ゲームと現実【3】
重い体とは真逆に軽くなった心のまま歩を進める。
この重い体も目覚めた時に感じたようにアルディナから、いや、ゲームから拒絶されているのだとしたら私にとっては良いことなのだろう。
私はもうゲームの登場人物ではないという思いを後押しされている気がする。
グリーディの屋敷が近づくにつれて、町並みは繰り返しではなく見慣れたものへ変わり、周囲にいる人々はどんどん顔のある人間が増えてきた。
しかし私のことが見えていないのは同じらしく、あれだけ睨みつけられていたのが嘘のように私の存在はスルーされている。
「良いんだか悪いんだか……」
微妙な気持ちになりながらたどり着いたグリーディの家の前。
記憶の中と変わらず美しい外観の家だが、未練や懐かしさは一欠片たりとも湧いてこなかった。
「もう二度とここには来ないって決めていたのに」
ここはもう私の家ではない、むしろここを見たことでファクルに帰りたい思いがさらに強くなる。
あの白い家、私の好きな青い花の咲くツタが絡まる森の中の家。
フィロと結ばれた場所、私の帰る家。
胸の前でぎゅっと手を握り締める。
「絶対に、あの家に帰るわ」
心配しているであろうフィロに、ただいまを言わなくては。
そして二人で旅行に行って、彼の両親に会って、定まらない未来へ向かうのだから。
手を伸ばして家の門を、そして玄関の扉を開ける。
静かに足を踏み入れたそこは、記憶の中とまったく変わっていなかった。
「…………」
無言のまま目の前に伸びる廊下を進む。
階段を上がれば、私の家族だった人たちの部屋が並んでいる。
屋敷に入ってからさらに重くなった体を引きずるように一歩一歩階段を上っていくと、最後の一段を上がりきったところで目の前の部屋のドアが開いた。
「っ」
一瞬体が強張るが、扉から出て来た男……父には私の姿は見えていないらしい。
一度こちらを見たにも関わらず視線は私を通り過ぎ、すぐに部屋の方を振り返って中に向かって声を掛けている。
「操られていたとはいえ、もう家族っていう感覚すら浮かばないわ」
私の呟きも聞こえていないらしい父が部屋の中に向かってしゃがみ込み、そっと手を伸ばす。
誰かいるのだろうか、しゃがんで手を伸ばすということはもしかして小さな頃のプルムが出てくるのかもしれない。
目を細めて父の手元を見つめていたが、なんだか息苦しくなってきてぎゅっと胸元を掴んだ。
体が今まで以上にどんどん重くなってくる。
「な、に?」
立っていられず壁に寄り掛かるように倒れこむ。
壁に手をついて体を支えることには成功したが、今まで以上の体の不調はいったいなんなのだろう。
まさかプルムが、と思った私の前に現れたのは差し出された父の手の上に重ねられた真っ黒な手の形をした何かだった。
息がどんどん荒くなって、自分の呼吸音が廊下に響く。
『さあ、行くぞリウム。頑張ったご褒美をやらないとな』
『うん、ありがとう父さま』
「えっ?」
リウム?
今、父はリウムと呼びかけなかっただろうか?
部屋の中の何かが父に手を引かれるまま廊下に姿を現す。
外にいた人たちのような真っ黒な人影は、長いまっすぐな髪を持った小さな子供の影だった。
プルムは髪にウェーブがかかっているし、その人影の見た目はゲームで見た幼い頃の“リウム”の形そのものだ。
「なに、どうして、私? でも……っ」
体が今までで一番重くなり、立っていられずにズルズルと座り込む。
父に手を引かれた“リウム”の影が私の横をすり抜けるのを、荒くなる呼吸を必死に抑えながら見つめる。
黒しかない“リウム”の髪の部分が揺れる。
父と“リウム”が私の横をすり抜けた瞬間、一瞬視界が真っ黒に染まった。
『ああ、やはりこいつはもう無理か』
暗くなる視界の中、そんな声が聞こえたすぐ後にふっと視界に色が戻った。
体が軽くなり、いつも通りとまではいかないがこのアルディナで目覚めた時くらいには回復したのがわかる。
「今、声が……」
頭を押さえながら振り返ると、階段の下で母も合流し、父と共に“リウム”の影を挟むように手を繋いで家を出ていくのが見える。
「そうだ、本当は、ゲームではこうだったんだ」
あのゲームは魅力的なキャラクターは多かったがシリアス色が強く、最後には攻略対象のキャラクターと幸せになるが、その渦中はとてもではないが幸せばかりではない。
主人公のプルムは陰で悪役のリウムから嫌がらせを受け、父や母に問題児として扱われていた。
ハッピーエンドではあるのでプレイ後は確かにとても幸せな気持ちになれるが、その過程は普通に考えれば不幸と呼べるものだろう。
今回は逆に私が働いていたのであのプルムは楽だっただろうが、ゲーム本編でのプルムにとってはつらい状況だったはず。
その状況に負けずに努力を続けた結果、攻略対象キャラを成長させ、成長したそのキャラの手でリウムに勝つ事になるのがゲーム本編だ。
でもあのプルムにそれが出来るだろうか?
