面接
老成―――そんな言葉がよく似合う声だった。突き刺すようにはっきりと口に出された言葉は、少年に重い緊張を与える。
凛々しい顔つきだが、顔に刻まれた深い皺が、生きた年数と潜ってきた修羅場を物語っている。
身長はずいぶん高く、180㎝はあるだろう。姿勢がよく、すらりとした体格からも存在感が放たれている。
老人は被っていたハットとサングラスを脱ぐと、堂の隅に置かれていた座布団を引っ張ってきて、少年の前に胡坐をかいて座った。
「まあ座れ」
老人は、少年をまっすぐに見据える。強い目力と威圧感に、思わずたじろぐ。
(このじいさん、やべえ……)
圧倒的な強さ、身に纏うオーラ――――――。
少年はこの老人が想術師協会会長、つまり“浄霊院家当主”であると悟った。
じんわりと汗が額から滲み、足の力が抜けていく。
足に意識を集中させ、がくがく震える膝に喝を入れていると、それを見た“当主”が口元を歪ませる。
「面接に来たのだろう? それとも私が来るとは思っていなかったか」
老人は、徐々に殺気を放ち始めている。
少年は焦る。このままでは面接にならない。どうにかして気を落ち着かせなければ。
(くそ……)
少年は正直、面接に来ただけでここまで威圧されるとは思ってもいなかった。
(落ち着け……こんなところで怖気づいていいわけねーだろ! 俺は……)
改めて、自分がここに来た意味を心に刻む。
復讐するために、浄霊院紅夜の情報を得なければならない。数少ない手がかりなのだ。失敗は絶対に許されない。
「どうした……何を焦っている」
焦る少年を嘲笑うように、老人は少年の肩を勢いよくつかんだ。
「……っ!?」
いつの間に背後に回られたのか――――――。
ぞわぞわと全身を駆け巡る恐怖に、少年の額から汗がにじみ出る。
何か変だ。この老人は普通じゃない。
まるで、掴まれた肩から“死”そのものが流れてくるような、そんな感覚。
――――――弱い自分は嫌いだ。死ぬほど嫌いだ。
浄霊院紅夜に故郷を焼かれたあの日、自分の力のなさを呪った。
あの日から死に物狂いで自分を追い込み、強くなることだけを考えて生きてきた。
そうだ。こんなところで立ち止まるわけにはいかない。
少年は歯を食いしばり、湧き上がる恐怖を押さえこむ。
「さて……お前の名前を聞こうか」
少年は、考えるのを止めた。
恐怖も、自分の弱さも、すべて考えるから意識してしまうのだ。
そう結論付けた少年は、腰に隠していたナイフを引き抜く。
「おりゃあああああ……!!」
そしてあろうことか、その切っ先を太ももに突き刺し、そのまま勢いよく抜いた。
「なっ……」
あまりにも常軌を逸した行動に、老人は目を丸くする。
痛みで恐怖を無理やり抑え込んだ少年は、肩をつかむ老人の腕を払いのける。
「いいか、よく聞け! 俺の名前は功刀風牙! 俺をここで働かせろ!! なんだってやってやる!!」
腹の奥から絞り出すように、少年―――功刀風牙は叫んだ。
荒い息と、額から流れる汗が、少年の異常な行動の結果を物語っている。
ナイフはきっちり大腿動脈を傷つけていた。床が一瞬で血の海に染まっていく。
「……何だと」
老人は、右手を顔の前まで持ってくると、パチンと指を鳴らした。
途端に、灯っていた蝋燭の火が再び消え、少年の感じていた恐怖や威圧がはじけ飛ぶ。
「う……」
グラグラと揺れる視界。それは一気に血を失ったことによるものだった。
「……恐怖の概念を増長させる想術を解除した。功刀……私の聞き間違いか?」
老人は、ふらふらとその場に尻もちをついた風牙を見て、堂の外で待機していた和装の男に合図を送る。
「……どういうことだ」
急いで入ってきた和装の男は、老人の言葉に無言で首を横に振った。
風牙は、ぼんやりとした意識の中で、老人の顔を見上げる。
先ほどとは打って変わって、呆れたような、それでいて心配するような顔が風牙を覗き込んでいた。
「“幻術”に気づいていたのか?」
「……あ‟? んだよそれ……」
「……」
老人は座布団の上に置いていたハットとサングラスを取ると、和装の男の耳元で何かを指示し、踵を返して堂から出ていく。
