悪役令嬢と執事の新しい居場所【7】
それから少しの時間、彼の家にお邪魔して話してから、オディロンさんは約束通り国内を案内してくれた。
市場が開かれる場所、魔物たちの住居が並ぶ場所、書庫等が並ぶ仕事上で必須な場所や、綺麗な景色の場所まで。
裏道などを含めて案内してもらえたので、とてもありがたい。
そしてそこで会ったたくさんの魔物たちに、おかえり、ようこそ、と声を掛けてもらった。
数日前までの悪意しか飛んで来ない道とはまったく違う、優しく温かい空気が嬉しい。
最終的に私たちの家まで送ってくれたオディロンさんを誘い、共に夕食を取ることにした。
同じ食卓に着いてぎこちないながらも会話をするようになった二人を見て、フィロは実家のほうに帰らなくて良いのだろうか、なんて思いもしたのだが、それを聞いてじゃあそうしますと言われたらどうしようと口に出せずに悩んでいたのだけれど。
それでも聞かなくては、と私が勇気を出す前に、フィロ本人が自分はこのままここに住みたいとお兄さんに言ってくれた。
私たちの様子を見て、からかうような笑みに変わったお兄さんが、わかっているから二人ともいつでも遊びに来てくれと告げて帰って行くのを見送って、怒涛の一日は終わりを告げた。
もうすっかり暗くなった外を見て、急いでお風呂を済ませることにしてパタパタと動き回る。
そうして昨日と同じように私を先に入らせてくれたフィロがお風呂場へと向かうのを見送り、薄暗い部屋の中で一人、ベッドに腰掛けてゲームのことを思い出すことにした。
ベッドサイドのテーブルの上に置いたあの赤い果実のジュースを水差しからカップに注いで口をつけ、冷たさで頭の中をすっきりさせながら整理していく。
思い出さなければいけないのはエンディングの、婚約破棄イベントの後の二人の様子。
攻略キャラごとに違ったことは覚えているけれど、あの王子の場合はどうだっただろうか。
ゲームとは違って彼は成長していないし、しっかりと考えて動けるようにはなっていないとはいえ、おそらく流れ的には同じになるはずだ。
「……思い出せない」
なかなか蘇って来ない記憶に頭を抱えるが、そもそも前世ということもあるし、あのゲームは好きだったけれど好きなキャラクターは違ったので彼のルートはあまりやりこんでいなかった。
確かスチルコンプのために一、二回クリアしただけだった気がする。
私が何周もやりこんだキャラクターは、頼りがいのあるがっちりとした体格のキャラクター、で……
「どうして? そういえば、見たことがないわ」
確かあのキャラクターは主人公のプルムと仲の良い貴族の家の子供だったはず。
私はファクルとの外交などで忙しかったし、フィロを好きになっていたこともあって今まで気にしていなかったけれど、家に出入りしていた人たちの中に彼の姿を見たことはない。
思い返してみれば他の攻略キャラクターたちも見たことがない気がする。
少なくとも、プルムの幼馴染のキャラクターくらいは見たことがないとおかしいのではないだろうか。
「プルムの相手が、あの人だったからかしら」
一人の人を一途に追うルートなら、他のキャラクターは出てこなかった記憶がある。
ただ、出てこなかったとはいえ名前などで存在は匂わされていたから、現実である今、一切見たことがないというのが少し引っかかった。
引っ掛かりはするが、アルディナにキャラクターたちがいるかなんて今はもう確認のしようがない。
本当に、この補正というものは何なのだろう。
「……ああ、違う。そうじゃなくて」
気になることが見つかって考えが脱線してしまった。
ゲーム補正なんていう、人間では到底システムが解明できないようなことについて正確に考察出来るかと言われれば無理としか言いようがないし、それこそ神だの悪魔だの、私たちを見下ろすような存在でも関わっているとしか思えない。
そんな答えの出ないことをいつまでも考えているよりも、今考えるべきなのは、思い出さなくてはならないのは、直接関わってくるであろうあの王子のストーリーの後日談だ。
ヒントはおそらく三カ月という数字。
その数字と頭に残る前世の記憶を照らし合わせる様に、ゲーム画面を思い出していく。
「三カ月、三カ月……」
妙に長い期間だ。
