始まりは記念写真と共に その②
「……えっ」
厳夜がシャッターを切った瞬間、突如世界が塗り替わる。
白く、温かい光に溢れた何もない空間――――――。
平たい壁が周囲を覆っている。上を見上げても天井は見えない。感覚としては、直径百メートルほどの円柱の中にいるような、そんな感じだ。
空気はとても良く、息をするたびに不思議と心が落ち着く。
冷静な風牙とは違い、咲夜は混乱していた。全く訳が分からない。
しかし咲夜は、空間の持つ妙な温かみに引っ張られ、意識がぼんやりとしてきた。
「咲夜! 大丈夫か?」
風牙の声で我に返る。風牙は、白い空間の周囲を睨みつけ、咲夜を背中で守るように立った。
「敵意は、ないみてーだな。尚更わけわかんね……」
風牙は、空間に異様なほど充満している清浄な傀朧を肌で感じていた。害はないと見ていい。しかし――――――。
「閉じ込められたってことだよな」
風牙は警戒を緩めなかった。何が起こったのかはわからなかったが、この異質な空間の正体はわかる。
――――――傀域。
それは、傀朧が生み出した空間そのもの。強力な傀異や想術師の想像そのものを媒介として形成される、この世とは別の空間。
なぜそこに引きずりこまれたのかは全くわからない。
しかし閉じ込められた以上、おそらくタダで帰ることはできないだろう。
『ふっふっふ……おいでなさりましたねリア充の方々……!』
「えっ!?」
「誰だ!!」
突如空間内に響いた甲高い男の声。二人は周囲を見渡し、警戒の色を強める。
すると、空間の壁からぼんやりと何かが浮かんでくる。じわじわと壁から現れるのは、茶色のフォルムに、毛むくじゃら。人型に近いシルエット――――――。
「……くまさん」
咲夜は思わずつぶやいた。
風牙と同じくらいの体長の、熊のぬいぐるみだ。渦巻き模様の丸眼鏡をかけ、首には蝶ネクタイを付けている。
『誰だ誰だと聞かれれば、答えてあげましょそうしましょう!
小生は、この空間の番人……その名も、リア充爆発執行人でござりまする』
「??」
「は?」
風牙と咲夜は、息ぴったりに首を左に傾ける。頭の上に、大量のはてなマークが浮かんでいる。
それを見た熊のぬいぐるみは、なぜだか満足げに笑う。
『ええ……わかっていますとも。現実を受け入れられないのでございますね。それはそうだ。アナタ方はカップル! 幸せの絶頂期というわけです。だがしかし! 現実は甘くないのです。アナタ方は今から理不尽に爆発しなければならない! それが世の理! さあさあ特大に爆発していただきましょう!! 準備はよろしいでございましょうか?』
一人、ハイテンションで訳の分からないことを話す熊のぬいぐるみ。風牙と咲夜は同時に顔を見合わせる。
「意味わかんねー。なんだ、りあじゅうって。焼肉の店か?」
風牙の言葉を受けて、咲夜は納得したように頷いた。
「爆発って言ってたから、お肉を豪快に焼いたりするのかな?」
『オオオィィィ!!! 何でそうなるのでございますか!?』
二人は冗談で言っているのではない――――――本気でわかっていないのだ。
そのことを理解した熊のぬいぐるみは、途端に恥ずかしい気持ちがあふれ出す。
『な……に……本当に小生の言っていることがわからないとでも……? 何たる純粋さ! 何たる天然もの! 小生の心が歪んでいることがバレにバレまくるではないかーーーーー!!』
一人で勝手に絶望した熊のぬいぐるみは、頭を抱え、項垂れる。
「えっと……どうしよう。くまさん、なんか落ち込んじゃった」
「気にすんなって咲夜。それよりも、ここをどうやって出るか考えようぜ」
風牙は、マイペースに空間内を闊歩し始める。
すべてが傀朧で出来た空間、傀域。入るのは初めてだった。傀朧自体は無害なもののようだが、体中に傀朧が当たる感触が不快だ。
