地蔵とねこと、影揺れる
すいかねこちゃんが可愛い第二弾です……にゃ。
――――――遠くでカラスが鳴いている。
視界が朱色に染まり出す夕暮れ時。壁などの修復、およびぬいぐるみの配置がすべて終わり、風牙は地蔵堂の入り口で一息ついた。
「結構時間かかっちまったな」
「ぬいぐるみに気を取られてたからですね」
掃除道具をしまい終わり、戻ってきたヒカルが軽く返事をする。
「お前、結構楽しそうに見てたよなー」
「はい。僕は見た目通り、子どもなので。風牙くんこそ、ずっとすいかねこのぬいぐるみを気にしていたから、僕と同じく子どもなんじゃないですか?」
「うるせー! 俺は子どもじゃねえ!」
ヒカルは、ニコニコと無垢な笑みを浮かべる。地蔵堂の中は、ファンシーなぬいぐるみで完全に埋め尽くされている。これでは地蔵堂ではなく、ぬいぐるみ堂という言葉の方が似合う。
おにぎりを乗せてきたお盆を手に持ち、地蔵堂を出ようとした咲夜は、心配そうに質問をする。
「ねえヒカルくん。流石に思ったんだけど、地蔵じゃなくても平気なのかな? 私がこの間来た時は、もう少しちゃんとしたお地蔵さまがあった気がするんだけど」
「そうですね。石でできた地蔵の方が、やっぱり長持ちはするみたいです。傀朧を常に中に宿らせないといけないので、どうしても劣化する。だから半年に一回くらいは取り替えないといけません。まあもし、ぬいぐるみに傀異が宿れば、話は別なんですがね」
ヒカルは、地蔵堂右奥の角でうずくまっているすいかねこを一瞥する。
どんよりとした空気が、すいかねこの周りを漂っている。さっきからぴくりとも動かない。
「俺、傀異がぬいぐるみに宿ってるの初めて見た。てか、傀朧全然出てなかったからわかんなかった」
「傀異は、物に憑くと安定する性質があるとはいえ、珍しいと思います。大抵は器が持たないらしいですね」
風牙の言う通り、すいかねこからはほとんど傀朧が発せられていない。想術師でも、注意深く見なければ普通のぬいぐるみと勘違いしてしまうだろう。
「本当に不思議ですよね。これは厳夜様に相談した方がいいと思います」
三人の視線を感じたすいかねこは、ゆっくりと振り返る。
「……にゃんにゃんだ汝ら! 見るにゃ! こんな体たらくでは、西方の守護神が後世の笑い種にされてしまう……にゃ」
「にゃ、って言ってるよな」
「言ってるね」
「かわいいですね」
「はうっ……!! ねこなんぞ……ねこなんぞ……一生の不覚!! 恥だぁぁぁ!!」
顔を真っ赤にし、涙目になっているすいかねこを見かねた咲夜は、そっと抱きかかえる。
「あの……貴方は本当に白虎なの?」
「うう……この体たらくでは、想像もできんだろうがな」
「私が呼んだ……の?」
「汝以外に誰が呼べるというのだ……神巫女」
「えっ……」
ねこは、自らのことを白虎と名乗っている。それが気になった風牙は、横にいるヒカルに耳打ちをする。
「白虎って俺、聞いたことあるぜ。確か、京都を守る守護神だっけ?」
「ええ。古来より存在する最高位の式神の一体です。
浄霊院家は、元々安倍晴明を始祖とする陰陽道の血筋で、時代と共に独自の想術形態を形成してきました。風牙くんは“十二天将”という言葉を聞いたことがありますか?」
「えっと。確か、想術師協会の偉い人のなんかじゃなかったっけ?」
想術師協会最高意思決定機関“十二天将”。
想術師同士の決め事は、協会ができる以前より名のある想術師による合議制で決められていた。その伝統が現在でも引き継がれ、会長を筆頭とした十二人の想術師たちが協会を仕切っている――――――風牙の知っている十二天将はこのことだった。
