悪役令嬢VS主人公【6】
そんな彼の服を先ほどと同じ様にプルムが引いた瞬間、幹部の一人がプルムを地面に押さえつけ、彼女の口がふさがれた。
幹部の手のひらから魔法陣が広がり、プルムを包み込むように固定される。
倒れた衝撃でくぐもった声が彼女の口と地面の間から零れ、吊り上がった目が押さえつけている幹部へと向けられた。
しかし人間と魔物の力比べで人間が勝利できるなんてことはもちろんない。
抵抗は意味を持たず、あの子は地面に押さえつけられたままだ。
そしてプルムがそんな状況に陥ったというのに、王子はプルムを助けようと動く素振りすら見せずにいる。
それは兵士たちも同じで、その場を一歩も動かずに沈黙を保っていた。
レオス様が私を見て小さく頷く。
明らかな異常事態だが、これはきっとチャンスだ。
あの得体のしれない力の欠片くらいは知ることができるかもしれない。
「……あなたは何を見たのかしら? 私はプルムに何をしていたの?」
「見た? いじめられていると、プルムが言って、それで……」
繰り返される会話に顔をしかめそうになりながら、これはチャンスだと自分に言い聞かせて言葉を紡ぐ。
「本当に聞いただけ? 見てはいないの? それならアルディナの人々はどうかしら? 私がこの子にどんな嫌がらせをしていたのか、あれだけの人数が嫌がらせを肯定しているのだからたくさんの人が目撃していないとおかしいわ。もちろん一つくらいは具体的な報告を聞いているでしょう?」
「嫌がらせ、を……」
「具体的には?」
「…………君は、悪役だ」
ユート王子はそう口にしたと同時に、まるで人形のように固まってしまった。
「おい、どうした?」
「…………」
「おい!」
「…………」
先ほどまであれだけ憎々し気な視線を送っていた相手であるフィロの問いかけにも、一切反応がない。
姿勢も表情も変わらず、ただそこに佇んでいるだけ。
演技しているようには見えないし、彼にそんな器用な真似は出来ないだろう。
固まっているように見せたところで、彼らにとっていい方向に動くわけでもない場面だ。
「まるで人形だな。やはり何かあるのは……いや、何らかの力を使っているのはお前だな」
レオス様が押さえつけられているプルムを見てそう口にする。
忌々しそうにレオス様を睨みつけるプルムは、もう表情を取り繕う気すらないようだ。
王子も固まったままだが、その様子は私には人形ではなく違うものに見えた。
……まるでゲームのセリフ送りを止めた時のようだと思う。
こちらが何かボタンを押すまで、選択肢を選ぶまで、ポーズや表情を変えずに固まったままのキャラクターの立ち絵。
画面上で見たことがあったからだろうか。
今はもう遠い記憶の中の話だが、それでも彼の立ち絵が映るゲーム画面がはっきりと思い出せた。
レオス様の視線を受けて、プルムを抑え込んでいた幹部が彼女の口だけを開放する。
「さて。お前はこの王子に、いや、アルディナに何をした?」
レオス様の刺すような視線を受けても、あの子の瞳は鋭くこちらを睨みつけたままだ。
私が初めてレオス様と対面した時は死への恐怖が強かったのだが……ある意味羨ましい。
けれどこの状況で何よりも自分が優位だと疑っていないような瞳には嫌悪感を覚える。
単純に度胸があるという訳では無さそうだ。
ただただ自分の方が上だと思っているような、そんな雰囲気。
「……このままいけばアルディナはあなたたちごと滅亡するわけだけれど。それでも何も言うことはないのかしら?」
「そんなわけないじゃない! 悪役の癖に知った風な口を聞かないで!」
プルムの視線が強くなる。
どうやら彼女の中での一番の敵は直接アルディナを攻めたファクルの人々でも、自分を押さえつけている魔物でもレオス様でもなく、ほとんど関わりなんてなかった私らしい。
「悪役……確かに私はアルディナにとっては悪でしょうね」
「そうよ、悪は負けて出ていって、その先で勝手に人生ごと終わらせればよかったのに! せっかく親に頼んで良い行き先を準備してやったというのに、どうして他の国で幸せになってるのっ?」
「あの家をリウムさんの行き先として準備したのはお前か!」
「それが何だっていうの? 悪役に行き先を準備してやっただけじゃない!」
憎々しげに声を張り上げてプルムを睨みつけるフィロと、そのフィロを睨みつけるプルム。
最低な行き先だと思っていたが、まさか用意したのもこの子だとは。
アルディナにいた時には基本的にニコニコと笑って穏やかに話していたプルムだが、今はその面影は見られない。
とても感情的になっているようだが、おそらくこれがこの子の素の部分なのだろう。
