第三章 悪役令嬢と執事の新たな関係【1】
アルディナを出たのが昼過ぎだった事もあって、フィロの待つ小屋へ辿り着いた頃には空はオレンジ色に染まっていた。
電気などないこの世界は日が落ちれば真っ暗で何も見えなくなってしまう。
魔物たちは夜目がきくこともあり不便には感じていないようだが、森の中ということもあって完全な暗闇に包まれることになる。
なるべく早く新しい家にたどり着いておきたい。
少し急ぎ足になって戻った小屋の前には、フィロと門番さんが待っていた。
私の顔を見たフィロの表情が安心したように緩められる。
「リウム様……」
「ごめんねフィロ、ちょっと時間が掛かってしまって」
「い、いえ」
「だから大丈夫だと言っただろうに」
少し呆れたような声を出す門番さんがこちらを見た。
彼に目はないので、見たというよりは顔を向けたという方が正しいのかもしれないけれど。
「王はご機嫌だっただろう?」
「そうですね、ずっと笑っておられました」
「王は君がお気に入りだったからなあ、今回の君からの返答は王にとってもありがたいものだったのだろう。私も君たちが我が国の民になってくれるのは嬉しい。気軽に遊びに来ておくれ」
「はい、ありがとうございます」
思えばファクルの住人たちの中で一番最初に私を気にかけてくれたのはこの人だったような気がする。
レオス様にはなんやかんやと呼び出されることが多かったため、この国に入るために一度は訪れなければならない彼の小屋へは頻繁に訪問することになった。
一度目の外交が成功したとはいえ、半年ほどはとても緊張して足を踏み入れていたこの国で、外交前に彼が飲み物を出してくれるようになったのはいつからだっただろうか。
『少し時間はある。飲んでから行くと良い』
この小屋に寄った時、王に会う前に出されるようになった一杯のジュース。
そのおかげでいい具合に緊張が解されて、肩に力を入れ過ぎたまま謁見することは随分減ったように思う。
フィロが付いて来てくれるようになった最初の日も、今日からは一人ではないのだなと自分のことの様に喜んでくれた。
この人も今日からは同じ国の人、私がする仕事で守るべき人。
さらにやる気が湧いて来て、幸せな気持ちで満たされる。
私のことをいらないと言って来る人よりも、私が来てくれて嬉しいと言ってくれる彼のような人のために働きたい。
先ほども感じた気持ちを強くしながら、フィロと共に小屋を出た。
小屋の外まで見送りに来てくれた彼は、見えない代わりに音や風の流れで私たちの方向を察知して小さな黒い手を振ってくれる。
宙に浮いた黒いドラゴンのぬいぐるみが手を振ってくれているようで、とてもとても可愛らしい。
「また後で会いに来ましょう」
「ええ」
同じように顔をほころばせたフィロとそんな会話をしつつ、小屋に背を向けて歩き出す。
王に貰った地図を見れば、国の中心である深い森に近い位置に家があるようだ。
幹部たちの住む場所に近いのは監視の意味もあるのかもしれないと思ったが、彼らの指一本で即死してしまうであろう私相手にそこまでの人員を割く必要性は感じない。
戦闘を覚え始めた魔物の子供相手でも私たち人間は敵わないのだから。
そうなると、ファクルの重要な書類を扱うこともある地位につくことになるので、その意味もあってのこの位置なのだろう。
他国から来た私がいきなりある程度重要な地位を貰う……王が決定したことは何の反対もなく受け入れるこの国だが、尚更頑張らなければならない。
王が気に入らないのならば、力で引きずり下ろして成り代わるのがこの国だ。
私をファクルの人間にした事でレオス様が引きずり下ろされることのないように。
今の彼の慕われ具合を考えると、この考えは杞憂に終わるとも思うのだけれど。
それでも今日何度目かの気合を入れなおしてから、隣を歩くフィロの横顔を盗み見る。
夕日が彼の薄い青色の髪を透かすように反射していて、キラキラと輝いているのに目が吸い寄せられた。
そうか、今日からはフィロと二人で暮らすんだ。
気が付いたと同時に今までの葛藤が一気に心の隅に追いやられる。
どうしよう、どうしようと、頭の中が静かに混乱し始める。
ずっと望んでいたことの結果が出たというのに、今更意識してきてしまった。
今まで私の部屋でお嬢様と執事として二人で過ごしてきた時とは違う。
私がずっと願ってきた通り身分という壁がなくなった状態で、部屋どころか家の中に私たち以外誰もいない状態で暮らしていくことになる。
