悪役令嬢と執事の新しい居場所【5】
「そうだな、本当に良かった。フィロ、お前が戻ってきたのがリウムを迎えた後で、本当に良かったよ」
穏やかだと思った途端に復活したピリリとした空気。
本当に、という部分に力を入れてレオス様が笑う。
口元は弧を描いているのに、先ほどまでと違いその瞳はまったく笑っていない。
大笑いしたり私をからかっていたのがまるで嘘だったように感じられるほどの、冷たく色のない笑顔。
「なあ、リウム。そうでなければ、お前の目の前でアルディナを亡ぼして、泣くお前だけを無理やりにでも連れてくるはめになったからな」
静まり返った広場で、レオス様の視線が私をまっすぐに射抜いている。
言葉にならない私を見て、低い笑い声をあげる魔物の王。
「お前のことは気に入っているんだ、リウム。死への恐れは感じても、魔物という存在を恐れているわけではないお前を。怯えながらも外交の話になると意外なくらいに目を輝かせ、私とまっすぐに話して見せるお前もな」
「……レオス様?」
「だからこそ、お前をあの国に埋もれさせるつもりはなかった。我らは気に入った人間に声を掛けることはまれにあるが、その人間が祖国を好きならば無理に移住して来いとは言わん。だがお前は違うだろう? 正当な評価すらされず、我らの目から見ても異常なほどあの国の人間はお前を忌み嫌っていた。それでも尽くしていたのはお前の責任感か、それとも意地か……しかしお前は決してアルディナを好きなわけではない。だからどれだけ拒否されようとも、最終的には強引に連れて来ようと思ってはいたのだが。その場合は同盟が破棄されるだけで、あえて我らから進んで滅ぼす価値もない国だと考えていた。そもそも我らとの同盟が解除された時点で、いくつかの国はアルディナから離れて行くだろう。勝手に自滅していく国に進んで関わる必要など無いはずだったが。まさか我らが必死になって探していた子供を隠しているとは思わなかった。だから……」
王が歪んだ笑みのまま私を見つめる。
先ほどまでころころと変えていた表情の下にあった怒りが静かに噴火していくような、そんな印象を受けた。
「そんな真似をした国を放置するなど、ファクルの住人は誰一人許さないだろう。吹っ切っておいて良かったな、お前が心から我が国の民になるまで待つことはもう出来ない。どうしようかと思っていたが、ちょうどいい。さらわれた子供を連れ戻して、おまけにその子供と恋人同士だというのならば尚更お前と我らの縁は強くなる。お前が本来ならば王家以外が口を出すことが出来ない奴隷市場の環境を整えたおかげで、フィロも生き残ったようなものだしな」
王がすうっと目を細めて、ひやりとした空気が辺りに充満する。
「本当にやってくれたよ、アルディナは。一切関わりがない? 魔物の子はこの国には絶対にいない? 王家は何の関係もない? 我らが最後まで行方を捜していた子供を記憶をなくすほど劣悪な環境に置いて……少なくとも奴隷商人どもは確実に知っていたはずだ」
空気は冷たいまま、けれど肌がピリピリするほどの怒りのようなものが混ざり、幹部たちもさっきまでの微笑みを消してじっと王のほうを見ている。
冷たい瞳のまま、王が幹部の一人へと視線を向けた。
そして、その視線よりも冷たい声で、静かに言い放つ。
「予定通りだ。アルディナへ行き、同盟は終わりだと宣言してこい。それと……当時自分たちは一切関わっていないと言っていたにも関わらず、アルディナの奴隷市場に我が国からさらわれた魔物の子供が売られていたのはどういうことか、三カ月以内に答えをよこせ、と伝えろ。我らの怒りを示してこい。今回は脅しのための一発目だが、本気だという意味も込めて奴隷市場は破壊してこい。奴隷どもは……まあ逃げるというのならばそのまま放っておいても構わんだろう。そいつらが内乱を起こそうが逃げ出そうとが、我らには関係のないことだ」
「了解いたしました、我が王」
命じられた幹部以外にも三名ほどの魔物が背中の翼を翻して、あっという間に空へと消えていく。
彼らの向かう先は、アルディナの方向だ。