いくらでも失言として真実が引き出せそうだが、この自分が優位だと信じて疑っていない部分は注意したほうが良いような気がする。
あのストーリー補正のような力がこの子の力なら、そこの部分の警戒だけは怠れない。
だが多少の危険を冒してでも真実を知っておかないと、この先もずっと妙な心配を続けることになってしまう。
もしもレオス様たちがアルディナに総攻撃を仕掛けた時に力を使われるのが一番まずい。
押さえつけられたままのプルムをじっと見つめた後、わざとらしく笑みを浮かべる。
この子にとって私が悪で、その私が優位なのが気に入らないというのなら……私はそのイメージ通りに動こう。
少し見下すように口元に手を当てて、にっこりと見せつける様に余裕の笑みを浮かべる。
どうやらこの子は王子と似た者同士だ。
挑発を続ければ、ある程度乗せられて話始めるだろう。
「なら、あなたもそうして下さる?」
「……はあ?」
いらついたように聞き返す声は、この世界では一般家庭の子でも返さないような、何もわかっていないような口調だった。
外交の場ではなくてもその返答の声は出してはいけないことだろうに。
「あら、悪は負けて出ていってさっさと終わるものなのでしょう? アルディナではあなたが正義で私が悪かもしれませんが、ここはファクルですわ。私はこの国の住民、あなたはこの国に害をなす敵国の人間。ここでの悪はあなたの方ですもの」
わざとらしく首をかしげて、またにっこりと笑う。
言われたことが理解できないのか、声にならないまま口だけをパクパクと動かすプルム。
「悪はさっさとわたくしの目の前から消えて下さる?」
私のわざとらしい口調と表情を見たせいか、レオス様や幹部の数人が噴き出した音が聞こえる。
数人の幹部が笑いを堪えようとして口元と腹を押さえているのが見えた。
「悪、悪ですって? 私が……悪?」
「その通りだろう。この国へ害をなす人間を悪と呼ばず何と呼ぶんだ。お前が正義なのはアルディナだけ、この国ではその主張は通らない」
「わたくしもあなたのために行き先を準備して差し上げた方が良いのかしら? でもどうしましょうフィロ。わたくし、この子がわたくしに準備したような男女見境なく手を出すような厄介者の知り合いなんておりませんわ」
「そうですね。ああ、そのリウムさんが行かなかった家に送って差し上げては?」
「それがいいかしら。この子、わたくしと違って他に頼ることのできる国はありませんし」
「ええ。リウムさんでしたらファクル以外でも当時の同盟国の方がいくらでも手を差し伸べて下さるでしょうが、外交のがの字も知らない小娘のために自国を危険にさらすような方はいらっしゃらないでしょうから」
「な、んですって」
一人称や表情まで大きく変えて、大げさに話し続ける。
レオス様が笑い過ぎて呼吸困難になりそうなほどに私とフィロのやり取りはわざとらしいのだけれど、この子にはとても効果があるようだ。
出来ればこのまま挑発し続けて、自分から力について話すように仕向けたい。
「あら、だってあなた、わたくしと違って他国に助けて下さるようなご友人なんていらっしゃらないのでしょう?」
「……っ」
「あなた、わたくしが以前参加していた他国の皇太子様やご令嬢が集まる勉強会に行ったのでしょう? あの場にいたご令嬢たち、わたくしにとっては友人でもありますの。ファクルに来ない選択をしたとしたら、わたくしは彼女たちを頼ったかもしれませんし、その時は彼女たちも迎え入れてくれたと思いますわ。ですがあなたは友人になるどころか、過去の外交官が結んできた同盟までほとんど解消されてしまったと聞きました。その件にあなたの態度が関係していたこと、ご理解されていないのかしら?」
「態度? 私が仲良くしてって言っただけなのに、勝手に怒ったのは向こうだわ」
「当然でしょう? 彼女たちはアルディナとは比べ物にならないほどの大国の方々ですもの。格下、しかも世界の中でも弱小国の代表格ともいえるアルディナの人間が、アルディナが起こした問題の謝罪や説明もせずに、それも初対面であるにも関わらず友人相手にするように話しかけるだなんて、怒らせて当然ですわ」
「アルディナが弱小国ですって!」
「ここに来てから散々言われていたというのに、まさかそのこともわかっていらっしゃらないの? 仮にも外交官を名乗るのであれば世界から自国がどう見られているのか、そしてその評価は正しいのかどうか程度は把握していなければ。生産率も低く人口も少ない、国の立地も悪く、なによりもファクルという世界で一番ともいえる強国から睨まれている状況でそのような態度をとってしまった以上、同盟国が離れていくのも彼女たちが関わりたくないと思うのも当然のことですわ」