おまけに出口はない。さて、どうやって脱出するか。
『しまった。取り乱してしまった……こんなこと初めてです。小生完全敗北でございます』
熊のぬいぐるみは気を取り直し、手を叩く。
すると空間がわずかに揺らぎ、天井から大量のバラの花束が降ってきた。
『さあ。結婚祝いに花束を贈呈するでございます。受け取ってくださいませ』
ぼふっ、と風牙の頭の上に落ちたのを皮切りに、雪崩のように大量に振ってくる。
すぐに風牙の全身がバラで埋め尽くされ、姿が見えなくなった。
「なんで俺の上にだけ落とすんだよ!!」
バラの中から顔だけ出した風牙は、不機嫌そうに熊を睨む。
咲夜は、一つだけ自分の上に落ちてきた花束を受け取り、嬉しそうに眺める。
「こんな花束いらねーからこっから出せ!」
風牙は花束を吹き飛ばそうと、傀朧で発生させた風を纏う。
渦を巻いて空中に舞い上がったバラの花束から、赤い花弁が分離する。白い空間を舞う真っ赤な花弁が周囲一面に広がった。
「わあ!」
『くっ。そうやって嫁を喜ばせるとは中々に小賢しい真似でございますね』
「ちげーし!!」
結果的に熊に乗せられたような気がした風牙は、顔を赤らめて熊に詰め寄る。
「わけわかんねーこと言ってねえで、とっとと出せよ!」
『それはできないのでございます』
いきり立つ風牙に、熊のぬいぐるみはため息を吐いた。
『言ったでしょう。爆発してもらうと。もし、アナタたちがこの空間から出られるとすれば、それは小生が出す試練を乗り越えることができた時なのでございます』
「なんだよそれ」
熊のぬいぐるみは、ビシッと風牙の顔を指さす。
『それは……愛を証明することでございます』
「あい……!?」
「だからそんなんじゃねえって!!」
顔を赤らめる二人を見て、熊のぬいぐるみは邪悪にほくそ笑む。
『はん! いいですか。小生は、カップルたちを妬む世のDTたちの怨念から生まれた……という設定の人工傀異。成仏……つまり傀朧を浄化するためには、妬みや執念が掻き消えるアナタたちの愛の深さを見せつけられなければなりません』
「そうだったの……早く成仏させてあげなくっちゃ」
「いや、真に受けんなよ咲夜」
成仏させてあげなければ、と真剣に思っている咲夜の表情――――――。
それを見た熊は、目をウルウルさせて咲夜の傍に寄る。
「そうなんです咲夜氏……小生を成仏させて……」
「もっと詳しくお話を聞かなくっちゃ……でぃてぃってなに?」
「ブフォっ!」と熊のぬいぐるみは吹き出す。悪ノリしたことを一瞬で後悔した。
「ん……ってことはお前が成仏したらこっから出られんのか」
風牙はタスケテ、という熊のぬいぐるみの視線を完全に無視し、腕を組んで考える。
「愛ってなんだよ。ちゅーすりゃいいのか?」
「嘘っ!! チュー!?」
咲夜の顔が今までで一番真っ赤になったところで、熊のぬいぐるみは強引に話を変えようと試みる。
『はっ……ははは!! 甘いでございますねー。そんじょそこらのキスなど痛くも痒くもございません。小生を満足させるなら、濃くて深―い大人のキスをべろんべろんにしてもダメ!! でございます』
熊のぬいぐるみは、素早く咲夜の背後に回り込み、咲夜の肩に触れる。
「えっ……」
その瞬間、咲夜の視界が揺らぐ。
全身の力が抜け、立っていられなくなった咲夜は、その場で床に両手をつく。
「咲夜!!」
襲い来る倦怠感と体中の痛み――――――。
咲夜が見上げた先にあったのは、熊のぬいぐるみの仏頂面だった。
今までの雰囲気とはまるで違う、冷たい雰囲気を醸し出している。
「嘘はつかないでくださいね。咲夜氏」
天然すぎる咲夜ちゃんを読み返しては、ほっこりしております……(●´ω`●)




