりと窓の外に吐き出される。厳夜は清々しくも、どこか疲れたような表情で、冷たい外の空気に身をゆだねる。
遥か昔のことを思い出す。
無礼で、馬鹿で、不器用で、自分に正直。あの少年を見ていると、すべてを変えてやると息巻いていた、若いころの馬鹿な自分と重なる。
――――――俺が、必ず運命を変えてやる。俺が、必ず紅夜を救って見せる。
在りし日の、遠い約束。決意。運命に抗って、この家の因習、想術師の世界、そのすべてを変えてやる。そう約束した。
しかし――――――銀髪の青年は、赤い髪の青年を助けることはできなかった。
二人の運命は大きく変わり、赤い髪の青年は、厳夜の前から姿を消した。
五十年、片時も忘れることはなかった。ずっと、後悔していた。馬鹿で愚かな自分の屍の上を歩き続けてきた。屍は、踏みつけて、踏みつけて、押さえつけても、這い出てくる。
後悔は、決して消えない。
「旦那様。ノックの音が聞こえなかったようですが、何かございましたか」
厳夜が振り返った先にいたのは、老紳士だった。手に持っている銀色のトレイに乗せたコーヒーから、湯気が揺らめいている。老紳士は、デスクの上の空になったマグカップと、それを交換する。
「……すまない。昔のことを思い出していてな」
老紳士は、厳夜の語気に普段とは違う寂しさのようなものを感じる。
「何かありましたか」
「そうだな……馬鹿なガキの戯言に、年甲斐もなく大笑いしてしまった、といったところだ」
厳夜は窓を閉めると、デスクに座り直す。老紳士は、信じられないと言いたげな目線を厳夜に送り、机の上にトレイを置いた。
「厳太。あの少年―――功刀風牙をしばらくこの家に置く。世話をしてやってくれないか」
「な……何をおっしゃいますか。危険です。もしものことがあれば……」
厳夜の言葉に、老紳士こと西浄厳太は狼狽える。
浄霊院家、主に厳夜個人に仕えて五十年以上経つ彼にとって、厳夜の発言に衝撃を受けるのは日常茶飯事だった。
厳夜は、浄霊院家を背負って立つ立場となってから、冷徹にリスクとなりうるものを排除してきた。その過程で、主人の行く手を阻むリスクは陰ながら消してきた。それは今も変わらない。
老紳士は思わず唇を噛む。想術師協会で力を持ち続け、権力を維持するために必要な手段、方法、そのすべてを知っているはずの厳夜が、なぜこのようなことを言うのだろうか。
「旦那様。もし、あの少年が間者だったとして、“十二天将たちの核”が盗まれたらどうなさるおつもりですか。それに、今は特にこの家に他人を入れてはならない。それはお分かりでしょう」
「ああ。もちろんだ」
「ではなぜ……!」
老紳士は声を荒げる。この家には、守らなければならない秘宝がある。その上、決して他の想術師に知られてはならない秘密を抱えている。
それが明るみに出れば、浄霊院家のパワーバランスを失いかねないどころか、手を打たなければ家の立場すら危うくなるほどの事態となる。
「もし、咲夜様のことが、協会に知られれば……」
「わかっている。だが、もうすぐあいつが来るだろう。どちらにせよこのままでは、知られるのも時間の問題だ。ならば、事態を変える一手を打たねばならん」
「その一手が、あの少年だとでも言うのですか?」
老紳士は、厳夜に顔を近づけて睨み続ける。厳夜は深く息を吸い込むと、老紳士に告げる。
「あの少年は、世界を変えるかもしれないんだ」
厳夜の声が、わずかにうわずる。
老紳士は、荒唐無稽にも思える主人の言葉に、首を横に振った。
「何を言っているのです……」
「根拠はない。正直、私もやきが回ったのかもしれんな。老い先短い私が、かつての夢の残像を、走馬灯のように見ているだけなのかもしれん」
厳夜は、緊張感なく老紳士に微笑みかける。
――――――そう思えば、主人の笑顔を見るのは、いつ以来だっただろう。
「少し、かけてみたいと思ったのだ。浄霊院紅夜を追って、ここまで来たあの少年が、ここで何をし、何を感じ、何を成すのか。それが見たい。理由はそれだけだ」
老紳士が次に見た主人は、もういつもの冷静な表情に戻っていた。
「わかりませんね、私には」
「私が責任をもって監視する。功刀家との関係もあるからな」
老紳士は机に置いたトレイを手に取り、執務室を出ようとする。
扉を開けたところで厳夜が、すまんな、と呟いた。
「……承知いたしました。仰せのままに」
厳夜は、ぎいい、と音を立てながら閉まる扉を見つめ、椅子に深く腰掛けた。
五十年前に撮ったあの写真。兄弟で撮ったあの写真は、もうこの世に一枚しか存在しない。その写真の持ち主は、厳夜ではない。
七年前に死んだ兄が、持っていたものだった。
「兄さん……まだ、生きているのか」
厳夜は、天井を見上げる。
「それなら私も、まだ死ねんな」