始まりは記念写真と共に その①
おまたせいたしました!
第二章の投稿を開始します。楽しんで読んでいただけると嬉しいです。
――――――明るい声。傀朧の気配。再建された本邸。
浄霊院本家では、ささやかながら完遂した再建作業のお疲れ様会を行っていた。
倉庫から鉄板を持ち出し、季節外れのBBQをしている傍らで、屋敷の主人である厳夜は参加者たちのために自らせっせと肉を焼いている。
屋敷の住人たちは皆、仲が良かった。互いを認め合い、気を遣い、声を掛け合いながら生きている――――――。
「クソッ」
太陽に照らされ、浄霊院鐡夜は無意識のうちに舌打ちをしていた。目の前に広がる平和な光景を見つめていると、じわじわと怒りが湧いてくる。
鐡夜はお気に入りの大きな樹木の上で寝ころんでいた。屋敷を見下ろせ、誰にもバレずに昼寝ができるこの場所が好きだった。いつもなら落ち着けるのに――――――そんなことを考えていると余計にイライラが募り、また舌打ちをする。
功刀、風牙。
存在が頭から離れない。風牙は火事の中、影斗を助け出し、傀異に立ちむかい、気づけば屋敷の英雄になっていた。
この屋敷の住人たちは、どいつもこいつも弱い奴らばかりだ。一人では何もできない。 想術もろくに使えない。それでは屋敷を守ることもできない。
でも――――――自分は違う。
鐡夜は、着ていた着物の袖から、キラリと光る刃物を取り出す。
それは、影斗の前に投げた、持ち手に花の模様が入ったアンティークナイフだった。
握りしめ、刀身を眺める。美しい銀色に、自分の顔が反射する。青筋を立てた、醜い自分の顔――――――。
「ふざけんなよ……」
鐡夜は、ナイフを隣の木に投げる。幹に綺麗に刺さったナイフは、まだ自分の顔を映していた。
* * * * *
鏡で自分の顔を見た咲夜は、そのくたびれ顔にため息が出る。
複雑な気持ちが収まらない。もやもやする。本当に、大丈夫なのだろうか。
――――――しばらくしないうちにまた、大きなため息をついてしまう。
咲夜の心中が穏やかではないのは昨日からずっとだ。きっかけは、風牙が目覚めてすぐのこと。
「お前たち、結婚しろ」
祖父の一言が、何度も何度も頭の中を回った。
結婚―――意味がわからなかった。意識すればするほど、ぐるぐる回って思考が停止する。丸一日経った今でも、自分がどうすればいいのかわからない。
しかし、祖父は残酷だった。今、咲夜の背後には大量の豪華な着物が並んでいる。
この中から一着選んで着る。そして、結婚写真を撮る。それが今日の咲夜に課せられたミッションだった。
コンコンコン――――――。
部屋の扉がノックされる。咲夜が驚いて返事をすると、一人の少女が入ってきた。
「失礼しまーす。あっ。初めまして」
咲夜を見るなり礼をしたのは、白いシャツ、黒のショートエプロン姿の少女だった。
癖のあるミディアムヘアで、かわいらしい鍵の形をした髪留めが印象的だ。咲夜は少女を見て、年上だと確信する。
「こ、こんにちは……」
咲夜も慌てて頭を下げる。二年間も軟禁されていて、人と接してこなかった咲夜に緊張感が走る。
おそらく、二年前は屋敷にいなかった少女だ。間違いなく初対面ということになる。
「あ、私舞川永久っていいます。今日は、というか当分? 咲夜様のお世話をしろって言われてます。よろしくお願いしますね」
永久はにっこり笑い、手を差し出してきた。その柔和な笑顔を見た咲夜は、少しだけ安心する。
たどたどしい手つきで、手を優しく握り返す。
「こ、こちらこそよろしくお願いします……」
「緊張してます? 大丈夫大丈夫。とって食べたりしませんから」
永久は、咲夜の緊張しきった様子を見て柔和な表情を強める。
