悪役令嬢と執事の新たな関係【2】
ここ一年の出来事をかいつまんで説明すると、絶句したまま私の顔を見つめ続けるフィロ。
これも珍しい表情だ、彼も家を出たことである意味気が緩んでいるのかもしれない。
普段の彼ならばこうして私が隣で料理する事を必死になって止めるだろうし。
「黙っていてごめんなさい」
「い、いえ。リウム様、国を出る時にもおっしゃっておりましたが、それほど前からこの事態を想定していらっしゃったのですか?」
「そうね、去年の段階で一年以内にはこういう事態になるだろうなとは思っていたわ。だからその一年は追い出されても生きて行けるようにするための準備期間にしようって思ったの。すべて取り上げられたとしても身一つで国を追い出されたとしても、ちゃんと生きて行けるように。ファクルが受け入れてくれたおかげでその準備も一気に進んで、ここ二カ月くらいは逆に追放の言葉を待っていたくらいだったもの」
先ほどからずっと驚いた表情が戻らないままのフィロを見て笑う。
「何も伝えなくてごめんなさい。あなただけは連れて行きたいとは思っていたのだけれど、何をどう説明したら良いのかわからなくて」
「私を……そう、ですか。嬉しいです。もっとも、置いて行かれたとしても勝手に追いかけるつもりですけど」
驚いた表情から一転し、ふわりと笑ってそう言ってくれるフィロの顔を見て、私のほうまで嬉しくなった。
色々と話したいことはあるとはいえ、私もフィロもまずは最優先で手を動かしている。
話し合い程度ならば薄暗くとも問題はないが、夜間の作業は少々やりにくい。
彼との共同作業の嬉しさに心底浸ることが出来るのは、明日以降になってしまうようだ。
野菜を準備し終えた彼がかまどに向かって手をかざせば、彼の手から噴き出た炎が火を灯す。
その勢いに驚いて思わず目を見開いた。
彼が魔法を使っているところは初めて見たが、私の火と比べるとずいぶん威力が高い。
「フィロ、魔法の威力がずいぶん強いのね」
「よく言われます。危ないので屋敷では使用禁止だと言われていました」
私がライターの炎程度の火だとすれば、彼の魔法はガスバーナー程度の威力があった。
まれにだが強い魔法が使える人間はいるらしいので、彼もそうなのだろう。
以前アルディナで会った戦闘指南の方もこのくらいの威力だったような気がする。
フィロのほうが少し強い程度だろうか。
魔物たちは最低でも火炎放射器並みの威力が出せるらしいので、やはり人間には太刀打ちできないのだけれど。
「流石に魔物たちの様に戦いに使えはしませんし、使える魔法はやはり火を出すだけのものです。人間なので仕方ありませんが……ただ、もしもこの国で何かあった場合はあなたを守りながら逃げるくらいは出来ると思います。今日の様子を見ているとその必要は無さそうですが」
かまどの火が起こしやすいだけですね、と笑う彼に、十分ありがたいわと笑い返す。
そうしてバタバタと調理を進め、だんだんと暗くなっていく外に急かされながらも出来た料理を食卓へ並べていく。
焼いただけ、煮ただけ、そんな料理が並ぶ食卓を、私と同じ食卓につくのはと遠慮しているフィロを促して二人で囲む。
どこか緊張している様子のフィロには申し訳ないが、どうしよう、幸せだ。
身分の差は今まで彼と私が同じ食卓に着くのを許してはくれなかった。
私が食べる傍で控えているだけだった彼と、今初めて同じ食卓を囲んでいる。
家にいた料理人たちが作ってくれていた料理はもちろん美味しかったけれど、何気ない会話を交わしながら口に運ぶ彼の手作りの料理の美味しさが嬉しい。
「おいしい、フィロ、ありがとう」
「そんな、むしろ料理人たちのように作れないのが申し訳ないです」
「彼らは専門の人たちだもの。それに私はこちらの方が好きだわ。私こそもう少し本格的に作れれば良かったのだけれど」
「いえ、リウム様の作って下さったものも美味しいです! まさかあなたの作ったものを食べることが出来る日が来るなんて」
語尾に行くにつれて声量を落としながらそう言った彼が、嬉しそうに私の作ったスープに口をつけているのが少し気恥ずかしい。
今口に運んでいる料理はどれも一般的なもので、それこそグリーディの家で専門の料理人たちが作ったものとは比べ物にならないだろう。
それでもどれもちゃんと美味しくて、家族がプルムのことだけを見ていた食卓と違ってフィロがしっかり私のことを見てくれているこの食事は、私にとって今までで一番美味しいものだった。
いつかやってみたいと思っていた、彼と同時に食事をするという行為を初めて体験できた今日のことを、私はきっと一生忘れないだろう。
国を追放されたことよりも、食卓を挟んでフィロと笑い合っている今の時間の方がずっと心に刻み込まれた気がした。
食事も終わり片付けまで済ませた後、あらかじめこの家に用意していた最低限の荷物を取り出して寝る準備を済ませる。
お風呂は温泉があるので常時沸いているのがありがたい。
話し合いは完全に寝る準備を済ませてからにしようということで、フィロと意見が一致した。
食事中に話そうかとも思ったのだが、おそらく話が終わらず片付けも入浴も出来ないまま真っ暗になってしまうことが目に見えていたからだ。
流石にこの状況でフィロは私より先に入浴してはくれないだろうし、片付けを続けるというフィロに後をお願いして、入浴の準備をしてから風呂場の扉を開ける。
