母なる海の包容力
続々・アクシデント!
「コーチィーーーー!!」
取り返しのつかないことをしてしまった。元はと
いえば、コーチがロッククライミングで戻って
くることを分かっていながら、崖に尻を向けていた
私が悪い。
何よりも、例えコーチがセクハラ目的で私の尻を
見ていたとしても、転落死のしっぺ返しは度が過ぎた
仕返しだ。
時間経過に比例して、加速度的に広がる
ワイルドとの距離が、ミュールの後悔の念を
増幅させていった。
「いやー、ビックリした。けど、筋トレ器具を
壊すわけにはいかないな」
しかし、落下中のワイルドは、あまりにも状況に
似つかわしくない冷静さであった。
「まずは一足先に、着地する!」
ワイルドは、リュックのように背負っていた
荷物箱を抜け出し、落下面に両足を着けて跳躍
…………否、荷物箱の数倍の速度で落下し、一気に
地面に着地した。
「中召喚・大海撃緩」
『ザパァーーー!』
着地した次の瞬間に、身体2つ分の距離を取って、
等身大の穴から水深100m未満の海水を発射した。
「うんうん、母なる大海に感謝感謝♪」
結果、見事に荷物箱の速度は減速し、器具の
破損なくキャッチすることに成功した。
(…………ただ、海水に触れたら錆びやすくなるから、
川の水を召喚してよく洗おう。年季が入って錆びた
ときは…………水素を使って還元反応で錆び取りを
すれば良いのかな?)
俺は、Fe2O3 + 3H2 → 2Fe + 3H2O の
化学反応式を思い浮かべながら、崖上を見上げた。
~崖の上~
「モンスターか!? ミュール!」
バルディが、何事かとあわてて駆け寄ってきた。
「うっすらと落ちていく様子しか見えなかったが、
人形に見えたぞ。それにしても、初手突き落とし
とは、中々判断力があるじゃないか、ミュール」
クレインは、ミュールの素早い行動を生んだ
判断力を褒めた。
「クレインコーチ、違うんですぅ~~…………。
バルディ、私をガッツリ捕獲して、独房まで
輸送してぇ…………」
しかし、実際は誤ってワイルドを転落死させて
しまったので、自ら自主しようとしているのだ。
「???、詳細を話してくれ」
自主勧告されたところで、そもそも犯した罪が
分からない以上は、動きようが無い。
「もしかして、登ってきたロッククライマーを
誤って落としたのか?」
「…………ワイルドコーチがロッククライム趣味かは
分かんないけど、間違いなく落としちゃった…………。
だから刑務所に収監じでよ"ぉ"ぉ"~~~」
しかし、それを聞いた2人は顔を見合わせ、
ヤレヤレといった表情に変わった。
「ミュール、多分ワイルドは生きてるぞ」
「アイツが出掛けるときに、走り幅跳びで助走
着けて飛び出したのを見ただろう。落下距離が
ある分、着地できている可能性の方が高いくらい
だぜ」
次の瞬間、
「3人ともただいまーー! 重たい荷物を
投げ上げるから、20m程距離取ってーーーー!!」
ワイルドの声が響いてきた。しかも、彼が
重たいと表現する荷物を投げてくるらしい。
「ホラな、さっさと離れるぞ」
「……………………」
だが、ミュールにとっては非現実の連続で
あるため、思考停止状態に陥っている。
「仕方ない奴だ」
「ヒャアッ!? おっ、おしっ……!! 崖に
向けないでッ! 下さいッッ!!」
突き落としの動機が動機だった為、ミュールは
担ぎ上げてきたクレインに懇願していた。
「はぁ、お前は真面目なのに、ふとした一瞬は
バルディより騒がしいな」
『ドズゥン!』
事情を知らないクレインは、ミュールの行動が
奇行に見えているようで、ため息をついた。
『ドドドドドドタンッ!!』
「待たせたね! 筋トレセットを回収してきたよっ!」
『ヒュルルルルルル…ダンッッ!!』
そして今度は、崖を垂直にかけ上がって
来たらしく、宙に躍り出るタイミングで、
自らに強烈な縦回転を加え、空気との
摩擦抵抗で前進するマグナス効果を利用
して、崖の手前に着地した。
「…………普通、垂直に飛び上がったのなら、
こちら側に来られないだろう…………??」
「…………いや、きっとワイルドは、変化球的な
回転による魔力でこっちに来たんだと思うますぜ」
どうやらバルディはこの世界の野球に精通
しているらしく、感覚でマグナス効果を理解
していたようだ。
「バルディの言う通りです。正確には魔法抜きの
物理現象ですけどね」
「…………ワイルドコーチって、召喚士だよね…………??」
ミュールは俺の脳筋性能ぶりに、当然の疑問を
投げかけた。
「あっ、それとさっきは本当にごめんなさい!