そして、部屋の机に置いてある大量の着物に目を通し、咲夜の全身をまじまじと見つめる。
「さて! ではでは早速着物選びですね……と。それにしてもすごい量ですね」
長机に山積みにされた着物。その数は、ざっと目を通す限りニ十着以上はある。どれも豪華で高級そうなものばかりだった。
「こんな着物見たことないんです……おじいさま、どこで買ってきたのかしら」
「結婚写真撮るっていうくらいだから、気合入ってますよねほんと。どうですか? 何か気になるやつとかあります?」
咲夜は着物をかき分け、物色する。
「こんなに煌びやかな着物、着たことないから……」
「うーん。じゃあ好きな色とか、好きな花とかは?」
咲夜は首を傾げて考え込む。
そもそも結婚写真を撮る、などという荒唐無稽な話にピンと来ていないのだ。
そんな心境で、豪華な着物を着ろと言われても余計ピンとこない。
「……」
風牙の意思はどうなるのだろう。
こんな自分と嘘でも結婚するなんて、もしかしたら嫌かもしれない。迷惑な話かもしれない。それでも、いいのだろうか。
咲夜の心の中で、違和感がより強くなっていく。
おじいさまは、いつも勝手に物事を決める。
今回、なぜ風牙と結婚するのか、理由も話してくれない。
――――――すまない咲夜。許してくれ。
二年前の記憶。夜桜庵に自分を閉じ込める時に言った、あの言葉。
わかっている。それが自分のためであることは。
自分を守るために小さな庵に閉じ込めた。そう思えば二年間我慢できた。
けれど――――――違和感が増す。
おかしい。いくら思い返しても、思い出せない。
祖父はどうして、自分を閉じ込めたりしたのだろうか。
「咲夜様? 大丈夫ですか?」
目の前の鏡に映る自分を見上げる。ひどい顔だった。
隣で永久が心配そうに咲夜を見ている。
「ご、ごめんなさい。ちょっと考え事しちゃった」
笑顔を取り繕った咲夜を見て――――――永久は咲夜の肩を勢いよく叩く。
「きゃっ!」
「いや、安心しましたよほんと」
「ええっ?」
永久は両手を腰に当て、息を大きく吐き出す。
「正直ね、よく言う政略結婚なのかと思ってたんです。だって早すぎるし、そもそも風牙くんって絶対そういうことに興味ない子でしょ? 見てたらわかりますから。だから、厳夜様からいきなり話を貰った時はびっくりしましたよ。でも……その反応を見て安心しました」
咲夜は言葉の意味がわからず、鏡の向こうに映る永久をぽかんと見ている。
「真剣に悩んでる、ってことでしょ? だったら嘘じゃない」
永久は大量の着物を漁り、勢いよく咲夜の前に突き出す。
帯と合わせて腕に抱えると、広げて見せる。
「珍しい柄がありますよ。勿忘草。あんまり派手過ぎず、意味も素敵なこのデザインにしませんか?」
白色をベースに、たくさんの青い花が散りばめられた着物。永久の言う通り派手過ぎず、かといって地味過ぎず、バランスのいいデザインだと咲夜は思った。
頬を緩ませ、こくりと頷いた咲夜を椅子から立たせる。
「じゃ、着替えちゃいましょうか! その前に、ちょっとだけ聞いても?」
「え、ええ。何ですか?」
「咲夜様にとって、風牙くんはどんな人?」
咲夜にとって予想外の質問だった。急に恥ずかしくなって、赤面する。それを見た永久はニヤニヤと笑みを強める。
「あ、あの……本当に好きとかじゃなくって……実は、政略結婚っていうのも、多分当たってて……」
「はいはい。わかりました。それで、どういう人?」
永久は必死で弁明しようとする咲夜を軽くあしらい、質問の語尾を強める。
口を震わせ、ぎゅっとつぐみ、そして一言――――――。
「……私のヒーロー、かな」
それを聞いた永久は腕を組み、うんうんと何かに納得して満足する。
