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夜、来たれり その②


 ――――――西浄昏斗(さいじょうくらと)はどこにいる!?

 ――――――門の方で見たらしいぞ!!

 ――――――いや、違う。洋館の方だ。

 ――――――見つけ出して吐かせろ! 何としても!!

 ――――――影斗は。あいつはどこに行ったんだ。


 生きた心地がしなかった。

 今日ほど、一日を長く感じたことはない。


 風牙が以前使っていた本邸の客間。その部屋で影斗は、もう四時間以上ずっと、体を強張らせて座っていた。

 今は何時だろうか。時間の感覚はとうになくなっている。緊張と罪悪感で息苦しい。

 どうして、こうなってしまったのだろうか――――――。


 ふすまのすぐ外で、使用人たちが慌ただしく駆けまわっている。

 日が落ちても、明かり一つ付けられない。付ければ、自分がここにいることがバレてしまう。

 影斗は、部屋の四隅にある小さな灯篭を見つめる。青い光が灯っており、風もないのにゆらゆらと揺れていた。



* * * * *



 五時間前、十七時。仕事をすべて済ませ、風牙の様子を見に来た影斗を待っていたのは、使用人たちの悲鳴だった。

 講堂が、燃えている。立ち上る黒い煙が、火の勢いを物語っていた。

 使用人たちが、消火活動に入っている。自分も、手伝わなければ――――――。


西浄昏斗(・・・・)。犯人は、西浄昏斗です!」


 大きな声で、皆にそう告げたのは影斗と歳が近い、ヒカルと永久(とわ)だった。


 影斗の息が止まる。冷や汗が、じっとりと額に滲む。

 なぜだ。なぜそういう話になっているのだろう。わからない。わからない――――――。

 パニックに陥った影斗は、無意識のうちに、風牙が犯人だと決めつけていた。


「……ッ!!」


 影斗は、使用人たちの視線が、講堂に向いているうちに逃げた。

 西浄昏斗は、スパイだった。なら、自分はどうなる。従兄妹という設定だったはずだ。皆、従兄妹である西浄影斗(・・・・)が何か知っているはずだと、否が応でも思うだろう。


(おれは何も知らない……! 関係ない! どうすれば……)


 影斗は、本邸の中にある物置に逃げ込んだ。心臓を落ち着けようと、しゃがみ込む。

 このままでは、ここで働けなくなるかもしれない。厳夜から受けた恩をあだで返すことになる。それだけは――――――。

 深呼吸しようとするが、全くできなかった。


 その時、物置の扉の下から黒い影が伸びてくる。影斗の前で大きな円を形成すると、影の中から老紳士の形をしたものが這い出る。


「影斗」

「ひっ……」


 影斗は驚いて、腰を抜かす。影斗は、怯え切っていた。体が震えている。


「……状況はわかっているか」

「……お、おれ。どう、すれば……」


 影斗は、震える声で影に問いかける。


「今、功刀風牙を保護しているのは私だ。『夜桜庵』の壁を壊し、傀朧の使い過ぎで倒れていた。おそらく、犯人は功刀風牙ではない。安心しろ」


 それを聞いた影斗は、驚いて目を泳がせる。

 咲夜のことは、使用人たちもほとんど知らない機密事項である。

 影斗も話を聞いていた程度で、咲夜がどこにいるのか聞いたことはなかった。


「そう、ですか……よかった」


 弱弱しい声でつぶやいた影斗に、老紳士の影はゆっくりと告げる。


「影斗。私は今から、地蔵堂で(・・・・)功刀風牙を匿う。あそこなら皆、手を出しづらい上に、結界を直に張れる。

 お前は、今から客間に行け。客間の押し入れに、認識阻害の簡易結界が張れる、灯篭型の傀具(かいぐ)がある。それに火をつけ、部屋の四隅に配置しろ。それで、深夜二時までは隠れられる。ことが済んだら、迎えに行く」

「……わかりました」

「今なら、誰にもバレずに一直線で客間まで行ける。行け」


 老紳士の影は、そう言い残して消えた。影斗は思い切って倉庫を出ると、客間まで走った。

 客間の押し入れを開けると、厳太の影が言っていた通り、灯篭型の傀具があった。一緒に置いてあったライターで火をつけ、部屋の四隅に置く。青色の光に照らされた影斗は、力なくその場に座り込んだ。



* * * * *



 消火活動が終わった使用人たちは、皆本邸に戻ってきた。

 殺気立ち、屋敷の隅から隅まで風牙を探し回る。

 怒号、混乱する声、情報の錯乱。

 ふすまを隔てた場所で繰り広げられる会話を聞いていると、気がおかしくなりそうだった。


 ――――――殺せ。

 ――――――西浄昏斗を殺せ。


 歴史的な価値の高い構造物でもある講堂を燃やすという行為は、使用人たちにとって許しがたいことだった。代々受け継がれてきたものを燃やされれば、殺意が湧いてもおかしくはない。


