リウムとフィロの新生活【2】
今までの分も休むようにレオス様に言われ、またフィロにも休んでくださいと押し切られるような形で休みにした日。
せっかくだしと、市場は開かれていなかったもののお店巡りでもしようとフィロと手を繋いでファクルのお店を回っていた時、翼を持つ幹部の一人が私を呼びに来た。
アルディナが動くにしてはまだ早いけれど何かあったのだろうか、と急いで広場へ向かった私は、王の前にいた二人の人間に迎えられることになる。
座っていた女性と、彼女が立ち上がろうとしたのか前のめりの体勢になったのを慌てて止める男性。
アルディナの同盟国の集まりの時に出会った他国の令嬢と、その婚約者である皇太子様だ。
彼女はアルディナの同盟国の中では私以外で唯一ファクルと同盟を結んでいる友人で、あの集まりの中では一番気が合う人だった。
婚約者に止められて体を座る体勢へと戻した彼女は、その表情を安堵へと変える。
「リウムさん……本当に、良かった」
「……心配をかけてしまってごめんなさい。アルディナを追放という形で出てしまったから、あなたに手紙を送れるほどの地位が私にはもう無くて」
「ああ、そういうことね。しかたがないわ。でもご無事のようで本当に良かった。まさか恋人までいるとは思わなかったけれど。まったく、私の心配はいらなかったようね。幸せそうで何よりだわ」
「それも報告したかったのだけれど……ごめんなさい」
どうやらレオス様からある程度のことを聞いていたらしい。
茶目っ気たっぷりな笑顔で私とフィロの顔を見て、からかう様にそう言った彼女に苦笑で返す。
身分差が重視される世界はこういうところが面倒だ。
地位がなくなれば、身分の高い友人相手に手紙の一通さえも送れなくなってしまう。
心配をかけているのはわかっているのに、自分は幸せなのだと一言告げる事も出来ない。
ファクルである程度の地位は貰っているが、アルディナでは追放という罰を受けた罪人扱いのため、アルディナ同盟国の次期王妃である彼女たちに手紙を送ることはむずかしい。
ファクルの名前を出せば可能だっただろうが、戦闘能力のない私がファクルの名を使って手紙を出すことで、レオス様たちに迷惑がかかるかもしれないと思うと余計に手紙を送ることは出来なかった。
手紙を目にした人間が何か良からぬことを企む可能性もある。
笑いかけてくれる彼らの顔を思い浮かべれば、彼らに迷惑をかけてまで手紙を送ろうだなんて到底思えなかった。
彼女に関しては同盟相手である以上、必ずファクルを訪れるのはわかっていたので、いつかは伝えられるだろうと思ってはいたのだけれど。
「なんだ、知り合いなのは知っていたがずいぶん仲が良さそうじゃないか」
相変わらず玉座に座って頬杖をついているレオス様だが、今日は女性の姿だ。
露出部分の多い足や胸元が艶めかしくていつも以上に目のやり場に困るが、レオス様は楽しそうに笑っている。
「まあ、確かにお前たちは気が合いそうだからな。友人なのか?」
はい、という声が示し合わせた訳でもないのに彼女と揃い、目を見合わせて何となく笑い合う。
彼女はなかなか勉強会に参加しないので、交流は主に手紙のやり取りだった。
その手紙が届かなくなり、私が行方不明だと知ったのだろう。
心配をかけてしまって本当に申し訳ない。
「友人同士ならば俺の目の前だからといって遠慮することはない。普通に話しても構わんぞ」
「はい、ありがとうございます」
普通に、とレオス様は言うけれど、もうすでに私たちの口調は崩れかけている。
ファクルはあまり身分に厳しくない上に、レオス様が堅苦しいのを嫌うこともあってこの国にいる時にはつい気が抜けてしまう。
ファクルに行くと口調がおかしくなってしまうと彼女と苦笑いしたこともあるくらいだ。
同じことを考えたのか少し気まずそうに笑う彼女と視線を交し合う。
そんな私たちを嬉しそうに見ている彼女の婚約者は、先ほどから一言も言葉を発していない。
ファクルの外交は基本的に一人で来なければならないが、その唯一の例外は彼女たちだ。
この国に出入りする人間の中で唯一皇太子の同伴が許される彼女は、車いすに腰掛けている。
友人はファクルと同盟を結ぶことに成功してしばらく経った頃に、事故に巻き込まれて足が動かなくなってしまった。
とはいえ前世の世界よりは性能は落ちるがこの世界にも車いすはあるし、彼女は自国内での評判も良く、事故前と変わらず次期王妃としてファクルの外交も担当している。
しかし、ファクルは道はある程度整備されているとはいえ、国土のほとんどは森の中。
