俺が、ぜってー助ける
――――――人を助けろ、男なら。胸を張って誰かのために。
* * * * *
これは、少し昔のお話。
人と傀異がちょっぴり交わる、不思議な街“屋梁楽月”に、とんでもなくお人好しで、いつも元気な“アホ”がいた。名前は、功刀雷牙。そんな彼の仕事は、“人助け”である。
「なーなーとーちゃん。はやくかえろーよ」
今日は、息子の風牙を連れておつかいに出かけている。近所にある八百屋で、キャベツを買えばいいだけの、ごく簡単なおつかいだった。なのに――――――家を出てからすでに三時間が経過している。
「なーなー。おなかすいたー」
現在二人は、八百屋から一キロ離れた森の中にいる。
「待て……大丈夫だ……大丈夫だよー猫ちゃん……」
雷牙は、目を血走らせた恐ろしい形相で、目の前の小さな猫と向き合っている。
一歩進めば、猫が逃げ、一歩下がれば猫が止まる。一進一退の距離感を保ったまま、雷牙だけが精神をすり減らし、疲弊していく。
「……やるな。ねこちゃん……この俺が一歩も近づけんとは……」
「とーちゃんこわがりだな。だっせー!」
「う、うるせーぞ風牙! あっ……猫ちゃんに言ったんじゃないからな。逃げるなよ」
だんだん猫のように丸くなっていく父親を見た五歳の息子は、楽しそうにケラケラ笑っている。
どうしてこんな状況になってしまったのか。
それは家を出て、八百屋に向かう途中で、泣いている少女を見かけたからであった。泣いている、という状況は、雷牙にとっては一大事。すぐさま駆け寄って、訳を聞く。飼い猫が脱走して、昨日から行方不明らしい。ずっと探しているのだが、見つからないのだという。
「ぐすん……そうなのか……それは辛いなぁ」
同情して変な顔で泣く。変顔をしているのかと思うくらい、変な顔である。風牙は、その顔が面白くて、指を指して笑っていた。
「よし!! 俺に任せろ!! 絶対にねこちゃんを救出して見せるからな!!」
「とーちゃん。キャベツは?」
「行くぞ風牙!! とーちゃんの背に乗れ!!」
「わーい」
特徴を聞くとすぐに、猫を探す壮大な旅が始まってしまった。雷牙は考えもなしに、手当たり次第、探す。探す。探す――――――。
屋根の上に昇り、家の隙間に潜り込み、よその家に上がり込んで怒られ、田んぼに入って泥だらけになった。
そしてようやく見つけた猫を追いかけて、森の中にやってきた。辺りはすでに夕焼けに染まっている。
「はやくかえらないと、かーちゃんにおこられるよ」
「だー!! わかってるって! もう少し、もう少しでねこちゃんと俺の間の壁が……」
額に汗を滲ませ、ヘラりと笑う雷牙を見た猫は、完全に警戒してしまう。毛を逆立てて威嚇する。
「シャー!!」
「あ……」
不機嫌な声を上げた猫は、草むらに逃げて行った。
「……」
「とーちゃんきらわれてるんだぜ、きっと」
「そ、そんなことない!! 待ってねこちゃんーーーーー!!!」
それから三十分ほど。森がなぜか荒地のように変貌し、嫌がる猫を抱えた、ひっかき傷だらけの男が町に戻ってきた。
閉まりかけの八百屋から、無理やり買ったキャベツを二玉抱え、帰路につく。辺りはすっかり暗闇に包まれていた。街が望める小高い丘に、彼らの帰る場所がある。
道中、父親の背中でウトウトしていた風牙が、ぼそりと雷牙に聞く。
「なーなーとーちゃん。なんでいつもしらないひとをたすけんの?」
「ん? どうした風牙。いきなり」
「だって、いつもでかけたらこんなかんじじゃん。またかーちゃんにしかられるよ」
「ぎく。えっとな。なんて言ったらいいのか」
雷牙は、おもむろに立ち止まる。家まで伸びるまっすぐな道の向こうに、月が出ていた。その時、二人の腹が同時に鳴った。それが面白くて、二人はカラカラ笑う。
「いいか風牙。とーちゃんがいつもかーちゃんに叱られるのは、その……悪かったと思ってる。男なら、約束は守るもんだ。だけどな……それ以上に、男にはやらなきゃならん時がある!」