 だがそれにしても、こんなに殺気立つものなのか。


 しばらくして、老紳士が風牙を確保したという噂が広まる。

 使用人たちのパニックは、若干クールダウンし、収まる。


(風牙……あいつ大丈夫かな)


 影斗は、ずっと風牙のことを考えていた。

 最初に会った時、殴られた箇所を手で押さえてみる。

 敵だと思い込んでいた。この家に、浄霊院家以外の人間がやってくる。それは、影斗のみならず、屋敷で働くものならば警戒することである。


 だが、それは違った。愚直な性格だとは思ったが、恐ろしいほど善人である。

 バカで、単純で、思ったことをすぐに言う――――――それゆえ、お人よしな本性がにじみ出ている。


 影斗は、自分が少し安心していることに気づく。

 たった数日しか過ごしていない仲なのに、どうして打ち解けるのがこんなにも早かったのか。

 それはきっと、風牙のせいなのだ。


 それなのに――――――。

 燃えている講堂を見た時、一瞬でも風牙が犯人だと信じ込んでしまった。


 風牙のせいで、自分はこの屋敷にいられなくなる。

 風牙のせいで、恩人である厳夜に見放される。

 風牙のせいで、ありもしない罪をでっち上げられるかもしれない。父と(・・)同じように(・・・・)


「おれ……は」


 醜い自己保身だ。影斗は、激しい自己嫌悪に苛まれる。

 最低だ。クズだ。結局、何も変わっちゃいない。自分のことしか考えられないのだ。

 影斗は、拳を床に叩きつけたい衝動に駆られるが、思いとどまる。


 ――――――影斗は、どこにいる。


 ふすまの外で、影斗を探す声が聞こえた。

 自分が、この家にいられなくなることへの恐怖が増す。


 こうして、身を隠している間に、妙な噂が広がったらどうしよう。

 自分も風牙と同じように、罪を被せられるのだろうか。

 ありもしない、罪をでっち上げられるのだろうか。


 影斗は、もうこの世にいない父親のことを思い出す。

 大好きだった。尊敬していた。影斗の唯一の味方だった。


 その父親は、ありもしない罪を着せられ、殺された――――――。


 影斗は、口元を押さえる。

 目眩がする。頭の中で、ぐるぐると、あの日の光景が回る。


 許せなかった。だから、殺した(・・・)

 憎くてたまらなかった。だから刺した。

 父親の仇は、あっさりと死んだ――――――。


「……ッ」


 不意に、灯篭の青い炎が、すべて掻き消える。

 影斗が顔を上げると、ふすまがゆっくりと開いていく。


「みーつけたァ。よう。人殺し」


 そこにいたのは真っ赤なソフトモヒカンヘアで、本家守備隊がデザインした着物を着崩す、若い男だった。

 男は、邪悪な笑みを浮かべ、客間に入ってくる。


 ――――――影斗の体の震えが、再び始まる。


 男は、ずけずけと影斗に近づいていく。部屋の四隅に置かれた灯篭型傀具をちらりと見てから、影斗を睨みつける。


「……なあ影斗。今、屋敷で起こってること、お前も知ってるよなァ? なんで隠れてんだ? あ‟?」


 影斗は俯く。言い訳の出来る状況じゃない。屋敷の大事に、一人客間に隠れていたとなれば、疑われるのは当然である。

 だが、どうして結界を破ることができたのだろうか。

 影斗は、この男に心底会いたくなかった。この男を見ていると、震えが止まらない。心が、締め付けられる。この男の存在が、影斗の罪(・・・・)を嫌でも思い出させる。


 男は、俯いたまま沈黙を続ける影斗に、いら立ちが募る。


「みーんな、テメエを探してんだぜ? 西浄昏斗が犯人なら、テメエはどうなる。何か知ってるんじゃないかってなァ」


 男は、影斗の横に立つ。

 影斗は、がくがくと震えている。それを認識した瞬間、男の怒りが爆発する。


「……ビビってるくせに、いっちょ前に黙り込んでんじゃねえよクソが!!!」


 男は、影斗の顔面目掛けて蹴りを放つ。

 影斗は咄嗟に両手でガードする。しかし威力が重く、衝撃で背後のふすまの傍まで飛ばされる。


「ああああああああ……!!! うぜえうぜえうぜえうぜえうぜえ!!! テメエを見てると、マジで殺したくなるわ。オレは優しいから、丁寧に聞いてやったよなァ。なのにテメエは答えなかった。それってよ、何か知ってますって言ってるようなもんじゃねえかァ!!」