「異論はないな、リウム」
真っすぐにこちらを見つめる王の瞳を見返す。
浮かぶのはアルディナでの日々ではなく、ファクルの魔物たちのこと。
昨日かけられたたくさんの歓迎の言葉。
目の前で心配そうに私を見つめる瓜二つな二人。
そして、今朝魔物の子供たちから貰った花。
あの可愛らしい子たちがアルディナで売られているところを想像してしまえば、答えはすぐに出る。
「ありません。私はファクルの人間です」
そもそも結局は助ける結果になったとはいえ、フィロを奴隷商人から買っているという事実が私にはある。
それでも彼らは私を仲間だと言ってくれたし、フィロのお兄さんは突然の再会で戸惑いもあるだろうに、私のことも義妹だと言ってくれた。
彼らが私を家族だというのならば、私は家族を守るために動く。
今回はアルディナが相手だけれど、それがたとえファクル以外の世界中の人間にとっての脅威となることだったとしても、私はファクルで生きるという覚悟を、この国の住人になるという覚悟を決めたのだから。
それに……
「リウムさん、あの」
心配そうな目で私を気づかってくれるフィロに笑みを返した。
彼なんて私よりも考えることが多いだろうに。
この場にいるみんなが私に優しくて、余計にアルディナでの日々が嫌な思い出になっていく。
「フィロ。あの王子が私に言っていたでしょう。『俺の国に悪は必要ない』って」
「はい」
「だからね、フィロ。私、悪役になることにしたの」
「え?」
「ほう」
冷たい瞳にほんの少し愉快そうな色を浮かべた王に向き直って、笑みを返す。
殺気や力の差への恐怖があったとしても、この人という存在自体を怖がる必要はない。
レオス様の言葉を借りるならば、今はもう彼も私の家族のようなものだ。
「私はファクルの人間です。アルディナにとっての悪がファクルにとっての正義なら、私は……自国であるファクルのために働きます。その結果がアルディナにとっては悪だとしても、私はそれで良い、それが良いです」
あの国が私に定めた悪役令嬢という立ち位置。
ストーリーの終わりと共に終わる筈だった私の役割は、あの小さなゲーム機の中の出来事と違い、現実として続いていく。
なら私は、私が大切だと思うもののために、アルディナにとっての悪役のままでいると決めた。
フィロと共に生きることが出来る、私にとっては優しい魔物たちがいる国。
ここが、このファクルが私の生きる国。
「そうか」
瞳の中の愉快そうな色が更に濃くなって、レオス様は玉座の背に寄り掛かる様に腰掛けなおした。
「なんにせよ、すぐに結果は来ないだろう。今の担当者が相当優秀な奴なら話は別だが、我らの納得する答えが出るとは思えんしな」
ふう、と息を吐き出したレオス様の周囲から先ほどまでの怒りの空気が霧散し、幹部たちにも表情が戻ってくる。
先ほどまでの恐怖を感じる空気など初めから無かったかのように、いつも訪問してきていた時と同じ様な雰囲気へと一瞬で戻っていた。
腹の底では煮えたぎるような怒りを抱えているはずなのに、それを感じさせないほど綺麗に切り替えて見せたこの人を、本当にすごいと思う。
いつまでもレオス様が怒りを見せていれば、ファクルの魔物たちも落ち着かないだろう。
ただでさえ、自分たちの感情にまかせて動くことの多い魔物たちだ。
レオス様が一度怒りを鎮めたように見せることで、他の魔物たちが怒りに流されて暴れ始めることはなくなった。
こういう所が、この人が王である理由の一つなのかもしれない。
だからこそ……レオス様が感情のままに動くと決めた時が、ファクル以外の国の最後になるのかもしれないけれど。
そんな風に考えていた私の頭は、レオス様と同じように感情任せで動いていたユート様のことを不意に思い出した。
魔物たちが感情のままに動く事が出来るのは、彼らがこの世界では絶対的な強者だからだ。
好き勝手に動いた所で、彼ら魔物たちがダメージを受けることは少ない。
力があるからこそ動ける魔物たちと、力がない国なのに思ったまま好きに動くユート様。
ファクルとアルディナの同盟は終わったが、彼はどう動くのだろうか。
