拳、それは意志となりて
明けましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
遅くなりましたが、週一投稿を再開したいと思います。
年明け一発目は戦闘回です。
夜の風が辺りの木々を揺らす。光る巨大な石の中、月明かりに目が慣れてくる。
風牙は圧倒的強者と対峙している。宙には、そう思わせるだけの凄みがある。
凛とした佇まいの宙は、まったく動じない風牙を見て、胸元の懐中時計を揺らす。
「いいわ。じゃあこうしましょう。
あなたが寝ている咲夜ちゃんに触れられたら、あなたの勝ち。咲夜ちゃんを返すわ。でもその前に、あなたの傀朧が無くなれば、私の勝ち。咲夜ちゃんは連れていく。どう?」
宙の提案は、一見簡単そうに見える。触れるだけ、という条件ならば、宙だけに気を付けながら咲夜に近づけばいい。風牙は二つ返事で条件を飲む。
「いいぜ。望むところだ」
宙は口元を歪ませる。
そして、まるで勝ち誇ったかのように厳夜の近くの石に腰かけると、足を組んだ。
「さ、どうぞ」
右手を風牙に差し出し、さっさと動けと言わんばかりに促す。
それを見た厳夜が目を細める。
「風牙……」
「厳夜さん。わかってると思うけど」
「ああ。手出しはせん。私もお前たちの勝負で納得しよう。風牙が咲夜に触れるか、風牙の力が尽きるか」
厳夜は風牙をまっすぐに見つめる。その目が、咲夜を頼んだと告げている気がした風牙は、大きく頷く。
「終わったら、ちゃんと説明してくれよ。それも条件な」
「いいわ。あなたの聞きたいこと何でも話してあげる」
ならば――――――風牙は条件を飲むことを、自らの先制攻撃とする。
寝ている咲夜に視線を移すと、素早く地面を蹴る。
咲夜との距離はわずか数メートル。触れるのに幾何の猶予もない
はずだった。
――――――カチ。
時計の針の音が、風牙の脳裏に響き渡る。
その瞬間、目の前の咲夜が消えた。
「!?」
強烈な違和感を認識した時、すでに風牙の両足がきちんと地面についていた。
何が起こったのかわからない。目の前にいたはずの咲夜が、先ほどよりも離れていた。
まるで、行動そのものがリセットされたような、そんな感覚だ。
「な……」
風牙は、自分の体の状態にも異変があることに気づく。
息が軽く上がっている――――――。
何もしていないはずなのに、確かに息が上がっている。まるで、ついさっきまで誰かと戦っていたような、そんな感じ。
風牙の本能は瞬時に、自分の状況を顧みて冷静に思考を働かせる。
先ほどと同じ位置で咲夜は寝ており、厳夜も動いていない。
変わっていることが、一つだけあった。
「ふーん。先手必勝って? いい判断ね」
番匠宙の、いる位置だけが変わっている。彼女はいつの間にか立ち上がり、咲夜の傍で風牙を見つめていた。美しい茶髪が風で靡く。まるでこちらの動きを観察しているかのような視線に、風牙は軽い焦燥感を抱く。
「意味わかんねー」
理解できないならば行動する。それが風牙の出した結論だった。
単純だが、一番効率的だ。もしこれが何かの術で、風牙を攻撃しているのならば、もうすでにやられているだろう。そう思った。
風牙は再び足を強化し、足から傀朧を大量に放出する。その推力で咲夜の体まで最短の時間で迫る。
風牙の指先が、咲夜の体に迫る。
触れる。あと、数センチ――――――。
カチ。
「攻撃されているわけではない。そう思ったのは正解ね。でも」
再び風牙の頭に、時計の針の音が響き渡る。
瞬間、風牙の体に強い倦怠感が沸き起こる。
「はあ……はあ……」
激しい息切れ。まるで全力で動き回った後のようだった。
風牙はまた、咲夜から数メートル離れた位置にいた。拳を構え、緊張で体が強張っている。
