来訪者 ②
番匠宙は、厳夜の執務室につくなり、大きなソファにダイブした。体をぐっと伸ばし、完全リラックスモードであるである。
「……ここはお前の部屋か」
「いいじゃん。日頃から、堅苦しい監査ばっかで疲れてるんですー」
宙はソファの上で、ごろりと体を回転させ、厳夜のデスクの方を見る。
後ろから風牙の冷たい視線を感じるが、気にも留めない。
「今、お前がここにいるのもその仕事の一環だろう」
「そうだけど、真剣にやるわけないじゃん」
椅子に深く腰掛けた厳夜は、机に肘をつき、頭を抱えた。風牙から見て、ずいぶん疲れているように見える。
「甘いもの食べたい―。そこの天然少年買ってきてー」
「ぜってーいかねーし」
風牙は宙のことを、だんだんと“ポンコツ残念美女”のように思い始めていた。
子どもっぽいというか、情けないというか――――――。
「おい」
拳を軽く机に叩きつける音と共に、厳夜の低い声が響く。風牙と宙は厳夜の方を向いた。
「宙。すまんがお前にかまってやれるほど、私の機嫌は良くない。たたき出される前にさっさと要件を言え」
(じいさん、今日は元気ねーな)
何かあったのだろうか。そう心配する風牙をよそに、怒られた子どものようにしゅんとなった宙は、ソファから起き上がる。
「ごめんなさい。久しぶりに厳夜さんに会えるからって気が抜けすぎました」
宙は、きちんと椅子に座り直すと、レザージャケットの胸ポケットから一枚の紙を取り出す。
「私が今日ここに来た理由は、情報統制局経由で確信的な情報がこっちに流れ込んできたからです。そこの少年にもわかりやすく説明するね」
宙は同じくポケットから取り出した想術師免許を、風牙に見せる。
「改めて。私の役職は想術師協会内部監査局主席監査官。一応、特別一級想術師ってことになっているけど、そこは気にしないでね」
「とくべついっきゅう? そんなのあったっけ?」
首を傾げる風牙を見て、厳夜が補足する。
「宙は、想術師協会内部の権力や不正を正すために派遣されてくる、監査官という役職だ。特別一級想術師とは、一級想術師よりも名目は上……協会の中でも五人しかいない特別な存在だ」
「そうなんだぞ少年。もっと敬ってもいいんだぞ」
特別―――特別。
風牙の脳裏に、先ほどまでの宙の行動がフラッシュバックする。
―――立ち振る舞い。
―――つかみどころのない言動。
―――子どもっぽい。いや、違う。大きな、胸?
「わかっているのか風牙」
風牙は、ぶんぶんと首を激しく縦に振った。
「……それで、私に何の容疑がかけられていると言うんだ」
「では、これを」
宙は厳夜に紙を見せる。受け取った厳夜は、一瞥した後すぐに紙を突き返す。
「……どこからのリークだ」
「それは守秘義務。ただ言えるのは、確かな情報筋とだけ」
風牙は、厳夜が突き返した紙をひったくる。そこに書かれていたのは、お堅い文章ばかりだ。そこは読まずに、一番大きく書かれているところだけを読み上げる。
「えっと……朧者の違法所持……ってなんだ?」
「勉強不足かな~?」
「無茶を言うな。朧者のことは一介の想術師に触れ回るような情報ではない。傀朧管理局勤務の準一級以上なら、まだ知っているかもしれんが」
「まあそうね。法政局やうちみたいなとこだと、常識だけど」
宙は、風牙に説明をする。
「朧者というのはね、その身に過剰な量の傀朧を宿すことができる特殊な人間のことよ。普通、私たち想術師は、外界に存在する傀朧を取り込んで、術を行使する。傀朧は自分で生み出すことができないわけではないけど、実用レベルまで集めるには、取り込むしかない。でも、朧者は違う。
傀朧は、概念に集結する。人間の想像の集まりやすい概念であればあるほど、発生しやすくなるよね。朧者は自ら、その概念になると考えるとわかりやすいかな。自らが概念だから、勝手に傀朧が集まって、溜まっていくの」
風牙は真剣な表情で頷いた。
「朧者は、すごく珍しい存在なの。百年に一人いるかいないかくらいのとても珍しい存在。だから、古来よりその有用性を悪用しようとした輩が多数いて、朧者が現れると協会が保護するようになっているの」
「……保護か。それは嘘だ」
厳夜は苦い顔で立ち上がると、窓の外を眺める。
「で、私が朧者を違法に匿っていると。確かにそれは重罪だな」