ゲーム中のプルムの様に時にはイライラするくらいにお人好しで前向きなタイプには見えなかった。
それに……
「戻してって、このくらいで巻き戻してって言ってたわ」
これがゲームと現実が混ざり合った世界であったなら、攻略対象と結ばれた後は幸せな生活が続くだろう。
もちろんゲーム本編にはないトラブルも起こるだろうが、運命の二人と言える程に愛し合っている相手とならば乗り越えられるはずだ。
けれどあの子が言っていたタイミングで毎回巻き戻るのならば、しかも今の様にゲームストーリーと同じ様にリウムが悪役ならば、幸せを味わうことが出来るのはリウム追放後からエンディング直前までの間だけになる。
あのプルムにとって日々のデート程度の幸せが、他のすべての不幸より勝るとは思えない。
私が純粋なリウムでなかったから一周目はただ楽しかっただけだ。
しかし今出てきたあの黒い影が私の役割を担っているのだとしたら、今のプルムはアルディナ追放前の私と同じ様な扱いを受けていることになる。
一周目が楽しかったから麻痺したのだろうか、それともあの子はこの状況も楽しんでいるのだろうか。
「行ってみないと、プルムの部屋は確か一番奥の部屋だったはず」
進む過程で使用人数人ともすれ違ったのだが、やはり私は認識されない。
先ほどの影がリウムとして動いているのならば、私は……
「やはり私はもうゲームキャラとしてカウントされていないのかしら?」
ゲームにリウムは二人も必要ないだろうし、あの年齢のリウムが登場する時間軸ならば私も縮んでいなければおかしいだろう。
ゲームに必須の人物でなくなったのならば、このアルディナから出ればファクルに帰れる可能性があるということだ。
もしかしてゲームキャラではなくなったからこそ、私の目に映るアルディナはゲームの様になったのかもしれない。
「気になるのはプルムの言っていた“あいつ”だけど……」
以前考えた、人間でない何者かの介入が現実味を帯びてきた気がする。
ゲームの世界だとか前世だとかいう時点で非現実的なので、もうなにが起こっていてもおかしくはない。
そもそも人間をゲームの世界に送るなんて真似自体、神や悪魔の領域の話だろうし。
プルム相手ならばうまくやれば私をこのアルディナから出すように持って行けると思うけれど、相手が不確かな存在だとしたら難しくなるかもしれない。
「……あの部屋ね」
プルムの部屋の白い扉には小窓などはなく、中の様子を見ることは出来ない。
ただ部屋の中からぼそぼそとあの子の声が聞こえるので、いることは間違いないようだ。
周囲には使用人たちもいないようだったので、扉に近づいて中の声に耳を澄ませる。
……いたとしても彼らに私の姿は見えないのだけれど。
そしてプルムの部屋の中から聞こえる声は小さく、上手く聞き取れなかった。
どうも独り言では無さそうだが、相手の声は聞こえない。
最終的にあの子と話さなければならないことに変わりはないし、見つかったら見つかっただ。
そっと扉に手をかけて中が覗き込めるくらいに薄く開く。
小さな背中が机に向かって座っているのが見えた。
扉と机の位置関係上、私のほうからはあの子の、子供サイズになったプルムの背中しか見えない。
代わりにプルムも私の存在には気づいていないようだ。
黙々とペンを動かしているように見えるが、真面目に仕事をしているのだろうか。
今回は自分もゲーム通りに動くつもりなのか、それとも……扉を開いたことで聞こえるようになった彼女の声に耳を傾ける。
「なんで、なんで、いや、もうやめたい……」
聞こえてきたプルムの声は、ファクルでの立ち振る舞いが嘘のように悲壮感に溢れていた。