「瞬発力も、体の使い方も並みの想術師を凌駕してる……優秀だよ君」
淡々と自分を褒める宙に目を向ける。宙は風牙に背を向け、光る石に再び腰掛けるところだった。
「……なんなんだこれ」
風牙は激しく息を吐き出すついでに、言葉を吐き出した。
今にも消えそうな、疲労に満ちた風牙に、宙は冷たく言い放つ。
「もう終わり?」
風牙は宙の挑発にまんまと乗せられ、足に傀朧を纏わせる。負けじと再び咲夜に向かって飛び上がる。
風が、風牙の動いた後に、衝撃となって枯れ葉を巻き上げる。
――――――カチ。
「……っ!」
また、時計の針の音がする――――――今度は、左足に強烈な痛みを感じた。
風牙は地面に両ひざをつく。
額から流れる汗と、ぼんやりとしてきた視界からわかることが一つだけあった。
(俺、傀朧を使ってる……のか)
風牙の思考がだんだん働かなくなっていた。
何が起こっている。疲労で、うまく体も動かなくなってきた。
疲労―――傀朧―――左足の傷―――咲夜に近づけない。
断片的に頭をぐるぐる回るキーワードが、風牙の目を回す。
「ヒントを教えてあげようか」
焦る風牙を見透かしたかのように、宙が軽く問いかける。
「君はあと何回、飛び掛かれるのか。それを考えた方がいい」
「意味わかんねー!」
しかし、風牙は宙の忠告を完全に無視し、再び咲夜に手を伸ばし――――――。
「考えろよ! それだったら……」
カチ。
「がはっ!」
時計の針の音。その瞬間に、風牙の背が巨木に打ち付けられる。
風牙は地面に倒れる。全身に鈍痛が走った。まるで全身を殴られたかのような、そんな痛み。
今、風牙は森の中にいる。もう咲夜の姿は見えない。かなり遠くまで飛ばされてしまったようだ。
疲労感も相当増しており、すぐに立ち上がることすらできない。
「君の動き、ずいぶんと遅くなってるね」
「……あ」
風牙は、何かに気づいたように口を開ける。宙は、木の間から顔を出して風牙を眺める。
「そろそろ気づいたかな」
「全然わかんねえ」
「なんやそれ」
宙は、ナチュラルにツッコんでしまった自分を責める。
風牙は立ち上がると、宙に向かって拳を突き出した。
「いや、忘れてたなって。俺、あんたと戦ってるんだった」
風牙は咲夜に触ることよりも、宙に意識を向ける。
これまでは、ただ我武者羅に咲夜に触れようとしてきた。その結果が、あの奇妙な現象なのだとしたら――――――。
「咲夜に触るのは、あんたに勝ってからでもいいだろ」
「ふーん……じゃあ私に攻撃する?」
風牙は拳を構え、宙に迫る。
その動きを見た宙は、正面から叩きつけられる拳をガードしようと手を前に出す。
しかし――――――風牙の拳は宙の体ではなく、地面に突き刺さる。
瞬間、放出した傀朧が土煙を巻き上げ、宙の顔を覆う。
「!」
顔に向かって飛び散る土を、咄嗟に腕で防ぐ。そうすると必然的に風牙が視界から完全に消える。
その隙を狙って、宙の背後に回り込む。
右腕で首を締め上げると、背後に重心を乗せ――――――。
「!?」
宙が首から下げているアンティーク調の懐中時計の針が、大きく動いた。風牙は、それを確かに目撃する。
カチ。
――――――それを皮切りに、世界が一瞬で変化する。
地面が見える。顔面から叩きつけられる。
体を傀朧で強化しているとはいえ、すさまじい圧だ。
激しい痛みと、土が顔に当たる感触。
「ごほっ……げほ……」
土を吸い込みそうになり、大きく咽る。
「優しいね。そのボロボロの拳で殴りかかればいいのに」
宙は風牙の右腕をつかむ。その手は裂傷だらけだった。
「情けなんてかけんな。殺す気で来な」
カチ。
傀朧の爆発的放出――――――宙は、力いっぱい風牙を投げ飛ばしていた。
