ゲームと現実【4】
嗚咽混じりの声は彼女が本気で泣いていることを示している。
子供の声なので悲愴感は増しているが、流石にあれだけのことをやられているので同情心などは湧いてこない。
「どうして? また遊び歩く予定だったのに、なんで私がこんな仕事なんてしなきゃならないの?」
どうやら嘆いているのは仕事をしたくないからのようだが、やはり真面目に働くのは嫌なのだろう。
押し付けられている分もあるとはいえ、良い家に生まれたのだから子供でも仕事があるのは当たり前のことで、むしろあれだけ遊び歩けていたほうがおかしい。
いや、むしろ良い家に生まれなくともそれぞれの家業の手伝いなど仕事をしている子供は多いのだけれど。
それにしても嫌だ嫌だと言っている割には机から離れる様子がないのはどういうことだろう。
「今すぐ最初からが無理ってどういうこと? 前は出来たじゃない。私のせい? 何言ってるのか全然わかんないわ。え、違う、私はこんなの望んでない!」
会話しているように聞こえるけれど、隙間から見える部屋にあの子以外の人影は見えないし、相手の声も聞こえてこない。
あの子をここに送った何者かとの会話と見て間違いないのだろうが……もっとよく見ようともう少しだけ部屋の扉を開けた時だった。
『どうせなら中に入ったらどうだ?』
「え」
先ほど聞こえた謎の声と同じ声が聞こえた瞬間、私の手は勝手に扉を押し開け、部屋の中に足を踏み入れて止まった。
扉を押す音、足音、どちらもしっかりと出てしまったせいで、あの子が驚いたように振り向く。
そんな驚いたような顔は一瞬で私を睨みつけるように変わったが、今はあの子のことを気にしている場合ではない。
急いで周囲を見回すが、あの子以外に人のいない部屋の中には特に異常は見られなかった。
誰かがいる様子もなく、しかし私がいた頃のあの子の部屋とは違って物がとても少ない。
娯楽用品や調度品がほとんどないシンプルな部屋は、ゲーム中に登場したプルムの部屋とまったく同じだ。
「なんであんたが成長した状態でここにいるのっ!」
そう叫ぶあの子を見るが机から離れる様子はない。
ペンを握ったまま、顔だけが振り返った状態で私を見ている。
もしかして彼女の意志とは関係なく机から離れられないのだろうか?
ゲーム中のプルムは家では常に仕事に追われていたし、だとすれば……
「完全にゲーム通り、ってことかしら?」
「なっ」
驚愕の表情をプルムが向けて来るが、それを無視するようにじっと見つめ返した。
今の自分は完全に無表情だろう。
「さっきから嫌だ嫌だと言っているのに机から離れないのは、ストーリー通りになるように強制的にそうさせられているから。部屋の中はゲーム背景のプルムの部屋とまったく同じ。外を歩いているのはキャラクターと会話中の背景に描かれていたのと同じ黒い人影。現実として考えれば怪奇現象じみた異常事態だけれど、ゲームの中だと考えれば当たり前の光景だわ」
「な、んで、ゲームって……そういうこと! あんたもなのね! あんたも幸せになりたくてこの世界に来たのね! だから邪魔したんでしょう、だからこんなことになってるんでしょう、ふざけないでよ!」
「ふざけているのはあなたでしょう? 私は前世でこの世界に来たいだなんて思ったことは一度だってないわ」
「前世? 何言ってんの?」
私を睨みつける彼女は、やはり私と違って転生したのではないようだ。
生まれ変わってこの世界に来た私と、おそらく死ぬことなくこの世界に来ただけのこの子。
転生と転移、特典とやらの差はそれかとも思ったが、どちらにせよ彼女にその力を与えた何者かがいるのは間違いない。
そしてそれはさっき聞こえた声の持ち主のはずだ。
今プルムを強制的に働かせているのもきっと……プルムの力の大本がそちらならば、私の交渉相手はこの子ではない。
「あなたと話しても解決しそうにないわ。私はさっさとファクルに帰りたいの。あなたをこの世界に送った何者か、その存在はどこにいるの?」
「あれに願い事でもするつもり? このアルディナになってから私の願いなんて何一つ聞いてくれないあいつに?」
