悪役令嬢と執事の新しい居場所【2】
ゆっくりでいいと言ってくれていたし、ちょうど良い機会なので地図をフィロに見せて国の中心部までの道を説明しながら家を出て、王のいる広場を目指す。
とはいえ私も入ったことのない場所は多いし、この国に慣れるためにも地図は頭に叩き込んでおかなければならないだろう。
「あの、リウムさん」
分かれ道などを二人で確認しながら進み、後はまっすぐ進めば広場へとたどり着くという位置に差し掛かった時、フィロがどこか言いにくそうに口を開いた。
「その、もしかしてさっきの彼らのような可愛らしいものがお好きなのですか?」
「えっ」
「花をくれた魔物たち相手でもそうですが、門番の家族のことも嬉しそうに見ていらっしゃいましたし。そういえば門番を見ている時も、笑顔でじっと見ていることが多かったですよね。彼も見た目だけは可愛らしいぬいぐるみですから」
「……もしかしてわかりやすかった?」
まずい、フィロが気が付いたということは気配で門番さんも気が付いている可能性がある。
抱っこしたいなんて思っていたことに気付かれていたら、気まずいどころの話じゃない。
私の反応を見て目を丸くした彼が、次の瞬間吹き出したように笑う。
「いえ、俺も今気が付きましたので。門番には気づかれていないと思いますよ」
「なら良かった」
ホッと胸を撫で下ろす私を見て、フィロが不思議そうに問いかけてくる。
「グリーディの屋敷のあなたの部屋にはそういうものがなかったので、今まで気が付きませんでした。リウムさんがあまり私物を買わないのは知っておりますが、ぬいぐるみ程度であれば買っても良かったのでは? まさか女の子がぬいぐるみを一つ買ったところで、誰も文句なんて言わないでしょう?」
「そう、なのだけれど」
買ったことが無いわけじゃない。
幼い頃市場で見つけた可愛らしい犬のぬいぐるみ。
部屋に飾っていたそれはある日突然なくなり、いつの間にかプルムのものになっていた。
プルムが私が持ち歩いているのを見かけて欲しがったらしく、両親が勝手に私の部屋から持ち出して与えたらしい。
あの時は私も補正の影響が強く、それを悲しいとは思ったがおかしいとは思わなかった。
けれどそういう可愛らしいものを私が持っていると、そのうちプルムが欲しがって両親が与えてしまうので、それに気が付いてからは自分でも買わない様にしていたのだけれど。
ああいった可愛らしい物は私よりもプルムに似合うと、使用人や家族が言っていたのを聞いてしまったのも大きい。
確かに自分のきつめの顔立ちにはそういうものは似合わないだろうと思ったこともあって、フィロが来た頃にはもう買うことすらやめていた。
ファクルとの外交成功のご褒美として両親が私に買ってくれたもののいくつかも、やはりプルムの物になっていたし。
そんなことをフィロに説明しながら、ふいに思いついた。
「そう、よね……これからは買っても、なくなることはないのね」
ある日突然ぽっかりと開いた棚の上やベッドの上を見て、悲しい気持ちになることがもうないのならば、一つくらいは欲しいかもしれない。
「当然です! それに、リウム様だってああいう可愛らしいものが似合いますよ。俺が保証します!」
「フィロ」
「門番が定期的に市場が開かれるから、必要なものや欲しいものはそこで買うと良いと言っていました。リウムさんが気に入るものもあるでしょうし、買いに行きましょう。家にスペースはありますし、どんどん飾って下さい!」
「え、ええ、ありがとう」
流石に大量に買うつもりはないが、怒りながらもそう言ってくれるフィロにお礼の言葉を返して苦笑する。
些細なことだ。
自身の好みの物を部屋に置けず、買うこともしなくなった、ただそれだけのこと。
どんな理由があれど置かないという選択をしたのは自分自身だし、例えばこれがフィロの専属をプルムに変えろと言われたのだったら全力で抵抗しただろう。
けれど、こんな風にアルディナでは当たりまえのように諦めていたことがまだあるのかもしれない。
そしてその内の大半は、これから先同じ理由であきらめなくても良くなったことで。
本当に自由になったのだと嬉しさをかみしめながら……あれ、と思った。
過去のこととして冷静に考えられたせいか、強烈な違和感を感じる。
ゲームのキャラクターとしてのプルムは、姉の私物を欲しがった上に両親が取り上げてきたそれを貰って喜ぶような子だっただろうか。
私がゲームのリウムではないので純粋な比較は出来ないけれど、ゲーム中のプルムは自分への嫌がらせを続ける姉に対しても恨み言を言わないような、まっすぐ芯の強い子だったような気がする。
あの子がゲームそのままの性格ならば、たとえ両親が取り上げてきたとしても謝りながら私に返すだろう。