「そうです。そのシステムは安倍晴明が都を守るために使役していた十二の式神にあやかって作られたシステムです。
青龍、朱雀、白虎、玄武のいわゆる四神に加え、勾陳、六合、騰蛇、天后、貴人、太陰、太裳、天空――――――。
彼らは、十二の方角をそれぞれ守護する存在で、安倍晴明にとって必須の想術―――六壬神課の象徴であったとされています。これは今でいう天文学と干支を組み合わせた想術形態で、未来を予知できたとか。六壬神課をはじめとする晴明の操る陰陽道は、膨大な傀朧量と晴明の圧倒的なセンスにより、当時全盛であった想術体形、“呪術”をはねのけ、向かうところ敵なしの最強と謳われたそうです。
この想術形態は、現代では失われていますが、浄霊院家は古来よりこの十二天将と契約を結び、独自の術浄霊院祓式を今に伝えています」
風牙は、ヒカルがはきはきと説明するのを聞いて、ポカンと口を開けていた。
「……って、厳太さんから教わりました!」
ヒカルは、照れ臭そうに笑う。咲夜もその説明を聞いており、驚きが顔ににじみ出ている。
「ヒカルってすげーな」
「私も知らなかったわ。すごいねヒカルくん」
感心する二人をよそに、すいかねこはだけはヒカルを睨みつけている。
「ふん。知ったような口を聞きよって。肝心な情報が入っておらぬわ」
「えっ。どういう情報ですか?」
すいかねこは、ビシッとヒカルの顔を指さして、
「余こそが、十二天将最強最高で、崇高で孤高な……」
「アホじゃねえの」
風牙は素早くツッコミを入れて、話を遮る。
「せめて最後まで言わせろ! 余の威光……」
「うっせー! 言ってることもその姿も、全然説得力ねえし」
すいかねこは、咲夜の腕から飛び出すと、風牙の顔面に張り付く。
ジタバタと暴れる一人と一匹を見て、ヒカルは咲夜に告げる。
「確かに説得力はないですけど、これってすごいことなんじゃないですか?」
「そうかな……? でも、ねこちゃんのぬいぐるみの中に召喚しちゃうこととかってあるのかな?」
「うーん。そこなんですよね。一度厳夜様に見てもらいましょう。きっと詳しいことをご存じでしょうし」
咲夜が頷くと、ヒカルは二人のケンカの仲裁に入る。
自分が召喚した――――――それも、浄霊院家の要である十二天将を。
咲夜はそれが信じられなかった。
「私は」
咲夜は自分の両手を眺める。
ずっと、自分には才能がないと言い聞かされていた。
傀異は見えても、傀朧を操ることができない体質なのだと。咲夜はこれまでに自分が想術を使えるなどと思ったことはなかったし、実際に想術を使うことができなかった。
ズキ――――――。
頭に痛みが走る。
今一瞬、何かを思い出したような気がした。
―――夜空。
―――宝石のような星。
―――笑う少女。
―――楽しい。
―――でも、真っ赤。
「……っ!!!」
咲夜はガタガタと震える自分の両手を、再び見つめる。
込み上げてきている。体の奥から。傀朧が。尋常じゃないほど。
こんなことは初めてだった。そしてそれに伴い、恐怖が増していく。
「咲夜様?」
「へっ……!?」
「大丈夫ですか? 汗がすごいですよ」
心配そうに咲夜を覗き込んだヒカルの顔を見て、咲夜の心は自然と落ち着いた。
なぜかはわからなかったが、ヒカルの顔を見ていると震えが徐々にましになっていく。
「咲夜―! 屋敷に帰ろうぜ!」
風牙がこちらを見て、ニカッと笑っている。
咲夜も精一杯の笑顔で返す。
「うん。ねこちゃんも連れて帰ろうね」
「誰がねこちゃんだ! 虎、虎!」
すいかねこを再び抱いた咲夜は、風牙とヒカルと共に地蔵堂を出た。
