ドラゴンは人間の姿になれる
ボクがドラゴンになって二日目。
本当に残念なことに、寝て起きても元の世界には戻れないようだ。
ボクはまだドラゴンのままだった。
このドラゴンの姿でいつまで生活しなければならないのかと想像したら憂鬱になる。
元の世界には親もいたし、小学生の可愛い弟もいたし、友達もいたのに、もう会えるかどうかわからない。
それよりも何よりも、見たかったテレビドラマや、続きが気になるマンガもあったのに。
ひとりで悶々と考えていると元の世界が恋しくて悲しくなる。
「おはよう、リョウ!」
ミネの元気な声が聞こえた。
明るい光が洞窟の入り口から中まで入ってきている。
ミネが朝ご飯を作ってくれていた。
冷たい朝の空気が気持ちよかった。
「はい、あーん。」
ドラゴンの体は、ミネの料理のおかげか、昨日よりも力が入るようになってきて、動かせるようになっていた。
ミネが作ってくれるこの世界の料理は、元の世界で舌が肥えてしまったボクには味付けがいまいちだったけど、贅沢は言っていられなかった。
「今日のご飯は、マースとベイをメェの乳で煮たリゾットだよ。」
ミネの話す言葉には時々わからない言葉があった。
マースは魚の名前で、ベイはお米みたいな穀物だった。
メェは牛だろうか。
リゾットは分かる。
しかし、味は素材そのままという感じだ。
ミネの村では塩は貴重だということだった。
ボクのドラゴンの体は大きかったが、不思議とお皿いっぱい分の食事で足りた。
「ありがとう、おいしかったよ。」
「気に入ってくれて良かった。ドラゴンって何を食べるのかわからなかったから。私、リョウにもっと人間の料理を食べさせてあげるね。」
「……それは楽しみだな。」
午後、ボクは体を動かせるようになったこともあり、いつまでも寝ているのもおかしいかと思って洞窟の外に出てみた。
ボクの移動は、のそりのそりといった感じである。
体が大きくて重い。
羽根はあるけど、体に対して小さい気がする。
ボクはもしかして飛べないんじゃないだろうか。
洞窟の外は想像と違って普通の森という印象だった。
洞窟のまわりの木々は細く、見たことがあるような無いような葉をつけていた。
空を見ようとしても木々の葉が重なっていて隙間からところどころ青い色が見える程度だ。
ボクはここから出てあまり離れてしまうと戻ってこられないのではないかと思ったので、そのまま大人しく洞窟に戻った。
外に出る時はミネに案内を頼んだ方がいいかもしれない。
洞窟に戻る時、ミネが本を何冊か持ってきていることに気付いた。
この世界の本には興味がある。
ボクはミネに頼んでみた。
「そこにあるのって本? ちょっと見せてもらえる?」
「こう?」
ミネは本のページを開いてボクの前で掲げてみせた。
本に書かれていた文字は見たこともないような文字で、ボクは全然読むことができなかった。
言葉は通じてるのになあ。
ボクは落胆した。
もしもこの世界で生きていくことになるならこの世界の知識は必要だと思ったからだ。
文字が読めないのは致命的にまずい気がする。
「これって何が書いてある本?」
「何って、料理の本だよ。」
料理の本か。
ほんとはこの世界の歴史や文化がわかる本だったら良かったんだけど。
「ねえ、ミネ。ボクにその文字を教えてもらうことはできるかな?」
「文字ってこの本の文字? へえ。いいよ、教えてあげる。」
ミネはボクが言うことが不思議だという顔をしていた。
「リョウは長く生きてるドラゴンなのに、字は知らないのね。」
「え!? いや、なんていうか、他の文字は知ってるけど、この文字は初めて見たみたいな……そんな感じで……。」
ボクは気まずい言い訳を重ねてしまった。
失敗したかな。
はあ……。
喋れるドラゴンが字を知らないのは意外なことなの?