「違う! アルディナは唯一の国なのよ!」
「唯一?」
「また意味の分からないことを……」
「わかっていないのはあなたたちだわ!」
先ほどから叫ぶように意味の分からない主張を繰り返すプルムと、そんな状況にも関わらず微動だにしないユート王子。
「……あなたがもしも正しいことを言っているというのならば、なぜアルディナは孤立しているのかしら? なぜ正しいはずのアルディナが攻撃を受けたというのに、どの国も助けてくれないのかしら? 以前わたくしが外交官としてアルディナにいた頃に事故や災害でアルディナに被害が出た際は、同盟国から救援の金銭や物資が届きましたわ。ですが今回は何もないどころか皆離れて行く。ファクルへの恐怖があったとしても、こっそりと支援してくれそうな国だってあったはずです。最後まで残っていた同盟国の外交官の方はギリギリまでアルディナを信じていたと聞いておりますし。あなたが新しい外交官だとしたらなぜすぐに理由を説明して救援を求めなかったのかわかりませんわ。わたくしなら、なによりも最優先でファクルへ謝罪し、他の国へ救援と調査の手伝いをお願いしたでしょうね。受けていただけるかは別としても、以前誘拐騒動が起こった際に主犯格の国と同盟を結んでいた国ならば何かヒントになることがあるかもしれませんから。なぜあなたは動かなかったのかしら?」
「動く必要なんてないわ! アルディナはずっと平和な国よ。私が幸せになれる国なんだから!」
プルムの息が荒い。
ずいぶん興奮しているように見える。
本当ならば口走らないであろうことを言い始めているが、挑発が成功しているからなのか、それともここで話してしまっても問題無いような隠し玉でも持っているのか。
「……意味の分からん主張だな」
笑いが治まったのか、今度は大きくため息を吐いたレオス様に周囲の魔物たちも同意している。
“プルム”が幸せになれる国、か。
確かにアルディナという国はそういう国だ。
ただし、ゲームの、という言葉が国名の上に付くけれど。
主人公であるプルムが幸せになれる国、それが保障されている国。
この子はそれを、アルディナでプルムが辿るストーリーを知っている。
「幸せになんてなれませんわ。今日あなたたちがファクルに来てからの言動で、アルディナの未来は滅亡へと向かったのですから。言っておきますが、わたくしがこの国に来たということは滅亡とは直接関係がありません。ファクルとの同盟が無くなっても良いからと私を追い出したのはアルディナの住人、そして攻撃を受けるきっかけは過去にアルディナがファクルの子供たちに手を出していたから。そしてとどめを刺したのはあなたたちアルディナの王族や外交官がファクルと敵対することを選んだからです」
「アルディナは滅亡なんてしないわ」
「あら、王子を固まらせている力でも使うのかしら? 固まらせているというよりは、自分にとって都合がいいように操っているようにも見えますけれど」
「あんたには関係ない!」
「何らかの力を使っていることは認める、と」
「私は当たり前のことをしているだけよ。決まったように進むために、その細かい部分の調節をしているだけなんだから!」
決まったように進む……ストーリーのこととみて間違いないだろう。
ゲームではなく現実になったことで起こるストーリーにはない細かい部分をこの子が力を使って好きなようにしている、そういうことか。
それなら、私がゲーム補正だと思っていた力と、この子が王子を操っている力は別のもの?
「決まったように? まるで未来が決まっているかのように言うのね」
「決まっているわ! アルディナで私が幸せになる、それだけよ」
「滅ぼされる国でどう幸せになるというのかしら」
「滅びたりなんてしないって言ってるじゃない!」
もしも立っていたら地団駄でも踏みそうな雰囲気だ。
またあの王子とのやり取りの様に無駄に同じことを言い合うのかとうんざりするが、時間が掛かっても色々と聞きだすしかないのだろうか。
しかたないともう一度口を開こうとした時、私の肩を後ろへ押すようにレオス様が私の前へと歩を進めた。
つまらなそうに細められた目はプルムに向けられている。
「お前とは話にならんな。よくそんな調子でアルディナの住人に慕われていたものだ」
そう口にしたレオス様の姿がゆっくりと変わっていく。
美しい妖艶な雰囲気はそのままに、女性の姿から男性の姿へ。
そんなレオス様の姿を見た瞬間、今まで睨みつけるようにレオス様を見ていたプルムが一気に表情を変えた。