「それじゃ、ヒーローさんに可愛いとこ見せましょっか!」
「えっ……ええっ! 違うんだってば……!」
* * * * *
パシャ。
古めかしい一眼レフカメラから放たれる小さなシャッター音が、もう何度響いたかわからない。
「旦那様」
「ん?」
「そろそろいい加減に」
「何で」
「フイルムが切れます」
「そ、そうだったな。てっきりデジカメの感覚で……」
浄霊院厳夜と老紳士―――西浄厳太は、一時間以上も前から再建された本邸の前にいた。写真を撮る場所の選定と言いながら、本当は楽しみで仕方なかった様子。のろけに似たハイテンションをずっと見させられて、老紳士の心に少しばかり苛立ちが芽生え始めていた。
「旦那様」
「だから何だ」
「目覚めて翌日にすることですか」
「そりゃ、早い方がいいに決まってるじゃないか」
「まさか、咲夜様の写真が撮りたかっただけ、とは言いませんよね」
厳夜は老紳士が、仏頂面ではっきりと言葉を紡ぐ時は、怒っている時だと知っている。
「そんなわけないだろう。お前ももう少し、楽しみの少ない老人に対して気を遣えるようになって欲しいものだな」
ピキ、と老紳士の眉間にしわが寄る。
「ごほん! えー、なんだっけか。二人を結婚させた理由だっけ?」
「そうですね。朝っぱらからどうやって写真を撮ればいいと思うか? などとわざとらしい構ってくれアピールをされて、連れ回される人間に対しては気を遣わなくてもいいとおっしゃるのなら、いくらでも気を遣って差し上げます」
厳夜は口を曲げて押し黙る。
「楽しそうですね」
「どこがだ!」
厳夜の顔を見た老紳士は、呆れたように笑った。
「お前は昔から冗談が通じないな」
「楽しそうで何よりです」
「会話が成り立っていないぞ」
厳夜はため息をついて、本邸の傍にある小さな石段に腰かける。
「はあ……本邸に火を放った犯人、お前はどう見る」
「……犯人ではない心当たりが一人だけ」
「奇遇だな。言わなくてもいいぞ。それが誰かはわかっている」
結局、屋敷に火を放った犯人、そして講堂を燃やした偽物の風牙の正体はわからずじまいだった。しかし厳夜は、裏で糸を引いている者がいることを薄々感じ取っていた。
「敵の正体をはっきりさせるためにも、敵をあぶり出す必要がある。そのための偽装結婚だ。内外に鬱陶しいくらい公表する。
もし敵の目的が咲夜ならば、なんらかの行動を起こすはずだ。なにせ、わざわざ壁を壊して助け出し、傀異から屋敷を守った噂の最年少想術師と結婚されてしまったんだ。ガードが固くなってしまったと思えば、何か策を考えるだろう」
「なるほど。しかし、お二人を危険にさらすことになるのでは?」
老紳士は仏頂面のまま、厳夜の目を見つめる。
それに応えるように、厳夜は目を細める。
「大丈夫だ。そのために、私がいる」
厳夜のその言葉を聞いた老紳士は、安心したように「わかりました」と呟いた。
その時、講堂へ続く長い石階段から、誰かが下りて来ていることに気づく。
「おっ。新郎のお出ましだ」
「なーじいさん! この着物、動きにくいんだけど」
二人の前に立ったのは、立派な黒い袴を着た風牙だった。
「似合っているぞ」
「なんなんだよこれ。急に朝起きたら、これに着替えろって意味わかんねー」
「旦那様……彼に説明をしていないのですか」
厳夜は、呆れる老紳士の顔を見ることなくカメラを構える。
「言う必要はないだろう。写真を撮るだけなんだから」
「写真? なんだそりゃ。じゃあ普通に撮りゃいいんじゃねーの?」
「結婚写真に決まっているだろう阿呆が」
風牙は着物の袖をわざとパタパタさせ、不満そうに肩を回す。
「そもそも何で俺たちが結婚しなきゃなんねーんだ?」