それに、幼い私の私物を取り上げてプルムの物にするという行為は、果たしてゲーム補正と言っても良いものなのだろうか。
具体的に何が違うとは言い切れないが、何かがおかしい気がする。
「リウムさん?」
「あ、ああ、ごめんなさい。買い物楽しみね」
少し考えこんだ私を見て不思議そうな声を出したフィロに慌てて返事をして、まあいいかと思いなおして歩き続ける。
プルムとは今まであまり関わることはなかったし、これからはまったく関係のない赤の他人だ。
私もゲームのリウムとは違うし、他国の存在なども含めてこの世界が現実として存在する今、ストーリー補正によってある意味甘やかされているあの子が多少違ってもおかしくはない。
あの子が本来の性格のままだったら、婚約破棄のイベントの時にユート様の後ろであんな風に笑うことはないはずだし。
もしも次にあの子に会うことがあるとすれば、アルディナがファクルに外交を持ち掛けてきた時だろう。
アルディナ内でのあの子への補正が強くても、他国ではそれは通用していない。
外交強者であるファクルの強さは揺らぐことのないものだし、その辺りで妙なことになる心配はないと思っている。
この国を含めたアルディナ以外の国にあるのは、ストーリーが終わるまであの国に危機が訪れないようにするものだろう。
婚約破棄のイベントが終わった今、きっとそれも後少しだ。
ユート様を相手に攻略した時の後日談はどんなものだっただろうかと思ったが、フィロと話しながら歩いている今はうまく思考がまとまらず、とりあえず夜に考えてみようと決めた。
それにこの先何か起こった時のために思考を止めることは出来ないとはいえ、新しい生活のほうもちゃんと楽しみたい。
買い物に行けるのならば、フィロとお揃いで何か買ったりも出来るだろうか。
未来の楽しみを考えれば、感じた違和感など些細ごととして吹き飛んで、幸せな気持ちが顔を出す。
この国での日々を楽しむためにも、やはり仕事は明日あたりから始めたい。
ファクルで働いて稼いだお金でフィロと一緒に生活する、そんなファクルの国民として当たり前の日々を過ごすためにも。
隣で並んで歩くことが出来る様になったフィロとの日々を大切に生きていきたい。
笑いかければ、彼の笑顔が返ってくるこの時間を。
そんな朝の散歩の続きの様に穏やかな空気は、たどり着いた広場でピリリと引き締まることになった。
昨日と同じ様に肘置きに肘をついて座っている王と幹部たちの真剣そうな顔が、広場に足を踏み入れた私たちへと向けられる。
レオス様の顔には昨日の愉快そうな笑顔はなく、何となくだけれど背筋を伸ばした。
ここへ来るのはゆっくりでいいとは言ってくれていたが、もしかしたら緊急事態なのだろうかと、少し緊張してしまう。
しかし、王が私の顔を見てきょとんとしたことで緊張は少し緩められた。
何も言わずにじっと私の顔を見て来るレオス様に居心地の悪さを感じたが、二度ほど瞬きをした王は視線を移動させ、今度はフィロの顔をじっと見つめている。
視線を私とフィロの間で数度行き来させ、王の口が緩やかに弧を描いたものに変わった。
何を言われるんだろうと身構えた私に向けられたのは、昨日よりは少し静かなレオス様の笑い声。
笑い出したレオス様に驚いたのは私たちだけではなく、幹部たちも目を見開いて王を見ている。
視線を一身に浴びたレオス様はしばらく笑った後、笑顔のまま私を見た。
「時間が掛かるかと思ったが、ずいぶん吹っ切るのが早かったじゃないか。一夜明けただけでそこまで表情が変わるとは……愛の力というやつか?」
「っ!」
先ほどまでの深刻な表情とは一転してにやにやと笑う王にからかわれ、一気に頬が熱を持つ。
王の横にいた女性の魔物があらあ、と笑いながら口元を手で押さえた。
驚いていたはずの幹部たちの視線も何だか微笑ましそうなものに変わっているのが、余計に恥ずかしさを膨れ上がらせる。
ただ、王も幹部たちもどことなく悲しそうな顔にも見えるのが気になった。
しばらく笑っていたレオス様が、同じ様に頬を軽く染めながらも初対面の王たちにどう動いたらいいのか測りかねているらしいフィロへと視線を向ける。
「本当に……」
小さく呟いたレオス様が一度目を閉じて、一瞬広場を沈黙が支配する。
雰囲気が変わったのはその言葉の直後、レオス様が目を開けたのと同時だった。
「やってくれたな、アルディナ……っ!」
バキッという大きな音を立てて、王が握りしめた玉座の肘置き部分が砕け散った。
先ほどまでの空気なんて嘘の様に、重く殺気の籠った空気が辺りに充満する。
まるで空気全体に押しつぶされそうなほど、息苦しい。
風の音すら止まってしまったかの様に、しんとした広場に王の怒りが満ちている。
……怖い、怖い怖い!
