鶏小屋にて
ちょっとした閑話をはさみます。
あのキャラの意外な一面が深堀されるとかなんとかの回です(笑)
「んんー」
風牙は大きく体を伸ばし、気持ちよさそうにあくびをする。
太陽が昇り、鳥の鳴き声が聞こえる山から、風が下りてくる。
風牙は朝が好きだった。起きた時に全てが始まる、そんな感覚。たとえ昨日嫌なことがあっても、寝て起きれば忘れる。
朝の掃除を手慣れた様子でこなし、終わらせる。
最近は、庭の花壇に水をやる仕事もしている。風牙が植えた根が張りたての植物たちが、水を浴びてキラキラと輝いている。そんな様子を見て嬉しそうに笑った風牙は、水が空っぽになったジョーロを水道の横に置いておく。
今朝は特に、気持ちのいい朝だと思った。太陽の日差しが日に日に強くなり、春が進んでいるのを感じる。このままではあっという間に、暑い夏がやってくるだろう。
夏が来るということは、風牙にとってあまり好ましいことではない。夏が来れば嫌でもあの日を思い出してしまう。
八月十九日。故郷が焼けた日。
重く濁った殺意が、風牙の心に沁み込んできた。どんなに楽しいことを経験しても、どんなに明るい記憶で塗りつぶしても、これだけは決して忘れられない。
風牙はため息をついて自室に戻る。自分は何をしにここにいる。浄霊院紅夜に復讐するためにここにいるのだ。それ以上考え込んでも仕方がない。
「……今日の仕事は」
風牙は部屋に張られた表を確認する。これを見ると、自分に割り当てられた一週間のスケジュールがざっくりとわかる。
番匠宙と戦ってから丸二日経っていた。もう体に何の問題もないが、仕事が滞っている。頑張って挽回しなければならない。
(あのオバハンに、また怒られたらだりーしな)
仕事に慣れてきた風牙は、基本的に自分の裁量で一週間の仕事を決めることができるのだが、週末にトシミによるチェックが入る仕組みになっていた。
何か事情がない限り、トシミが使用人たちの仕事を割り振る役割を担っているので、チェックの段階でできていないとこっぴどく説教される。
風牙は一番大きな仕事から片付けることにした。
「……鶏の世話」
おそらく、一番時間がかかりそうな仕事はこれだった。やり方がよくわからない上に、何をすればいいかもよくわからない。スケジュールの欄外に、『浄内義光の補佐』と書いてある。
「誰だこいつ」
名前だけ書かれてもよくわからない。風牙に残された手がかりは、鶏小屋の位置が書かれた簡単な地図だけである。
「んー。とりあえず行ってみっか」
※ ※ ※ ※ ※
本邸から少し離れた山の中。獣道を抜け、道なき道を行くと、開けた場所に出る。
不意に鶏の鳴き声が聞こえる。フンか飼料かよくわからない独特の匂いがして、風牙は鼻を押さえた。
どうやら、ここで間違いないらしい。
「こんちわー」
軽く挨拶してみるが、返事がない。こっこっこ、と鶏が返事をするだけである。
(んー。いきなり来たのがダメだったのかな)
風牙は一応、小屋の入り口が空いていたので中に入る。網状の二重扉の先に、鶏たちがたくさん動き回っている。
鶏たちは、風牙が近づくと一斉に逃げていく。その様子が面白かったので、ついニヤッと笑って鶏を追いかける。
――――――その時、小屋の角で息を殺して立っている人影があることに気づく。
「おわっ!!!」
風牙は驚きすぎて飛び上がる。飛び上がった勢いに、驚いた鶏たちも飛び上がる。
その様子を見た人影―――口元にネックウォーマーをした和装の男は、手から飼料をパラパラと落とした。
目を丸くして、不審に満ちた風牙の目を見つめる。
「……えっ。誰」
風牙は、男のつま先から頭までじっくりと見つめて、余計に不安感を募らせる。
