ゲームと現実【5】
二人の視線がその音に反応して本の方へと向かう。
「それっ!」
その本を見たプルムの顔色が変わり必死に椅子から降りようともがき始めるが、やはり動けないらしい。
焦ったように体を揺らしているプルムを少し見つめてから本へと歩み寄る。
「触らないで! 私のよ!」
「得体のしれないものに何も考えず触れたりしないわ」
前世での自分の死にプルムが関わっていたことに思う所が無いわけではないが、私にとってはもう過去のこと。
今は過去に殺された怒りをこの子にぶつけることよりも、フィロと共にファクルで生きるための手段を得る方が私の中では比べるまでもなく大切だった。
これから先の未来を掴むためならば、前世の自分のことは今は捨てても良い。
そしてそのために何をするべきかは決まっている。
このタイミングで現れた本が普通の本のわけがない、まずは触れないように開いているページを覗き込んだ。
「…………」
この子よくこんな本に手を出したな、と呆れてため息が零れてしまう。
うさんくさいとしか言いようのない、『願いをかなえるためのまじない』と書かれたページ。
こんな本に書かれたことを他人の命を奪ってでも実行することなんて通常ならばありえないことだが、内容を把握するために文章を目で追っていると何だか妙な気分になってくることに気が付いた。
特に不思議なことは書いていない。
生贄を捧げて呪文を唱えれば願いをかなえてくれる存在が現れる、なんて子供向けのおまじないを血生臭くしたような内容がつらつらと書かれているだけだ。
くだらない、けれど読み進めていく内にそんな自分の意志を無視するように文章から目が離せなくなっていく。
そのふざけているとしか思えない儀式を自分がやっているところが脳裏に浮かび、そしてそれは本当に叶うだろうという明確なイメージまで湧いてきた所で、慌てて本から視線を逸らした。
逸らした後も本の方を覗き込もうとする自分の意志を大きく深呼吸を繰り返すことで静めて、数歩後ろに下がった。
心臓が早鐘の様に音を立て、これはまずいものだと本能も理性も警告を鳴らしている。
魅力的だからこそ、関わり合いになりたくない。
前世での仕事中に、外国で昔呪いに使われていたという道具を見せてもらったことがある。
あの時に感じた不思議な感覚、見ていて寒気がしてくる品々と同じ様な得体のしれない本だった。
「ちょっと、使わないならこっちに渡しなさいよ!」
「冗談じゃないわ、あなたに使わせたくないとかそういう以前の問題よ。私はこれに触りたくないし、近付きたくもないわ」
何を言っているのかと言わんばかりの訝しげな表情を向けて来るプルムだが、先ほどとは別の意味でよくこんな本に手を出したなと思う。
ぞわぞわとする腕をさすって、更に一歩後ろへ下がった。
「……あなたは、この本に何を願ったの?」
「決まっているでしょう。私をプルムにして、ゲームストーリーみたいにアルディナで幸せに生きさせて、色々なキャラを攻略したいから何周でもストーリーを繰り返せるようにして、よ」
「ゲームにない部分の細かい調節があの操る力、そういうことね?」
「そうよ。ゲームのプルムは人間だから火の魔法以外は使えないとか言われたから魔法も貰ったわ。使うための石もね」
「ファクルでユート王子が動かなくなったのは……」
「基本的にはストーリー通りに動くって聞いてたのに、私との婚約を最優先にしなくなってきたから私の思い通りにだけ動かせる様にしてやったのよ。エラー起こしたみたいになってぜんぜん動かなくなったし、どうせやりなおすから気が向いたらまた攻略してあげればいいと思ったのに……」
最後に見た王子や兵士たちの様子を思い出して、あの時感じた何とも言えない気持ちが蘇ってくる。
アルディナはすべてこの子の思い通りに動くための舞台、そしてそこで生きる彼らも例外ではなかったということか。
おそらくだが私たちの矛盾を指摘する言葉とプルムの操る力、そしてストーリー補正が反発したような形になったせいで王子はあんな風に固まってしまったのかもしれない。
どう動いても何を言葉にしてもおかしなことになってしまうせいで、動きようが無くなったのだろう。