それよりも、ミネはボクが長生きだって言っていたことが気になった。
やっぱり、ドラゴンがこの体の大きさになるには時間がかかるってことか。
ボクは昨日この世界で目が覚めたばかりだけど、このドラゴンの体は昨日生まれたばかりということではないんだな。
……ボクはボクのことが何もわからない。
ミネは地面に文字を書いて丁寧に教えてくれた。
どうやらこの世界の人間の識字率は高く、文字が読めるのは当たり前になっているようだった。
ドラゴンが一般的に文字を読めるかどうかはミネは知らないけれど、読めないかもと想像したことはなかったらしい。
それからボクはミネに一字ずつ教えてもらって文字の書き取りを始めることにした。
この世界でよく使われている文字は、どうやらローマ字みたいなものみたいだ。
漢字のように覚える文字が多かったらどうしようかと思った。
それから五日間、ミネはずっとボクと一緒に洞窟にいた。
村の人間が様子を見にくることはなかった。
ボクは寝床でゴロンとしていた。
気分が上がらない。
「ミネは村に家族はいないの?」
「いるよ。お父さんとお母さん。」
「ずっとここにいて、寂しくないの? 帰りたいと思わない?」
「……ここでリョウの世話をするのが私の役目なんだからずっといるよ。」
ボクが見下ろした先、ちょっと離れたところで、ミネはこちらに背を向けて家具の手入れをしていた。
ミネの表情はわからなかった。
ボクは無意識にミネの後ろ姿に引きつけられていった……。
ミネのお尻がこちらに突き出されていて、ボクにはその薄い布地の先に白い肌が薄く透けているのがよく観察できた。
ボクの目はもう、ミネのお尻のすぐそばにあるかのようだ……。
「え!?」
急にミネの体が飛び跳ねるように動いてボクから離れて転んだ。
「だ、誰!?」
直後ボクはミネが言った意味がわからなかったが、ちょっと間をおいてボクはミネと同じ目線の高さにいることに気付いた。
とっさに自分の手を見た。
手がトカゲじゃない。
人間の手のように見える。
「もしかして、リョウなの? 人間の姿になったの?」
「人間になった? え、でもこの体は……?」
ドラゴンの体と違って小さいけれど筋肉質な、腕、足、硬い胸板、力強い少年の体。
この体は、元の世界のボクとは似ても似つかない。
ボクは転んだミネに手を貸そうと近づいていった。
軽快に歩ける。
人間の足はなんて歩きやすいんだろう。
ボクは嬉しくなった。
「あ、ちょっと!? リョウ!?」
しかし、なぜか、ミネはボクから離れようとする。
「待って! こっちに来ないで!」
「どうして、ミネ?」
ミネは顔を真っ赤にしてこちらを見ないように目を瞑った。
あ、ボクが裸の男の体だから見れないってこと?
可愛いところがあるなあ。
「ミネ、ボクを見てよ。」
「見、見れない! 恥ずかしい。」
「ボクらは友達だろ? ボクは恥ずかしくないよ。」
「友達だってこれはダメだよ!」
嬉しい気持ちとミネの反応が面白い気持ちが高まってやめられない。
「でもドラゴンの体の時も、ボクはずっと裸だったよ?」
「それは……そうかもしれないけど!」
「服を着ればいいの?」
「うん、お願い!」
ボクはぎゅっと目を瞑っているミネに近づいて悪戯っぽく言った。
「ほら、大丈夫だよ。目を開けて。」
そーっと目を開けるミネ。
全然大丈夫じゃない。
ボクは裸のままだ。
「ほら、見てー!」
ミネを洞窟の隅に追いやって逃げ場を無くして、無理矢理見せつける。
「やめて、やめて、やめて! ……うわーーーーん!」
あ、ミネ泣いちゃった。
やりすぎたか。
でもボクも人間になれたことが嬉しくて、なんだか楽しくなっちゃったんだ・・・。
「ごめんね、ミネ。」
「……リョウが元気になったみたいでよかったよ。」
ボクは服を着ようとして、この体が完全な人間ではないことに気付いた。
√背中に羽根の痕がある。
爪も鋭いし、首元にはウロコが残っている。
力も人間より強いみたいだ。
それにミネが言うには、目もドラゴンの時のような色のままらしい。
ボクは完全な人間になったわけじゃないとわかって、少し気分が落ちこんだ。
「でも、これで動きやすくなったよ。ミネの家事も手伝えるし。……力の加減が難しいけど。」
ボクはさっき皿を片付けようとして掴んで、うっかり砕いてしまっている。
「ドラゴンって人間の姿になれるんだね。ボク知らなかったな。」
「そう……私も、知らなかった。」
「もし良かったら、明日、洞窟の外に行ってみない?」
ボクは体も気分も軽くなって、どこでもいいから外に出てみたくなっていた。