風牙の体は何度も地面に叩きつけられながら、木々を何本も押し倒す。そのたびに、気を失いそうになるほどの痛みに襲われる。
投げられたと理解した時には、森の奥の一際大きい樹木に、体を打ちつけて止まっていた。
血と汗で視界が真っ赤に染まる。頭を打っていた。手足の感覚もない。骨は砕け、肉は抉れ、見るも無残な姿になっている。意識が、痛みに支配されている。
「特別一級想術師ってね、厳密に言うと、一級より強い階級じゃないんだ。
定義は特にないんだけど、私が思うに一級相当かそれ以上の実力を有し、協会にとって……いや、この世界にとって危険な固有想術を使用する存在を当てはめている。それが、特別一級想術師だと思ってる」
宙は、どこか疲れたような足どりで風牙に近づく。
ボロボロになり、満身創痍の風牙を悲哀に満ちた表情で上から覗き込む。
「君の負け。わかったでしょ。現実はそう甘くない。君はきっと、私を傷つけないように立ち回っていたの。ずっとね。でも、優しさは時に弱さになる。覚えておきなさい」
風牙は実感した。
これまでずっと、一瞬でワープしているような感覚に陥っていたのは間違いだったと。
本当は、ずっと動いていたのだ。
風牙は真っ赤な視界で宙を見つめる。
「……フェアじゃないからね。教えてあげるよ。
私の固有想術、“虚構渡航”は、十秒後の未来に飛ぶことができる。
私は生まれつき、任意のタイミングで十秒後の未来を見ることができる体質でね。私が見えている未来に、無理やりこの世界を飛ばすことができる。だから、君が何かをしようとした瞬間、時間が飛んで結果だけが生まれた。
本来辿るはずだった未来、という制約はあるけど、過程をすっ飛ばして結果にたどり着ける。世界そのものに干渉することができるから、協会が恐れて私を特別一級にしたの。簡単な話、監視対象にしたってわけ」
宙は、ため息を吐くと夜空を仰ぐ。
「ごめんね少年。最初から君が勝てる未来なんてなかった。それがわかっていて、君に勝負の条件を提示した。イカサマだった」
それを聞いた風牙は、体に力を入れる。
立ち上がろうともがいている。まだ、やれる。そんな意思を体現するかのように体が動く。
「十秒の過程をすっ飛ばすってことは、その間に経験した行為を一気に結果に持っていくってこと。だから、いつもより疲労感は増しで襲ってくるような気がするし、気を遣って傀朧をいつもより消費する。それは体験した君が一番わかってるはず」
風牙は巨木に背を付け、何とか立ち上がった。よろよろと、今にも再び倒れそうな姿だ。呼吸は震え、右腕は妙な方向に曲がり、足も折れている。
そんな風牙の姿を、宙は直視できなかった。
「……私が君なら、理不尽すぎて情緒を保てないと思う。それがわかってるくせに、未来予知なんて馬鹿げた想術を使ってるの。幻滅してくれても構わない」
風牙は、よろよろと宙に向かって歩き始める。
「……すげーな」
「……?」
風牙の口が大きく歪む。呼吸を整えながら、ニカッと歯を見せる。
宙は風牙の様子を見て、違和感を覚える。
虚ろな風牙の目は死んでいる。もはや戦うことすらできないほど追い込んでいるはずだ。
しかし風牙は――――――楽しそうに、笑っていた。
宙の背筋に、悪寒が走る。
――――――理解できない。
頭がおかしくなったのかと思った。
「なあ……マジで……未来が見えんのか?」
「……そうよ。だから、君が次に何をするのかが手に取るようにわかる」
風牙の笑みが深まる。
「……それってさぁ……俺はすげーと思うけど……使ってみたら楽しくねえだろ……全部、わかってるなんてつまらねえ。つまんねえよなぁ」
「……っ。だから何だというの?」
一転――――――風牙の纏う傀朧が歪な色に染まる。
恐怖を濃縮したような、そんな概念の傀朧だった。得体のしれない、重厚な傀朧。