くっついた後にデートをする程度の後日談ならば、一か月後程度で十分だろう。
だとすればもう少し進んだ関係になっているはず。
ふっ、と頭の中に一枚のイラストが思い浮かぶ。
アルディナの丘の上、並んで座る“ユート”と“プルム”が町並みをじっと見つめながら話しているイラスト。
『俺はこれから本格的に王になるための勉強を始める。今までの自分の価値観を全部ひっくり返して、本当の意味で国民たちの力になれる王になるために。口だけではない、しっかり自分の目で見て、人の言うことに耳を傾け、国民たちに誇ってもらえるような王になる。アルディナの王が俺で良かったと思ってもらえるような、そんな王に。君には、隣にいてほしい。君がいれば、俺は……』
続いて声優さんが紡ぐ力強いボイスが脳内に蘇ってくる。
まっすぐに国を見下ろす、強い目の王子。
確実に今の彼では出てこないセリフと表情だ。
「プロポーズ、そうだ……!」
後日談は“ユート”が“プルム”に結婚を申し込み、了承の返事をするシーンだった。
嬉しそうに“プルム”を抱き上げた“ユート”が婚約を発表しなくてはと喜び、突然抱き上げられたことに驚いた“プルム”とアルディナの町並みを見下ろしながら笑い合う、そんなエンディング。
それならば、ストーリーの終わりは彼らの婚約発表が他国も含めて正式に行われた時だ、でも……
「この状態で、婚約発表?」
ファクルという大国を怒らせて、国内が魔物の襲撃にあっている状況で、呑気に婚約発表なんてありえるのだろうか。
しかも彼らが一番怒りを見せる魔物の子への手出しという、確実にやってはいけないことをしておいて?
ファクルを怒らせたことが知られれば確実に他の国も最速の手続きを取って離れていくだろう。
人間同士の同盟なので明日からもう関係ありませんということは出来ないだろうが、流石に三カ月も同盟が持つとは思えない。
だが黙っていれば他国へも被害が出るし、いの一番に報告はしなければならないはず。
ファクルとの同盟が終わったことを告げないと、襲われないはずのアルディナの街道を使っている関係のない他国の人間が魔物たちに襲われることになってしまう。
そうなれば、アルディナはファクルどころか他の国まで敵に回すことになる。
「……一応、レオス様に言っておこうかしら」
本来ならば絶対に他国へと伝えなければならないファクルとの同盟破棄だが、アルディナが確実に伝えるという保証も信頼もない。
たとえ他国の人間を襲ったとしてもファクルには何のダメージもないが、レオス様のお気に入りの人が住む国の住民を襲ってしまう可能性もある。
アルディナが他国へ同盟破棄のことを告げない可能性があるということを、一応耳に入れることだけはしておこうと決めた。
魔物たちがアルディナを襲えば、他国も察するとは思うけれど念のためだ。
どのみち明日には今日アルディナへ向かった幹部たちからの報告を教えてもらえるだろうし、それを聞きに行った時に話しておこう。
ただストーリー補正がきいているのならば、あの丘から見下ろすアルディナの町並みが破壊されるということはないはず。
どうなるかはこれから日数が過ぎなければ判断できないけれど、ともかくストーリーの終わりを示すイベントは思い出せた。
おそらくあの婚約破棄のイベントで国民には知られているだろうが、三か月後には正式にあの二人の婚約が発表され、ストーリーは終わりを告げる。
その先は、いったいどうなるのだろう?
私が予想している通り、補正はなくなるのか、それとも……。
どんどん思考の海に沈んでいくような感覚は、お風呂場の扉が開く音で断ち切られた。
フィロが上がって来たのだろう、考える時間は終わりだ。
どのみち明日からやることは変わらないし、エンディングを思い出せただけで今日はもう十分だろう。
家の片付けも明日には終わる、そうすれば本格的に仕事も始められる。
アルディナに対して我が国がどう出るかなどの情報に注意しながら、新しい生活を始めるだけだ。
そう気持ちを切り替えたのだが、思考の海から這い上がったところで、今度は別の悩みが浮かんできてしまった。
何となくベッドに腰掛けてしまったが、私はどういう顔でフィロを迎えればいいのだろうか?