国の代表者でもある王家の人間の動き方ひとつで、アルディナの未来は決まってしまう。
ユート様がまともに動けるとは思わないが、まず矢面に立つのは現在の奴隷市場の担当者だ。
その人がどの程度出来る人なのかがアルディナの命運を分けることになる。
担当者、が……
「……あ」
奴隷市場の管理者とは別にいる、総合的な担当者。
こちらも基本は名ばかり、奴隷市場でトラブルなんてめったに起こらないので本当に名前だけだけれど、それでもこういう面で強い人の可能性はある。
しかし、今は誰だったかと思い出そうとして浮かんだ顔に、自分の顔が一気に引きつったのがわかった。
「リウムさん? どうかなさいましたか?」
言葉にならない私を心配そうな目で見つめるフィロに、横目で視線だけ向けて重い口を動かした。
「私たちが追放される少し前にね、王が王子たちの将来のためにそろそろ色々な業務を割り振ろうって、今から慣れさせるために試しに一人一つずつ書類仕事中心に仕事をさせることにした、っていう話があったのよ」
「はい」
「人事に関する書類整理とか、武器や国内の生産についての書類作成とか……奴隷市場の運営に関する業務とか」
「……え? あの、まさか」
「他の王子様方だったらまだ少しは可能性があったかもしれないけど、奴隷市場に関しては確かユート様だったと思う。おまけに書類作成だけじゃなくて視察とかも含めてすべての業務を覚えることになっていたはずなのよね」
色々と気が付く前だったら口が出しやすくなると喜んだかもしれない。
けれどまた彼のよくわからない主張で奴隷市場が引っ掻き回される可能性の方が高いのは明白だった。
私が整えた環境が元に戻らなければいい、追放前はそんな風に祈ってはいたけれど。
どう考えても、ユート様がレオス様の納得できる答えを出せるとは思えないし、むしろ火に油を注いでしまいそうだ。
きっとゲームそのままの彼だったら、ストーリー終盤の今ならばいい答えが出せるのかもしれないが、現実の彼がしっかり状況判断をできるとは思えない。
アルディナの終わる可能性が一気に広がったことにフィロと同時に気が付いて、何とも言えない目でお互いに見つめ合う。
「その……アルディナ、終わったのでは?」
「自分が守ると言っていたのだから、ちゃんと結果は出すんじゃないかしら。いい結果になるかどうかは……まあ、そうね、ええ……ファクルが関わっているのだから、王も口を出すと思うけれど」
あの世間から隔離されたかのような考えを持つアルディナが、いい答えを出せるとは決して思えないけれど。
顔が引きつるのはもうしかたがない。
私とフィロの共通の知り合いの中で、一番最悪な人がきてしまった気がする。
「……また、あの人と会うことが決まってしまったわ」
「絶対に話が通じない気がしますね。疲れそうです」
アルディナの運命よりも、再会が決まってしまったことが面倒で仕方がない。
今までのファクルの動き方から考えて、とりあえず早急にアルディナは謝罪と共に何かしらの物品を差し出し、何故フィロが売られていたのかを調べて真実を見つけ出す必要があるだろう。
そのために近日中に一度訪問してくる可能性が高い。
少なくとも二、三日はレオス様も待つだろうが、それを越えれば徐々にアルディナを追い詰めていくはず。
レオス様が提示した三カ月というのは、ファクルがアルディナを滅ぼす本当に最後のリミット。
同盟が崩れてしまった今、ファクルの魔物たちはアルディナを攻撃しないという約束を守る必要がなくなった。
つまり三カ月の間、一切手出しをしないという意味ではない。
そうだとしても、三カ月というのはずいぶん長く感じる。
本来ならば一週間も待たないはず。
「……補正か」
小さくそう呟いて、何となく下を向いた。
これからの三カ月間、ゲーム補正がどこまで働くかで、魔物たちがアルディナにどの程度手を出すのかは決まるだろう。
これは、早急にゲームの後日談を思い出す必要があるかもしれない。
きっと、その三か月後というのがゲームがエンディングを迎える日のはずだから。