宙の本能が、危険を察知する。
「図が高いぜ……人間」
ギロリ。
風牙の視線は殺気に満ちている。
否、目の前にいるのは誰だ。
気づけば、宙の右腕を、風牙の左手ががっしりつかんでいる。
宙は、防衛本能で十秒後の未来を見る。
――――――風牙は倒れ、自分はそれを見ている。
止めを刺したのか――――――とどめを。
殺したというのか、風牙を。
そんなことはしない。決して、しない。ではなぜ。
――――――一瞬の思考のブレが、宙に大きな隙を生んだ。
風牙の顔が、自分を覗き込んでいる。
真っ赤な瞳、鋭い歯、顔の左側を覆いつくす大きな爪痕のような文様。
そしてなにより、死を直感するほどの冷たい殺気。
息が、止まる――――――。
※ ※ ※ ※ ※
カチ。
虚構渡航が発動する。時間が飛び、宙の見た未来になっていた。
風牙は倒れ、それを荒い息の自分が見つめている。
何が起きた。何をした。考えてもわからない。無意識に時を飛ばした結果、その過程が消し飛んだ。何が起こったのかを理解できない。
「く、そっ……」
宙は風牙を抱きかかえる。まだ息がある。しかしあの不気味な感じを思い出し、手が震える。おそらく自分は、十秒で出来得る最大の攻撃を風牙にしたに違いないと思った。
「ごめん……今治療を」
その時、意識のないはずの風牙がまた笑った。
「まだ終わってねえよ」
「えっ……」
その声は、爽やかな風牙の声そのものだった。宙は思わず風牙から手を放してしまう。
風牙はしっかりと地面に着地する。
「なあ。未来って変えられんのか?」
風牙は宙の目を見据え、力強く言葉を紡ぐ。
体の傷が治っている――――――。
宙は、混乱した頭のまま、風牙の言葉の意味を考える。
どういう答えを期待しているのだろうか。しかし、どうあがいても未来は変えられない。それが事実だった。
「無理だよ」
「そうか。んじゃあさ……」
風牙は拳を突き出す。拳の先は、宙ではなく未来を捉えているように。
「俺は十秒後、咲夜に触れて、あんたに勝つ。これが未来な」
宙の心臓が跳ねる。風牙の言葉には、重みがあった。
この十秒で何が起きた。わからない。わからないが確かに風牙は回復している。それだけは事実だった。
混乱する思考の中、宙の心の中に眠っている僅かな願いが呼び起こされる。
――――――たとえどんなに願っても、決して変わらない。変えられない。
宙はずっと、未来を変えてくれる人間が現れるのを待っていた。
あの時も、ずっと。浄霊院厳夜が現れるまで、ずっと。
「じゃあ変えてみてよ」
ぼそりと宙は呟いていた。
宙はまた、未来を見る。
咲夜の傍で、地面に這いつくばる風牙の姿。今度こそ完全に意識を失っており、宙の勝利が決まる。そんな光景だった。
風牙は走り出す。咲夜の元へひた走る。真っ直ぐに。
そんな背中に、意識がくぎ付けになる。
風牙は結局、未来を変えられなかったのだ。
混乱した状況もあり、面食らって出遅れたが、宙の意識が風牙を追い始める。
「未来なんて、俺が吹っ飛ばす!!」
吠えた風牙に合わせて、宙は“虚構渡航”を発動する。
「無理よ……もういい」
悲しみを纏った宙の一言――――――セオリー通りなら、未来を見たのちすぐに十秒後に飛ばなければならない。しかし、風牙のボロボロの背中が、宙の意識を縛り付けていた。
なぜかはわからないが、宙の心を締め付ける悲しみが、ほんの一秒間だけ術の発動を遅らせた。
カチ。
時計の針が、十秒後を告げた時――――――。
宙は風牙に向かって右手を伸ばしていた。あと数センチのところで、風牙が咲夜に触れている。
「なっ……」
ボロボロなくせに――――――無邪気に笑う風牙の顔が、宙の心に深く突き刺さった。