開けたと同時にほんの少し香ってくる温泉特有の硫黄の香り。
風呂の外には香って来ないのと匂い自体が薄いのは、魔物たちが使える結界魔法のおかげだ。
彼らは魔法を用いることで私たち人間よりもずっと便利な生活をしている。
この家にも色々と魔法をかけてくれているし、もしも住んでみて必要な魔法があれば追加してくれるとも言ってくれている。
本当に頭が上がらない。
湯気の立つ温泉は岩で作られた壁で囲まれていて、まるで日本の温泉旅館に来たような錯覚を起こした。
前世の記憶はもう曖昧な部分が多いが、少しだけ残る部分がたまにこうして懐かしさを思い起こさせる。
身体や髪を洗ってから湯船へ体をすべり込ませれば、温泉だけあって少し熱めのお湯に体が包まれた。
ハアーっと大きく息を吐き出して、腕を天井の方へと上げて体を伸ばす。
足をのばすことが出来るくらいに広いお風呂で、少しだけ張っていた気や体がリラックスしてきたのを感じて、もう一度大きく息を吐き出して目を閉じた。
時折聞こえるポタポタという水音が耳に心地いい。
いつも以上に歩いたし、気を張っていた部分もあるしで疲れている。
「お風呂に自由に入れるのは本気で嬉しいかもしれないわ……」
グリーディーの屋敷にお風呂は無く、近くにある大衆向けの銭湯のような所へ行っていた。
この世界にはまだあまり個人宅の風呂は普及していない。
小国のアルディナでは尚更だ。
町にはいくつかの銭湯のような所があり、私たちはそれなりに地位の高い人たちが利用する銭湯へ決められた時間に入りに行っていたのだが、前世でのことを思い出してからはやはり不便に思っていた。
このお風呂にこれからは毎日好きな時間に、それもあの嫌な視線を感じることなく入れるということだけでも、追放されて良かったなんて思ってしまう。
「……そっか、追放されてからまだ半日程度しか経っていないのね」
小さく呟いた声が風呂場に反響して、そっと目を開けた。
ランプの火の揺らめきが薄暗い浴室内を照らして揺れている。
ついに、ずっと心の中で願っていた日が訪れた。
ファクルの人間になった事で感じる幸せと、少しだけ残るアルディナの民への罪悪感。
自分の意志ではどうにもできないゲーム補正というものに縛られた彼らを見捨てて来てしまった。
けれど、私だって肯定されたい。
頑張ったことを認めてもらいたい、存在することを許して欲しい。
その少しの気持ちとフィロへの大きな恋心を足して、追放されることを反論もせずに受け入れた。
「…………」
罪悪感はまだあるがそれでも私は選択し、アルディナの民たちも私を追放することを選択したのだ。
もう後戻りはできない、私は幸せな未来をつかみ取る。
この後はフィロと色々話し合うことになるだろう。
彼と出会った日から胸に宿って、ずっと燃え続けていた恋心という名の火。
それを伝えることが出来る日がついに来た。
お湯の中で絡めた両手にギュッと力が籠る。
両思いだろうと確信はあっても、やはり緊張はある。
「……好き」
練習のつもりで小さく呟いた言葉は思いのほか掠れて、それが反響して自分の耳に届いたことで一気に湧き上がる羞恥心。
温泉の温度のせいか、それとも緊張感からか、体温が上がったのが自分でもわかる。
胸の奥からあふれ出してくる無限にも感じられるような思いとは裏腹に、喉の部分に栓でも出来てしまったみたいに言葉が出てこない。
言いたいのに、伝えたいことはたくさんあるのに、喉からなかなか上がってこない言葉たち。
「さっきはあんなに簡単に言えたのに」
先ほどのように勝手に口から零れてくれればいいのに、なんて思う。
けれどちゃんと考えて伝えたくもある。
長年燻ぶっていた想いをすべて自分の頭で考えた言葉で伝えたい。
悶々と考えこんでいる内に、だんだん熱くなってきた。
ここで湯あたりなど起こして倒れてしまっては元も子もない。
緊張を吹き飛ばすように一度大きく息を吐き出してから湯船から出る。
フィロもこれからお風呂だし、もう少し頭の中を整理する時間はあるだろう。
濡れた髪のまま彼の前に出ることに少しの抵抗感はあったが、ドライヤーなど無い上に私の魔法はライターほどの火しか出ないので髪の乾燥には使えない。
しかたなく髪の濡れたままフィロにお風呂へ行くように促し、不自然に目を逸らした彼に申し訳なさを感じながらも送り出して、一人になった部屋を見回した。
グリーディの家のような広く豪華な部屋ではないし物も少ない。
もしも私がゲームそのままの“リウム”だったら絶望していたのだろうか。
前世の記憶持ちの私にとってはむしろ少し落ち着くくらいなのだけれど。
豪華な家、調度品、生活を支えてくれる沢山の使用人たち、良家の令嬢という地位と生活。
それらすべてを手放す代わりに手に入れた新しい自分の居場所とも呼べる場所と、彼との生活。
今夜告白するのだと思うたびに増してくる叫びたくなるくらいの緊張感に耐えられず、一人きりの部屋をソワソワと歩き回る。
あまり動き回っているとフィロが気が付いて急いで上がって来てしまうかもしれない。
ゆっくりしてきてと送り出したのだし、私の行動で彼を急かしてしまうのも申し訳ないので必死に気持ちを落ち着けて、紅茶を二人分淹れてから部屋の隅に設置された二人掛けのソファへ腰かける。
暖かい紅茶を口に含んだところでようやく少し落ち着いた。
そもそも告白よりも先に色々と説明しなければならないだろう。
フィロも色々と疑問に思っていることがある筈だ。