男はぴくりとも動かない。足元に落ちた飼料を食べに、鶏が数匹集まってくる。
「……えっと?」
「……心臓が止まる」
「いや、こっちのセリフだって」
男は震える声をようやく出すと、咳払いをする。身をかがめ、集まってきた鶏に触れようとするが即逃げられる。
「あ……」
左手に持っていた飼料が入った小さな袋を地面に落としてしまう。それを拾おうとした瞬間、小屋の鶏たちが一斉に男に襲い掛かる。
「あ」
風牙が手を伸ばした時にはすでに遅く、男は鶏にもみくちゃにされて全身をつつかれる。
※ ※ ※ ※ ※
「大丈夫かおっさん」
「……ああ。問題ない」
「ほんと?」
「問題ない」
「だったらさ、もっと近くに来いよ」
着ていた着物をボロボロにされ、頭の上に鶏の羽が乗っている姿を見て、風牙はため息を吐く。男―――浄内義光は悲しそうに外から小屋を見つめ、項垂れていた。
結局、風牙に小屋から救出された義光は落ち込み、なぜか小屋に入ろうとしなかった。 そのため、指示だけもらった風牙が、小屋の中の掃除を行った。
鶏たちは、何事もなかったかのように綺麗になった小屋の中でのんびりと動いている。
「なーなー、何で小屋の角っこにいたんだ? あんなんじゃ寄って来ねえだろ」
「……俺が近づくと逃げる」
「そりゃ逃げるだろ」
「餌を持っていても逃げる。中々心を開いてくれない。だから、ゆっくりと距離を縮めていた。だが失敗した」
先ほどの襲われようはとてもひどいものだった。鶏たちの気性が荒いと言うか、単に義光が舐められているというか。
「おっさんが世話係なの?」
「ああ。俺が飼っている」
「懐かれてねえのな」
風牙にズバッと指摘され、義光は哀しい顔で俯く。
「懐かれてーのか?」
こくりと頷く義光に、風牙は耐えられなくなり、吹き出してしまう。
「だったらさ、もっと明るくいけばいいんじゃねえの? 警戒しすぎだろ」
「……いや、あまりぐいぐい行っても」
「動物だってそーゆーのわかるだろ。だって、俺が掃除してる間、あいつら大人しかったぜ」
風牙はもう一度エサをやればいいんのではないか、と言いかけたところで、エサがないことに気づく。
「そう言えば、エサどこにあんの?」
「もうない」
「えっ。どうすんだ?」
「買いに行く」
義光は立ち上がると、小屋の横にある木造の物置に入り、引き出しを開けて車のカギを取ってきた。
「功刀風牙。すまなかったな。後は俺がやる」
「えっ。おっさん何で俺の名前知ってんの?」
「来た時会った」
風牙は腕を組んで、目じりにしわを寄せて考える。
「あ」
思い出した。雪の中、仁王門で会った門番の男だ。刀を向けられた記憶が蘇る。男に連れられ、厳夜と対面したところまで思い出した。
「あんときの!」
「……」
義光は無言のまま物置の中に入り、扉を閉めようとする。
「なあ! 俺も行く」
「……行くのか」
「うん」
「ちょっと待て」
しばらくすると、物置の中からスーツに着替えた義光が出てくる。物置は生活ができるように改造されているようで、畳の上に置かれたこたつとみかん箱が見えた。
頭にハットを被り、サングラスをしている。ネックウォーマーはそのままなので、非常にそれが浮いている。
「うわ、だっせ」
「……」
義光は一瞬狼狽えたが、すぐにスタスタと山を下り始める。
「何なんだよその恰好」
「町で和装は目立つからな」
「だからって、スーツにネックウォーマーって。サングラスいらなくね?」
「し、しかし……このスタイルは親父さんに……」
「親父? あー。じいさんな。でも、おっさんには似合ってねえぞ」
「……」
義光はサングラスをポイっと山の中に捨てる。
「そーかそーか! あんときの、こえーおっさんか。忘れてたぜ」
「……仕方がない。俺はお前を敵かと疑ったからな」