 男は倒れる影斗に近づくと、怒りに任せて影斗の腹を踏みつける。鈍い痛みが走り、影斗の口から嗚咽が漏れる。

 男は、影斗の体を何度も踏みつけ、蹴る。


「人殺しの! 分際で! この屋敷にいること自体がよォ!! キモイのにッ!! 厳夜様を裏切ったなんて! てめえは! クズの! 極みなんだよォォォ!!」


 影斗は、体を丸めて、何とか身を守ろうとする。

 しかし、腹を蹴られた鈍痛が響き、痛みで息もできない。


 男は、息が上がってきたタイミングで、蹴りを止める。影斗を恨めしそうに睨みつけると、丸くなる影斗の頭に唾を吐いた。


 厳夜様を裏切った――――――。

 影斗の心に、痛みより重く圧し掛かったのは、その言葉だった。

 裏切るなど、死んでもしてはならない。死んでもありえない(・・・・・)

 それだけは。それだけは訂正しなくては――――――。


 影斗は力を振り絞り、男の袴の裾をぎゅっとつかんだ。


「違うっ……おれは……何も知らない(・・・・・・)。おれは……おれは……」


 影斗は、自然と涙を流していた。感情が先走った。“裏切ってない”と言えばよかった。

 なぜ、()をついてしまったのだろうか。


「へえ。本当に知らねえんだなァ? だったらよ。それを証明しねえとなァ。いいこと思いついたぜ」


 男は、影斗の前でしゃがみ込む。甚平の襟元をつかんで無理やり立たせると、邪悪な笑みを近づける。


「お前、西浄昏斗を殺せ」


 軽く言い放たれたその言葉に、影斗の表情が曇る。男はそれを見逃さなかった。


「なーんに知らねえなら、できるよな? 咲夜様のいる庵を襲撃し、屋敷に火をつけ、そののち、数名の使用人を負傷させたんだってよ。もし、お前が厳夜様に恩を返すんならチャンスじゃねえか。従兄妹なんだろ。油断するかもしれねえ」


 男は、影斗から手を放す。尻もちをついた影斗の前に、懐からさび付いたナイフを投げる。

 持ち手に、花の模様が入った鋭いアンティークナイフだった。


「これなーんだァ?」


 それを見た影斗は絶望する。全身が震え、視点が定まらず、顔は止まらぬ涙でぐちゃぐちゃになる。

 目が、見ることを拒否する。何も見たくない。聞きたくない。


「あ……あぁ……」


 ――――――あの人(・・・)を殺したときに使ったナイフだ。


「西浄影斗は、共犯である。従兄妹の昏斗を手引きし、屋敷に招き入れた。

 こんな筋書きでどうだァ?

 今の状態なら、みーんな簡単に信じてくれるなァ……これじゃあお前、この屋敷にいられなくなるな。この屋敷を追い出されたら、お前どうやって生きていくんだろうなァ」


 影斗の思考が停止する。

 厳夜の、心からの恩人の顔に泥を塗ることだけは、絶対にしてはならない。

 そのためには、昏斗―――功刀風牙を殺さなければならない。


 ようやくアンティークナイフに視点が合う。

 影斗の目は、アンティークナイフだけを、じっと映している。


「ああ忘れてた忘れてた。

 西浄影斗は、過去に浄霊院暁夜じょうれいいんきょうやを殺した殺人者である。ってのも追加な。

 あーあ。どうしよっかなァ。このタイミングでバラしたら、お前最っ高にみじめだよな」


 影斗の心が、限界を迎える。

 床に吐いた。

 涙が止まらない。震えが止まらない。もう何も、考えられない。

 それだけは、それだけは――――――。


「うわ、汚っ。マジで死ねよ」


 男は、影斗から離れる。

 影斗は床を這い、男の袴を追いかける。涙で呼吸が乱れる中、必死に言葉を吐き出す。


「違い……ます……誤解、です。誤解、しない、で……!!」


 男は、ニヤリと口元を歪ませる。


「あ‟? 何が誤解なんだ」

「……おれと昏斗、いや、“功刀風牙”は、従兄妹でも何でもない……赤の他人(・・・・)です……」


 それを聞いた男は、影斗の背中を優しく擦る。


「本名は“功刀風牙”ってんだな。んで、どこにいるのか知ってんだよなァ」

「……地蔵、堂です」


 男は、影斗を突き飛ばすと、客間を後にする。


「ありがとよ影斗。部外者は、このオレが始末してやっから」


 影斗は一人、客間に残された。

 嵐が去った後の客間は、沈黙に包まれている。


 ――――――言ってしまった。

 自分を守るために。風牙を売った。


「……」


 影斗は、畳の上で倒れたまま体を動かせない。悔しさと、罪の意識で涙が止まらなかった。




影斗くんの過去にまつわるちょっとした伏線を残しながら次回へ続きます。

それにしても……ひどい奴だなてっちゃん!! (作者は影斗くんの味方です笑)


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― 新着の感想 ―
[良い点] こんな状況で保身に走れない人なんて、早々いないもの。影斗くん、あなたは決して間違ってなんかないわ。そもそも圧倒的な力にものを言わせて恐喝してくる輩の方が間違ってるもの。 でもこれで、バレ…
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