昨日は一緒に眠ったし、寝室が一緒なのは正直嬉しい。
けれど昨日は勢いとその場の流れで一緒に眠ったので、フィロが部屋に向かってきている今、どうしたらいいのかわからなくなってきた。
どうしよう、このまま腰かけていても良いのだろうか。
それともいかにも何か作業してますよ、みたいな感じで立っていた方が良いのだろうか。
どうしようどうしようと悩んでいる間に足音は近付いてくる。
さっきアルディナのことを考えていた時よりもよほど、どうしたらいいのかわからない。
とりあえず落ち着こうと少しぬるくなってしまったジュースに口をつけてからはっと思いつき、フィロの分のジュースを新しいカップに注いでいたところで、彼が部屋へと入ってきた。
ベッドに腰掛ける私を見て一瞬固まり、少し悩んでから私の隣に腰掛ける彼。
戸惑っているのはやはり同じなようで、ジュースを勧めれば少し照れたように笑って口をつけた。
私が淹れた飲み物を飲むのも、隣に座るのも、昨日は散々遠慮していたというのに、そんな些細な違いが嬉しくて思考で疲れていた頭の中が幸せで埋まっていく。
しばらくフィロと話している内に緊張は取れ、お互いにお風呂で上がった体温が下がってきた頃、会話が途切れた時にフィロが大きなため息を吐いた。
フィロ自身もため息なんて吐くつもりはなかったのだろう、慌てて口元を押さえている。
疲れているのだろう、当然だ。
自分の出自がこんなところで明らかになるとは思ってもみなかったことのはず。
昨日は追放、夜は夜で色々と心の内を吐露した日だったし、一夜明けて落ち着いたかと思いきや、今度は自身の出自が判明……予想外の出来事が連発していたし、疲れるのも無理はない。
私はアルディナを出たことで何となく重いものから開放されたような気がしているけれど、フィロは過去に失って、そして無くなったことに慣れていたものの大半が一気に戻ってきたような感覚なのだろう。
昨日、いや、今までずっと彼に救われてきた。
今私よりも複雑な心中であろう彼に何か出来ないだろうか。
少し悩んでからフィロのほうへ両手を伸ばし、彼の頭を抱える様に抱きしめてベッドへ倒れこむ。
私と二人きりなので何も警戒していなかった彼の口から、今まで聞いたこともないような間抜けな驚きの声が零れて笑った。
横向きに倒れこんだ状態で胸元に抱え込んだフィロの頭をそっと撫でた。
「疲れたでしょう、お疲れ様」
胸元からヒュッと息を飲む音がして、少しの間薄暗い部屋を沈黙が支配する。
彼の頭を撫でる手から、サラサラと薄い青い髪が流れていくのを何となく見つめていると、フィロが大きく息を吐き出した。
「疲れ、ましたね。一日その場の空気に流されて終わってしまった気がします」
「私に何か出来ることはある? やって欲しいこととか」
「なら、もう少しこのままで」
フィロの体から力が抜けて、代わりに私の背中に回った腕に力が籠る。
「彼らが俺の帰還を喜んでくれているのに、記憶がない俺は同じ様に喜べません。ですが彼らに疲れたような態度や拒否の姿勢を取るのは違う気がして、でも戸惑いのほうが強くて。ただ何もしなくても何かをしても明日は来ますから、きっとそのうち慣れるとは思うのですが」
「……あなたがどうしてもこの国に居辛くなったら、いっそ二人で旅にでも出る?」
「それも良いですね。どうしても駄目になったら、ですけど」
私の胸元から顔を上げたフィロが私の顔をじっと見る。
その青い瞳をじっと見返していると、彼が体勢を変えて今度はフィロに抱きしめられる形に変わった。
お返しと言わんばかりに頭を撫でられて、幸福感に笑みが浮かぶ。
「この国も、あの兄のことも嫌いではありません。せっかくあなたをこうして抱きしめながら眠れるというのに、今この国を離れる必要も感じませんし。魔法も覚えたいですしね」
「フィロが魔法を覚えたら、あの魔法の光を部屋で出してほしいわ。そうしたらあなたともう少し夜更かしが出来るもの」
私の言葉を聞いた彼の手が止まり、どうかしたのか問いかけようとしたところで笑い声が降ってくる。
「俺は魔物であることであなたに嫌われたらどうしようかと思ったのに、あなたは魔物の力の象徴でもある魔法で俺と長く過ごしたいと言うんですね。本当に……あの時焦ったのは完全に俺の取り越し苦労でした」
「そうね、もっともっと、一緒に過ごしたいと思っているわ」
先ほどよりも暗くなった部屋に、小さく二人分の笑い声が響く。
もう少ししたら、フィロの魔法でこの部屋は明るくなっているだろう。
そう思うと今の薄暗さも大切なものに感じるのだから、不思議な気分だ。
彼の腕の中で感じる安心感にそっと身をゆだねる。
大丈夫、たとえアルディナが何をしてこようとも、一番欲しいと思っていた幸せは今確かに私の傍にある。