義光は首だけ回し、風牙を一瞥すると再び前を向く。
「すまなかった」
「ん、何が?」
「え……いや、だからだな……」
「なんかしたっけ。あんときは案内ありがとな!」
風牙はニカッと歯を見せる。それを見た義光は、ネックウォーマーを上にグイっと上げる。耳が真っ赤になっている。
「それにしてもおっさん、あんまし屋敷で見ねーな。いつもどこにいんの?」
「……」
「もしかしてあそこに住んでんじゃねえだろうな」
義光の足が早まる。
「門に住んでんの? んーでもそれはないか。なんか他にも仕事してんの?」
義光は、風牙の明るいトーンで繰り出される質問に答えることなく、足に傀朧を込める。そして、高く跳躍すると、逃げるように山を下っていく。
「えー!! 待ってって!!」
※ ※ ※ ※ ※
「はあ……」
「何で逃げんだよ……」
結局、十五分ほど追いかけっこをしたところで二人は息切れを起こす。
目の前の駐車場には、一台の軽トラックが止まっていた。
「……俺は人付き合いが苦手だ」
「そうなのか? なんか俺が悪いことしたのかと思ったぜ」
義光は、一息ついてから軽トラックに乗車する。風牙もそれに続く。
「その……礼を言われるとは思っていなくてだな……」
「軽トラ! 久しぶりに乗るなー。実家でたまに、農家のじいちゃんに乗せてもらってたっけ」
ぼそりと呟く義光を完全に無視し、風牙は楽しそうにシートベルトを締める。
エンジンがかかり、車が発進する。舗装された山道をすいすいと下っていく。
「で、どこ行くんだっけ?」
「ホームセンターだ」
「その恰好で?」
「……」
浄霊院家から一番近いホームセンターまで車で四十五分ほどかかる。道中、風牙が楽し気に義光に話しかけ、それに義光が答えているうちに到着した。
そういえば、と風牙は考える。浄霊院家に来てから初めての外出だった。そのためつい、はしゃいでしまうのだ。車内でもきょろきょろと辺りを見渡し、景色を楽しんでいた。
やってきたホームセンターはかなりの大型店舗で、大量の通路の上に番号が振られている。店に入った風牙は、その広さに驚くと同時に、どこにペット用品のコーナーがあるかを探し始める。店員が歩いていたので、すぐに場所を聞く。
「60番通路? ってとこにあるらしいぜ」
「よくわかったな」
「店の人に聞いた」
義光が大きな買い物カートを押してくると、二人で60番通路へ向かう。
棚の下の方に、十五キロ入りの大袋があった。それをありったけ五つ、カートに積む。
それよりも他の商品が気になり、キョロキョロしている風牙を差し置いて、義光はレジに向かう。
「……」
義光は、不意に空気を流れてきた肌に当たる嫌な傀朧の気配に目を細める。
見ると、レジ係の若い女性の体に、青黒い傀朧でできた鎖が巻き付いていた。太く、見るからに重そうな鎖が巻き付いている女性の顔には生気がない。
「なっ!」
風牙もそれに気づいたようで、急いでレジの女性に近寄る。
「なああんた! 大丈夫か……むぐ」
義光がサッカー台を乗り越えようとした風牙の口を塞ぎ、ずるずると引きずってレジから離れる。
首を傾げている女性の顔が見えなくなったところで、風牙の口を開放する。
「何すんだよ!! あの鎖を切って、あの人助けねーと!」
「逸るな。あの鎖がどんな性質を持っているのかわからない以上、迂闊に手出しするのは危険だろう?」
低い声で諭された風牙は、不満げな顔のまま押し黙る。
「とりあえず、これを買うだけ買って外に出る」
レジを済ませ、外に出た二人は飼料の袋を荷台に積み、外から女性を観察する。
巻かれた鎖は、禍々しい傀朧でできており、一見しただけでは何の概念の傀朧かを特定できない。
