洋館へ
風牙を乗せた車いすは、長い廊下を抜け、角を曲がる。廊下を通ると、木の床がギシギシと音を立て、軋む。
風牙の目の前に、渡り廊下が現れる。浄霊院家に来た時よりもずいぶんと強くなった雪が、渡り廊下の床にも降り積もり、進行を阻んでいる。
「寒みー!」
風牙は寝間着のままだったので、着物の袖や胸元から冷たい風が入り、ぶるぶると震え上がる。
「この先にある離れの洋館に、旦那様の執務室がある。ちょっと我慢しろよお客様」
いつのまにか甚平の上から分厚い羽織を羽織っていた影斗を見て、風牙はムッとする。
「俺にはないのかよ」
「え? 何が」
「そのあったかそうな服!! 俺のは!?」
「ごめん。おれの、着る?」
「いいよ! それだとお前が寒ぃだろ」
影斗は申し訳なさそうに、雪が吹雪く渡り廊下に向かって車椅子を押していく。車いすが分厚い雪の上に差し掛かった時、影斗はそっと、車いすから手を放す。
「うおっ寒ぃ……!! しぬしぬ!!」
車いすは雪を踏みつけ、停止する。押しても、これ以上雪の重みで進まない。
「ちょっと待ってろ。すぐに向こうに着くようにするから」
影斗はぼそりとつぶやくと、白い息を吐き出す。
それに呼応するように、影斗からにじみ出た傀朧が、黒い影に形を変える。車いすの車輪の下に這い出て、道を作る。
影は雪を黒く染めあげると、渡り廊下の奥に向かって伸びていく。
「なにこれ。お前の想術?」
「うん」
『影渡り』。
この想術は、展開した影の上を自由自在に移動できるというものだ。
想術とは、傀朧を操る術全般のことを指す。
魔術、妖術、呪術、陰陽道―――世界中で千差万別存在する様々な傀朧を使った技術の総称として、想術という言葉が用いられている。
基本的に想術は、文字通り術者の想像が原動力となっている。
想像を、核となる概念に結び付けて初めて、傀朧は想術となる。
影斗の想術はわかりやすく、想像に“影”という概念を結び付けて発動させている。
「いや。いいな、これ。めっちゃかっけー」
震えながら羨ましがる風牙に、影斗は思わず面食らう。
「おれの想術は……影、だけど、ぜんぜん下手でうまくできない。高位になれば影の中に入ったり、影を変化させて攻撃したりできるらしいんだけどな」
思わぬ風牙の発言に、肩の力が抜けた影斗はそう説明する。
雪が、横殴りに風牙の体に当たる。
渡り廊下をするすると進んでいく間、風牙は車いすの上で震えていた。
向こう岸に渡れたところで、風牙は体にびっしりとついた雪を払い、ほっと息をつく。鼻水をすすり、着物の襟をぎゅっと引き上げる。
「ついたぞ」
渡り廊下の先にある大きな扉――――――影斗は、その重々しい扉を開ける。温かい色の光と共に、風牙の目に飛び込んできたのは巨大なシャンデリアだった。
こげ茶色のフローリングは、ワックスが塗られており、壁に等間隔で並ぶ電飾の光を反射している。綺麗なデザインの洋風窓は、綺麗なレースカーテンで彩られ、細かい模様の入った大きな柱で支えられている。
先ほどの和室と雰囲気があまりに違うので、風牙はきょろきょろと辺りを見渡す。
「ここ、厳夜様の趣味で三十年くらい前に建てたらしい。すげーよな。厳夜様は基本的にここで仕事をしてる。寝食もここだ」
影斗は、車いすをさっさと押して洋館の中へ進んでいく。
二階へ上がる豪華な階段を素通りし、奥へと続く廊下を進む。部屋をいくつか素通りしたところで立ち止まると、ドアをノックする。
「失礼します。連れてきました」
影斗は扉を開けると、車いすを室内に入れる。
部屋は、風牙のいた客間と同じ十二畳ほどの広さで、シンプルなデザインだった。
入って左の壁に暖炉があり、オレンジ色の炎が揺らめいていた。正面に、応接用の椅子と机が置いてある。基本的に装飾や家具はないが、小さな青い花の油絵が壁に飾ってあるのがよく目立つ。