すいかねこは、自身を抱く咲夜の腕が妙に緊張しているのを感じ取り、咲夜の顔を見上げる。
(……全く、この小娘が。だが、厳夜との約定があるでな。余は何も言わん)
「おい小娘」
「えっ。どうしたの?」
「腹減った」
「ふふ……何を食べるのかな」
咲夜の緊張がわずかに緩んだのを感じたすいかねこは、満足そうに腕の中でふんぞり返った。
※ ※ ※ ※ ※
――――――屋敷の壁掛け時計が二十三時を告げる。
夜も更け、浄霊院家の一日が終わり、使用人たちも明日に備えて寝るこの時間に、少し緊張した面持ちで主人の帰りを待っているのは、西浄影斗だった。
(……どうして急におれに頼んだんだろ)
普段から、外出した厳夜の帰りは遅い。だから、普通の使用人ではなく、厳太が出迎えることがほとんどである。しかし、地蔵堂の修復作業とか何とかで、どうしても、と厳太から頼まれてしまった。
(影で分身造ればいいのにな)
普段、祖父とあまり会話することがない影斗にとって、厳太に頼み事をされるということは、何かあるのではないかと勘繰ってしまう。火事の一件以来、祖父の様子がどこか変だ。気を遣っているというか、よそよそしいというか。だが結局、何も言ってくれないのでわからない。
――――――初めて会った時もそうだった。
父を亡くし、厳夜に救われ、この屋敷にやってきた時、初めて祖父に会った。
顔を見た時、少し驚いた後、ただずっと押し黙るだけの祖父の姿。
冷たい印象を受けた。物心ついてから一度も会ったことがなかったのだ。何を話していいかもわからないのは当然だろう。
しかし祖父は、本当に何も説明してくれなかった。
どうして自分と父だけが、あの家にいたのか。
あの家にさえいなければ、父は――――――。
知りたいことはたくさんある。わからないこともたくさんある。
でも、祖父は何も言ってくれなかった。
バチバチ。
入り口付近で稲妻が走る。影斗は、ハッと顔を上げ、急いで深く礼をする。
「おかえりなさいませ!」
「……ん? 影斗か。珍しいな。体はもう大丈夫なのか?」
厳夜はサングラスを外してケースに入れ、ジャケットを脱ぐ。
かなり疲れているようだった。顔から疲労がにじみ出ている。
しかし、久しぶりに影斗の顔を見て嬉しくなったのか、厳夜の表情が緩む。
「は、はい! その……ご迷惑をおかけしました」
「迷惑などと言うな。お前が無事で本当によかった」
慣れない手つきで、ジャケットとカバンを受け取った影斗は、厳夜から目を反らす。
「どうした。何かあったのか」
「いえ! 大丈夫です。気を遣わせてしまってすみません」
その後二人は、何の会話もなく厳夜の書斎まで移動する。
厳夜は、部屋の明かりをつけ、空調のスイッチを入れる。影斗は、厳夜のジャケットをクローゼットのハンガーにかける。
「ここなら誰も聞いていない。話してみなさい。話せば楽になるかもしれん」
厳夜は、影斗に椅子に座るよう促す。しかし影斗は、慌てて拒否する。
「本当に……大丈夫です。ちょっと疲れちゃってるだけなんです。本当に気を遣わせてしまい、申し訳ありません」
貼り付けたような笑顔だと、厳夜は思った。
影斗は、良くも悪くもわかりやすい。ほとんどの感情が顔に出る。しかし、これ以上追及するのは野暮だ。
「そうか。いつでもいい。気が向いたら、また話してくれ」
影斗は、ぎゅっと口を噤んだ。目がウルウルしている。今にも泣きそうだった。
そんな悪いタイミングで、部屋の扉がノックされる。
「おーい。じいさんいるか?」
影斗の体が、ピクリと震えた。