「まさか心当たりがある、とか言わないですよね」
厳夜は振り返り、宙の顔を見つめる。ピリピリと部屋の空気が震え、体から漏れ出した傀朧が厳夜を中心に渦巻く。
「宙……いいか。私の調子が悪いのはだな、お前に話があるからであって……」
「厳夜さん」
宙は厳夜の言葉を遮り、鋭い瞳で見つめ返す。
「私が言いたいのは、そういうことじゃない」
宙はソファから立ち上がると、ケロッと表情を崩し、困惑する風牙の肩を抱く。
「んじゃ、私は少年と一緒に屋敷探検に出かけまーす」
「おい宙……」
強引に宙に連れられ、部屋を出る風牙。廊下まで出たところで宙の腕を跳ね除ける。
「い、意味わかんねーし!」
「えー? だって君、屋敷を探検したいんでしょ? 門のところで邪魔しちゃったし、そのお詫びも兼ねて、一緒に探検できたら効率いいなって思って」
「……なんで知ってんだよ」
風牙の心の中に湧き上がるモヤモヤが、ある種の確信に変わる。
番匠宙は、風牙のことを知りすぎている――――――。
屋敷を探索する、という風牙の目的は、厳夜と風牙しか知りえぬことだった。それを、この女性はさも当たりまえかのように口走る。違和感と共に、不快感に似た感情がふつふつと湧いて出る。
「なああんた。なんで俺のことをそんなに知ってんだ。俺はあんたと初めてあったし、バンジョウヒロ、なんていう名前も知らねえ」
「うん。初めて会ったよ」
「じゃあなんで……!」
警戒心をむき出しにする風牙に、宙はフッと口元を歪ませる――――――。
「んっっ!?」
その瞬間、宙は風牙の口元に人差し指を当てていた。
風牙は考えるよりも先に理解する。これは、時間を圧縮する想術を自分や物にかける技――――――縮時法と呼ばれる技術だ。想術師ならば最初にマスターする基礎的な技術なのだが、決して簡単な術ではない。大抵は小さな物を移動させる程度しかできない。いわゆる自身の体を“瞬間移動”させることができる想術師は、非常に稀だった。
「知りたいよね? だったら私について来なさい。これは命令」
風牙の背筋が凍る。一瞬、目を見開いて風牙を覗き込んだその瞳の奥に、得体のしれない圧があった。そして放たれた傀朧の密度が恐ろしく高く、まるで研ぎ澄まされたナイフを肌に当てられたかのように、体に緊張が走った。
風牙の額にじんわりと汗が滲んだところで、宙は元の笑顔に戻る。
「はーい! んじゃ、案内ヨロシク~」
風牙に背を向けてそそくさと歩き始める宙を見て、風牙は額の汗を拭った。
特別一級想術師。
先日、厳夜の戦いを見た時に受けた衝撃に、近しいものを感じる。
規格外―――まさにそんな言葉がふさわしい。
「へっ」
自然と上がる口角。
憧憬が、心に火を灯す――――――。
「どうしたの?」
「別に」
風牙は、宙の後を追いかける。
※ ※ ※ ※ ※
午後六時。屋敷の中は、突如現れた謎の美女の話題で持ちきりだった。屋敷に帰ってきた浄霊院鐡夜の耳にも、嫌でもその話題が入ってくる。
鐡夜は無関心を装い、さっさと自分の部屋に戻ろうとする。誰が屋敷に来ようが、どうでもいい。それ以外に考えることが山ほどある。
「おっすーてっちゃん!」
しかし、その歩みを遮るように、鐡夜を見つけた少年が明るく声をかけてきた。
橙色の短髪で、浄霊院本家守備隊の服を着ている。
手を振りながら無邪気に笑うその顔を見た鐡夜は、小さくため息を吐く。
「……んだよ、良平」
鐡夜は露骨に嫌そうな顔で応える。
「つれへんーな。いつものことやけどささ」
「んじゃ話しかけてくんな」
「嫌やー」
変顔で返されたことにイラっときた鐡夜は、顔を引きつらせる。
「なあなあ! 耳よりの情報あんねん! 見た? 謎の超絶美女!」
「ちっ、下らねえ。見てねえし興味もねえよ」
「そう言わんと見に行ってみぃや!」
良平と呼ばれた少年は、鐡夜に耳打ちする。
「てっちゃんの好きな……高身長ボインボイン美女やで」
「テメエまじでしばくぞコラ」
両手で、胸の大きさを表すジェスチャーをした良平の頭を、鐡夜は豪快に叩いた。
「痛ってーな!! せっかく教えてやったのに」
「バカが」
「ハリウッド女優みたいやったのに」
「知らねえ」
「功刀風牙くんのツレみたいやったのに」
「……ア‶ア‶? 今なんつった」
良平は、しまったと言わんばかりに口元を押さえる。