「やっぱ俺、あの鎖を切ってくる! ほっとけねーだろ。あんなにしんどそうなのに」
女性は、目の下にクマを浮かべ、覇気のない様子で接客している。風牙の指摘通り、鎖は女性の体力を確実に奪っているようだった。
義光は、冷静に現状を脳内で整理する。
助けるべきだ。それは当たり前のことだ。しかし、もし鎖を断ち切ったことにより、何か大事に巻き込まれでもすれば、厳夜に迷惑がかかるかもしれない。
「……どんな事情があるにせよ、勝手に手を出して大事に巻き込まれれば、想術師協会から咎められるのは俺たちだ。下手をすれば厳夜さんに迷惑がかかることになる。協会が明確に管轄を定めている以上、手を出さない方がいい。想術師は、ルールを守らなければならない。そうしなければ……」
人が死ぬ。そう言いかけて、義光は止めた。
風牙は首を横に振る。
「そんなの知らねーよ! あの人、傀異のせいで死ぬかもしれねーんだぜ。そうなったら取り返しがつかねー。ルールが命を奪うなんておかしいだろ」
風牙は義光に背を向け、再び店内に入ろうと歩き出す。
その背中が、ある人物の背中と重なって見えた義光は、止めることができなかった。
息を吸うように、人のために動く人間を一人知っていた。太陽のように明るく、皆を笑顔にする。そっくりな背中だった。誰よりも真っ直ぐな、その男を思い出す。
「……陽介か」
しかし――――――もうこの世にはいない。
義光はため息をついて、今にも店に入ろうとする風牙を追う。
「待て」
義光は、風牙の肩をつかむ。
「何だよ!」
振り払う風牙に、義光は告げる。
「俺に考えがある」
※ ※ ※ ※ ※
夕方五時。レジ係の女性は、勤務を終えて帰路に就く。
足取りは重く、ふらついている。何とか車に乗り、帰路に就く女性は慎重に車を運転する。十分ほど進んだところで、女性は住宅地の中にあるパーキングに車を止める。
まるで苦しみから逃れるかのように足を速め、飛び込むように向かった先は、とある集会場だった。扉を開け、中に入る。集会場の中には、体に傀朧でできた鎖を巻いた女性たちが、びっしりと椅子に座っていた。皆、真っ青な顔で苦しそうに息をし、誰かがやってくるのを待っていた。
――――――不意に部屋の奥の引き戸が開き、誰かが入ってくる。
ボロボロの黒い布に覆われた、人型の異形。顔になる部分は、“ひょっとこ”の面が付いており、歩くたびに面が左右に揺れている。
『ヨク来タネェエエェェエ。スバラシイ。会イタイ。ミンナ幸セ。オナカガ吸イタ』
甲高い不気味な声だった。よくわからない言葉をつぶやいた後、筋張った両腕を広げる。
すると、女性たちに巻き付いていた鎖が伸び、人型の異形の両手に巻き付く。
女性たちから傀朧を吸い上げている。何人かの女性は、傀朧を吸われたことにより意識を失って床に倒れる。
その瞬間。
集会場の窓ガラスが割れる大きな音と共に、割れガラスを纏った風牙が部屋に突入する。
「てめえ……そこまでだ!」
足をとめることなく、最短距離で異形に接近する風牙。女性たちが座るパイプ椅子の間をすり抜け、異形の元に迫ろうとした時――――――。
「なっ……」
女性の一人が、足をかけて風牙を転倒させた。
予想外の出来事に、風牙は受け身を取るのが一瞬遅れる。
異形は、手に巻き付いた鎖を振る。すると、女性たちが一斉に風牙の上に圧し掛かり、風牙を拘束する。
風牙はもがくが、女性の力が傀朧で強化されているようで、びくともしない。
人型の異形は、ゆっくりと風牙に近づくと、上から顔を覗き込む。
そして異形は、腕に巻き付いている鎖を振るい、風牙の顔面を殴りつける。
「待ッテイマシタ。クヌギフウガガガガガガ!!」
吐き散らした言葉からは、激しい喜びがにじみ出ていた。