目が合ったら余計に意識してしまいそうで、視線を向ける先を彼から地面の方へと変えた。
オレンジ色の太陽に照らされた足元には二人分の影。
今までも二人で行動する事はあったけれど、これからは本当に二人きりで新しいスタートを切ることになる。
新しい家での現状の説明もあるので話し合いの時間次第だが、今日想いを伝えることは出来るだろうか。
ずっと胸の中に秘めてきた、本来ならば表に出る事は無かったであろうこの気持ちを。
高まる緊張感とうるさいくらいに鼓動を速めた心臓を必死に宥めながら歩を進める。
フィロと合流してからは魔物たちに会わなかったので、もしかしたら小屋に向かう最中に私に歓迎の言葉をくれた彼らはわざわざ会いに来てくれていたのかもしれない。
そうして辿り着いた森の奥、日が落ち始めて薄暗くなってきた森の中には一軒の平屋があった。
大きな樹の下にある家は白い石の壁で出来ており、紺色の屋根の上から壁にかけて青い花の咲くツタが所々に絡まっている。
「……綺麗な家」
「そうですね、静かでいい場所です」
思わず口から零れるほど雰囲気の良い家に、明るくなってから見るのが楽しみになってきて緊張が薄れていった。
フィロも気に入ったようで、少しだけ笑みを浮かべながら周囲を見回している。
「湧き水を泉にしている様です。助かりますね」
フィロが指し示す方向を見れば、小さな水場が家のすぐそばにあった。
水道なんてないので、生活に水くみが必須の身としてはとてもありがたい。
「ファクルは水源も多いし、温泉が湧く場所も多いらしいの。温泉に関しては彼らが魔法で源泉から引いているから、全部の家の中にあるらしいわ。この家も私達が来るかもしれないことが決まった時から建ててくれていたらしいのだけれど、温泉と、少しだけど家具も作って入れてくれているって言っていたの」
「ずいぶんといい待遇なのですね」
「その分は働きで返さなくてはならないけどね」
レオス様も幹部の人たちも引き抜きを掛けたのは自分たちだし、書類整理分の給金代わりでもあるから気にするなと言ってくれたが、ファクル訪問時の短時間分で家具付きの家が一軒貰えるほどの働きが出来ていたとは思えない。
これからしっかりと働くことで、この恩は返さなくてはならないだろう。
話しながらもフィロが扉を開けてくれたので、薄暗い中を見回しながら足を踏み入れる。
近くにあったランプに指先を向け、魔法で小さな火を発生させて光を灯した。
この世界には魔法があり私も使うことは出来るが、人間が使えるのは小さな火を起こす魔法だけ。
魔物達は様々な属性の魔法を使いこなしているので、尚更人間は彼らに逆らえない状況だ。
ランプの光に照らされた部屋は外壁と同じ様に白い壁で囲まれていた。
木材で出来た床は新しいのか独得のにおいがし、傷一つなく滑らかだ。
四方の壁にはいくつかの扉が見える。
試しに近くの扉を開けてみると、本棚や机、ペンなどの筆記用具が揃っていた。
おそらく仕事部屋として使えということなのだろう。
隅の方にはこの国に溜まっていた書類の一部が積まれている。
仕事を始めるのは二、三日後からでいいとは言ってもらえているが、落ち着いたら少しずつ手を付け始めた方が良いのかもしれない。
一度その部屋からは出て別の扉を開ければそこは台所がある部屋で、食事用のテーブルと椅子も準備されていた。
隅の方にはシンプルな白いソファとテーブルが置いてある。
ある程度の食糧まで置いてくれていて、尚更頭が上がらない。
部屋は風呂場など以外にもう二つあったので一人一つ個人部屋も持てそうだ。
「ひとまず夕食にしましょうか? 完全に日が落ちて真っ暗になる前に」
「そうですね、私の手作りになってしまい申し訳ありませんが」
言うが早いが数個の食材を掴み、あっという間にキッチンの方に移動したフィロ。
あまりの素早さにただ見送ってしまったが、手際よく料理を始めた彼の後ろ姿がなんだか嬉しくて少しの間見つめ続ける。
家では料理専属の使用人たちがいたし、フィロが淹れてくれる飲み物は飲んでいたが食べ物はその使用人たちが作ってくれたものだった。
彼の手料理が食べられるのは素直に嬉しい。
けれど今までよりも近い距離が許されるようになった今、彼が作るのをただ見ているよりも隣に並んでみたいとも思う。
幸いキッチンは二人並んで料理しても邪魔にならない造りだ。