厳夜はいたずらな笑みを浮かべ、風牙に耳打ちをする。
「いいか、これは私なりに考えた、最も穏便にお前が屋敷で暮らすための嘘だ。それとも、お前自身の目的を忘れたとはいうまい?」
風牙は、その言葉にハッとする。自分がこの屋敷に来た目的―――浄霊院紅夜への復讐を言い出されれば何も言えない。
「とにかく、お前はお前の目的のことだけを考えろ。それ以外は考えなくてもいい。わかったな?」
この屋敷で風牙のすべきことは、浄霊院紅夜のことを調べること。それをしやすくするためなら、写真を撮るくらい簡単なことだ。そう納得した風牙は、真剣な表情で姿勢を正した。
「お二人とも、咲夜様が来られましたよ」
老紳士の声に、二人は本邸の方を見る。
――――――そこにいたのは、髪を整え、少し緊張した様子の咲夜の姿だった。
光を浴び、白く輝いている着物には、青色の素朴な花模様が描かれている。綺麗に整えられた髪には、キラキラ光る簪が挿されている。
「な、なんということだ……」
普段よりも大人っぽく仕上がっている咲夜を見た厳夜は、目を丸く見開いた。
厳夜の頭を巡ったのは、咲夜との十二年間の軌跡――――――。
色々な思い出や成長していく姿が走馬灯のように見えた厳夜は、頭から湯気を出してふらふらと倒れた。
「ああ……咲夜がお嫁に行ってしまう……私は、私は……」
「行けって言ったのじいさんじゃねーか」
厳夜は風牙のツッコミを完全に無視する。げんなりと、萎れていたところに老紳士が止めを刺す。
「さっさと撮ってください」
「は、はい……」
厳夜は、カメラを持って立ち上がると、風牙と咲夜を撮影ポイントへ誘導する。
その間、こっそり咲夜の写真だけを大量に撮っていた。
パシャパシャというシャッター音が気になった風牙は、止めさせようと適当に質問をする。
「なあなあじいさん。そのカメラ結構古いよな。ちゃんと現像できんのか?」
すると厳夜は、待ってましたと言わんばかりに胸を張る。
「いい質問だな新郎! これは、私がこの日のために友人から借り受けた、その名も “ハッピーカメラ”だ。幸せな想像から生まれた幸福の概念を持つ傀朧が内包されている傀具で、カップルや新婚を撮影すると、二人が幸せになれるという優れモノだ」
「なんだそれ……うさんくさ」
「霊感商法じゃないでしょうね」
風牙と老紳士が顔をしかめる中、咲夜だけは嬉しそうに笑っている。
「私は別にいいけど、風牙さんが幸せになれるならすごくいいね」
「我が孫ながらなんて優しいんだ……」
厳夜は、感激して余計に咲夜を撮りまくる。
「なあ執事のじいさん」
「……なんでしょう」
「じいさんってこんな人?」
「ええ。奥様……今は咲夜様のことになると、こんな調子です。その上、以外にも願掛けや神頼みに弱い。全く以って疲れます」
老紳士は呆れながらも、ちょっぴり嬉しそうに笑う。
「何か言ったか厳太?」
「いいえ何も。それよりもさっさと撮ってくださいって何度言わせるんですか」
厳夜は、咲夜と風牙を横に並べ、ファインダーに目をつける。
咲夜は緊張で顔が強張っている。風牙はピースをし、歯を見せてニカッと笑う。
「ほら取るぞ。はい、チーズ」
パシャ。
「……っ!?」
厳夜がカメラから顔を離すと、二人の姿が忽然と消えていた。
シャッターを切った瞬間、爆発的に傀朧が放出された。厳夜は、その傀朧を反射的に探知していた。
「旦那様!?」
「これは……」
厳夜は、カメラのレンズ部分を老紳士に見せる。
「引きずり込まれたのだ。カメラの中に」
老紳士は、厳夜を強く睨みつける。
「どういうことです。これは」
「……私の責任だ」
厳夜の額から汗が流れ落ちる。
カメラを握りしめる手の力の感覚はなかった。