性能があまりよくない車いすでは移動が難しく、もしも周りに誰もいない時に何かあって身動きが取れなくなってしまうのはまずいからと、レオス様は外交などに口を出さないことを条件に婚約者の同行を許したらしい。
そのため彼は普段は余計なことを言わないように、ファクル内では誰かに話しかけらない限りは口を開かないそうだ。
そんな彼のことをレオス様はそれなりに気に入ったらしく、最近は時折雑談を振ったりすることもあるのだと以前彼女が言っていた。
二人は相変わらず仲が良く、政略結婚ではあるのだが、ちゃんと想いあっているのがわかる。
婚約者と笑みを交わしていた彼女の視線がフィロのほうへ向く。
「勉強会の時にお会いしましたわね。リウムさんの執事だった方よね?」
「はい」
「そう……もう、気が付かなかったわ」
肩をすくめて私のほうを見た彼女にまた苦笑で返す。
前世の記憶が戻らなければ、彼と結ばれる未来を夢見ることもなかったこともあって、私は徹底的に自分の感情は隠していたつもりだった。
だからこそ、レオス様に知られていた時には驚いたのだけれど。
ファクルは特殊な国なので、訪問時にはそういった意味では気が抜けていたのかもしれない。
同盟国での集まりでは気付かれていなかったのなら、まあいいだろう。
「表に出すわけにはいかなかった感情ですもの。ずっと胸に秘めているつもりだったのだけれど、彼は追放された時に当然の様に付いて来てくれたから」
「ファクルでは身分差なんてないものね。あなたが幸せそうで嬉しいわ。おめでとう」
「ありがとう」
久しぶりに穏やかな気持ちで友人と話していたが、レオス様のさて、という声でその時間は終わりを告げる。
その場にいる人々の視線がレオス様に集まったところで、肘をつく姿勢をやめて普通に座りなおしたレオス様が口を開いた。
「今回お前達を呼んだのは、アルディナの件だ。そのユートとかいう王子の件も含めてだがな。こちらで何があったのかは今俺が話した通りだが、今度はそちらの話が聞きたい。確かお前たちは勉強会と言っていたか? 同盟国の集まりで何があった?」
「…………」
レオス様にそう問いかけられて、友人は婚約者の彼と顔を見合わせてから、少ししかめた顔で話し出す。
思い出すのが憂鬱なような、そんな表情だ。
「同盟国の集まりには足が動かなくなってからはあまり参加していませんでしたが、今回は私も参加しました。今までで一番集まりも良かったのですが、みな目的は同じだったようです。アルディナがファクルから攻撃を受けた理由、そして安全なはずのアルディナの街道で自国の民が魔物に襲われた理由が知りたいと。アルディナに問い合わせても返事が無かったので、勉強会で直接聞くしかないと思ったのです。私は直接レオス様にお聞きしても良かったのですが、ちょうど勉強会が直前に迫っていたこともあって。念のためにアルディナの街道を使わないように国民たちに知らせを出して、勉強会の日を待っておりました」
「まあ、いくらお前が我らと同盟を結んでいるとはいえ、他の国へ攻撃を仕掛けているところに訪問したいとは思わないだろうな」
そういえばこの二カ月の間、他国からファクルへの訪問者は激変していた。
たしかに私が友人の立場だったとしても、よほどの緊急事態、もしくはレオス様から呼び出されたりしない限りはあまりファクルに近付かないようにするだろう。
レオス様は気に入った人間や仲間に関しては寛大だとはいえ、変に藪を突いて蛇に出てこられても困るし、騒動についてある程度知るまではファクルに近付くのは避けたいと思うはずだ。
「それにしてもリウムの言う通りだったか。我らとの同盟解消の件は伝わっていなかったのだな」
「はい。街道を使用していた民がファクルの方からアルディナの人間かどうか確認されて否定したところ、この街道はもう使うなと言われて見逃されたと。今回は軽い怪我で済んだがどうなっているのか、街道はもう使えなくなったのか……そういった報告や問い合わせが大量にありまして。ファクルの方々は襲わないと約束した街道では絶対に手を出してこないという信用はありましたし、だとすれば問題があるのはアルディナのほうではないかと皆で話しました」
「我らは約束していない街道では好き勝手にさせてもらうと宣言しているからな。今回はリウムがアルディナの街道は同盟解消を知らされていない他国の人間が使う可能性がある、と言うから一応確認するように国民に周知しただけだ。我らとてお前たちの様な気に入っている人間の住む国を襲うのは本意ではない。それにしても、アルディナは本当に何を考えているんだ? あいつらの立場がどうなろうと知ったことではないが、これで同盟国に死者が出ていればファクル以外の国からも攻撃を受けかねんぞ」