「なにそれ」
「今決めた! 功刀家家訓その①! 困っている人がいたら、助ける! その②は……ない!!」
雷牙は自信満々に胸を張る。
「かくん?」
「そうだ! つまりお前も、困っている人がいたら、助けてやるんだ。この世界はな、ちょっと意地悪で、腹が立つこともあるが、とても良いもんだぞ」
雷牙は、歩いてきた道を振り返って、遠くに見える街の朧げな明かりを見つめる。風牙も、それを真似して、夜景をぼんやりと眺める。
「男なら、胸を張って誰かを助けろ! とーちゃんは不器用だから、かーちゃんに怒られたり、色々な人に迷惑をかけたりする。だからその分、誰かを助けて、恩返しをする。この世界はそうやって回ってんだ」
「ふーん」
風牙は、じーっと雷牙の顔を見つめた。
「な、なんだよ。そんなにとーちゃんがかっこいいか?」
ドジで、おっちょこちょいで、ちょっと可笑しい。けれど――――――とてもかっこいい。
風牙は、雷牙のことが好きだった。
時折、雷牙はどこか遠くを見ている気がする。それが、なんだか悲し気で、放っておけない。
「しゃーねーな。じゃあおれもこまってるひとがいたら、たすけるぜ」
「フッ。お前も、とーちゃんみたいにかっこいい男になれよー」
「えーやだ。だってとーちゃんいびきうっさいもん」
「うっ……そ、それは……」
家に帰ると案の定、雷牙は妻に叱られた。その分、大急ぎでキャベツを切ったり、生地を混ぜたり、具をのせて焼いたりした。
たっぷりのキャベツをつかったお好み焼きは、とても美味しかった。
功刀家の、在りし日の日常。家も、街も、みんな笑顔だった。
――――――あの日が来るまでは。
誰よりも人のために生きた雷牙は、もうこの世にはいない。
浄霊院紅夜の手によって――――――殺された。
* * * * *
――――――焼け落ちていく。
風牙は石段の上から、屋敷が煌々と燃え上がる光景を目撃する。
勢いよく上がった火柱から出る煙が、うねるように夜空に向かって伸びている。
建物が倒壊する音。人の悲鳴。それは、風牙にとって耐え難い過去のトラウマを呼び起こす。
「……ッ!!」
優しかった人たち、両親、思い出。炎はすべてを奪っていく。何もできなかった。両親が殺されるのをただ見ていた。
許せなかった――――――浄霊院紅夜も、ただ偶然生き残っただけの被害者も。
風牙は、傀朧で強化した足で地面を蹴る。
石段の上から本邸に向かって、高く跳躍する。玄関の前に着地し、辺りを見回す。
燃える屋敷から、多くの使用人たちが外に逃げてきていた。その使用人たちを守るように、本家守備隊の制服を着た青年二人が避難誘導を行っている。
“グググ……ヒャヒャヒャヒャヒャ”
不協和音のような、不気味な鳴き声が森の奥から響く。木々の間から這い出てきたのは、鐡夜を襲った黒い傀異だった。ピタピタと地面に吸い付くような足取りで、使用人たちに迫ると、獲物を見つけた狩人のように勢いよく飛び掛かる。
「うわっ!?」
使用人の一人が、化け物の腕に殴り飛ばされる。
黒光りのあるブヨブヨとした気味の悪い体。体長は二メートルを超え、鐡夜を襲った個体よりも太い腕を持っている。
大小様々な体躯の傀異が、次々と地面から出現する。ブヨブヨの体は、乱雑に伸び縮みを繰り返し、迫りくる。
使用人たちは、あっという間に囲まれてしまった。
顔にあたる部分についた般若の面が、カタカタと音を立てて揺れている。
戦えない使用人たちは皆怯え、体を寄せ合う。
「おりゃぁ!」
刀を持った隊員が応戦する。しかし、腕を切り落としても、体を刻んでも、手ごたえがない。次々と増え、使用人たちを守り切れない。
「どうなってんだこれ!?」
呟いた隊員の横を、風が駆け抜ける――――――。
風牙は、一番近くにいた傀異に突進する。体重を乗せた正拳を、仮面部分にお見舞いする。
吹き飛んだ傀異は、森の木々に激突して停止する。ドロドロと溶けて、跡形もなく消えたところを見ると、倒せたようだ。だが――――――。