胸の中にあるモヤモヤした気持ちを息を一つ吐き出して追い出して、今度はさっきのプルムの願いを脳内で繰り返し再生する。
“ゲームの世界”ではなく“アルディナ”で幸せになりたいと願った……やはり私の予想は正しかったようだ。
「……一応聞くけれど、さっきの願い事の内容はその言葉通りに願ったのね?」
「だからそうだって言ってるじゃないの。さっきからなんなわけ?」
私が先ほどまでしていた考察の大半は合っていたのだろう。
この子の力の及ぶ範囲、つまりゲームなのはその願い通りアルディナだけだ。
私が警戒して恐れるべきなのはプルムではなく、プルムの願いを叶えた“なにか”の方。
プルムはこの状況から逃げ出す術を持っていない。
プルム自身がこの妙な呪縛から逃れられずにいるのに、私を外に出すことなんて絶対に出来ないだろう。
ここに来れば何か好転するかと思ったが、さっきまでしていた考察が正しかったことが分かっただけだった。
仕方がない、今はそれだけでも良しとして次はどうするかを考える。
先ほど考えた通りプルムの言う“あいつ”に呼びかけてみる、それかもう一度門のところまで行ってあの黒い空間を調べてみるのも良いかもしれない。
体が重いのであまり歩き回りたくはないし、こんな本の持ち主であろう存在との関わりなんて絶対に欲しくはないが、そうも言っていられない状況だ。
……この部屋で呼びかけて返事がなければ門へ向かい、その過程で通る色々な場所で呼びかけてみるのも一つの手だろう。
行くしかない、脱出手段がない以上この子と会話する意味はないのだから。
視線を床に落として思考を続けながら扉の方へ体を向けると、プルムが慌てた様子で声を上げる。
「ちょっと、どこに行くのよ!」
「決まっているでしょう、ファクルに帰る手段を探しに行くのよ。あなたと会話していてもどうしようもないということはわかったもの」
「私はどうすればいいのよ!」
「知らないわ。そもそもどうして私があなたを手助けしなくてはならないの? ここはあなたの願った通りの場所でしょう」
扉の方へ向けた体を彼女の方へ向けて、怒りと涙で真っ赤になったプルムの顔をまっすぐに見返す。
「生贄なんていう非人道的なものを捧げてまで欲しかったものでしょう。手に入って良かったじゃないの」
「私が幸せじゃないなら生贄なんてなんの意味もないわ! ただ無駄な手間がかかっただけじゃない!」
「……あなた、私を悪役にしようと必死だったみたいだけれど、あなたの方がよほど悪と呼べることをしているわね」
「だったらなんだっていうの? 私は幸せになりたい。そのためなら傷つけられるより傷つける立場にいたいのよ! でも普通に生活してて悪事を働いたり人を陥れたりしたら、それこそまわりから責められる。だから願ったのよ、主人公になりたいって。幸せになることが決まってる人生をちょうだいって。私は間違ってないわ、だから非道な手段を使ってこの世界に来ても、ここでどれだけあんたを陥れてもアルディナは私の味方だった!」
「そうね、でもあなたが元々願ったストーリー展開は今の方でしょう?」
この子の間違いの一つはゲームの選択だ。
同じ乙女ゲームでも平和なストーリーの物はたくさんあっただろうし、どうしてもこのゲームが良かったのならば願い事の方を工夫しなければならなかった。
「レオス様がおっしゃっていたわ。『正義だろうが悪だろうがなんだっていい、力ずくだろうがなんだろうが結局は自分の主張を通した方の勝ち』って。私がアルディナにいた頃のあなたはちゃんと正義の立場で勝者だった。何もしていない私のことを悪だと主張してアルディナ国民に通すことで私を追い出し、悪に打ち勝った主人公としてアルディナで幸せになる未来に向かっていたじゃない。それなのに願い事の範囲外まで欲張って、叶わないからと無理やり人を操った結果、アルディナは滅びかけてしまった。おまけに最初からやり直す選択をしたのもあなたでしょう? 自分が選択した結果が今に繋がっているだけよ。いいじゃない、あなたはここで当初の予定通りにプルムとしてストーリーを生きる。私もあなたの望み通りアルディナを追放されて、二度とあなたには関わらず好きに生きていく」