「ま、待て……」
意識が保てない――――――。
風牙の視界に最後に映ったのは、包帯を持っている和装の男の姿だった。
* * * * *
――――――明るい。
随分長く寝ていたような気がする。
風牙の意識がぼんやりと覚醒する。ふすま紙から漏れ出す白い光に目がくらむ。
ひんやりとした空気に漂うい草の優しい香り。風牙は、この匂いが好きだった。
(あ‟―。体だりぃ)
目をこすりながらゆっくりと体を起こし、部屋を見渡す。
十六畳ほどの広い和室で、部屋の隅には簡素な生け花が置いてある。ふすま紙は真新しく、丁寧に管理されている印象を受けた。
風牙は、重量のある厚めの布団に寝かされていた。服は勝手に寝間着に着替えさせられている。肌触りが心地よかった。
(俺、何してたんだっけ……)
断片的に思い出していく記憶。
尋常ではない威圧―――銀髪の老人―――浄霊院家に潜入するために、面接を受けに来て――――――。
自分で自分の足をぶっ刺したのだった。
「痛ってぇ……」
少し動かした風牙の右足に、強い痛みが走る。布団を剥がして見てみると、右太ももに厚く巻かれた包帯が、傷の深さを物語っていた。
だがそれよりも、あの銀髪の老人のことが気になる。
「くそっ……何だったんだあのじいさん……」
思い出すと、背筋が凍りそうだった。確か、想術を使っていたとかなんとか言っていた気がする。
風牙は立ち上がれないことが分かると、再びごろんと布団に寝転がり天井を見上げる。
あれが、浄霊院家の当主。
恐怖を想術で煽られていたとはいえ、相当な強さを感じた。
あの堂の中の光景を思い浮かべたところで、風牙は肝心なことを思い出した。
(……本名めっちゃ叫んじゃったぜ)
とはいえ、もうすでに叫んでしまった後なので、どうすることもできないのだが。
これからどうするか、じっくりと考えるべきところだが、足が痛すぎて考えられない。否、それを言い訳にして考えるのを止めた。
(……寝よ)
布団を被り直す。温かく心地よい感触に、自然と瞼が落ちる。
そんな時、ふすまが音を立てて開いた。
「……起きてんだろ。気分はどうだよお客様」
少年の静かな声と共に、冷たい風が和室内に吹き込む。眠りを妨げられた風牙は、むっとして目を開けた。
「お前誰だよ」
頭に紺色の手ぬぐいを巻き、縦縞模様の入った甚平を着た、風牙と同じくらいの歳の少年だ。風牙を怪しそうに見つめると、部屋に入ってくる。
「世話してやったのに、そんなぶっきらぼうな言い方はないだろ」
手ぬぐいの少年は風牙の傍に胡坐を組んで座ると、風牙を観察し始める。
かなりの童顔なので、歳は下に見える。丸くて綺麗な瞳を精一杯細め、風牙を睨む。
「お前こそどこの誰なんだ?」
「うっせーな。まずはお前から名乗れよ」
お互いに譲り合っては埒が明かない。手ぬぐいの少年は、軽く咳払いしてから名乗る。
「おれは西浄影斗。ここで使用人として働いてる」
「使用人? お前が? ふーん」
体を起こした風牙は、影斗をまじまじと見つめ返す。
「何だよ……! おれが使用人で悪いか!」
「何にも悪いなんて言ってねーだろ。面白い奴だなお前」
風牙は楽しそうにケラケラと笑う。それが、影斗の気に障る。
「……いいのかよお前、そんなに暢気で」
「何が?」
「お前、自分の置かれた状況がわかってねえのか?」
それを聞いた風牙の表情が曇る。
(そういや、やべーな)
「お前は、色々と考えるだけ怪しい。何でここに来た。仕事しに来たとか? いやまさか。この家に入れるのは浄霊院家の親族だけ。例外はあるけど、それはないだろうし……」
影斗はぶつぶつと呟くと一転、風牙を指さして告げる。
「考えられるのは、お前がこの家に潜入しようとしている間者、とかな」
頬を赤らめ、眉をひそめた影斗を見て、風牙はとりあえず当たり障りのないことを言うことにする。
「お前怒ってんの? あ゛ー。俺な、ここに修行に来たんだよ」
「え?」
「これは名誉の負傷ってやつだ。色々……やったんだよ。それで怪我した」
(へっ。我ながら完璧な言い訳だろ!)