それを見た三体の傀異が、狙いを使用人から風牙に変更し、腕を振り上げて襲い掛かった。
一気に膨れ上がった腕が、地面に叩きつけられる。風牙は躱し、一体の懐に潜り込んで拳を突き上げる。高く打ちあがった一体が落ちてくる隙に、回し蹴りで二体を吹き飛ばすと、落ちてきた個体の足をつかみ、吹き飛ばした二体に投げつける。
――――――大きな音を上げ、土埃が舞う。
「見て! あの人……」
一人の使用人が、風牙を指さす。自分たちを助けたのは、“敵”であるはずの西浄昏斗。
何が何だかわからず、風牙を見つめる使用人たち。風牙は、そんな使用人たちに向かって叫ぶ。
「何やってんだ!! 早く逃げろ!!」
風牙の叫びに呼応するように、黒い塊がわらわらと集まってくる。使用人たちは我に返る。
「こ、講堂の方だ。そっちなら化け物はいない!」
守備隊の隊員が殿を務め、石段の方へ誘導する。
追いかけるように、ぶよぶよとした黒い腕が使用人たちの方へ伸びる。
「させるか!」
傀朧を込めた風牙の拳が――――――炸裂。
瞬間、黒い腕を粉砕する。
“ギチチチチチ……”
化け物は、不快感を露わにするように数歩下がる。
ガチガチと歯ぎしりするように、仮面を小刻みに揺らす。
風牙は、避難していく使用人たちを横目で見ると、拳を構える。
(こいつら……なんか変だな)
殴った時、手ごたえはあるのだが、妙な感じがする。まるで巨大な水の玉を殴っているような、そんな感触。だが確かに実体はある。幻ではない。
距離を取って見合った両者は、じりじりと距離を詰める。
「ま、ぶっ飛ばすことに変わりはねえ!!」
先に動いたのは風牙だった。体重を乗せ、低い姿勢から放たれた拳が、目前の仮面を木っ端みじんに砕く。
左右から、小型の傀異が飛びついてくる。
「ふん!」
風牙の気合―――傀異は “風”の概念を持つ傀朧に吹き飛ばされる。
続いて、頭上から迫る黒手が、風牙を潰そうと迫る。その数、一、三、九……。
地面に突き刺さる大量の腕。舞う土埃の中現れたのは――――――ニヤリと笑う風牙の顔。
「重てーな」
黒い腕を両手で押しとどめた風牙は、すべての腕を一気に押し返す。風牙の目線の先―――腕を操っていた六体の傀異が、悔しそうにガタガタ揺れる。
風牙の足に、傀朧が走る。一瞬で目前の傀異に迫る風牙。それを見た傀異は、伸ばした腕を引き寄せる。
風牙は、六体の傀異の中央で大きく体を反転させると、左足を地面に突き立て、その勢いのまま右足を傀異に向かって大きく回す。
『功刀流闘術 翔旋渦!!』
回し蹴りの型から巻き起こったのは、激しい上昇気流。
発生した風圧が、土ぼこりと共に傀異を空へ打ち上げる。激しい圧により、傀異の仮面はすべて打ち砕かれる。
傀異の体は、ボトボトと崩れ、地面に落ちる。
(やっぱあの仮面が弱点だよな)
風牙は足を地面に下ろすと、息を吐き出す。
辺りの傀異は一掃した。傀異にばかり構ってはいられない。まだ、助けを求める人がいるかもしれない。
風牙は、燃える屋敷の方へ走る。
「わっ!!」
縁側から声がした。風牙は、体を捻って角を曲がる。
そこにいたのは、尻餅をつく少女と、二体の傀異。風牙は、飛び蹴りで傀異を蹴り飛ばすと、少女を見る。
「大丈夫か?」
「ありがと……って君……」
少女は、素早く何かをポケットに隠すと、風牙の顔をじっと見つめて放心する。
「なあ! 中に人はいんのか?」
「えっ?」
「まだ残ってる人は!」
風牙の気迫に押された少女は我に返る。
「多分、もうみんな避難したと思うけど……」
「永久さん! 大丈夫ですか?」
風牙は、突然聞こえた声に振り返る。そこにはいたのは、ショルダーバックを肩にかけ、息を乱したヒカルだった。
「あ……!」
風牙を見たヒカルは、咄嗟に身構える。永久は、大きく首を横に振った。
「違う。助けてくれたの」
「助けた?」
(俺、なんかしたっけ?)