言葉が出てこない様子のプルムににっこりと笑いかける。
「おめでとう、あなたの勝ちよ。主人公さん?」
私の笑顔と言葉に、一拍置いてカッと怒りをにじませたプルム。
顔がわなわなと震えている。
「ふっ、ざけないでよ! あんたが幸せになってる時点で私は勝ててないじゃない!」
「あら、ゲームのリウムだって追放されてからは一度も登場していないのよ? 追放先で彼女がどう過ごしているのかなんて誰にもわからないわ。追放後そのまま死んでしまった可能性もあるけれど、もしかしたらゲームでもアルディナとは関係ないところで幸せになっていたかもしれないわね。そもそもそこはストーリー外の出来事で、いくら主人公とはいえプルムには関係のないことだもの」
プルムはアルディナから出さえしなければ、ストーリーにない部分をねじ曲げたりしなければ、また最初から始めるなんて選択をしなければ、ずっと彼女の願った通りの勝者のままだった。
この子がアルディナの王族を操ったりしなければ、ファクル相手でもそれなりの対処が出来たかもしれない。
そうすればアルディナで幸せに生きたいというプルムの願いのほうが勝って、ファクルに睨まれながらもアルディナという国は継続していたかもしれない。
けれど……すべてがもしもの話だ。
「……アルディナを追い出してくれて感謝しているわ。こんな同じストーリーをループする様な現状なんて、もしもゲーム通りに私が快適に過ごせるとしてもごめんだもの」
意味がわかっていないようなプルムの顔をじっと見つめる。
私の欲しい幸せと、彼女の欲しい幸せは違うものだ。
「私はあなたが望むような繰り返される決まった幸せなんて、まったく同じ幸せな出来事なんていらないわ。苦しいことがあっても悲しいことがあっても良い。幸せの約束されていない、なにが起こるかわからない場所だって良い。最終的に大きな幸せが確実に手に入る代わりに波乱ばかりの日々よりも、フィロと過ごす日常で起こる何気ない幸せの方が私には価値があるものだもの。同じ出来事だけではないからこそ幸せになれる。だから私は自分の手でその幸せをつかむために現実に帰るわ」
それだけ言ってプルムに背を向け、今度こそ視線を入って来た扉の方に向ける。
出ていく前にあの本を何とかした方が良いだろうか。
「……えっ」
そんなことを考えていた私は、次の瞬間視界に映った光景に思わず声を漏らした。
この部屋の扉は一つしかなかったはずだ、私が入って来た扉一つだけ。
それなのに、私が入って来たはずのそこにはまったく同じデザインの扉が三つ、横に並んだ状態で静かに存在していた。
「な、んで、いつの間に」
ポカンとした表情でそう声に出したプルムと同様、私も扉が増えたことに気が付かなかった。
いくらプルムと言い合いをしていたとはいえ、全く気がつかないなんてことがあるのだろうか。
何の音も動きもなかったはずだ。
恐る恐る近付いてみるが、どの扉の向こうからも何も聞こえてこない。
使用人の声どころか足音なども聞こえなかった。
せめて風の音くらいはしても良いと思うのだけれど……無音に不気味さを感じて一歩だけ後退する。
この扉、開けたらどこに行くのだろう?
アルディナの門のところまで行ってみるつもりだったが、どの扉を開ければいいのかがわからないし、開けていいのかもわからない。
三つの扉、すべて別の場所へ繋がっているのだろうか。
「……あなたまた何か願ったの?」
「願って聞いてもらえるって言うならとっくの昔にあんたを犠牲に幸せになってるわよ!」
ちらりとプルムを見てそう問うと吐き捨てる様に答えが返ってくる。
嘘を言っている様子はないしどうするかと考えた時、視界を横断するように何かがひらひらと落ちていった。
視線は当然の様にそれを、ひらりひらりと左右に揺れながら落ちていく紙へと向く。
パサッ、と軽い音を立てて先ほどの本のすぐ隣に落ちた一枚の紙。
書かれている内容が見えて息を飲んだのはプルムも同じなようだ。
声にならずその紙を見つめる私の脳裏にあの声が響く。
『さあリウム=グリーディ、選択肢だ』