車いすは、応接用の机の前まで移動する。大きなデスクの上に置いてある大量の書類に目を通していた銀髪の老人が、二人を一瞥する。
次から次へと書類に判を押しては、何か書き加えるなどしている。
「寒い中ありがとう影斗」
「いえ、失礼します」
影斗は一礼して執務室を出ていく。扉の閉まる音を聞いた屋敷の主、浄霊院厳夜は、小さくため息をついて仕事の手を止めた。
「何か飲むか」
「……いらねー」
「そうか」
厳夜はマグカップを持って立ち上がり、風牙の前、応接用の椅子に座り直す。
「さて……何から話せばいいのか……それすらわからんな」
風牙は真っ先に、気になったことを質問する。
「なあじいさん。あん時のこと、あんまし覚えてねーんだけど、なんかしてたのか?」
「では、まずはその話からするか」
厳夜は、ブラックコーヒー入りのマグカップを手に取り、口につける。
「結論から言えば、お前に想術をかけていた―――正確に言えば傀具だが。
恐れや不安を掻き立てる、特殊な煙を出す線香……それを焚いていた」
「はあ!? なんだよそれ!!」
傀具とは、傀朧を循環させることで想術を発動させることができる特殊な道具の総称である。傀朧の浄化、回収、想術のサポートなど、用途は多岐にわたる。
傀具の最大の利点は、傀朧を充填するだけで、自動で想術を行使してくれる点だ。想術を直接使わずとも、間接的に術が発動する。
つまり、術が発動したと気づきにくい。
「来客に気づかれずに想術を使う必要があったのでな。突然術が発動すれば、お前とて警戒しただろう」
「……んー。つまりどういうこと?」
厳夜は、遠慮なしにストレートに告げる。
「最近、浄霊院家を嗅ぎまわるガキがいると、報告を受けた。だから面接を装って、その輩をおびき出すことにした。たまたま私のスケジュールが空いていたから、直々に出迎えた。間者なら、直接手を下すために、線香の傀具を焚いた……そんな感じだ」
厳夜の中では、端的にわかりやすく言った自覚があった。しかし、目の前で口をポカンと開けて虚空を見つめる少年を見て、思わずため息をついてしまう。
風牙は、腕を組んでしばらく考えたのち―――あ、と呟く。
「面接って、嘘で、俺をおびき寄せて殺そうとした……ってこと?」
「ああ、そうだ。伝わったか」
風牙はようやく、自分が殺される一歩手前だったことを理解したらしい。
「じゃあ、下働きを募集してるってのは?」
「嘘だ」
「仁王門にいたおっさんは、面接って言ったらわかったぜ?」
「芝居だ。私が指示していた」
厳夜は、こめかみを押さえて下を向く。
「私が言いたいのはな、功刀風牙。よりによって嗅ぎまわっていたのがお前だったということに、私が心底驚いている、ということだ。同時に、調査不足を痛感している。
私が出迎えなければ、お前は確実に殺されていただろう」
「俺は殺されねーよ! なめんじゃねえ」
ふてくされた風牙を、厳夜が殺気立って睨みつける。風牙は、気圧されて身を引く。
「た、確かに……あんたには負ける。それはわかる。でもな……!」
「だから、自らナイフで動脈を刺し穿ったと? 正直、お前のような阿呆は見たことがない」
風牙の足が、ずき、と痛む。
一際深いため息をついた厳夜は、話す気をなくし、執務用のデスクに戻る。
「……家に帰れ。お前のような阿呆は見たことがない。お前と話をすると疲れる」
「二回も言うなって! 俺だって、ここに来たのにはちゃんと理由があんだよ!」
「理由だと?」
しまった、と風牙は思った。なんと言えばいいのか。
正直に言うか、嘘をつくか迷っていると、厳夜が先に声を出す。
「私はな、お前のことをよく知っているぞ、功刀風牙。
お前がここに来た時点で、大方察しはついている」
トン、トンと書類に判を押していく音が室内に響く。
風牙は、その音の合間で、ごくりと唾を飲み込む。
「だからこそ言える。お前は何も手に入れることなどできん」
はっきりと告げた厳夜の表情は、吹雪のように激しく、冷たかった。