そういえば、先ほども使用人から指を指された。使用人たちの自分を見る目がやけに冷たいし、今度は面と向かって敵意を向けられた。
不思議そうな顔をしている風牙を見た永久は、ゆっくりと立ち上がる。足首をひねったようで、歩きにくそうにしている。風牙はそれを見て、手を貸そうとする。
「歩けるか?」
「うん。大丈夫。ありがとう、助けてくれて」
永久は、にっこりと笑うと、お尻についた土を払う。
「ヒカル。全員避難できた?」
「あ……えっと……」
永久は、ヒカルの方に歩いていく。足を引きずりながら歩く様子を見て、ヒカルが慌てて肩を持つ。
「あと、永久さんともう一人……」
「誰かまだいるのか!?」
風牙の顔が曇る。火はますます激しくなっている。もし、まだこの中に誰かがいるのなら――――――。
「……影斗くんが、いないそうです」
ヒカルの口から放たれた言葉に、風牙は目を見開く。
風牙は考える間もなく、縁側から燃え盛る屋敷内に突入する。
「ダメだ!! 危険すぎる!」
ヒカルは、手を伸ばして風牙を止めようとするが、風牙は背中を向けたまま止まらない。
「それに、こんな炎じゃ、きっともう……」
「死なせねえよ」
風牙は首だけ振り返り、ヒカルの目をまっすぐに見据える。
「影斗も、俺も、ぜってー死なねえから大丈夫」
「……!」
風牙の目に宿る強い意志。必ず助けるという信念。それを見たヒカルは、悔しそうに小さく頷いた。
風牙はすぐに、炎の中に飛び込む。
次々と崩れる壁、充満する煙。激しい熱と息苦しさに、風牙の足は進まない。
(こうなったら……)
風牙は、数歩下がると、全身に傀朧を巡らせる。
壁を破壊した時から、感情でブーストした傀朧以外使用していない。
地蔵堂で意識を失っていた間、わずかに回復した分は、先ほどの戦闘で使い切った。もう、傀朧は残っていない。
風牙は目をつむり、心の奥から、自分の意思と感情を取り出す。
炎を憎む気持ち――――――。
影斗を助けるという決意――――――。
自分が強くなることを、イメージしろ――――――。
――――――ドクン。
自分の体を顧みず、傀朧を激しく使用し続けたツケが来た。
体を襲う鈍痛。まるで全身が傀朧を拒絶しているようだった。
風牙は、床に吐血する。
(こんなもん……!!)
すぐに、手の甲で口元の血を拭うと、立ち上がる。
僅かに生まれた傀朧すべてを、体に巡らせる。
『功刀流闘術 薙疾風……!!』
風牙は、風を纏う。
もっと――――――激しい炎を吹き飛ばす風を。
時間がない。もって一分だろう。それまでに、必ず影斗を見つける。
風を纏った風牙は、壁に向かって突進する。燃え盛る炎ごと、屋敷の壁や扉が吹き飛んでいく。
「影斗!! どこだ!!」
一部屋一部屋、隈なく探す。迫りくるタイムリミットに、風牙の額から汗がにじむ。
焼けていく、町の人々が脳裏に浮かぶ。
手を伸ばしても助けられなかった、あの日の光景。
もう二度と、目の前で誰かを失いたくない。
(影斗……どこだ!?)
ねこちゃんに癒された今日この頃。