フィロが持って行った食材と彼の手元を見つめ何となくメニューを予測し、静かに彼の隣に移動する。
「リウム様?」
「こちらの食材はスープ用でしょう?」
「え、ええ、そうです」
「ならこちらは私が作ってしまうわ。分担した方が早く出来るでしょうし」
「えっ!」
私の言葉を聞いて、それこそ跳ねるレベルで驚いたフィロが、彼にしては珍しく困惑した表情のまま大きく目を見開いて私の方を見つめてくる。
「私の手作りじゃ不安? 一応料理は出来るつもりなのだけれど」
「いえ、そういう訳ではありませんが」
「良かった、フィロが作ってくれるご飯も楽しみだし嬉しいけれど、私の作ったものもあなたに食べてほしいから」
一瞬置いて頬を赤くしたフィロが照れながらも笑っているのを見て、自分が意外と恥ずかしいことを言ったことに気が付いてつられるように照れてしまう。
けれどこうして彼と並んで料理をしていることとか、これからは今まで地位があるからこそ手を出せなかったことをフィロと一緒に出来ることとか。
これからの未来を想像すると嬉しくて、今までよりずっと近い位置にフィロがいることが嬉しくてつい口から言葉が零れてしまう。
どうしよう、と考えたのは一瞬で、まあいいかとすぐに思いなおした。
今まで伝えられずに胸の中にため込んでいた言葉が、伝えることが出来る状況になったためにぽろぽろと溢れ出しているのかもしれない。
もう我慢する必要がないというのならば、敢えて堪えることもないだろう。
今は恥ずかしさよりも伝えても良いのだという嬉しさのほうが勝る。
鼻歌すら出てきそうなほど機嫌よくスープを作っていると、フィロが不思議そうな声を出した。
「その、このような事をお聞きするのは失礼かもしれませんが、ずいぶん手馴れていらっしゃいませんか?」
フィロの視線は包丁で野菜の皮をむく私の手元に固定されている。
手に持つ丸い野菜から延びた皮は薄く均等で、普段料理をしていないはずの私がここまで出来るのは確かにおかしいだろう。
「フィロは夜になったら自分の部屋へ戻っていたでしょう?」
「はい」
フィロが男である以上、いくら家族が私のことを気にかけていなくても深夜まで私の部屋にいるわけにはいかない。
一定の時間になればフィロは部屋へ戻り、本来ならば女性の使用人と交代する。
フィロが来たばかりの頃からしばらく、正確にはプルムがゲーム本編の年齢になるまでは確かにそうだったが、ゲームストーリーと同時期に差し掛かった頃から、夜に他の使用人が来ることはなくなった。
しかしプルムが暮らす家だからなのか不審者など来ないので、家の中はあの国の中で一番安全な場所だったと言っても良い。
それを良いことに追放された後に一般的な家事が出来ないのは困るからと、夜は家にあった小さな台所を使用する許可を貰って、前世の記憶を頼りに料理などの勘を取り戻していた。
本来ならば許可どころか大問題になりそうな申し出ではある。
私が料理に手を出すということは、料理をすることでお金を稼いでいる料理人たちから仕事を奪うということだ。
だから私はそれまでは自分の仕事以外のことには手を出さなかったし、同じような家柄の子たちもそうだった。
この世界はそう言った線引きに厳しい。
数年前にどこかの家の子が親切心から使用人の仕事を手伝ったところ、主人に仕事をさせたからと使用人が処罰されたこともあったくらいだ。
幼い頃の私もまだそれなりに会話があった両親から、使用人を思うならば決して彼らの仕事に手を出してはいけない、と諭されていた。
ただ唯一の例外はやはりプルムで、あの子は手を出すことも許されていたし、使用人達も誰も罰を受けることはなくプルムに感謝し、あの子の好感度がどんどん上がっていったのを覚えている。
けれど私のようにその例外に当てはまらない場合は使用人達に迷惑をかけてしまう。
両親に止められていたこともあり、この世界について知るまではたとえ自分のためとはいえ家事関連には手を出さなかったのだが、その状況になってから慎重に言葉を選びながら申し出てみたところ、ゲーム補正のようなものに捕らわれた彼らは私の申し出に反対することも誰かを罰することもなく。
使わせてほしいと頼んだ場所がメインで使っている大きな台所とは別のあまり目立たない場所だったこともあり、私は一年ほどでフィロに知られることもなく料理などの生活に必要な技術の感覚を取り戻すことが出来た。