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「その剣、刀身が刃こぼれしてボロボロだな。それにお前は身体に防具をつけていないじゃないか。まさかそんな布切れを巻きつけた卑しい格好で客の前に出ようってわけじゃないだろう?」
大型の獣のように野太い声が狭い石壁の通路に響く。
悪目立ちするほど貧相な格好をした少年が使い古されて刃こぼれした剣を手に持っている。それを目にして、図体の大柄な男が物言いするため立ちあがったのだ。
男は身体の各所を守るように古い革製の防具を装備しており、それ以外の箇所からは鍛え抜かれた肉体が盛り出ている。腰には丹念に研磨された大剣を備えていた。
「‥‥いつもの装備だ。かれこれ3年はこの外装でいるぞ。今更何を聞いているんだ。それに、どんな格好だろうと俺の勝手だろ。」
青年の装備は薄い布切れを肌が見えなくなるまで重ねているだけであった。おおよそ防具と呼べる代物ではない、歩くたびに布の一部が千切れて宙を舞い、地面にひたりと張り付く。右手に握った剣も青年の貧相な印象に違わないものであった。
薄暗い通路の脇にひっそりと座っていた青年だが、話しかけてきた大男を煩わしそうに一瞥しその場を立ち去ろうとする。
「おい、少しくらい話を聞けよグレイ。お前、今回の闘技大会に出場するらしいじゃないか。毎年出場を断っていたくせに、それこそ今更だ。何か目的があるんだろ?」
大男はグレイと呼んだ青年の身体に大刀の身をゆっくりと当てた。青年の纏っているボロ布が少し切れ、その切れ目からは塵のようなものが僅かに舞う。
「なるほど、やけにしつこいと思ったが、聞きたいことはそれか。‥‥そうだな、今回は気が変わっただけだ。特に理由はない。しいて言うなら、賞金が欲しくなったかな、こんな身なりでは商人もまともに取り合おうとしない。」
剣を突き立てられてもグレイは恐れた様子を見せず、質問に対して冗談混じりな答えを返した。
「‥‥そうか、答えるつもりはないのか。ならば、強行手段といこう」
不満げにため息を吐きつつも大男はグレイを逃がそうとはしない。そして、大男は誰もいない通路に何かしらの合図を送るー大男はグレイの答えに納得しなかったようだーと通路の灯りが揺らめき、通路の暗がりと石柱の後ろからゆっくりと別の男たちが現れた。
皆、大男と似たような装備を身につけており、グレイを囲むように集まる。グレイのもつボロ剣を警戒してか、少し離れた場所から手慣れた様子で武器を構え始めた。
グレイは逃げる様子もなく、足を止め周囲を見回す。前後を塞がれ左右は壁である。
はじめから囲み易い場所におびき出されていたことを理解したグレイは徐に深呼吸を行い、数秒間の沈黙の後ようやくまともに大男の顔を見た。
「‥‥どうして俺に付きまとう、俺は剣闘士じゃない。だからバシェート、あんたの忠告を聞くことも、俺の内情を明かす義理もないだろう。それに、剣の手入れだって俺は十分だと思っている。」
剣闘士という言葉をグレイが口にした途端、大男バシェートの顔色が変わる。どうやら彼の前でその言葉は禁句だったようだ。
周りの男たちは青ざめた表情を浮かべて、横目でバシェートの様子を窺いながら後退りをする。バシェートの気迫のせいなのか、灯りがより激しく揺らぎ立ち、影が朧げになる。
「‥‥お前は俺たちと同じ剣闘士だ。今はあの小さな戦場で闘う見世物だとしても、哀れな細民の集まりだとしても、かつての闘士たちの誇り高い姿が失われることはない。失わないためにも剣だけは美しく見せなければならない。お前もこの場所で闘う立場にある以上、その誇りを背負わなければならないのだ。それが剣闘士というものなのだ。」
バシェートは何やら熱く語りだす。かつての栄光や志の高さをまるで説教のようにグレイに言い聞かせた。
「‥‥そうか、それほど高邁な闘士の1人に数えられるとは、名誉なことだ。しかし残念だが俺には俺の戦いがある、誇りを失わないためにこの剣がいる。だから剣を研ぐつもりはない。ただ、このみすぼらしい様相だけは言うとおり何とかしよう、それで勘弁してくれ、」
バシェートとその取り巻きの男たちは研磨を頑なに拒否するグレイの思惑を理解することはできなかった。さらにはグレイの言葉からは敵意や反抗心とは逆に敬意の念を感じたため、余計に混乱することとなった。
「‥‥お前たちが聞きたかった話は終わったんだ。もういいだろ、通してもらうぞ。」
グレイに押し通られ周りの男は指示を求めるようにバシェートの顔をみる。バシェートは何か言いたげな素振りを見せたが、すぐに首を縦に振ってグレイの通る道をつくらせた。
「じゃあなグレイ‥‥次会うときは舞台の上だ。今日の答えは其処でも遅くはないだろう、必ず口を割らせてやるからな。」
「助かるよ。‥‥そのときにまた会おう」
グレイは背を向けたまま右手を背後に見えるように振ることで、大男たちへの別れの挨拶を終えた。
バシェートはグレイの姿が見えなくなるまで腕組みのまま突っ立っていた。
グレイが去り、取り巻きの男たちも役目を終えて解散しようとする。
「おい、お前ら2人はグレイの動向を監視しておけ、特に奴と接触する人物には注意しろ、顔と名前も調べるんだ。」
バシェートは取り巻きの中の2人を呼び止め、命令を下す。彼らはバシェートが最も信用している男たちで、戦闘技術だけでなく隠密行動や知略にも長ける闘士である。くわえて、男たちがバシェートという剣闘士に敬意を抱いており、それをバシェートは知っているため扱いやすい配下となっていた。
2人の男はバシェートの命令を了承し、グレイの跡を追って足音と共に薄暗闇へ染まった。
ひと通りの目的を終えたバシェートは右手に握った大剣を少しの間眺める。剣は一切の余念なく手入れが施され、光沢すらも帯びている。バシェートには確認するまでもないことだ。
バシェートはやがてゆっくりと自慢の大剣を腰の鞘に納めた。
「他人には他人の戦いがある‥‥か、」
薄明りの揺れる通路に響く足音が徐々に消えていき、やがて誰の姿も見えなくなった。