今まで見たことのないくらいに怒る王から目を逸らすことも出来ず、頭の中がその感情だけで埋め尽くされる。
レオス様が怒っている、その怒りが向いている先は私でないにも関わらず、恐怖だけが胸を占めていく。
怒りで眉間に寄った皺、視線だけで殺されてしまいそうなほど鋭い目、口から覗く牙。
初めてファクルに来ることが決まった時の、死ぬかもしれないという気持ちがよみがえる。
私を庇う様に一歩前に出てくれたフィロの体が震えているのが見えて、同じように震える手で彼の背中側のシャツを掴んだ。
「はあい、そこまで」
重苦しい空気は、先ほどレオス様の隣で笑っていた女性が苦笑しながら王の頭に手刀を叩きこんだことで終わりを告げた。
軽い調子で入れられたように見えた手刀は、先ほどレオス様が肘置きを壊した時よりも大きなゴツン、という音を響かせ、衝撃で下を向いたレオス様が震える手で自身の頭を抱え込むように顔を伏せる。
「……頼むから、手加減はしてくれ」
「あらあ?」
痛みで言葉が出なかったのか、しばらくプルプルと震えながら頭を押さえていた王が若干涙目になりながら顔を上げ、殺気混じりの空気は綺麗にはじけ飛んだ。
女性の一撃でダメージを受けたとはいえ、きっと本気になればレオス様の方が強いのはわかる。
この人は比喩でなく今世界で一番強い人、国民やお気に入りの人物に対しての態度が友好的なだけで、決して怒らせてはいけない人だということを再確認した。
ようやく空気が肺に入ってきた気がして、大きく息を吸い込んでから吐き出した音がフィロと揃い、私たちの様子に気が付いたレオス様が一度目を丸くしてから納得したような表情へと変わる。
「ああ、悪い。そう言えばお前は普通の人間だったな。こいつが平気だから人間が殺気に弱いことを忘れていた」
悪いとも思っていない様子で王が示す先にいた男性、昨日もいた人間の男性が俺と比べちゃ可哀そうだろと豪快に笑う。
この人いったい何者なんだろうか、本当に私と同じく人間なのだろうか?
けろりとした様子でまったく表情を変えていない彼が、心底うらやましい。
「この人以外の人間は王が怒っている時は近付いてこないものねえ」
笑顔でそう言った女性とは違って笑ってはいないものの、冷静さを取り戻した様子のレオス様が私を庇う位置にいるフィロを見て目元をほころばせる。
「リウム」
「……はい」
「お前、吹っ切っておいて良かったな」
その言葉を疑問に思う間もなく、じっと私を見つめながらレオス様が続けて口を開く。
「いや、違うな。我らはまずお前に礼を言わねばならないのかもしれん」
「え?」
私の声に返事を返すこともなく、王が後方に向かっておい、と声を掛ける。
王が視線を向けた先、木の影から静かに出てきた人を見て、私とフィロは視線を外すことが出来ないまま固まることになった。
王の横まで静かに歩み寄ってきたその男性は、私たちを見て噛み締めるような笑みを浮かべる。
まるで泣くのを堪えている様な、そんな笑顔だった。