風牙は自身満々に胸を張り、どうだと言わんばかりに影斗の顔を見る。
「……ふーん。だったら」
影斗はグイっと、風牙に顔を近づける。
「修行の一環に、戦闘訓練なんてどうだ?」
(あれ? なんでこいつ、こんなに殺気むき出しなんだよ)
影斗は動けない風牙の背後に回ると、腕で首を締め上げる。
「お前、おれの話聞いてなかったのか? この家は想術師が入ることに厳しいんだ。その訳は徹底した秘密の保持。厳夜様が何でお前を生かしたのかはわからねえけど、お前が嘘をついていることは一瞬で分かるんだよ……!」
影斗の腕は、青白い靄―――傀朧と呼ばれる力で覆われていた。傀朧により強化された影斗の腕は、骨を砕く勢いで風牙の首を絞めていく。
しかし、風牙は何ら焦ることはなくポツリとつぶやいた。
「わりい。俺、嘘つくの苦手だわ。もうめんどくせぇ」
風牙は寝起きだった目をカッと見開くと、軽く腕を振り上げ、裏拳で影斗の顔面を殴打した。
「ぶっ!!」
強い衝撃―――風牙の腕もまた、傀朧で強化されている。
同じ強化でも、質が全く違った。軽く振るわれたように見えた風牙の腕からは、影斗の纏う傀朧よりも濃い傀朧がにじみ出ていた。
吹っ飛んだ影斗の体は、背後にあったふすまを突き破り、廊下に転がる。
「ああ。そういや礼がまだだったな。ありがとよ看病してくれて」
「こ、こんの……」
破れたふすま紙を頭からかぶり、鼻から流れる血を手の甲で拭いながら立ち上がった影斗は、反撃しようと拳を握りしめる。
「……ぶっ殺してやるよお客様」
「いいぜ……やってみろよ雑用係」
影斗は、腰を落とし、傀朧を自らの足元に集中させていく。それを見た風牙は、楽しそうに笑い、頭に敷いていた枕を手に持つ。
「想術か? 面白れぇ。来いよ」
風牙は枕を持っていない手をクイッと上げ、分かりやすく挑発する。
「何をしている」
一触即発の空気を破ったのは、冷たく言い放たれた言葉だった。その声にビクッと体震わせた影斗は、我に返ったように臨戦態勢を解く。
「……」
そこにいたのは老紳士、という言葉がよく似合う男性だった。
モノクルをかけ、白髪交じりのオールバックに、整えられた口ひげ、そしてこちらを睨む氷のように鋭い目――――――。
和室に似つかわしくないタキシードに身を包んだ男性は、誰も乗っていない車いすを押している。
周りを一瞥し、何が起こったのかを把握した老紳士は、顔色一つ変えずに車いすを風牙の横まで持ってくる。老紳士は風牙を上目遣いで見つめると、風牙の持っていた枕をそっと取り上げた。
「……けが人が暴れてはだめでしょう」
一瞬、風牙に向けて見開かれた目。それは、風牙が今まで出会ってきた人間の中で一番と言ってもいいほどの冷たさを帯びていた。
恐怖は感じなかったが、警戒されていることがよくわかる。
(なんなんだよこのじいさん……)
風牙もまた、この男に警戒心を抱かずにはいられない。
「影斗。旦那様のお部屋まで、彼を車椅子で運んであげてください」
「……わかりました」
老紳士は影斗の顔を再度見ることなく、元来た道を戻り始める。
完全に熱が冷めた風牙は、大人しく車いすに乗ることにした。