「結果から申し上げますと、あの勉強会でアルディナがファクルに何をしたのかがわかり、また対応も最悪だったことから巻き込まれるのはごめんだと大半の国が同盟解消を申し出たのです。一番しっかり説明してくれそうなリウムさんが現れず、来たのは新しい婚約者だと言う見知らぬ女性。その女性もユート様と一緒によくわからない発言を繰り返しますし、話がなかなか理解できずに皆さま怒っていらっしゃいました。加えてリウムさんを追放した、と言われて全員真っ青になりましたわ。彼女がいなければファクルとアルディナの同盟はなくなるにも関わらず、自ら追い出した挙句に私たちにそのことを告げていなかったのですから」
「……当日の様子なんかも詳しく話してくれ」
「はい。正直に申しますと、ユート殿にまともな返事は期待しておりませんでした。彼が現状をしっかり把握できているとは思っておりませんでしたので。今までの勉強会でも彼はまた聞きの情報しか持って来ず、おまけにその情報も自分の考えに一致する方の一方的なものばかりでした。彼が正確な情報を持ってくることはなく、失言を繰り返しては慌てたリウムさんに咎められていることが多かったくらいですから」
ユート様に正確で自分の意見の混じらない純粋な情報を提示しろと言うのは難しそうだし、友人たちの考えにも納得出来た。
アルディナを出たことでユート様の言動の後始末をしなくても良くなっただけでも、相当精神的に楽になった気がする。
「ですので会場ではユート様ではなくファクルと同盟を結んだリウムさんに話を聞こうと話していたのですが、集合予定の時間になってもお二人は現れず……もしやファクルの件で遅れているのでは、と話していたのですが。一時間ほど遅れて現れたのはユート殿と新しい婚約者だという女性で」
「私との婚約破棄の件は……」
「なにも聞いていませんでしたわ。事前に新しい婚約者を連れて行くという連絡もなく、警備の人間が戸惑っていました。彼らはすんなり会場に入れなかったことに怒りを滲ませていましたが、私たちからしてみれば見知らぬ人間をいきなり各国の皇太子様方が集まっている場所へ入れろと言うのは、ふざけているとしか思えませんでしたし」
間違い無くその女性はプルムなのだろうが、重要な場に連れて行くのに連絡の一つも入れなかったのか、と驚いた。
なぜだろう、昔から色々とおかしなところはあったけれど、ここまで妙な選択がまかり通る国だっただろうか。
そもそも他国からの重要な問い合わせに返事すらないと言うのも気にかかる。
王族はユート様だけではない、王も大臣たちもいるし、私たちが生まれる前からアルディナがこんな状態だったとしたら、いくらストーリー補正があったとしても国が孤立くらいはしていてもおかしくはないはずだ。
私が幼い頃はもう少しまともな国だった記憶もあるし、ストーリー終盤が近づいて来たにつれて、国の中が狂ってきているような気もする。
「警備の人間から確認の連絡が来て、色々と話した結果二人を会場内に入れたのですけれど。いきなり新しい婚約者だと女性を紹介されまして」
ちらりと私の顔を見た彼女が少し言いにくそうに、一度口を噤む。
おそらく紹介された女性、プルムが私の妹だということで気を使っているのだろう。
「私はもうグリーディの家とは何の関係もありませんから。どうぞ続けて下さい」
「……ええ。こちらとしては被害が出ているわけですから、その説明をまずしていただけると思っていたのです。けれどユート様は開口一番、自分の新しい婚約者だと、リウムさんよりもずっと可愛らしいだろう、と女性を紹介し、女性もよろしくね、とまるで友人相手の様に私たちに向かって笑っておりました。場は静まり返りましたし、彼らに向けられる視線はどんどん冷たくなっていきました。皇太子様の内のお一人が、『ユート殿は正規の婚約者であるリウム殿を放置して、婚約者でもない別の女性と遊び歩いているという噂は本当だったか』とおっしゃったことでようやく自身に向けられる視線にお気づきになったようで。そこからはその、ずっとリウムさんの悪口でした。最終的にリウムさんを追放した、などとおっしゃったものですから、会場中の人間から血の気が引きましたわ」
大きくため息を吐いた彼女は、その時のことを思い出したのかひどく疲れた様子だった。