コーチがそんな事をする人じゃないと理解して
いるけど、ビックリしちゃって…………」
「良いよ。それに俺も、瞬時に理解できなかった
からって、君のo…」
言葉が出掛けた所で、この場にクレインさんと
バルディが居ることに気づいた。ここで言い止まれた
のは、俺にしては上出来すぎなレベルだ。
「いや、詳細は省くが、俺の方こそ悪いことを
したね。ただ、一般のクライマーの方だったり、
モンスターだったりする可能性もあるから、
ストレッチの向きは気を付けようね」
「はいっ!」
いつもの敬礼で返事をした。その様子を見て、
ミュールは婦警志望なのかなと思い、警察沙汰に
ならなくて良かったとも思った。
同時に、彼女を弄ぼうとしたカルロスは、別の
意味で警察沙汰にしなければいけないと思った。
「何か良くわかんねぇが、ギスギスしなくて
良かったぜ。お前のせいでワイルドの肉体改造法を
聞けなくなったら、最悪絶交だったぜ」
「バルディはこれまで通り、何も心配せず、
考えなくていいのよ♪」
「テメェ、俺の事バカにしたな?」
「さーて、どうかしら~~?? 気になるなら
考えてみると良いかもねぇ~~♪」
端から見たら、お前らがギスギスしだすなと
言いたいところだが、2人からは殺気の類いが
感じられないので、訓練生時代の軽口合戦だと
判断した。
つまり、今こそ本題のワークアウトを伝授
するときなのだ。
「はい、注目(ちゅうも~く)!!」
『ビリッ!!』
何となくモストマスキュラーのポーズを
猿真似したところ、インナーのシャツだけ
器用に破けてしまった。
数日で、急激に上半身が大きくなっていた為、
ゆとりのあるローブは兎も角、下着が加圧シャツ
同然のキツさまでサイズ不足になっていたようだ。
道理で道中の中距離走で倒れたわけだ。
「ドゥアッッ!! ハアッwwwww!! ハアッwwwww!!」
当然、奇々怪々な脱衣シーンに、バルディは吹き出す。
「な…………何の…………真似だ…………??」
「えっ? えっ? ええっ!? 何で!!?」
クレインさんは、ドン引きしながら隙を
さらけ出すし、ミュールは物理法則を覆された
物理博士のような質問をしてきた。
「…………俺が聞きてぇよ。もう全部脱ぐわ」
「全部!!?」
"上半身は"という言葉をニュアンスに纏めて
しまった為、ミュールは更に動揺した。もう知らん。
「ミュール、下は脱がないから安心して。今から
俺達は、このバーベルを使って胸の筋肉を中心に
鍛えていく。俺が服を脱いだのは、説明で筋肉の
動きを見せたかったからだ」
「なる程な! お前の後は俺がやる! 悪ぃ癖も、
俺の筋肉なら直ぐに分かるだろ!」
バルディも、上着を全て脱いだ。この辺の
行動力は訓練時代でも評価されていたのだろうな。
しかし、やはり俺より上半身はデカい。標本として
連れてきて大正解だったぜ。
「これが…………鍛えぬいた男達の肉体…………」
「な、何か…………凄いよぉ…………」
女性陣は、何だかんだで始めて見る男の裸に、
あらゆる感情を揺さぶられている。
「おっと、拙者達も直で指導を受k…」
「「ストーーーーーップ!!!!!」」
着物の上側をはだけさせ、サラシのみに
なりかけたクレインさんを、俺とバルディは
全力で阻止した。
「それされたら、俺達逮捕されます!」
「見本は俺等で十分だろーが!」
「??? 直に教えた方が、効率的だと
思ったのだがな」
「脱線しすぎだが、バーベルを持ち上げて胸を鍛える
この種目を、ベンチプレスという。勿論台も用意したぞ」
「…………そっか、(ワイルドコーチが私達に
直接指導したら、胸を鷲掴みする格好に
なっちゃうんだね)」
ワイルドがバルディの胸筋に沿って指を
移動させる様子を見て、ミュールは彼が女性に
直の指導を出来ない理由を悟ったのだった。
「それじゃ、手本を見せますので、しっかりと
見てください!」
俺は肩甲骨を寄せた状態でベンチに寝そべり、
バルディの胸筋の筋を自らの胸筋に照らし合わせ、
全速力で筋収縮を行った。
最後までお読みくださりありがとうございます。