「願い事を聞いてくれない?」
「そうよ! あの時あんたの目の前で初めて巻き戻して、今度はあの魔物の男を攻略するつもりだったのにいつまで経っても私の前に現れなくて、それどころか毎日あんたにいじめまがいの扱いを受けて、仕事なんてしたくもないのに体は机の前から離れない、疲れても休めない! 意味が分からなくて巻き戻そうとしても私の願い通りに自動化したから時間を進めないと戻せない、って意味の分からないことを言われてゲームイベント通りにしか動けないのよ!」
「願い通りに自動化?」
「適当に過ごしていたら誰とも結ばれないバッドエンドのルートに進んじゃうし、エンディング前になったと思ったらいきなり巻き戻されて最初からやり直し。また私は思い通りに動けなくて、せめてと思ってキャラと恋愛イベントを進めたのにまたエンディング前になったら勝手に巻き戻されてっ……! また最初から、子供の頃から繰り返しであんたに嫌がらせを受ける仕事ばっかりの日々、やってられないわ!」
泣きながらそう叫ぶプルムは、私が気を失っている間にもう何周か人生を繰り返していたようだ。
しかしこの世界はこの子の思い通りに行かなくなっている。
少し悩んでふと思い出したのは、ファクルでこの子が言っていた言葉だった。
『もう面倒だわ。どうせエンディングは知ってるしまずは一回ずつクリアするつもりだから、どのキャラが相手の時でもこのくらいで自動的に巻き戻すようにしてよ。もう変な調節なんてしないから、ちゃんとストーリー通りに動くようにしてちょうだい』
なるほど、と心底納得出来た。
この子は願い事を叶えてくれないと言っていたが、そうではなくて願いが叶った結果がこれなのだろう。
「あなたがファクルで言っていた通りになっていると思うけれど?」
「私、が?」
「どのキャラが相手の時もこのくらいで巻き戻して、変な調節はしないからストーリー通りに動かして……あの時あなたが願ったそのままだわ」
「でもそれならどうしてキャンセルできないの? 願いを上書きできないの!」
「さあ? そこは私にはわからないことだわ。そもそも私は何もわからない状態なのだもの。あなたがファクルでペラペラ話していたことを繋ぎ合わせて立てた仮説を軸に色々と考えているだけ」
一つため息を吐きだして、泣きながらも私を睨んでいるプルムの顔を見る。
「あなたがこのゲームの世界で幸せになりたいのは勝手だけれど、私を巻き込まないでもらえるかしら?どうやら私の役割はあの影がやってくれているみたいだし、さっさと私を現実へ戻してもらえる?」
「……嘘よ」
「……何が嘘なのかしら?」
「これもあなたのせいなんでしょう! ゲームのことも知ってるのに何も知らないふりしてたし、私の代わりにここで主人公になるつもりなんだわ! 返してよ、私が幸せになれる場所のはずなのに!」
「……頭痛がしてきたわ」
どうやら本気で言っているようでとても質が悪い。
そもそも幸せになりたくてこのゲームを選んだのならば完全にミスだとしか言いようがないだろう。
「あなたが幸せになれないのは自分で巻き戻しを選択したからでしょうに。このゲーム、おぼろげな記憶しか残っていないけれど序盤に主人公が幸せそうにしていたシーンはかなり少なかったはずよ。幸せになれるエンディングやその先をいらないと言って、不幸なストーリーの中に戻る選択をしたのはあなたでしょう」
「だって、だって一周目はこんな風じゃなかった! またあんたに仕事を押し付けて、私を馬鹿にした分不幸にしてやろうとしたのに、なんで……」
「あなたの言う一周目、そちらの方が間違っていただけ。本来のストーリーはこちらだわ。あなただってわかっているはずだけれど?」
「じゃあなんで、なんで一周目はあんたはゲームと違う動きをしていたの?」
「さあ? ただもしも私がゲーム通りに動いていたら、一周目のあなたは今と同じ状況だったでしょうね」
「なら戻ってよ! メインに近いキャラなのにリウムが黒い影だなんておかしいじゃない! あんたがリウムに戻りなさいよ!」