「功刀、風牙のなんだってェ……?」
「げふんげふん。いやなんか、仲良さそうに一緒に歩いてたな……とか。アハハ……」
その発言が火に油を注ぐことになったと気づいたのは、鐡夜に胸倉をつかまれた瞬間だった。
「どこにいやがるその女は」
「知らないっす……見たの一時間くらい前やし……」
鐡夜は良平を軽く突き飛ばすと、大股歩きで部屋に戻る。
「あ! 明日はちゃんと講堂に来てなー!」
「うっせえ!! 誰が行くかボケ!」
ただでさえ、誰かが屋敷に来たくらいで大騒ぎするような連中に腹が立ってたのに、功刀風牙の名を出されてイライラが大幅に増す。いちいち敏感すぎる使用人たちにうんざりしていた上、功刀風牙が関わっている――――――意識したくても意識してしまうことに、さらに腹が立つ。
鐡夜は大きな舌打ちをすると、誰もいない縁側に胡坐をかいて座った。
功刀風牙と言えば先日、老紳士こと西浄厳太から言い渡された仕事内容を思い出してしまう。
京都市内に行って、大量のぬいぐるみを確保してくること。
予算は一万円で、手ごろな大きさのものを百体――――――。
――――――鐡夜。いつも勝手に出かけている貴方なら、買い方はわかっていますね。ああもちろん。想術の使用は禁止です。傀朧を使えば、残滓で分かるから使わないように。もし使えば。
「あのジジイ……ふざけやがって」
殺される。マジで殺される。
西浄厳太は苦手だ。まるで影みたいに音もなく忍び寄ってきて、すべてを知っているかのように説教をしてくる。それに、文句なしに強すぎる。
老紳士は、普段の鐡夜の悪行をさらりと見抜いてくる。
勝手に出かけていることもバレているし、UFOキャッチャーに想術をかけて、自然と景品を落とすようにしていたり、存在を薄くする想術でこっそりパチンコ店に出入りしていることも知っている。
以前、その要領でタバコを買って吸っていると――――――本気で怒られたことがある。
その時は、真剣に命の危機を感じたほどだ。恐ろしくてそれ以来、タバコを吸いたい時はココアシガレットを買うようにしているほどだ。
結局鐡夜は、リサイクルショップやゲームセンターを回り、なるべく安くぬいぐるみを手に入れた。もちろん、想術は一切使わなかった。そのせいで、ファンシーなぬいぐるみを大量に抱えて町に繰り出すことになり、子どもや女性に後ろ指を指された。
思い出せばまた、顔が真っ赤になりそうである。
そもそも、風牙が自分を殴らなければ、壁や地蔵堂が損傷しなかったのだ。完全に、風牙のせいだ。
また怒りが湧いてきた鐡夜は、イライラを発散するために外に出る。
あの火事以降、心が落ち着かない。
影斗、風牙、そして自分自身の行いが脳内でぐるぐる回って離れない。
イライラする。イライラしている自分に、さらにイライラする。
「あ‟~うぜえ!」
森に向かって叫んでみる。鳥が驚いてバタバタと飛び去っていく。それをぼんやりと見つめる。
――――――何をしても、自分の怒りが収まることはない。
あの日、西浄影斗が自分の兄を殺した、あの日からずっと。
「ちっ!」
しばらくして、鐡夜は自分の部屋に戻ろうとする。
本邸の離れにある自分の居住スペース。木々の中にひっそりと佇む小屋だった。ワンルーム程度で汚かったので、厳夜から本邸の中の部屋に住むかと言われたこともあったが、ここがいいと拒否した。本邸の中は騒がしくて嫌いだ。
扉を開け、中に入る。部屋は洗濯物やお菓子などの食べ物で散らかっている。
部屋の中央の床に、一際目立つ真っ白な仮面が置いてあった。
それが不気味に鐡夜を見つめている。
能面というイメージにふさわしい、不気味な小面だった。細い目、小さく開いた口、見た者を嘲笑っているかのような存在感――――――。
鐡夜はその仮面を拾い上げる。仮面の下に、メモと一緒に純白の和紙が十八枚置かれていた。
――――――ちょうど、大人以外の住人の数である。
鐡夜はメモを開いて、中を確認する。
「……オレが」
鐡夜は、仏頂面のまま紙に傀朧を込める。
すると、紙は青い炎に覆われ、一瞬で燃え尽きて消えた。
「オレが、あいつらを……守らなきゃ」
鐡夜は仮面の不気味さをかき消すように、殺気を込めて能面を睨みつけた。
てっちゃんの好みは、高身長ボインボイン美女です( ..)φメモメモ