「お断りだわ。どうして私があなたの幸せのために自分の身を犠牲にしなくちゃいけないのかしら? 私は何としてでも現実へ帰る。あなたは望み通り、ここでゲームのストーリー通りの生活を送っていればいい。あなたの願いはきっとゲームでプルムになることなのでしょう? そして私の願いは現実へ戻ること。それぞれちゃんと願いが叶えばお互いに文句なんてないはずよ」
「違う、私は……」
「違わないわ、あなたの口にした願いが叶って今この状況がある。そうでしょう」
「それは、でも、私ぜんぜん幸せじゃない」
「あなたが願ったのはゲームでプルムになることで間違いないのね。なら叶っているでしょう。ストーリーを進めていけば好きなキャラと幸せになれるでしょうし」
「ほんの短期間だけじゃない!」
「それもあなたが願ったことだわ」
この子と話していても埒が明かない。
自分は幸せになるはずだ、でも不幸だ、そんな話ばかりで具体的に何をどうしてこの状態になったのかが一切把握できずにいる。
プルムをなだめている場合ではないし、早く帰る方法を見つけないと。
この部屋に入った時の声、おそらく私を操ったあの声の持ち主がプルムの言う“あいつ”だ。
相変わらず部屋の中には私とプルムしかいないが、おそらく見てはいるはず。
念のためプルムへの警戒は解かないまま、視線だけサッと部屋の中を見回すがやはり何もない。
視線をプルムに戻すと、首が疲れたのかこちらを振り返るのをやめて机の方に向いているので後頭部しか見えなくなっていた。
しゃくりあげているので泣いているのだろうが、部屋に入る前と違い誰かと会話している様子はない。
しかし小さくぶつぶつと何かは言っているようだったので、少しだけ耳をすませた。
「なんで……本の通りにしたのに、願いが叶うって書いてあったのに、生贄までささげたのに、どうしてこんなことになったの?」
生贄?
ずいぶん物騒な言葉が妙に耳に残る。
それに本、確かファクルでも妙な本がどうとか言っていたし、今の言葉通りその本で願いを叶えてここに来たのだろう。
神様か悪魔でも召喚したのだろうか。
この世界でならばともかく前世の世界から考えるとずいぶん非現実的だ。
でも何かヒントになるかもしれないし、何らかの力が関わっているのは事実。
駄目で元々、ここで空中にでも向かって呼びかけてみるという手もある。
どれだけ馬鹿らしく見える手でも、帰れる可能性があるのならばなんだってやってみたい。
……これで何も出なかったらプルムから呆れた視線が飛んできそうで何だか腹立たしいけれど。
それでも物は試しだと軽く息を吸い込んだ時だった。
「ちょうど良いところにいたあの女を海に突き落としてまでここに来たのに、これじゃ意味ないじゃない」
吸い込んだ息がヒュッと音を立てて止まる。
私の様子には気が付いていないらしいプルムの後頭部を呆然と見つめた。
今、この子は何て言った?
ふっと視界が揺れて、プルムの部屋がぐにゃりとねじ曲がる。
次いで浮かんだのは迫ってくる真っ青な、フィロの目と同じ海の色、私の大好きな青い色。
落下する時のお腹の底が圧迫されるような感覚、耳元でごうごうと鳴る風の音。
すべて私が前世で最後に感じたものだ。
そんな感覚も一瞬で、すぐに周囲はプルムの部屋に戻り、私の目の前には相変わらずしゃくりあげながらぶつぶつと何かを呟いているプルムの後ろ頭が見えた。
「……嘘でしょう」
かすれた声で出たその言葉はプルムには気づかれていないようで何の反応も返ってこない。
前世での私は仕事がらみで飛行機や船に乗ることも多かったから、そういう事故で死んだのだと思っていた。
けれど違ったんだ。
訪れた外国で仕事を終えて、立ち寄った観光地の海。
景色を見るために開放されていた崖の上から安全に気を付けながら覗き込んでいた時に、背中に感じた軽い衝撃。
浮遊感の直後、視界いっぱいに広がる青が迫って来たのが前世の私の最期。
「そう、そうなのね……あなたが私を押したのね」
「は?」
プルムが振り返ったのとほぼ同時に、私とプルムの中間あたりにバサッと音を立てて一冊の本が落ちた。




